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2010年8月15日 (日)

ハンス.H.ホーフシュテッター『象徴主義と世紀末芸術』(1)

 いや今年の夏は暑いですね。どこか涼しい美術館でも行って、ゆったり絵画を鑑賞しようと妻と話していたのですが、この時期、どの美術展も混雑しているそうなので、家で静かに画の本を読むことにしました。ハンス・H・ホーフシュテッター『象徴主義と世紀末芸術』(種村季弘訳・美術出版社1987年新装版)は、19世紀後半の象徴主義美術についての最高の評論です。まず、その概念規定からはじまり、その技法、そしてその表象世界まで、包括的、かつ徹底的に論評していきますが、最初のページから順に紹介して行くのはたいへんです。それで、私の好みの画家たちについて書きながら、象徴主義の要諦を考えていくことにしましょう。

 まず、スイス人の画家、ヨハン・ハインリッヒ・フュッスリ(1742-1825)です。彼は19世紀というより、18世紀末に活躍した画家ですが、同時代のフランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828)やウィリアム・ブレイク(1757-1827)と同様に、象徴主義の先駆といってよいのです。彼の代表作「夢魔」(1781)を見てみましょう。

 

Muma

 美しい婦人は、完全に自己抑制を失って、深い眠りの中に落ち込んでいます。胸の上には、中世以来おなじみの奇形の獣人グルリットがうずくまっています。これは恐ろしい悪鬼ではなく、卑小で、動物的な、欲望に満ちた、彼女の心の深層から湧き上がってくる怪物なのです。幕間から顔をのぞかせている雌馬は獣的発情の象徴像に他なりません。すると、この画は、ゴヤの「理性の眠りは怪物をはらむ」(1797)と同じ趣向から描かれたのでしょうか。理性に委ねられた世界への懐疑は、ゴヤの終生のテーマでした。祖国での政治体験は、彼を、理性と没理性は覚醒状態と眠りのように同一の現実の両面であり、理性の眠りこそが怪物をはらむのだという生々しい認識に導いたのです。フュッスリの眠る女性も、理性に押さえつけられた人生に対する不純な反抗が、無防備な眠りのうちに奇怪な一対の動物の姿をとって具現化したと見ればよいのでしょうか。

 しかし、フュッスリの「夢魔」には、もうひとつの解釈があります。1983年に国立西洋美術館で開催されたフュッスリ展に寄せたゲルト・シッフの解説によれば、実は、20世紀後半に入って、この画が裏張りされていたもう一枚のカンヴァスから剥がされたとき、表側の眠る女にきわめてよく似た女性の魅力的な肖像画が現れてきたのです。この事実はH.W.ジャンセンにこの画の構想と、その苦悩を与えるほどの強烈さをともに説明できるひとつの解釈を思いつかせました。37歳のとき、フュッスリは、ようやく獲得した画家としての名声を手に8年ぶりに故郷のチューリッヒに帰ってきました。わずか6ヶ月の滞在でしたが、彼はそこで親友である観相学者ラヴァーターの姪にあたるアンナ・ランドルフという少女と出会い運命的な恋に落ちるのです。しかし、この熱烈な恋はアンナの両親の拒絶するところとなりました。ロンドンに戻ってまもなく、アンナが婚約したことを知ったフュッスリは、抑えがたい嫉妬の業火に焼かれて途方もない妄想に耽りました。1779616日にラヴァーターに宛てた手紙につぎのように書いています。「昨夜、私は彼女とベッドをともにし、夜具を滅茶苦茶にはね飛ばし、私の精と息と力を彼女に注ぎ込みました。、、、彼女は私のものであり、私は彼女のものです。いかなる神も、誰も、二人を引き離すことはできません。」

 ジャンセンは、フュッスリが満たされない憧憬と嫉妬と怒りの化身として、夢魔を彼女に遣わしたのだと言っています。いわば、捨てられた恋人の代行として夢魔が彼女に復讐を果たしたのです。

 このことが、フュッスリのこの画を、19世紀の象徴主義に近づけるのです。象徴は、たんなるアレゴリーとははっきり区別されます。アレゴリーは、純粋に知的な伝達手段のひとつであり、抽象的な思考過程や意味のある関係をはっきりと頭にたたきこむために使用されます。ところが、象徴は近代になってアレゴリーと峻別され、現実では容易に説明できない幻想的、個性的内実を、現実の限られた手段を使って表現することを意味するようになります。いわば、19世紀の象徴概念とは、ロマン主義の象徴概念と同じなのです。たとえば、カスパール・ダヴィッド・フリードリヒやフィリップ・オットー・ルンゲの作品が現実をそのまま写し取ったのではなく、ひとつの象徴を表していることは容易に理解されるでしょう。しかし、その象徴を読み解くためには、十字架や、曙光や、夕闇といったものが表現するアレゴリーに頼ってもあまり効果はありません。そのためには、彼らの精神史の中へ、個人の生活史の中へ入って行かねばなりません。なぜなら、彼らはその個人的体験から彼ら独自の象徴を生み出してきたからです。フリードリヒはなぜ死と墓と廃墟ばかり描くのか、ルンゲの朝・昼・夜の三幅対はアレゴリーでないとしたら何を表現したいのか。それらを理解しようとするためには、まさに感情移入によって、見る者の精神にある覚醒が必要とされるのです。こうして、フリードリヒの中には、深い追憶の思いが、この世の虚しさに対する神の全能への確信があるのではないか、そして、ルンゲには、神の美しい宇宙的サイクルに溶け込もうとする思いがあるのではないか、と推測することさえできるのです。

 フュッスリは、その画歴の最初から、現実の古典的な描写には全く興味がありませんでした。というより、彼は裸体のデッサンや風景のスケッチにも興味がなく、自分にそのような才能もあるのだと気づいたのはロンドンの美術アカデミーで教えるようになってからでした。古典主義は、模範的なカノンの存在を信じ、それゆえに芸術は教育できるという信念にとり付かれています。フュッスリは、ロンドンのアカデミーを「芸術の悲惨のシンボル」と呼び、にもかかわらず、運命の皮肉として、この学校に油絵技法の教授として招聘されたとき、就任式に際して、自分もこんなところに入るくらいだからずいぶん下劣な人間だと思う、と言いました。そしてフュッスリは19世紀において、それまでアカデミー画家たちから芸術家とは見做されなかったレンブラントの天才をふたたび発掘した最初の人たちの中のひとりでした。彼は、自らの悪魔的ヴィジョン、幻想的画風を創り出すために、レンブラントの境界さだかならぬ、もやの中から立ちあらわれる光の技法を利用したのです。

 フュッスリは、174126日にチューリッヒに生まれました。父親は画家であり、美術品収集家でもありました。フュッスリの知的興味はチューリッヒの高等人文学校で大きく涵養されます。二人の教師、ヨハン・ヤーコプ・ブライティンガーとヨハン・ヤーコプ・ボドマーは当時のヨーロッパでもっとも進歩的で自由な精神を有していました。二人は、フュッスリに、古典学における完璧な基礎を与えました。そのおかげで、フュッスリは毎日三時間ギリシア語とラテン語の書物を読んでから画を描き始めるという習慣が身についたのです。古典学ばかりでなく、この二人の教師は、フュッスリに、『ニーベルンゲンの歌』、ダンテの『神曲』、シェークスピアの戯曲、ミルトンの『失楽園』などヨーロッパの財産ともいえる作品を読ませ、後にフュッスリは多くの霊感をこれらの作品から得ています。

 この二人の教師とフュッスリは、その自由思想のゆえに偏狭なチューリッヒを追われて、ヨーロッパを放浪します。(彼らと、フュッスリの友人ラヴァーターは、ゲーテの『詩と真実』にも度々登場します。)象徴主義との関係では、このラヴァーターとの交際が非常に重要です。ラヴァーターは1775年から1778年にかけて大部の観相学研究を公にしていました。そこで、彼は、人間の性格他すべてはその顔の相に現れると述べているのですが、これはその後、カール・グスタフ・カールスの『人間形態の象徴学』(1853)を経て、ルードヴィッヒ・クラーゲスの筆跡学、クレッチュマーの精神病理学につながっていきます。この象徴概念は、象徴主義の画家たちに、ポートレートから自立して、人間の顔の中に特定の魂の状態や、特定の、彼が意図した心的構想を象徴することができることを教えました。その例は、ダンテ・ガブリエル・ロセッティやビアズレー、クノップフ、フランツ・フォン・シュトックなどに見ることができます。

 その後、フュッスリはロンドンに居を定め、彼を代表する傑作を次々と発表して行きます。ホメロスやヴェルギリウスに題材をとったもの、ニーベルンゲンの伝説、シェイクスピアの作品群の挿絵など、しかし、その中で、フュッスリの哲学を理解するうえで決定的に重要なのは、1790年から1800年にかけて遂行されたミルトン『失楽園』の絵画化でした。

 かんたんに『失楽園』のあらすじを紹介しましょう。サタンは神への謀反を試みたため地獄に追いやられます。再び神と闘いを挑むべきかどうか迷ったサタンは、神との直接的な闘いは避け、地上に住むアダムとイヴを利用して神に復讐を遂げようと決心します。蛇に姿を変えたサタンは、まずイヴに禁じられた木の実を食べるよう誘惑します。イヴは、果実をアダムのところへ持って行き、すべてを彼に語ります。イヴが神の命に背いたことを知ったアダムは、イヴを深く愛するがゆえに彼女とともに罪を犯す道を選び、果実を食べます。

 神は、罪を犯したアダムとイヴを楽園から追放するために大天使ミカエルを遣わします。ミカエルは、追放する前に、アダムを高い山に導き、人類の未来を映し出すいくつかの幻を見せます。病気で苦しんで死んで行く者や、大洪水で溺れ死んで行く者たちの幻を見せられたあとで、最後に、キリストの到来、その受肉、死、復活、昇天が述べられ、キリストの再臨までの教会の腐敗さえ予言されるのです。そして、打ちひしがれたアダムとイヴはミカエルによって楽園の外に導かれて行きます。

 「ミルトンと同じく、フュッスリは、悪は女を通じて世界に侵入してくる、という観念の虜になっている」とホーフシュテッターは書いています。すなわち、フュッスリが青春時代の終わりに味わったある愛の幻滅は、フュッスリの作品中に繰り返しあらわれる、虚栄心の強い、無責任な破壊者としての女の描写に通ずるはげしい女嫌い観を形成するに至ったというのです。フュッスリの人生で、愛が成就したという事実はありません。彼の唯一の心からの情熱、アンナ・ランドルフと結ばれるという情熱はついに実を結ぶことはありませんでした。彼は、50歳近くなって恐らく妥協から若く愛らしい女性と結婚したのですが、彼女が満足させることができたのは彼の肉体的欲求にすぎなかったはずです。「イヴと運命をともにする決心をしたアダム」という彼の画を見てみましょう。

 

Adam

 アダムは、神の掟に背くという行為にひそむ罪の重大さを完全に意識して、それゆえにまた致命的な結末をも意識しています。彼は、はっきりと眼を見開いてイヴの破滅的な行為にしたがうが、それは劫初の恩寵のうちにただ一人生きつづけるよりも、イヴとともに劫罰と死の世界で結ばれていることを望んだからです。「イヴと運命をともにする決心をしたアダム」はまさに感動的な画で、それは、フュッスリが、ブレイクやシェリーのようにサタンへの隠しようのない愛情を吐露したりせず、また無論、神への呪詛などもなく、すべての反抗は失敗する運命にあるという諦念とともに、それならば愚かな女と運命をともにすることこそ唯一の選択であると理解したことにあるのです。これこそ、象徴主義の傑作といってよいでしょう。

 

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