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2011年1月15日 (土)

パリのクリスマス(3)ユゴーの家からモロー美術館へ

 1223日(木)

 家にいるときと同じように、朝7時に目が覚めてしまいました。むろん、外は暗い。日の出は840分頃の予定です。バルコニーから外を見ると細かい雪が降り止まず、パンテオン広場は白一色に覆われています。テレビのニュースは真っ先にドゴール空港の雪解け作業を伝えていますが、依然として閉鎖に近い状態のようです。お湯を沸かし、紅茶を飲みながら、昨日買っておいたカイザーのクロワッサンを食べました。モンジュのクロワッサンと比べると非常に軽い。どちらもとてもおいしく優劣はつけられません。

 九時半頃、ホテルを出ました。吹雪のような天気。雨と雪が混じって降っています。こんな日はホテルでゆっくりしたいのですが、旅行者にはどんな一日でも貴重です。今日はアンリ四世校の左隣りのサン・テティエンヌ・デュ・モン教会の横からカーディナル・ルモワーヌまで降りようとしました。一陣の風が吹いて、私の中折れ帽が飛ばされ、映画『ミラーズ・クロッシング』の冒頭のようにくるくると回転しながら道を走っていきました。妻が追いかけるのですがなかなか追いつきません。ようやく教会の階段の下でつかまえました。このサン・テティエンヌ・デュ・モン教会にはパスカルとラシーヌの墓がありますが、見るべきはパスカルの墓で、棺桶から手がはみ出ています。

  今日はマレ地区に行くつもりなので、メトロを乗り継いでバスチーユの駅まで行きました。セーヌ川を渡ればバスチーユまでは歩いても行けるのですが、何よりこの吹雪です。メトロのバスチーユを降りると、目の前に広大なバスチーユ広場が広がっています。サン・タントワーヌ通りを進んでヴォージュ広場に入ろうとしたのですが、そのサン・タントワーヌ通りがどの道かわかりません。何しろバスチーユ広場からは13本の道路が延びているのです。しかもサン・タントワーヌ通りは広場を横切ってナシオンまで続いているので、どちらの方角か間違えると反対方向にも行きかねません。広場から放射状に広がるパリの道路はほとんど支離滅裂で、歩き回るには独特の勘がいります。方位磁石はかつては便利でしたが、携帯、デジカメなど電子機器を携える現代では故障の恐れがあって持ち歩けません。パリは一方通行の道が多いので、それに注意すれば道路の特定が容易にできる場合があります。また、双眼鏡があれば遠くに貼られた道路名のプレートを読み取ることができるでしょう。

 雪が降って手が凍えます。寒い中で、道を探すのは容易でなく、広いバスチーユ広場を半周してしまいました。妻はたいへん不満顔で、それが私をいっそう焦らせます。実は、妻はほとんど怒ったり、文句をいったりすることがなく、私が妻の大事にしている茶碗を割ったときも、妻のパソコンを壊したときもにこにこ笑うだけでした。ところが、パリで道を間違えたときだけは心底怒ったような顔をするのです。同じ道をまた戻ったり、迷ってうろうろするのが我慢できないらしいのです。やっとサン・タントワーヌ通りを見つけても「ほんとうにこの道でいいの?」と何度も聞いてきます。「絶対だいじょうぶ。まっすぐ行って適当なところを右に曲がるんだ」と答えましたが、信用できないという顔をします。実は、私は道に迷うのが好きなのです。パリで道に迷うというのは至福の瞬間で、あれこれ迷って彷徨った挙句、意外なモニュメントにぶつかるといったことは誰でもよくあるでしょう。その後、カフェでビールを飲みながらミシュランの地図で小さな街路の一つ一つをなぞっていくのも楽しいものです。ジュリアン・グリーンは『パリ』(パリ賛美者の祈祷書の一つ)のなかで、「通りから通りへと貴重な時間をたっぷり使った人間でなければ本当のパリはわからない」と書いています。

 雪と寒さ(マイナス6度!)の中、ヴォージュ広場に到着しました。陰気な四角い回廊の南東の角にユゴー記念館があります。常設のもの(ユゴーの寝室や食堂、原稿、写真など)は無料ですが、今は「作家の肖像展」を催しているので有料(7ユーロ)でした。グッズ売場の奥にチケットを販売するところがあるのですが、そこにいた三人の係員の一人が妻に同じことを念を押して三回も聞いていました。むろん妻も私も言っている言葉はわかるのですが、言葉の意味が解らずぽかんとしていました。なんと、24歳以下は4.5ユーロに割引されるというのです。我に帰った妻が必死で否定すると、場はひとしきり笑いに包まれました。しかし、これで何とか妻の機嫌が直ったようです。ユゴー関係の展示はマニアでないかぎり見るべきものはありませんが、特別展に展示されていた作家達の写真は圧巻でした。半分近くはどこかで見たものですが(犬と散歩しているジャック・プレヴェールが尼さんとすれ違う写真など)、はじめての写真も多く、たっぷり時間をかけて見る価値は十分にありました。気取って写真に写っている作家は何か精神の強靭さに欠けているように思います。ヴァレリーやコクトーは、嫌いではないのですが、写真では滑稽です。ボーヴォワールのカラー写真、スカートとネクタイを同柄にしてポーズをつけている写真はパリの女性とは思えぬ野暮ったさです(彼女の生き方も著作も嫌いではないのですが。『第二の性』はどのページを開いても深く鋭い文章に満ちています。なお、私達が前回宿泊したホテルは彼女が『黄金の腕を持つ男』の作者ネルソン・オルグレンと同棲していたセーヌ川際のアパートのすぐ近くでした)。写真からその作家の真実が伝わり、これこそ本物に違いないと思わせるものは、ジャン・ジュネ、ジャック・ケルアック、サミュエル・ベケットなどです。

 ユゴー記念館の外に出ると雪と風が降り止まず、日本から持参の折りたたみ傘はほとんど役に立ちません。そもそもパリの狭い歩道は傘をさしてすれ違うのが不可能です。私たちは、フラン・ブルジョア通りを西に向って歩きましたが、この辺は興味深い店が多いのに寄ってみる余裕がありません。妻が再訪を希望していたカルナバレ館もいつもまにか通り過ぎました。やっとのことで、フラン・ブルジョア通りのはずれにあるフラゴナールの店にたどり着きました。出発直前に、アロマを研究か勉強かしている妻の弟から妻にメールが来て、「おっ、パリか、いいね。マレのフラゴナールで練り香水でも買ってきてよ」と書いてあったのです。フラゴナールのマレ店は、今回のパリ訪問でもっとも感じのよい店のひとつでした。そこで練り香水(parfum solide)を買って、とにかく昼食を食べようと、マレ地区で予定していたレストラン Vins des Pyrennes に向いました。サン・タントワーヌ通りに出ると、雪が降っているにもかかわらずすごい活気です。パン屋、鶏肉屋、菓子屋、カフェ、スーパーなどが、みな客でいっぱいで、これこそクリスマス前の熱気でしょうか。ところで、rue Beautreillis にある目当ての店に行くと、看板に書かれた今日の定食は一種類で、なんとタルタルステーキが含まれています。旅行中に生肉を食べる勇気はないので、急いで手帳を出して、マレ地区の次の予定の店を探しました。すぐ近くのヴォージュ広場を越えた所に Chez Janou というビストロがあるので、そこに行ってみることにしました。雪の降りしきる狭い道でミシュランのぼろぼろになった地図帳を出して道を確認し、再びサン・タントワーヌ通りを横切り、ヴォージュ広場を通ってすぐのロジェ・ヴェルロム通りにその店を見つけました。寒くて体は凍えそうだがお腹も空いています。12時を過ぎたばかりなので、しかもこの天気、先客は一組だけで、私たちはがらんとした奥の席に案内されました。ここは前菜と主菜か主菜とデザートで13,5ユーロです。妻はmerlan(たらの一種)、私は牛肉のワイン煮、デザートは一種だけで梨のコンポートでした。ビストロらしく卓の上にはオリーブの一盛が楊枝を添えて置かれています。焼かれたたらは香草で味付けしたリゾットが大量に添えられていました。牛肉は大きな塊が三つあって、さらに人参が添えられています。魚と肉の皿を二人で何とかワインの力を借りて腹に押し込みました。食べているうちに客が増え、旅行者らしい集団が真ん中の丸いテーブルにつくと一気ににぎやかな雰囲気になりました。そう、この店はフランスの伝統的なビストロ、仲間がにぎやかに飲み食べ談笑する店なのです。入り口には気軽に飲めるようなカウンターがあり、壁には映画のポスター(プロヴァンス料理の店らしくマルセル・パニョルの映画『マルセルのお城』など)も貼ってあります。少しも気取っていず、料理も奇をてらわない素朴な味でした。

 ところで、今回のパリ旅行のために、パリのビストロの評判をネットの口コミでいろいろ調べてみました。面白いことに、外国人(特にアングロ・サクソン)は、まず ambience (雰囲気)を第一に考えるようです。とりわけ、スタッフの態度、自分の遇され方には敏感で、悪い席に案内されたとか、注文をとりに来なかったなど徹底的にネットで糾弾します。一方、日本人は、わりと店の状況(忙しいからとかスタッフの数が足らないとか)も考えるのか雰囲気や客あしらいには寛容で、その代わり、料理の批評は微細にわたることが多いようです。

 降りしきる雪の中、すぐ近くのメトロの駅シュマン・ベールから8番線に乗ってオペラへ。にぎやかなオペラ大通りからオペラ・ガルニエをぐるりと回って、ギャラリー・ラファイエットとプランタンが並ぶオスマン大通りへ進みます。明日のクリスマス・イヴへ向けて買出しをする人々で道はいっぱいです。高級ブランドの大きな袋を提げている人、タオルで顔を包んで栗を焼いて売っている人、群衆の流れの真ん中で立ったまま手を差し出して物乞いする若い男性、中でも驚いたのは雪の降る軒下で赤ん坊を抱いて座っている男です。しかし、今回は乳幼児を抱いている物乞いの人に何人も出会いました。モガドール通りに沿ってサン・ラザール通りに出、サン・トリニテ寺院の右横の坂を上がっていきます。通りの喧騒がすぐに静まり、いつのまにかモンマルトルの古い街並みに変わってきました。次の目的地は、年来の望みだったギュスターヴ・モロー美術館です。

 静かなラ・ロシュフーコー通りに佇むモロー美術館は、彼の家をそのまま美術館にしたものですが、たいへん立派な建物です。寒さのためか鼻水がとまらず、吹きすさぶ雪とみぞれでコートもぐっしょりしています。扉を開けて入ると、意外にもセキュリティー・チェックがありました。モローの家がテロに襲われるなど考えることもできませんが、中年の係員は慎重に私たちのバッグの中を調べています。やっとチェックが終わって、私たちが階段を上りはじめると、「待って!」と係員が走ってきて私の折りたたみ傘を点検し始めたのには驚きました。二階はモローの書斎兼応接室で、大小の額に飾られた絵画で埋まっています。三階、四階と彼の広いアトリエが続き、これでもかというぐらいモロー芸術の世界が展開していきます。同じようなものばかり見ているとさすがに疲れてしまい、ソファーに座って休んでいました。この寒さ、この荒れた天候なので見学客は少ないですが、その半分は日本人でした。外人観光客がガイドブックやパンフレットを手に効率よく見学しているのに対し、日本人は思い入れたっぷりに作品に没頭している人が多いようです。

 モローに関しては、プルーストが『ギュスターヴ・モローの神秘的世界についての覚書』というすばらしい評論を書いていますが、それはまさにプルーストの本質についても決定的なことを私たちに教えてくれるようです。プルーストは、まず、私たちの住むこの世界はもっとも卑俗な世界であって、ほんとうの世界は別のところにある、と言います。モローの鳥や花や雲はそのような世界の予兆であり、彼の画ではその世界が幻のように私たちの前を通りすぎるのだ、これに比べれば「真実」の風景画は卑俗な、知性の欠落した画のようにしか見えない、と。ギュスターヴ・モローのような芸術家は、その制作の過程において、現実の世界のものを徐々に振り捨てていき、個人的なものの柵をくずして、ついには内的な魂の至りつく地点に到着する。彼の家がそのまま美術館になろうとしているのは象徴的だ。ある意味で彼の家は生前からすでに美術館であったのであり、ほんとうの世界の予感であった彼の画は、次第に彼の家をふさいでいき、最後には友人たちと過ごす部屋も寝室さえも奪ってしまった。こうしてモローの家は赤道や極のような観念上の諸地点、神秘的なものが出会う場所となり、彼はそれを導く司祭となった。ここで重要なことに思いあたる。というのも、実はこのことは私たち自身の内面で起こることの比喩でしかないのだ。ほんとうの世界に入り込める魂を持った人間には、この世は悲惨なものではないが陰鬱な卑俗なものにすぎない。この世の人知れぬ亡命者である彼らは、祖国の思い出をすっかり忘れ去っているのだが、昆虫の帰巣本能のように、ある予感につつまれて日々を送っている。そのような内的な魂は互いに求め合いながら、ある日、モローの絵の前でその陶酔に身をまかせながらその世界が現実に存在することを確信するのだ、、、

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ユゴーの家の食堂。私はユゴーの小説を愛読し、その筋に関係ない饒舌さえ好きなのですが、彼の家の趣味だけはいただけません。この部屋もあまりに陰気すぎます。

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シェ・ジャヌーの洋梨のデザート。子供の時に食べた焼きりんごに似た懐かしい味です。

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モローの寝室。その寝台の簡素さに驚きました。

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真ん中の大作がもっとも衝撃を受けたモローの『アルゴノートの帰還』です。

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アトリエの四階。すでに生前からモローの家は「神秘的世界の現前」である彼の作品で埋めつくされていました。



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