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2010年8月27日 (金)

ハンス.H.ホーフシュテッター『象徴主義と世紀末芸術』(2)

 暑い夏の日には、冷房の効いた部屋でアイスコーヒーを飲みながら読書するなんて最高ですね。私には、それ以上の快楽は思いつきません。ところが、今年の夏ときたら、クーラーをきかせてもなかなか涼しくならないし、廊下に出ると熱気に襲われ、外出すると頭がふらふらになります。 こういう時は、厚く彩色された絵画を鑑賞する気分になれず、たとえば、アルフレート・レーテル(1816-1859)の木版画「絞殺人としての死」などを見ながら、ひとしきり考えに耽るのです。

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  これはまさに戦慄すべき版画ではありませんか。1831年にパリの仮面舞踏会で起こったペストによるパニックを描いたこの画の中心に君臨するのは中世以来の「死の舞踏」で知られる骸骨です。彼は二本の骨を巧みに使ってヴァイオリンを奏でています。歯をむきだして笑っている表情が、さらにその恐怖を倍加します。すでに舞踏会の床は仮面をつけたままの死者で覆われています。しかも、死神は一人でなくこの会場のいたるところにいるようなのです。画面の奥には王のように威厳を持った二番目の死神も座っています。必死に逃げ出そうとする楽団員の眼差しの先には別の死神も映っているのでしょう。祝祭の中の恐怖、歓楽の突然の沈黙、逃れられない凶暴な死、ここには運命の多様なこだまが聞こえてくるようです。ホーフシュテッターは、すでにこのレーテルの版画には中世の「死の舞踏」の持つアレゴリーを超えて象徴に至るものがあると言っています。ホルバインの「死の舞踏」は、ただ人々に「メメント・モリ」(死を忘れるな)と伝えるだけの此岸的なものでした。しかし、レーテルの版画は、死がすでに一つの仮面として長い間人々のところにとどまっていて、そしてある日突然に仮面をかなぐり捨てて人々を拉致さってしまうのだと教えているのです。中央の骸骨は、左腕につい先ほどまでつけていた仮面をぶらさげているではありませんか!

 アルフレート・レーテルは、アーヘンに生まれ、デュッセルドルフ、フランクフルトで画を学び、二度イタリアへ遊学した後、35歳で結婚しました。しかし、36歳で精神病を発症し、43歳でデュッセルドルフで亡くなりました。「絞殺人としての死」を含む木版画の連作「死の舞踏もまた」の最後の何葉かは、画家が精神の闇に落ち込む2年前に成立しています。

 アルフレート・レーテルを継いで、19世紀後半のドイツ版画を代表するのはマックス・クリンガー(1857-1920)です。彼の「死について」の銅版画連作から「鉄路の上の死」(1889)を見てみましょう。

Death

 山岳地帯の深い谷底にそって鉄道線路が急カーブで走っています。線路の上に、骸骨が足を組んでのびのびと寝そべっています。汽車はもう間近に迫っているに相違ありません、というのも骸骨は口笛を吹くように口に二本の指をくわえているからです。その楽しそうな表情から、この骸骨は鉄道による死者ではなく、死者を冥府に運ぶ死神だということがわかります。19世紀末にはすでに鉄道網はヨーロッパのほとんどの場所を覆っていました。それまではこのような人里離れた場所で命を落とす人はまれでしたが、今では労せずして死者の魂を手にすることができます。周縁の装飾枠の中には、鉄道事故で死んだ人たちの顔がまるで幽鬼のように浮かんでいます。下には、線路が生命を持った植物のごとくはびこっています。それはまるで、死の舞踏が、新たに加えた富を誇っているかのようです。

 クリンガーは、この連作「死について」に、次のようなモットーを付与しています。

 「われわれは死の形態を逃れるので、死そのものを逃れるのではない。なぜならわれわれの至高の願望の目標は死だからだ。」

 ロマン主義の残滓が感じられるものの、この言葉は真実そのものです。

 マックス・クリンガーは、ライプツィヒに生まれ、レーテルと同じく、ドイツ・アカデミズムの正統を歩んできました。そして、あらゆる技法を身につけた後には、ヨーロッパ中を渡り歩いて研鑽し、ドイツ・美術アカデミー教授、ドイツ美術連盟副議長などを歴任し、死の一年前に結婚し、63歳で卒中の発作で亡くなりました。

 彼はアルノルト・ベックリン(1827-1901)から強い影響を受けましたが、その本質はカント、ゲーテの流れをくむ市民的ヒューマニズムの完成の理念にありました。このイデアリズムが、当時のドイツのアカデミーの実証主義的自然・風俗画に飽き足らず、彼をドイツ象徴主義の大家、そして後のユーゲントシュティールの先駆者としたのです。代表作である10枚の連作「手袋拾得についての解釈」では、夢と現実、理念と表現が不意打ちのように交錯します。最初の二枚で、スケート場で女性を見かけ、その手袋を拾うという写実的な描写が見られますが、三枚目からは、手袋が夢の中に入り込み、解釈不可能な場面が連続します。他の男と去って行く女性が落とした手袋を拾う、という事実が、男を果てしない妄想に駆り立てます。夢が現実の中に忍び入るように、現実も夢の中に踏み込んできます。一見、ばからしいほど荒唐無稽なこの連作は、実は人間行動のありのままの姿なのです。私たちは、常に、現実と夢がないまぜになるように行動し、次第にはっきりしてくる合理的現実によって止揚され、裏切られるのです。

 クリンガーも創世紀について考え、アダムとイヴの堕落の観念に立ち戻りました。そして、人間の不幸と悲惨はことごとく愛から起こるという思想に逢着したのですが、その「出口のない苦悩」は連作「イヴと未来」にあざやかに描かれています。楽園の小川のほとりにすわって長い髪を梳かすイヴはまだ汚れを知りません。しかし、徐々に肉体の兆しが現れ、突然、画面いっぱいに官能の象徴である虎が出現します。やがて、彼女は悪魔の鏡に自分を映しながら虚栄心の泥沼に落ちて行きます。ついで、楽園からの追放、そしてイヴの最後の未来として「道路舗装工」の姿をした死神が続きます。「未来はその後裔たちにとって、一門の血統者の頭蓋骨が塵芥になるまでつぎつぎに粉々に粉砕する、道路舗装工のごときものであろう。」とクリンガーは書いています。これもまた戦慄せずにはいられない版画です。ここには、ブルジョア的経済ー進歩のオプティミズムへの徹底的な反感がある、とホーフシュテッターは言っています。

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 ところで、ドイツ19世紀の美術史というと、ベックリン(彼はスイス出身ですが)とクリンガーの他に、ミュンヘンで大変な人気を博したフランス・フォン・シュトゥック(1863-1928)がいます。貧しい粉屋の小僧から貴族まで成り上がったシュトゥックは、ほとんど無一文の修行時代を送りました。アカデミーの美術学校へ通うこともできず、生活のために、家紋や挿絵やグラフィックの仕事などにも手を染めながら独学で技法を習得していきました。それが、ベックリンやクリンガーの洗練された感覚と違って、何か画布の裏側から顔を出しているような人間味を感じさせます。一世を風靡した彼の名作「罪」を見てみましょう。

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 イヴとその体にからみつく巨大な蛇は、むろん誘惑と罪の象徴で、官能と悪徳が女の姿のうちに人格化されているのです。しかし、ここで罪は断罪されてもいれば、ひそかに渇望されてもいることに気づかねばなりません。誘惑は断固避けるべきだが、それを味わってもみたいのです。この画は訓戒を与えると同時に、刺激を亢進することを望む社会の意識の見事な象徴なのです。

 実は、シュトゥックのこのような作品こそ、19世紀後半のヨーロッパ象徴主義の秘密を集約しているものなのです。以下に述べるホーフシュテッターの解説はいささか図式的だが、本質を突いています。

  「サンボリスム芸術とは、根底において、分析がまったく不可能であるようなひとつの複合体なのである。」 ほとんど後期ロマン主義と重なり、ユーゲントシュテールや表現主義とも重複します。あえて、概念規定を試みるならば、「19世紀初頭に大革命の申し子として、ブルジョア芸術と同時に、しかもその敵対行動として成立した芸術。すなわち、誇張された、攻撃的なアンチ・ブルジョア芸術として、あまつさえときには背徳芸術として成立した芸術である。」さらに要約していえば、「19世紀全体、とくに世紀末に顕著な反社会的芸術のすべて」とすればあまりに強引過ぎるでしょうか。

 19世紀は革命とともに始まります。それは、たんに、政治的緒力の対立であるばかりでなく、精神の交代でもありました。新たに創立された人権という政治的基盤の上に啓蒙主義とブルジョア精神が相携えて闊歩してゆくのです。主導的な政治権力となったブルジョアジーは、その立場を強化するために、人権を発見するよすがとなった緒公準、すなわち政治的平等のみならず精神の平等もという理念を利用するのです。「大多数の人によろこばれるものが美しい」というアントン・ラファエル・メングスが、すでに1763年に言った言葉を敷衍して、ディドロは、さらに、芸術が社会的目的に従属することを納得させようとし、芸術に教化的な、道徳向上の使命を授けました。美徳が愛すべきものであるように、悪徳が嫌悪すべきものであるように、芸術家はこの社会の大原則に奉仕しなければならないのです。これが、まっすぐに1791年のダヴィッドの公式「芸術は、たんに眼をたのしませるだけでなく、民衆のたましいを鼓舞させねばならない」に結びつきます。ここから、国庫補助でまかなわれる美術学校の設立ー芸術を教育体系に編入することーがはじまるのです。

 こうした、ブルジョア的合理主義、レアリスム、実証主義、自然主義、科学主義に根ざした「わかりやすい芸術」という19世紀の概念は、実は21世紀の現在に至ってもその力を奮っているのです。さらに、その諸公準を支えるブルジョア道徳の根幹は、自由と民主主義をたてまえとする現代社会の道徳の中にも密かに生きているのです。「世紀末の信憑すべき証人」エドウァルト・フックスは、その『風俗の歴史』に次のように書いています。

 「個人の性愛は、すべての階級において、またすべての階級によって、結婚という唯一の合法的な基盤として促進された。人間対人間の連帯が万人にとっての紐帯であり、くびきとなるべきであった。近代のブルジョア国家は、家族や国家や共同体における総体の歴史的展開を完成させようとし、したがってまたあきらかに、真に美俗的な世界秩序の即位式を体現しようとした。性愛衝動の充足はしたがってたんに快楽行為を意味するばかりでなくて、子供を生むという願望を通じて聖化され、目的意識化されるべき性質のものであった。子供が婚姻の目的となる。同時にしかし、ひとは子供を財産や家名の相続者としてばかりでなく、人間性という概念の継承者として、人間性の枠と各人の奉仕のうちに位置づけようとする。」そのため、結婚は必然的に打算結婚となります。「ひとびとは出世街道を確実に、できるだけ脳髄の疲労をさけながら前進しようとする。計算が合えば、その他のことは全部合う。こうして選ばれた女性とは美人であり、よき主婦であり、要するに世人の要望そのものである。夫はといえば、これは手堅い人物、衆に抜きん出た実業家、堂々たる風采などである。かくして道徳の乳くり合いは、みずから作った幻想のなかで救護されるのである。」

 19世紀全体を通じて、このような「健康なブルジョア的良風美俗」に対する疑問がさまざまに現れていました。「お行儀のよい主婦と子供たちの母」に対して、サロメやメッサリーナやクレオパトラのような大娼婦が対置されました。剛直な、秩序制定者たる男性は、妖艶な魔女、魅力的な吸血鬼に身も魂も吸われていきます。オーブリー・ビアズレーやフェリシアン・ロップスが仮借ない筆致によって性的にいやらしいものを繰り返し描いたのは、ブルジョア的偽善の徹底的な仮面剥奪のためだったのです。

 反ブルジョアの芸術家たちは、次のような点において、ブルジョア美学とブルジョア的世界体系に対して戦いました。

 第一に、芸術は明白に規定しうる諸規則を規準とし、かかるものにしたがって教育できるという概念に

 第二に、世界や人間を実証主義的・自然科学的に理解することに

 第三に、その結果として、人間のもっとも自然な諸衝動の抑圧を隠しているブルジョア道徳に

 しかし、忘れてはならないことは、彼らが、こうしてアカデミックな規範から解き放された様式フォルムを用いて、ブルジョア的価値体系にがんじがらめにされている日常の背後で活動している事物を現実の明るみに出したところで、彼ら自身はやはりブルジョアジーの諸問題に、その創作において密接に結びついていたことです。無神論者がキリスト教世界に結びついているのと同じように、ボヘミアンがブルジョアの社会秩序に結びついているのと同じように、彼らはブルジョワの世界に結びついているのです。彼らは、彼ら自身が反対する世界観に、彼ら自身も繰り込まれているという二律背反を苦悩のうちに体験せずにはおかなかったのですが、それでも、彼らには二つの突破口がありました。ひとつは、美学的絵画的に規格化されたブルジョア的価値基準を解体ないし破壊することであり、もうひとつは、此岸の背後にひそむ第二の現実の多少とも構成的な観念構築のうちにあります。

 啓蒙主義のいや増す前進において、理性に対立する反世界、愚行、不条理、狂気、そして何よりも迷信が徹底的に弾劾されました。そして啓蒙主義によって武装された王政復古ブルジョアジーの道徳法則は、理性のこの夜の側を呪縛しようとする傾向をあからさまに見せていました。しかし、抑圧された夜の仲間たち、迷信や狂気は、姿を消したわけではなく、むしろ理性の影でその巨大な牙を磨いていたのです。いや、影に潜んでいるというより、理性への野放図な信頼こそ野蛮そのもの、非理性そのものなのです。

 人間は、結局は、獰猛な非理性に翻弄され、制圧され、没落していくのだというペシミズムは、芸術家たちを、この人間の生の姿を徹底して暴き出すという情熱に駆り立てます。彼らは、こうした情熱が、ショーペンハウエルによって裏書されたと感じていました。「ショーペンハウエルこそは、ニーチェの『反時代的考察』第三部において、あらゆるイルュージュンと生の欺瞞とを容赦なく破壊しながら、自由意志による真実の生を引き受け、自然と人間生活とをあるがままの姿において、すなわちその苦悩、その恐怖、その悪魔性においてながめようとする人間として記述されているのである。」

 このような世界観に表現を与える象徴的絵画表現とは、「失われた楽園」であり、地獄として表された世界の光景であり、この世界の悪の化身としての女であり、仮面として個性を剥奪された人間、仮装行列としての人生、また、根こそぎにされ追放された存在の象徴としての娼婦でした。

 ペシミスティックな態度がある一方で、その対立物としてではなく双子の片割れとして、此岸の悲しい現実の背後に非合理な諸価値を予感し、この予感をいわばヴィジョンとして形象化しようとするオプチミスティックな理想主義的態度も存在します。自然の中に神を感じ、神と交流するロマン主義の救済願望がもてはやされるのです。「自然は人間の中におのれを認識し、人間は自然の中におのれを認識する」(シェリング)、「汝の全存在は浄化と淳化を体験し、汝の自我は消失し、汝は無となり、神がすべてとなる。」(カール・グスタフ・カールス) 神話的深層への降下、それによる人間性の失われた神話的根源の回復というロマン主義的解決は全19世紀を貫徹しています。

 そして、芸術家の取り出してくるさまざまな象徴像には、彼らの自我の深層から湧き出してきた怪物であふれています。サタン、カイン、アダムとイヴ、吸血鬼、スフィンクス、サロメなどがたっぷり感情移入されて登場します。このような堕落した形態への執着、あるいは堕落以前の状態への回帰願望などは、19世紀の反ブルジョア芸術家に共通したものでした。

 ところで、彼ら19世紀の反社会的芸術家は、当然のこととして、昼の世界から締め出され、忌避されないまでも、何ら現実世界に影響力を持たない存在でした。しかし、彼らが棲みつく夜の世界、忌まわしい、魅惑的な世界は、実はブルジョアたちの現実逃避のための避難場でもありました。彼らにとって、芸術家が作り出す夜の世界は、危険なく逸脱できるユートピアであったのです。この現実逃避の行き着く先は、えてして過去であり、歴史や伝説の世界であり、とりわけ道徳的な思慮分別を知らない神話の美的世界でした。そういう変装をこらせば女が一糸まとわぬ姿をしていても差支えなかったのです。エロスへの願望ばかりでなく、現実逃避はまた、ユートピアと童話(メルヘン)の世界への幼児退行の、物質世界を離れた自然崇拝への領域にも通じていました。

 サンボリストたちが作り出す表象世界は、規格の中で生きているブルジョアの本然の欲望のはけ口となったのですが、同時にその世界はブルジョア道徳を根底から脅かすものでした。時代の抑圧された願望は、そのような表象を通じて、謎めいたものから不気味なものへ、夢から狂気へ、子供っぽい無垢性から無責任への憧憬へ、英雄精神から反逆へ、美の崇拝からポルノグラフィーへと逃避して行ったのです。ヴェデキントの『パンドラの筺』のなかのアルヴァはルルの肖像を前にして、次のような言葉を発しますが、これこそその時代のブルジョアが、というより人々全部が抱いていた危惧なのです。「このポートレートを見ていると、ぼくはいまふたたび自尊心が湧いてくる。これはぼくに、ぼくの宿命をはっきりと解らせてくれるのだ。この花咲くような、ふくらんだ唇、この黒い、無垢そのものの子供の眼、この薔薇色がかった白い肌のはちきれそうな肉体を見て、自分のブルジョア的地位が安泰だと感じる者、そういう男ははじめに石を投げるがいい、、、、」

 このような意味で、フランツ・フォン・シュトゥックの「罪」は世紀の傑作と呼べるのです。

 

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