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2009年12月23日 (水)

V.ローザノフ『ドストエフスキイ研究』(2)

 それは大変な時代でした。19世紀後半のロシアは、無政府主義者たちの陰謀、政府の動揺、新聞の喧々囂々の声、いましも新社会への願望が成就されそうになっていたその時に、二人の作家が、一切のものに逆らって高々と自らの声をあげたのです。表面的な革新勢力の最高潮期に、生活と人間についての一切の内面的なもの、宗教的なもの、神秘的なものなどが、無条件に否定されていたその時に、この二作家はあらゆる表面的なものに一顧の価値も認めず、内面的なもの、宗教的なものへ進んだのです。最初のうちは、社会も二人の言葉に驚愕もし、憤激もしたのですが、ついにはこれに魅せられて、先ず個々に、次には群れとなって、これまでとは反対の方向に引きずられていったのです。

 

 小説『アンナ・カレーニナ』で、レフ・トルストイは、悲哀感、生活への憎悪、人間の宿命への憐憫を描きました。そこでは人間が設けたのではない道を一たび踏み外した人間は、どのようにもがいてみても恐ろしい滅亡は避けられないと教えているのですが、それはトルストイにとって晩年の苦悩への序詞にすぎなかったのです。彼は疑惑から信仰へ、また信仰から疑惑へと再転しながら、自らの懐疑説の否定を求めていました。

 一方、ドストエフスキーは、『カラマーゾフの兄弟』で、死に瀕した人々の間に生まれる新生活の神秘の誕生を描こうとしました。老カラマーゾフは、死と腐敗の象徴であり、当時のロシア社会そのものを表していたのです。精神的規範の欠如、その結果として、一切のものに対するあくなき貪婪、相手が誰であろうと忠言をもってのぞむ者に対しては容赦なく浴びせる不遜きわまる嘲笑。腐敗しかかった屍から漂う悪臭の中から彼の一族が生まれ出ます。三人の息子と一人の庶子には、対立法則に伴う内部的連関を見ることができます。長子ドミートリィと末子アリョーシャは肯定と生命を代表し、イワンとスメルジャコフは否定と死を体現しています。ドミートリィがアリョーシャに惹かれると同様に、イワンとスメルジャコフの間には切り離せないものがあります。

 

 長男ドミートリィは、全編中もっとも興味深い人物です。一人の女性をめぐって父親と争い、彼女を得るためにぼろぼろになって奔走する姿は強く胸を打ちます。ローザノフは、カラマーゾフの登場人物はすべて過去のドストエフスキー作品に例があるが、ドミートリィだけは新しい人物である、と書いています。ドストエフスキーが、なぜ、生涯の最後に、この粗野であるが高貴なスタンダール的な情熱家を創造したのか、その理由はわかりません。死を決意していたドミートリィは、苦しみを経て、純化され、生命に立ち戻ります。苦しみを一身に引き受けようと覚悟をきめるや忽ち彼は、自分のうちに「新しい人間」を感じ、酷寒のシベリヤへ赴いて、鉱山の地底から「神への頌歌」をうたう決意をするのです。

 ローザノフによれば、ここにこそ作者の強いメッセージがこめられているのです。ドストエフスキーは、たとえ苦しみを嘗めさせても、彼を立派な者にしようという渇望に駆られたが、そこには押さえ難い悪に対する善の優位が、わずかではあるが、まだ人間の心の中に保たれていることの確信があった、というのです。『カラマーゾフの兄弟』を前半とする予定された大長編は、この人間のかすかな再生の希望の端緒を物語る試みに他なりません。

 しかし、腐朽した土地から豊かな芽が生い茂るように、再生への道を描くためには、死と腐敗について考えねばなりません。ドストエフスキーが、イワンとその形骸であるスメルジャコフに託したのは、死と否定と悪の力でした。スメルジャコフは「地上に堕ちて実を結ぶに至らなかった穀粒」なのですが、「人間の本性に宿る悪というものは、もっぱら畸形の中でのみ表現できるというような生やさしいものでないことはいうまでもない。そこには力がある、魅力がある。そしてこれらのものがイワンのうちに集中しているのである。」イワンが、女性から愛されない不幸なドミートリィと違って、カテリーナやリーズの愛をいとも容易に手中にできるのは、この悪の魅力のおかげなのです。

 

 このイワンとスメルジャコフとの驚くべき最後の数日は、両者の第一回、第二回、第三回の会談で伝えられています。「ドストエフスキーひとりがわきまえているあの特別な手法によって、又もや息もつまりそうな暗澹とした一種独特な心理的雰囲気に浸される。そして、まだ何も見ないうちに、まだ事実に突き当たらぬうちに、自然の掟に対する何らかの違背へ、ある罪へ、近づきつつあることから神秘的恐怖を覚え、期待のあまり身うちがぞくぞくしてくるのだ。」

 「何ごともゆるされている」という思想を自分に吹きこんだイワンを責めるスメルジャコフの憎悪の念、異常に暖められた部屋、「聖なる父イサク・シリーナ」という本の代わりに彼の枕元に置かれてあるフランス語の本、狼狽した女主人が語るスメルジャコフの発作ともいうべき狂乱状態。そこにどういう特別な意味があるのか、読者には謎のままです。それから、彼が靴下の間から取り出す札束、それを見てなぜかイワンは恐怖で身震いして壁のほうへ後退するのです。

 

 イワンが苦しんでいるのは幻覚への恐怖であり、おそらくスメルジャコフも同じものに苦しんだと類推できるのですが、ここではなぜかイワンの恐怖しか描かれていません。ローザノフはつぎのように説明しています。悪魔が訪れるのはイワンの部屋の中だが、スメルジャコフにとって、イワンの来訪こそ悪魔だったのだ、殺人を犯したあともあれほど冷静であったスメルジャコフが、イワンの来訪に連れて心理的に追い詰められていき、神の存在をにおわせながら最後にイワンに神の摂理を語るのも、苦しみからの脱却を望むからに他ならない。「われわれは訪問を期待する恐怖こそは、スメルジャコフをも譫妄の混乱に陥れ、彼を自殺に導いたのであるといわねばならない。世の常の人間と同じく比較的小さな苦しみの斜面で足を滑らせたのだ。彼にとって首を縊るという肉体的苦痛に堪える方が、彼を苦しめる幻覚の氷のような接触をいま一度感じるよりは楽であったに違いない。」

 

 二人が幻覚に苦しめられる理由は、彼らがある規を越えてしまったからです。彼らは、自分たちが自然の掟をこえたのだと思っており、それが息苦しくも暗い闇に彼らを誘い込むのです。ただし、ここで乱された自然の掟は『罪と罰』のそれよりははるかに深く、犯罪者を取り囲む雰囲気ははるかに緊迫しています。「だからラスコーリニコフは自殺しなかったのだ。彼にはまだ生きる余地があったし、数ヵ年の贖罪の後、彼はその雰囲気を脱して、光に、太陽に向かって進んだ。スメルジャコフには生きる余地がなかった。」

 

 ここで、ドストエフスキーの秘密を垣間見ることができます。彼はただ幻覚を描こうとしただけでしょうか。その口調には真の確信が秘められたのではないでしょうか。『罪と罰』でスビドリガイロフが語る「病的な状態においてその片鱗を見せてくれる別世界」についてのデリケートな想像はドストエフスキー自身の思想ではないでしょうか。ローザノフは、ここでゾシマ長老の口から語られる言葉を引用します。

 「この地上においては、人間から隠されているものはおびただしくあるが、その代わり、われわれはより高い他の世界と生きた連結関係をもっているという貴い神秘的な感覚を与えられている。そのうえわれわれの思想感情の根源は、この地になくて他の世界にある。だから事物の本質をこの世界で理解することは不可能である。神は種子を他の世界から取ってこの地上に播き、ご自分の園を作られたのである。かくて生長することの出来たものは悉く生長した。そして生長したものは現に生きているが、それは神秘な他の世界と接触しているという自己の感情によってのみ生きているからである。もしもお前の中にあるこの感情が衰えるか、全然ほろびてしまうかしたならば、お前の内部に生長したものも死滅する。そうなればお前は人生に対して冷淡になり、人生を憎むようにさえなる。」

 

 「そこに含蓄された意味の深さからも、心像の美しさからも、また信念の強さからも、驚嘆すべきこれらの言葉は、事物の潜在的真実に最も近く合致しているようである」とローザノフは書いています。ドストエフスキーが、この別世界への通り道を犯罪者の意識の中に求めたことは間違いありません。「罪を犯すと同時に、われわれの観念および感覚のこうした朦朧たる源の一つが明らかになり、忽ちにして、われわれの眼前に宇宙とその中の一切の精神を結ぶ精神的な糸が現れる。生と死の法則はそれを踏み越えた途端に彼に感得され、彼はこれらの糸の一つ一つが一ヶ所で断ち切れ、そして断ち切れるとともに不思議にも自分が亡びたことを感ずる。彼を亡ぼすもの、断ち切れた瞬間にはじめて感得されたものそれ自体が『彼の触れる別世界』である。」

 

 このことは次のような例で明らかになるでしょう。罪を犯すまでは虫けらのように震えていたスメルジャコフが、一たん罪を犯したとなると、さながら権力者か主人のようにイワンに話します。罪を犯す前には、多くの人間の中の一人だったラスコーリニコフが、犯罪の後ではそこら辺りの人間の水準をはるかに抜きんでてきます。スビドリガイロフがラスコーリニコフと対等に話すのは、彼もまた殺人者だからに他なりません。ここで、作者が『カラマーゾフの兄弟』の最初に掲げた題詞(ヨハネ書第十二章二十四節)「誠に実に汝に告げん、一粒の麦もし地に落ちて死なずば唯一つにてあらん。もし死なば多くの実を結ぶべし」の意味がわかるのです。生を死から分離することはできず、死がなければ生は絶対に行われないということなのです。

 

 「堕落、死、腐朽、これらのものは、より優れた新生命への保証にほかならない。われわれは歴史をこのように見なければならない。われわれの周囲の生活に腐敗要素があるにかかわらず、この見解に従うべきである。この見解のみがわれわれを絶望から救い、一切の信仰の終焉が迫ると思われる瞬間に於いてさえ、強固な信仰を貫かせることが出来るのである。時の流れを導く真に強い力となるものはこれのみであって、弱々しく瞬くわれわれの智慧の光りや、われわれが歴史を埋めようとしたところで、いささかもそれを動かすことのできないわれわれの恐怖や憂慮なぞでは断じてないのである。」

 

 これが、曖昧さをかなぐり捨てたローザノフの結論です。この『ドストエフスキイ研究』について、「ローザノフの口を借りて、ドストエフスキー自身が語っているようだ」とベルジャーエフは書いているそうですが、それが真実なら、『カラマーゾフの兄弟』は真の信仰に立ち帰るためのドストエフスキー自身の信仰告白とも言えるかも知れません。もっとも、この「前編」では、もっぱら死と腐敗が描かれ、新しい生活への希望はただ表面的にしか描かれていません。とはいえ、この課題の入口に立つものが偉大な構想のもとに成し遂げられた「大審問官の伝説」なのです。

 

(補遺)イワンとスメルジャコフの対話については、ミハイル・バフチンが興味深く説明しています。この対話全体を支配する謎めいた雰囲気は、二人が明確に自分を知らないからで、イワンはスメルジャコフの言葉によって自分の深層構造に気づき、スメルジャコフはイワンに語ることで、本当の自分をさらけだしていきます。このようなことが説明できるのは、彼ら自身が内部で分裂し、内部で自分自身と闘っているからです。バフチンによれば、イワンの分裂は、父の殺害が、自分の意志の外で、しかも意志に逆らって起こることを欲していたことにあるので、それがスメルジャコフとの対話であらわになったというのです。

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2009年12月11日 (金)

V. ローザノフ『ドストエフスキイ研究』(1)

毎年11月に開かれる神田古本まつりですが、ここ数年は人出が多い上に、値付けも高めなので、足が遠のいていました。しかし、今年は妻の必要があって(画材を買うのと、音楽関係の本を集めること)、秋晴れの土曜日に二人で神田に向かいました。必要なものを買った後で、少し露店をのぞこうと歩きましたが、人込みでうまく歩けません。古書街には見慣れない家族連れや中年女性の姿も多く見られます。田村書店の前の満員電車並みの混雑で妻を見失いましたが、気がつくと、横通りの小宮山のガレージセールを物色しています。単行本が三冊で500円ですが、欲しい本が三冊も見つかることは滅多にないので、いつもは素通りしてきました。ところが、その日は妻が、DODDSThe Greeks and The Irrational university of California press)を見つけてきて、買いたいというのです。仕方なく、あと二冊を探すことにすると、まもなくまた妻がカプランの『バルカンの亡霊たち』(NTT出版)の美本を持ってきました。今は手元になくなった本なのでそれも買うことにしました。残り一冊はみつかるかな、と思っていると、私の足元の箱の中に、ワシリー・ローザノフの『ドストエフスキイ研究』(神崎昇訳・弥生書房1962)があるではありませんか。「大審問官の伝説について」と副題のあるこの本は、『カラマーゾフ』が世に出たわずか10年後の1891年に発表され、誰よりも早く後期ドストエフスキーの思想を分析し、その「大審問官」の章の価値を文学史的に確定したものです。しかし、何よりもこの書の魅力は、ローザノフの情熱と深い宗教性が、ドストエフスキーのそれと共鳴し、ペトログラードの夕空に響くロシア正教の寺院の鐘のように、私の心を深く揺すぶるところにあるのです。

 

 「ある幻想的な物語の中で、ゴーゴリは、死に瀕した金貸しの老人が画家を招き、是非とも自分の肖像を描いてくれとせがむ話を書いている」とローザノフは書き出します。仕事にとりかかった画家はすぐに耐え難い嫌悪と恐怖の情に襲われます。一方、金貸しの老人は、画家の筆の動きを哀しみと不安の混じった眼で追っていましたが、画家がどうにか両方の眼を描き了えられたと知ったとき、老人の顔は歓びに輝きました。画家は、数歩あとへ退いて、画面を見るなり、彼の両膝はがたがたふるえ始めました。出来あがったばかりの肖像画の両眼には、生命が、真の生命が宿っていました。モデルの肉体からはすでに消え失せた生命が一種奇怪な魔法によって肖像画に憑(の)り移っていたのです。画家は、パレットと画筆を落とし、恐怖に駆られて部屋を飛び出しました。


 ドストエフスキーの有名な「伝説」について語ろうとする時、なぜか不意にゴーゴリのこの作品が心に浮かび上がってくる、とローザノフは言っています。「おそらくゴーゴリは、自身のうちにある芸術精神のある秘密を意識して、これをこの作品の中で表現したのではなかろうか?」「創造へ憑リ移ったこの生命、すっかり憑り移ってしまうまでは亡びることのないこの悲願、これは真の画家、詩人、作曲家の生命の中のある貴重なものをわれわれに思い当たらせるようである」と。

 「生命に裏づけられた思想というものは、その思想の抱懐者たちが突発的な不慮の死に見舞われるような場合でさえ、彼らと一緒にほろびるものではない。死の直前であっても、逆らうことのできないある強い力で、あらゆる傍系物を断ち切って、必要なことをーその生命の中で最も大切なものを成しとげさせる」。

すでに1870年にドストエフスキーは、マイコフ宛ての手紙で、「量において『戦争と平和』に匹敵する大長編」の計画を吐露しています。「各篇を流れる根本の問題は、私が全生涯にわたって意識的にも無意識にも苦しんできたそのこと、つまり神の存在ということなのです」。しかし、間断のない貧困は彼のその計画を打ち壊しました。彼は編集部や出版商と結んだ急場しのぎの約束のために、がむしゃらに働かねばならなかったのです。差し迫った仕事や不安に精神を押し潰されながらも、彼は1880年に予定された長編の第一部にあたるものを刊行しました。これが現存する『カラマーゾフの兄弟』で、ここでは一つの家族と世界の奈落に至る道が描かれています。全編の主人公であるアリョーシャは、この「第一部」では、ほとんど語ることなく、傾聴し、時々質問するが、大抵の場合、無言で観察しているだけです。彼、アリョーシャは、実際まだ未成年で、無神論者の兄イワンに倫理思想上の決戦を挑むことさえできません。この意味で予定された大長編はまだ幕さえ上がっていません。「第二部」では『罪と罰』の最後のように、再生と希望が描かれたのかも知れません。しかし、ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』発表の数ヵ月後にその生涯を了える運命にありました。「この大長編小説のついに現れることなく終わった結末(より正確にいえば主篇)は人間の魂についての幾多の啓示をわれわれの目から奪い去った。またそこには、生活の道を真に明示する言葉があったことも疑いない。しかし、それが実現されないのも宿命だったのだろう」

 

だが、金貸しの老人がその消えかかった生命を執念で画布に憑リ移したように、ドストエフスキーは自らの思想の魂を最後の作品の中に残しました。「精魂を傾けて創られた作品の中で得られる存在は、比類もなく完全である。創造者は己がすべての特徴と、己が精神のあらゆる屈折と、良心の秘密とともに己が人格を後世に残す」。作家自身が自らの文学の最高峰と呼んだ「大審問官」の章が、物語の前半に出てくることも偶然ではありません。自分の運命の残り時間を予測した作家は、手遅れにならないうちに遺言を書き残しておいたのです。彼にはどうしても絶対に書き逃してはならないことがあったのです。

 

ロシアの近代文学はすべてゴーゴリからはじまったという説もあるが、とローザノフは書いています。実際は、ゴーゴリの否定もしくは闘争としてはじまった、と。ゴーゴリの描いた戯画は、たとえどれほど印象強くともつまるところ戯画にすぎない、よって、その後の作家の全努力は人間本性の洞察に向かわざるを得なかったのだと。

ドストエフスキーがまず語ったのは、きわめて息苦しい形態の下で苦しむ生命、最も困難な環境の中で保持されている人間の価値についてでした。貧しい下宿の一室、純朴な言葉、痛ましい事件、これらはどこか遠くの世界からの光のようにわれわれの魂に射しこんできます。この光を凝視すると、われわれは瞬間、自分の思念や希望を忘れ、気がついたときには、何処で会う人間であろうと、一人一人の人間を、その存在を軽蔑することが不可能となってくるように思うのです。

 

1863年、ドストエフスキーは数日間パリに滞在した後で、ロンドンに渡り世界博覧会を見物しました。彼は圧し潰された人々と巨大な文明の水晶宮を見ました。これらの群集こそ「ひとつになった子羊の群れ」であり、これらの都会こそ現代のバビロンではないか。旅行記『冬に記す夏の印象』の直後にあの陰鬱な『地下生活者の手記』が発表されました。「その一行一行が重要である」とローザノフは『地下生活者の手記』について語っています。そこには、人間の歴史、文明、そして幸福についての彼の透徹した思想が隠されています。「現実を堪え、それを何とか矯正しようなどとドストエフスキーは一瞬といえども考えなかった。己が知性の普遍化的傾向によって彼は歴史の発生活動の全層に匿されている悪に向かい、全神経をもって没頭した。この故に、部分的変更によって、何とか改善しようとするあらゆる種類の希望にたいするドストエフスキーの憎悪と軽蔑が生まれ、進歩主義者や西欧主義者に対する彼の敵意が生まれたのである」

 

人間に平安を与え、歴史を完結して、苦悩を払拭するに足るほど、完全な人間生活の建物を理性の力によって建造しようとする合理的ユートピア主義者、彼らこそ、ドストエフスキーのもっとも憎んだ輩でした。そもそも人間は常に幸福を求める存在であろうか。人間は時に苦痛を求めるのではないか。すべての人間にとって単一の理想が掲げられた社会は、人間本性の根元に矛盾しないだろうか。完全に本性を備えた人間とはすなわち非合理的存在ではないだろうか。

ここから「人間精神の最も卓越した分析者」といわれるドストエフスキーの文学が生まれてくるのです。彼がかくいわれる所以は、これまでの人類の歴史においてついに人間が征服することの出来なかった一切の困難の解決を人間精神の中に求めたからなのです。

 

「レフ・トルストイは、ゆるがすことのできない完璧な形式によって、人間生活と人間精神を表現したが」とローザノフは書いています。「しかし、歴史的に生起する生命の中の二つのモメント、発生と解体については触れていない。そのモメントの中には、疑いもなく、病的なもの、不正なもの、時には罪悪さえ含んでいるが、どうしたことかトルストイは、何か抗し難い力に駆られでもしたようにこれらのものを回避している。逆にドストエフスキーは、抗し難い力に駆られるように、これらのものにずるずるひきずられている。」

 

この性向の主要な原因は彼の欠点に由来します。当時の現実からの完全なる孤立、現実に対するいわば有機的関係といったものの欠如、現実への共感の欠如などがその主要因なのです。「彼は、永久に将来か、でなければ遠い過去に目を向けた。従って現在が解体しつつ死んでゆく様や、あるいはこの死の最中に新生命が煌いている様を追求することが、彼の最高の満足だった」「これは様々な状態、苦悩、変転における人間精神一般の分析であって、個人の特定な、完成した内面生活の分析(トルストイのような)ではない。それは、影の連続ともいうべきもので、生まれ出ようとしているか、でなければ死に瀕しているところの霊的存在の襞ともいうべきものである」

 

これは、別の表現でいえば、「人間の非条理的本性の中核をなす神秘的な結び目を、力の許す限り解きほぐしていくこと」に他なりません。ここに彼の宗教的観念が交叉します。彼は、人格、この非合理的で不可思議な人間の本性を絶対に擁護します。人間の人格は、彼によれば、われわれが想像するよりも遥かに高い、宗教的な不可侵のものです。そして、人格の意義は宗教によってはじめて顕らかとなります。法における人格はフィクションであり、契約義務に必要な中心、財産所有権などであるにすぎません。ここでは、人格の意義が明確にされておらず、根底が与えられていません。従ってこれが曖昧に決定されている以上、この決定は本源的にはでたらめであり、これは同意せずとも構わない条件です。たとえば、奴隷制度では、人格は完全に消滅します。しかし、宗教的観念においては、生命あるすべての人格は、神の姿が神聖であると同様に絶対です。「ローマ人の下で、最も完全であると見られる法の下で、奴隷制度は史上最も恐るべきものとなった。そこでは奴隷たちが池の魚を養う餌となるために肉をきざまれた。奴隷が最も人道的に扱われたのは、厳格な宗教の下で暮していた古代ユダヤ人の下に於いてだった。ユダヤの五十年節に、そこではすべての奴隷が自由の身にされることになっていた」

 

ドストエフスキーの作品の中で、人格の絶対性の観念がはじめて現れるのは、『罪と罰』においてでした。「はけ口のない苦悩の中で、滅亡者、およびまさに滅亡せんとする人間の姿を見て、この小説の主人公の清浄な魂が激昂し、彼は人間不可侵の法則を乗り越えようと決意する。」ラスコーリニコフは、自分はどうして金貸しの老婆を殺してはいけないのか、そのわけがわかりません。しかし、一旦殺人が行われると、すべての相貌は一変します。犯罪の手前に残ったすべての人々と彼との間には、もはや通じあうものは一つもありません。彼はあるものの向側へ踏み越え、すべての人々から去って、彼に殺された老婆より他には誰もいないと思われる処へ去ったのです。「われわれが条件つきで<魂>と名づけている彼の存在の神秘的な核は、彼によって表面形式を打ち砕かれた他人の存在の神秘的な核と見えぬ絆でまぎれもなく結びつけられた。」

 

「我」を取り囲む精神性の、いわば蓋といったものや、甲殻とでもいったものをめくったところに、人間本性の深奥の秘密が隠されています。ローザノフは、これを、つぎのように説明しています。

「われわれが人間のうちに見出すすべてのもの、人間の行為、言葉、願望、他人は彼を知っており、彼は自分を知っているといったことなぞで、彼という存在の全貌を尽くすことはできない。彼のうちにはそれ以外にまだ何かがある。しかも、誰も知らないそのことが大切なのである。時として、見た眼だけでわれわれがその人間を愛し得ないことがあるし、逆にわれわれは、その人間のさして重要でない外面の醜さを憎むことがある。ところが、表面に現れたものの奥にさらに別の何かがあることを全く知らずに、その人間を打ち砕くなら、思いも及ばなかった全体を打ち砕くことになる。われわれは考えても見なかった大切なものに突然触れることがあるし、夢想だにしなかった意外なことを経験することがあるものだ。個性の神秘的で非条理的な意義がわれわれに明らかになるのはその時だ。」

 

「ドストエフスキーは、人格の秘密を追求しつつ、われわれが宇宙の縫目と称しているものの探求という涯しもない領域に足を踏み入れた。この思想の最初の閃めきを、われわれは既に『罪と罰』の中に見出している。」

 

ラスコーリニコフとソーニャとの間に醸し出される堪え難いまでに痛ましい場面で、ソーニャの狭苦しい部屋で、ラスコーリニコフがソーニャに、病気感染の危険があることや、もしそうなれば彼女が一身を捧げて尽くした肉親たちは破滅しなければならないのだとソーニャに語ります。

「貯金はできないの? 万一の場合の用心に。」

「出来ませんわ。」と呟くようにソーニャが答えた。

「勿論できないはずだ。それにしてもやってみたことはあるの?」

彼は嘲笑の気持ちを抑えてこういい足した。

「やってみましたわ。」

「それでも駄目だったのだね。ふん、それも尤もなことだ。」

こういって彼はまたもや部屋の中を歩き回り出した。さらに一分ばかり過ぎた。

「毎日金が入りますか?」

ソーニャは前よりもあわてて、その頬はさっと赤くなった。

「いいえ」彼女は痛々しくもじっと堪えて小声に呟いた。

「ポーレチカ(彼女の幼い妹)もきっと同じようなことになるでしょうね。」

突然彼はこんなことをいった。

「いいえ、いいえ、そんなはずはありませんわ、いいえ!」

突然匕首に刺されでもしたように、ソーニャは我を忘れて叫んだ。

「神様が、神様がそんな恐ろしいことはお許しになりません!」

「だって他の人間には許しているじゃありませんか!」

「いいえ、いいえ、神様があの娘(こ)を守って下さいます。神様が!」

「あるいはそうかも知れませんが、しかし、神様なんてものは全体ないのかも知れませんよ。」

ある意地の悪い喜びを感じて、ラスコーリニコフはこう答え、にたりと笑って彼女を瞶めた。ソーニャの顔が恐ろしく変化した。

 

この場面について、ローザノフはつぎのように説明しています。

「<貯金の試み>という言葉はただ表面のみ堕落しているこの娘を、強いられた淫蕩へさらに遮二無二突き進ませるという恐ろしい意味をもっている。ここでドストエフスキーは地獄の責苦ともいうべき苦痛を懐き、魂に入りこんだ肉体的欲望というものが魂に孔を穿ち、内面的な悪徳進入の道を開いていることを追及しているのである」

 

同じ作品の中で、ラスコーリニコフと彼のalter ego、彼の醜悪な反面、スビドリガイロフとの間で幽霊と来世の生命に関する会話が行われます。

スビドリガイロフはいいます。幽霊は通常の生活を送っている人間には現れない。「ところがその人間がちょっとでも病気になり、肉体組織の中にある通常の地上生活の秩序がちょっとでも乱れてくると、さっそくあの世の可能性が現れてくるのです。そして病気が重くなるに従って、あの世との接触が頻繁になってきます。だから人間が完全に息を引き取ってしまうと、一目散にあの世に移ってしまうのです。私はだいぶん前からこのことを考えていました。もしあの世というものが信じられるなら、この考えも信じられるというものです。」

「僕は来世というものを信じない」とラスコーリニコフがいった。

スビドリガイロフは、じっと考えこんだまま腰をかけていた。

「ところでどうでしょう。そこに一匹の蜘蛛かなんかがいるとしたら」と、突然彼がいった。

「こいつ気がふれているな!」とラスコーリニコフは考えた。

「つまり、いつでも不可解な観念としての永遠性というものが、われわれには何かどえらく大きなものに考えられるのです! ですから、思いきりそんなものの代りに、あすこには田舎の風呂場とでもいったような小さな部屋があると考えてみようじゃありませんか。煤まみれで、隅々には蜘蛛が巣をかけているといったやつをね、ところが、これがまた永遠性をもってものだと考えてごらんなさい。私にはどうかすると、時々こんなものが眼に見えることがあるのですよ」

・・この奇怪な答を聞くと、ラスコーリニコフは何ともいえぬ悪寒に襲われた。

 

 「われわれは一種奇怪な観念と感情との息詰まるような雰囲気を感ずる」とローザノフは書いています。それにしても、風呂場の蜘蛛にまで成り下がった来世とはいかなるものでしょうか。宗教問題は、その後もドストエフスキーの各作品の中で触れられていますが、外部の障碍を受けることなく悠々と自由に、彼の宗教的思想を論じ得る日の来ることを望んでいました。そして、ついにその時が来て、『カラマーゾフの兄弟』が著されたのです。

 

 続きは(2)で。なおワシリー・ローザノフ(1856-1919)は、その「反動的性格」のゆえにソ連時代はその名を上げることすら禁じられてきました。しかし、神と人間をめぐって展開するそのドストエフスキー論は、ベルジャーエフも指摘しているように、ドストエフスキー論としては最高のものです。彼については、ドストエフスキーの愛人であり、さんざんこの大作家を翻弄したアポリナーヤ・スースロフと結婚したことで有名でしょう。彼女とは、いろいろあった後で離婚し、別の女性と結婚して数人の子供を残しました。ローザノフについては、拙ブログのこの記事も参照してください。

 

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