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2010年5月31日 (月)

ロジャ・ダブ『香水の歴史』

 「ゲランで働いていたころ、私は1929年の名作『リュ(Liu)』の復刻を担当したことがある」と、ロジャ・ダブは書いています。「わずか300本の限定復刻版だった。運よくその1本を手に入れたご婦人(東欧系の方だった)は、ひとこと『リュ』とつぶやいて目を閉じた。聞けばその昔、もらったばかりの『リュ』を結婚初夜につけようとしたとき、ボトルは震える彼女の指から滑り落ち、貴重な香水はじゅうたんに吸い込まれてしまった。以来50年、復刻版の『リュ』をスプレーした途端に、すべての記憶がよみがえったという。あのときの部屋のインテリアも、あのときの気温も。香りが記憶の扉を開き、素敵な思い出が彼女を包んだのである。」

 「写真は冷たい二次元の紙で、時がたてば色褪せてゆく。しかし香りが呼び戻してくれる記憶は天然色で、いつまでも生き生きとよみがえる。わずか一滴で、香水は現実から離れ、めくるめく幻想の世界へ逃避させてくれる。」

 そして、彼はマルセル・プルーストを引用するのです。

 「長い時が流れ、人が死に事物が壊れ散り果てて何ひとつ残らなくなっても、味と香りだけは残る。それは何よりもはかないのに何よりも私たちの心に残り、何よりもつかみどころがないのに何よりも忘れがたく、けっして私たちを裏切らない。それは魂のように、すべてが朽ち果てた後も記憶に残り、私たちを待っている。味や香りのエッセンスのほんの小さな一滴からも、記憶の壮大な建造物が浮かび上がってくる」(『失われた時を求めて』)

 

 ロジャ・ダブの『香水の歴史』(新間美也監修・原書房、原題はEssence of Perfume)は、原料、抽出法、その歴史、伝説の名香、香水瓶の意匠まで、過不足なく、しかも非常に興味深く語られています。数多く載せられた写真も美しい。ロジャ・ダブはイギリス人で、幼い頃から香水の魅力にとりつかれ、21歳でパリ・シャンゼリゼのゲランのブティックを訪れたとき、ただちに、ここで働こうと決めたそうです。彼は、ゲラン社を質問攻めにして、業を煮やしたロベール・ゲランは、この若者を黙らせるより、その熱意を社内で役立てようと、彼を正式採用します。6年後、ロジャ・ダブは、ゲラン一族以外でははじめての特別権限を与えられ、香水製造のすべての過程に精通することになります。ゲランを去った後、世界中のブランドを渡り歩いて、ついに自らの香水を発表しますが、すべてを貫くのは香水への強い情熱です。何かひとつのことを、これだけ好きになり、打ち込んでいけるというのは、やはり特別な才能というほかはありません。

 香水の歴史について語る前に、その原料について紹介しましょう。動物性香料は、次の四つしかありません。どれも芳醇強烈で、かつて疫病で死臭がたちこめた時にその威力を発揮しました。香水のベースになる貴重な原料ですが、現在はその希少性や動物保護のため合成香料に代わられています。

 <アンバーグリス(竜涎香)> マッコウクジラの体内でできる結石。マッコウクジラが甲イカを飲み込むと、固く尖った嘴が気道や腸内を刺激します。すると蝋状の分泌物がそれを覆い、まるで貝が真珠を形成するように、結石を作り出します。結石がある程度の大きさになると、猫が毛玉を吐くようにマッコウクジラから排出されます。そして海面を浮遊する間、海水の塩分と日光にさらされて比類ない独特の香りを生じるのです。

 <カストリウム(海狸香)> カナダに生息するビーバーの肛門に近い香嚢から採取します。レザーとタールの香りで、その持続性に優れています。

 <シベット(霊猫香)> 麝香猫という名のエチオピアに生息するネコ科の小動物の体内にある分泌線から採取します。伝統的な手法は麝香猫を檻に入れ、檻を叩いたりして怒らせ、そのとき分泌されるワックスをスプーンで採りました。非常に重要な香料だが、糞の匂いが強いため扱いが難しく、それに成功すれば斬新な香りを作り出します。

 <ムスク(麝香)> 別格の香料。チベットやネパールに生息するジャコウジカの下腹部の香嚢から採取します。催淫作用のあるこの香料を合成しようと、一世紀にわたって化学者が研究してきましたが、1939年レオポルト・ルジチカが成功してノーベル賞を受賞しました。

 植物香料は多彩ですが、重要なものだけ挙げましょう。

 <ジャスミン> 欠かせない香料の一つ。インドールという成分が含まれ、これが力強い官能性を生み出します。とくに南仏グラース産のジャスミンは高い割合でインドールを含み、比較できないほどの官能的な刺激を有しています。1kgのジャスミン・アブソリュート(オイル)を得るために必要なジャスミンの花は500万個といわれ、今日この高価なグラース産ジャスミンを使用するのは、ジャン・パトゥ、シャネル、ゲランだけだといわれています。

 <ローズ> 古代エジプトで使われ、ホメロスにも登場するローズは、その落ち着いた清涼感が官能的質感を鎮めるために使用されます。アラビアの調香師たちによって精製術が究められ、現在はグラースでもっとも洗練されたオイルが作られます。バラの花は日が昇る前に摘み取らねばならず、ブルガリアには古くから「バラが最高に芳しいのはペチコートが朝露に濡れるとき」という格言があります。

 <ベルガモット> シトラス系の中ではもっとも性能がよく、citrus aurantium の果実から採取します。ほかのシトラス系と同じく、揮発しやすく長持ちしないので、トップノート(香水の最初の香り)の役割を果たします。レモンやグレープフルーツと違って、ベルガモットは厚みと新鮮な酸味があります。

 <ぺチパー> インディアングラスの細い根。女性用香水の4割に含まれる理由は、他の香りの持続性を高め、香水全体のバックボーン(背骨)の役割を果たすからです。香りはドライで、土臭く、スモーキーでもあります。

 <バニラ> 熱帯に生育するラン科の植物 vanilla planifolia の種子から採取します。緑色の莢から香りを採りだすまでに24ヶ月を要します。香りは力強く、温かみがあり、オリエンタル調の香水には絶対に欠かせません。バニラの香りは性的快楽を高める媚薬ともいえ、サフランと並んでもっとも高価なスパイスです。

 <サンダルウッド(白檀)> オリエンタルノートには欠かせません。最高品質の白檀はインドに生育する樹齢30年以上のもので、伐採は政府によって厳しく規制されています。この原料は、一瞬香っていたはずなのにいつのまにか消えている、というように嗅覚を「だます」ため非常に使用が難しいとされています。

 <オークモス> オークやトウヒの樹木、果樹に生える地衣類から採取します。フローラルな香りとは正反対の、土臭く湿った、レザーに似た香り。ゲランの名作「ミツコ」は、ベルガモットのトップから、ジャスミン、ローズへ移り、ベースにこのオークモスが使われています。

 以上の天然香料は、深みがあり複雑ですが、現在はきわめて高価となっています。近代的な香水ができるためには、合成香料の研究と普及が不可欠でした。合成香料は単純で深みに欠けるのですが、「粗野」な天然香料を洗練させ、そのよさをいっそう引き立たせる役割があります。代表的なのは、クマリン、バニリン、インドールなどですが、何よりもアルデヒドが重要です。

 

 さて、香水の原料となる香料は約3000種類にも及びます。調香師(「ネne」と呼ばれる)を志す人間は、まずそれらすべてを覚えねばなりません。一日10種類ずつ、ノートに克明に特徴を書いて(しばしば、子供時代の思い出の香りに連想づけます)、完璧に暗記していきます。この連想ノートを調香師は生涯にわたって書き続けることが必要です。香料の次には調合(ブレンド)を覚えねばなりません。基本的な香りの組み合わせの修業の後、いくつもの自分独自の香りのパレットを生み出していきます。そして、いよいよ香水を作り出すとき、彼らは何を目指すのでしょうか。えもいわれぬ芳しい香りでしょうか。朝の冷気のようなさわやかで凛とした香りでしょうか。官能を呼び覚ます甘い香りでしょうか。いや、そのような簡単な表現で言い表すことのできるのはせいぜい安物のオーデコロンです。真の調香師が目指すものは、言ってみれば、のけぞるような香り、期待を裏切り、まったくそれまでに嗅いだことのないような香りです。人々が良い香りと思うものは、限定された思い出の心地よさを連想させるに過ぎず、それゆえに平板で飽きられやすいのです。香水とは、調香師の独自のパレットから生まれ、それ自身で新しい世界と美を創り出すものです。しかし、現実には妥協を強いられ、万人向けのパレットから当たり障りのない「良質な」香りを作らざるをえないこともあるでしょう。現代では販売のプロによる宣伝によって、薬のような合成香料に満ちた香水が作られています。そのようなものは、記憶の意外な喚起や、繊細な人々の感性に働きかけてくることはほとんどないでしょう。しかし、どんな時代でも、本物を求める情熱は底流のように時代の傍らを流れ続けます。再び偉大な職人たちの時代が訪れるであろう、とロジャ・ダブは書いています。

 

 「名香」がそう呼ばれるのはなぜか、それを理解するには目を閉じて、これまで嗅いだことのない香りを想像してみるとよいでしょう。無から新しい何かを創造するとは困難なことこの上もありません。ここに、古典と呼ばれる香水の存在意義があり、またその偉大さもあるのです。一般に近代香水は、1882年のウビガンの「フジェール・ロワイヤル」と1889年のゲランの「ジッキー」からはじまるとされています。それまで、香水といえば、単純な花の香りをもとにして、樹脂、木材、それに動物の匂いを混ぜ合わせたものでした。ウビガンの調香師ポール・パルケは、新しく開発された溶剤抽出法により、有香分子クマリンをさまざまな香料と混ぜ合わせ、濃厚で安定した幻想的な香りを創り出しました。この処方は、それまで家内工業であった香水産業を数百万ドル規模の芸術にまで発展させる基をつくったのです。

 しかし、香水の世界を本当に変革したのは「ジッキー」です。フランス革命からちょうど100年後、パリ万国博を記念してエッフェル塔が建てられた年にこの香水は登場しました。まさに革命的な代物で、さわやかで甘いフローラルの香りしか知らなかった人々に衝撃をもたらしました。ベースになるシベットの量は半端でなく、上流社会の女性は誰一人として、あえてこれを身にまとおうとはしませんでした。向こう見ずな男性だけが危険を冒したのですが、女性たちが受け入れたのは何年も経ってからでした。トップノートはラベンダー、ベルガモット、ローズマリー、バジル、ローリエ、奇妙にもハートノートがほとんど欠落し、ベースノートはシベット、サンダルウッド、シナモン、それにバニラで、これにより初めて香水が、レモンやペチュニアの花束という具象から離れて、観念的でセクシーなものになったとロジャ・ダブは書いています。

 「ジッキー」は、また、初めて伝説に彩られた香水でもあります。1844年にパリ、オペラ座前のラ・ぺ通りに、ピエール・フランソワ・パスカル・ゲランが香水店を開きました。息子のエメ・ゲランは医学を学ぶためイギリスに渡りましたが、その地でジャクリーンという女性に出会い、結婚を申し込みます。ジャクリーンは受け入れたが、家族は許さず、エメは失意のうちにパリへ戻ってきました。彼は一途に恋人を思い、生涯独身を貫きましたが、55歳のときに「ジッキー」という斬新な香水を創り出しました。その名は、かつてエメがジャクリーンにつけたニックネームでした。なぜこの逸話に意味があるのでしょうか。もし彼が恋人と結婚して平穏に暮らしていたなら、これほどめざましい香りをつくり上げることは決してなかったでしょう。それは失われた幸福の思い出に捧げられているのです。ウビガンの「フジェール・ロワイヤル」はすでに廃番となりましたが、ゲランの「ジッキー」は120年の時を越えて今もなお売られ続けています。時代の変化に合わせ、より穏やかになりましたが、まだジッキーの新しいボトルを開けるたびに同じ興奮を味わう、とロジャ・ダブは書いています。「現在、ジッキーは変わったにもかかわらず、その香りは深い悲しみを帯び、さまざまな影響を受けて短命になりうる友情のはかなさを思い起こさせる」と。

 <1910年代> タイタニック号沈没、第一次世界大戦、ロシア革命の起こった1910年代は、また女性解放の時代でもありました。彼女たちは胸をしめつけるコルセットや、「女性らしさ」を強調するねばつく甘い香りを拒否しようとしていました。シャネルがトレードマークとなるシャツウエストのドレスをデザインした1917年に、天才フランソワ・コティが、シプレ調というコンポジションの基となった傑作ルシープルを発表します。ドライなモス(苔)、ウッド、ゴム樹脂、動物香料の確信的なブレンド、一般にこうした香料は男性用と見られていたのですが、コティはそれをオリス、クマリン、バニリンのほんのわずかの調合で包み、ソフトで奥深いものに仕上げました。ルシープルは今はもう生産されていませんが、その存在は、ゲランのミツコ、ディオールのオーソヴァージュ、グレのカボシャールなどの中に生きています。

 「ジッキー」を世に送ったエメ・ゲランの最大の功績は、甥であるジャック・ゲランの才能を見出し、名調香師に育てたことであると言われています。ジャック・ゲランは数々の名香を生み出し、「歴史上、最も偉大な調香師」であるとロジャ・ダブは書いています。ジャック・ゲランの最初の傑作が「ルールブルー L'heure Bleue」(1912)で、ゲラン家に伝わる逸話によれば、ジャックがある夕刻、セーヌ河畔を散歩していたとき、日は落ちたもののまだ闇が訪れていない絶妙な瞬間の美しさに感動し、この魅惑の静けさを香りに凝縮したいという思いにとらわれた、ということです。「私は何か強烈な感覚を覚えると、香水で表現するしかできなかった」とは彼の有名な言葉です。さわやかなトップノートがほとんどないので、現代の女性には理解しがたいだろうが、とロジャ・ダブは前置きして、次のように語っています。「ルールブルーは痛ましいほどの感動を呼び起こす。ベルベットに包まれたハーモニーで心を揺さぶり、魂を奪われるようだ。これほど人の心を強く動かすことのできた調香師はいなかったし、いまだに存在しない。第一次世界大戦前につくられた最後の偉大な香りであり、ベルエポックの柔らかい女性らしさを、官能的でふくよかな胸にも似たやさしいパウダリーな香調に封じ込めた」と。

 大戦が終わった1919年に、ジャック・ゲランはゲランの歴史を代表する香水を発表します。「ミツコ Mitsouko 」は、クロード・ファレルの小説の登場人物である日本人女性ミツコにインスパイアされた香水ですが、その精神は、心の奥に秘めた恋、深い官能と情熱にとらわれながら決して媚びることのない愛です。ジャックは、コティのシプレ調を完成にまで高め、これ以上ないシンプルで完璧にバランスの取れた香水を創り出しました。チャップリンやディアギレフに愛用されたこの香水は、1932年、女優のジーン・ハーロウと結婚したポール・バーンの悲劇を思い起こさせます。2人の結婚生活は2ヵ月後に終わりを迎えました。その夜、夫は裸になると全身にミツコをふりかけ、妻の香りに包まれたまま、浴槽でピストル自殺したのです。

 <1920年代> フィッツジェラルドが『グレートギャツビー』を書き、リンドバーグが大西洋横断をした1920年代は、アメリカで女性に参政権が与えられ、避妊の大切さを教えたメアリー・ストーブスの運動により女性に肉体からの開放がもたらされた時代でもありました。第一次大戦の惨禍の爪痕は、人々の心に深い悲哀を残し、1929年の株式市場の大暴落は、貧しい人々だけでなく、富裕な人々の生活も再生できないほどに変貌させました。この時代に数多くの忘れがたい香水の名作が生まれたのは、むなしさの中から生まれた若さと新しさへの憧れだったのでしょうか。

  ガブリエル・シャネルは、その生涯はどうあれ、強い気性と先見の明を持っていました。1921年に発表された香水「№5」は、そのシンプルな命名と形からして彼女のセンスの良さを示しています。それまでの香水の名前は感傷的すぎるし、ボトルはあまりに古くさく、あまりにベルエポックすぎると感じていたのです。ココ・シャネルは、ロシア宮廷最後の調香師エルネスト・ボーに依頼して、手に入る最高級の原料で香水製作を依頼しました。この香水についての伝説は、半ば秘密の裡にあります。一説では、短気なシャネルはわずかの製作期間しかくれなかったので、ボーは10種類の試作品のひとつに大量のアルデヒドを入れました。シャネルはそれ以外の中から選ぶだろうと思ったのですが、彼女が選んだのは五番目のまさにその瓶でした。グラース産の高価なローズ・ド・メ(五月のバラ)やジャスミンが、大量のアルデヒドによって拡散し、にわか雪の合間に輝く太陽のごとく、フラワーノートをすっかり変容させたのです。トップノートはアルデヒドとベルガモットがはじけるように輝き、ジャスミン、ローズ、スズラン、気品あるイランイランが華を添え、バイオレットが顔を出します。これが、ぺチパー、シダーウッド、サンダルウッドに支えられ、シベット、ムスク、バニラ、アンバーグリスの官能的ベースに乗っています。これぞまさにシャネルが求めていたものでした。「女性は女性ならではの香りを漂わせなくてはなりません。バラの香りではなく」と、シャネルは言っています。

 シャネルに対抗意識を持っていたジャンヌ・ランバンは、「5番」にインスパイアされながら、どんなに費用がかかってもいいから、さらに高品質のものをつくるよう調香師アンドレ・フレイスに依頼しました。1927年に出た「アルページュ Arpege 」は、より純化されたアルデヒドによって、熱いアイロンの底面のようにメタリックで、夜空の黒いベールにまたたく星のように成分を輝かせます。

 「世界屈指の香水」アルページュはただの香水ではありません。ジャンヌ・ランバンが溺愛する娘マリー・ブランシュの誕生日に贈るため特別に作らせたものでした。伝説の黒いボトルには、ジャンヌ・ランバンが幼い娘を抱き寄せる金の図柄が描かれていて、それがそのままブランドのシンボルになっています。ジャンヌ・ランバンが最初に手がけたのはシャネルと同じ帽子作りでした。こつこつ働いて貯めた資金(なかには1枚のルイ金貨もあった)を元手に自分の店を持ったのは1885年でした。やがて服もデザインし始め、いつしかパリでも指折りの洗練されたクチュリエとなりました。ジャンヌは15世紀の画家フラ・アンジェリコの絵に見られる青を愛し、その色をたくさんの作品に用いました。ジャンヌ・ランバンが死んだとき、娘のマリー・ブランシュは母の棺にかがみこみ、遺体の手にあのルイ金貨を握らせてあげたということです。

 350年前、ムガル帝国最後の皇帝ジャハーンは、ムタージ・マハルと出会い、すっかり心を奪われました。伝説によると、皇帝はあまりに激しく恋したために熱病に浮かされたようになったということです。結婚が決まると、彼女のために特別な庭園を作るよう命令を出しました。庭園ができると、皇帝は「シャリマー」と名づけました。サンスクリット語で愛の殿堂という意味です。庭園シャリマーは、二人だけの愛の世界であり、しばしばここに来ては、星空の下で愛を確かめ合いました。しかし、マハルは男子を出産すると世を去ってしまいます。ひどく落ち込んだジャハーンはインド中からすぐれた彫刻家や職工を呼び寄せ、13年の年月をかけて妻の霊廟を建てさせました。この驚異の建造物タージマハルについて、詩人タゴールは「それは時間という頬の上に留まる一粒の涙のごとくたたずむ」と書いています。

 20世紀初頭のヨーロッパで、鮮やかなシルク、ターバン、真珠や宝石を身にまとった王子がどんなにエキゾティックに映ったか、また若き日のジャック・ゲランが、王子の熱い愛情のほとばしりを伝える恋物語にどんなに心を奪われたか想像に難くありません。ジャックはあまりに魅了されたため、いまだかつてない情熱的な、官能をかきたてる香水をつくり上げました。その香水の名は「シャリマー Shalimar」です。調合の30%をベルガモットがしめ、ベースノートには4種のアニマリックノートが使われています。別の調香師なら失敗するであろう大胆な配合をジャック・ゲランは天才の一振りでみごとに完成させました。ロジャ・ダブがこう書いています。「ルールブルーで黄昏の香りを表現しえた男ジャック・ゲランは、シャリマーで女性すべてに敬意を表す香水をつくり出すことに成功した。心を奪われた男の女性へのオマージュである。きっと、これをまとう女性に出会えば男はふと立ち止まって声をかけずにはいられないはずだ」。

 

 本書は、さらに30年代、40年代、そして21世紀へと香水の歴史が描かれるのですが、私自身は30年代以降はほとんど興味がありませんし、もはや馴染みのない名前ばかりが並んでいます。このブログを書くために、家にあった妻のささやかな香水コレクションを覗いて見ました。エルメスの Eau d'Orange Verte を嗅ぐと、それは花屋で一面の花に囲まれた瞬間に立ち上る香りではなく、土の中からかよわげに伸びる一輪の小さな花、明るい土手に咲く花ではなく、小学校の校舎の裏に咲く小さな白い花を思い起こさせました。

 ロジャ・ダブはこう書いています。「においの分子は忍び足で脳に伝わり、各人の記憶や思い出と結びつく。そうして再び同じ香りを嗅いだとき、甘い記憶や苦い思い出をよみがえらせる。よい思い出と結びついた香りはかけがえのない喜びとなり、個性の一部ともなる。もしもその人にとって好ましい香りをすべて集めてひとつの香水に閉じこめたなら、それは個性の象徴だけでなく、その人を最も幸せにする香水となるだろう」

 「残念ながら、現在、市場に出回っている香水の多くは万人向けが多く、複雑で洗練された香りの鍵のほんの一部しか使っていない。私たちの鼻腔の鍵穴の多くは閉ざされたままである。しかし、今も過去につくられたすばらしい香水が残っている、、、」

Jicky

ジッキー(1889) ボトルには薬の瓶が使われていました。

Shalimarposter

シャリマー(1925)のポスター。

Photo

 

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コメント

初めまして。
以前からたびたびこちらのブログを拝見しておりましたが、どの記事も格調高く、奥深い内容で、感想を書きこもうなど、考えてもおりませんでしたが、たまたま私が大好きな「ミツコ」についての記事を読ませていただき、身の程知らずにもコメントを入れさせていただきました。

ロジャ・ダブの『香水の歴史』は本当に素晴らしい本だと思います。同じようなタイトルの本はいくつもありますが、香りの本質的な魅力と、その神秘について、このように美しい言葉で深く語られた本はほかに知りません。
香りが私たちの記憶に直接・間接に働きかけ、失われたものへの憧憬で心を揺さぶり、時間や場所を超えて私たちに訴えかけてくる、特別なものであることを、喜びとともに再確認した次第です。
「ミツコ」の香りに包まれるたび、私は遠い記憶の中の祖母と、祖母とともに過ごした日々を鮮烈に思い出します。それはすでに失われて久しい、恩寵に満ちた時代の記憶でもあります。ただ不思議なことに祖母自身がこの香りを愛用していたという事実はありません。。
深く沈んだシプレの香りには、祖母が帯を締めるとき、絹がきしきしと鳴ったこと。鏡台に並んでいた椿油の香り。どこからともなく漂っていた白檀や樟脳の香りまでまざまざとよみがえります。私が不思議に思うのは、実際のミツコの調合には白檀が使われていないにも関わらず、白檀を連想するという事実です。それは私の個人的な記憶の、幸せな誤解なのかもしれませんが。

>私自身は30年代以降はほとんど興味がありませんし

僭越ですが、私にもなんとなくわかるような気がいたします。
ただ私は香水瓶にもたいそう魅かれておりますので、瓶が欲しいがために購入するということも少なくありません。
残念なことに、その多くの場合において、失敗したと思うのは、上記のお言葉のひとつの証明かもしれません。

ある意味で音楽と香りはよく似ていますね。
どちらも実態はなく、留めて置くことができないにも関わらず、身体的、動的ともいえる感動と喜びを感じるという意味で。音楽と香りのどちらも「聴く」という表現をすることにも、両者に共有される本質的な在り方を思います。

初めてのコメントにも関わらず、長々と書きこみをさせていただきました失礼をお詫び申し上げるとともに、これからの更新を楽しみにさせていただくことをお伝えしたいと思います。ありがとうございました。

投稿: aosta | 2015年4月28日 (火) 10時58分

aostaさま、コメントありがとうございます。
思わずどっぷりと読み込んでしまいました。祖母様のお話は心にしみるものがありました。逝ってしまった時代のその香りを喚起するだけでもすぐれた香水の存在価値はあるのでしょう。ミツコに白檀が使われていないとは本当に意外ですね。白檀という言葉を見ただけで、一気に一つの世界が眼前に現れるようです。私は母のことを思い出すと、いつも母が飲んでいた実母散の薬の匂いを思い出します。お書きになられていたように、音楽も香り同様、喚起力は驚くほどですね。私のようなものでも、それを聞くと快い思い出が溢れ出て、いつまでも聴いていたいと思うような曲がいくつもあります。そして、それはおそらく自分だけが感じるだろうし、ほかの人はきっと何とも思わないだろうということが、尚更いとおしく思われるのです。
素敵なコメントに誘われてつまらぬものを書いてしまいました。それでは。

投稿: Saiki | 2015年4月29日 (水) 08時30分

saikiさま
懇切なお返事をありがとうございました。
初めてにも関わらず、長文に過ぎるコメントを差し上げてしまい、
戸惑われていらっしゃるのでは・・・と思っておりましたので、
とても嬉しく、何度も何度も読み返してしまいました。

1930~1940年代頃までが、香水が本来の香水であった時代なのでしょうね。
語弊がある言い方かもしれませんが、香りがひとを選んだ時代ともいえるかもしれません。
ミツコのように完成された香水を身に着けるためには、(大げさな言い方かもしれませんが)
ある種の覚悟というか、気合いのようなものが必要とされるような気がします。
ミツコはすでにひとつの人格です。
その意味でもミツコは私にとって、これからも特別な香水であり続けるでしょうし、
そうした香りを知っているという幸せを思わずにはいられません。

ここで、はたと我に返れば、またもや長文のコメント・・・・
本当に申し訳ございません。
「赤毛のアン」や「水晶」にもコメントさせていただこうと思っておりましたが、
今日はこの辺りで失礼させていただきます。

投稿: aosta | 2015年4月30日 (木) 15時01分

aostaさま、なぜか私のipad miniからも家内のiPadからもコメントの送信ができず、押入れから古いパソコンを出してもらいました。返事が遅れてすみません。
aostaさまのコメントを読んでから、しばらく眠っていた私の香水趣味が少し起きだしてきたようです。といっても、普段使うときには家内が玄関に適当に置いといてくれる香水をでたらめにつけたりしているのですが。この前、銘柄をみたらbanana republiqueとか書いてありました。よくある安直な香水ですね。Hermesの新製品、Un Jardin de monshieur Lee はどうかな、などと分不相応に考えたりしています。私自身は、難解な、とらえどころのない、むろん控えめな香りが好きですが、、。
チャップリンは滞在するホテルにはあらかじめミツコをカーテン中に振り掛けさせていたそうですね。なんとなく気持ちはわかるようです。
それでは。

投稿: saiki | 2015年5月17日 (日) 22時05分

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