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2009年11月13日 (金)

ジョルジュ・パスカル『カントの哲学』

 

       楽譜は開かれたままである。プレイエルはまだ鳴り響いている・・・

                                      アラン

  カントを読み、そして理解するということは、はるか昔からの私の憧れでした。しかし、生来の頭の悪さと辛抱の無さで、何度か挑戦しても挫折するばかりでした。最近は、日本でも、すぐれたカント入門書が何冊も目に付くようになりましたが、受験参考書と同じく、相性というものが大事で、今年の夏に刊行されたジョルジュ・パスカル『カントの哲学 入門と概説』(上智大出版・ガブリエル・メランベルジュ/橋田和道訳)を手にとったとき、まさにこの本こそ「批判といういばらの小道」に自分を先導してくれるに違いないと確信したのです。

 原著の初版は1947年、フランスのボルダス社の入門シリーズの一冊として刊行され、半世紀を経てもなお版を重ねています。著者のジョルジュ・パスカルは「アラン友の会」の会長らしく、読者におもねることを拒否するアランの精神そのままに、ことさらわかりやすく書こうという意図は全くないようです。全頁の半分ほどをカントの引用が占めていますが、著者によれば、この本はカントの中心的な著作の要約以外ではなく、したがって味もそっけもない、それはカントの著書が味もそっけもないことそのままである、と言明しています。しかも、この本は哲学を学ぶ学生と知的な興味を持つ大人のために書かれたものですが、フランス人は文系・理系を問わず高校の最終学年で必ず哲学を履修しなければならないので、基本的な用語や哲学知識の説明はわかりきったものとして省かれています。(忘れた人は自分で調べろということですが、日本版は十分な訳注がそれを補っています)。

 

イマヌエル・カント(1724-1804)はケーニヒスベルグの馬具職人の家に生まれました。九人の子供の四番目で、姉妹のうち二人は召使でした。このことは一家の貧しさを十分に語っています。父親は勤勉実直な職人、母親は敬虔主義の熱心な信者で、カントに厳しい道徳教育を与えました。「実家では、正直、節度、隠し事をしないこととそぐわないものを何一つ見たことも聞いたこともなかった」と後年のカントは述壊しています。敬虔主義の唱道者シュぺーナーの教えによれば、真の信仰とは生きた信仰であり、聖書を直接読むことが心の再生のもとであるということです。母親はカントの才能を見抜き、彼を敬虔主義のフリードリヒ学院に入学させます。彼女は、カントが13歳の時に死んだのですが、その道徳的・宗教的信念は、生涯にわたってカントに決定的な影響を与えました。

学院で頭角を現したカントは、ケーニヒスベルグ大学に進学します。しかし、父の死によって学業を中断され、生活費をかせぐために九年間の住み込み家庭教師の生活を送ります。ようやく大学に戻って私講師となり、47歳で正教授、57歳で『純粋理性批判』を発表し、旺盛な研究活動は死の数年前まで続きます。80歳を目前にして死亡、最後の言葉は Es ist gut. (これで、けっこう)でした。全く波乱のない人生、生まれた土地ケーニヒスベルグを一歩も出ず、係累を作らず独身を通し、文字通り学問に身を捧げた彼の生涯は、かのアンドレ・ブルトンをも感激させ、『シュルレアリスム宣言』で言及せざるをえないほどでした。

 

 カントは、大学で、ライプニッツとクリスチャン・ヴォルフの合理主義哲学を学びました。この哲学は、精神のアプリオリな認識、すなわちわれわれの生得観念を矛盾なく分析していけば、絶対的真理に到達できると主張するものでした。ヴォルフが体系づけていた古典的形而上学の中心テーマをカントが追随して済ませようとすれば、それで十分済ませられるはずでした。というのも、青年カントにとって、これらのテーマは理性に立脚した科学と道徳という彼の二重の要求に答えていたからなのです。しかも、彼が母親から受け継いだ敬虔主義の霊的熱心さ、道徳的高潔さはヴォルフの理神論的合理主義とうまく調和できるはずでした。カントが、どれほどこの敬虔主義の雰囲気から影響をうけ、生涯それを心の拠りどころとしたかは、後年の道徳的教説(『人倫の形而上学』その他)が、たとえば次のような理神論者の著作(マシュー・ティンダル『創造とともに古きキリスト教、すなわち自然宗教による改版福音書』1730)と酷似しているのを見ても明らかでしょう。

 「すべての宗教を通じてその本質的実体をなす根拠は同一である。それで、良識をもってすれば、種種な人々がさまざまな付加を行った、そのもとの自然法則を認めることができる。すなわち、不変の諸法則によってこの世界を組織している神が存する。神は尊敬されねばならない。しかし、宗教は道徳に帰するものであり、その道徳は自然の光によってわれわれに十分明らかに啓示されている。神の好むところの礼拝とは徳行である。徳行のある人生は報酬を受けるであろう。祭司が宗教を迷信に変えたのはよけいなことである」(『プロテスタントの歴史』文庫クセジュ・渡辺信夫訳)

 

 しかし、やがて、カントは、これら合理主義の論拠が不確かであることに気づきます。

「私は率直に認める。ほかならぬディヴィッド・ヒュームの忠告によってーこれはもう何年も前のことだがー私ははじめて独断のまどろみを破られ、思弁的哲学の分野における私の研究がまったくちがった方向へと導かれることとなったのだ」(『プロレゴーメナ』)

そこには類いまれな学者的良心があります。「自分が信じていることの支えになっている証拠が無意味であることを、一所懸命になって証明しようとする人間は、たとえ哲学者であろうと、そうはいない」とジョルジュ・パスカルは書いています。ヒュームは、次のように言いました。現象Yが現象Xのあとにくるのを見慣れているからこそ、Yが与えられたときXを期待するのであり、われわれはこの主観的な期待を指して、XYの原因であるといいあらわすのだ、ということは理性には因果関係を考える能力はなく、経験だけが原因という発想をもたらしてくれることになる。「理性がアプリオリな経験と称するものは皆、ただふつうの経験にすぎないのに、まちがってアプリオリだときめつけられたものなのだ。ということはつまり、そもそも形而上学などないし、実際にありえないということなのだ」(『プロレゴーメナ』)

 

 だからといって、カントは懐疑論に心を寄せるわけではありません。形而上学を不可能とする懐疑論者は、カントによれば「土地に定住するのをいやがる遊牧民」のようなものです。というのも、「人間の本性にとって無関心でいられないような対象の追求に対して、無関心を装おうとしても無駄である」(『純粋理性批判』)からで、神の実在とか、魂の不死とか、この世における人間の自由とかの問題は、まさに「形而上学」の問題であって、これらの問題にわれわれはとても無関心ではいられないからなのです。普通の日常においてさえも、われわれは経験の限界をはみだし、魂、世界、神といった超越的なことがらを考えてしまいます。経験には頼れないこの分野になると、理性は自力でなんとかしなければなりません。ここで、よく知られている文章、「人間の理性は、認識のある領域において、みずから避けることのできないたぐいの疑問にしつこく責めたてられる妙な定めになっている」(同書)を思い出しましょう。

 思えば、カントの抜群にすぐれているところは、このような感覚を抱けること、理性が限定された能力ながら、まさに限定されているがゆえに経験の範疇をこえて、いつか無限の彼方で「無制約者」に達しうるという予感を抱いていたことでしょう。彼は、両親の深い宗教的信念を受け継いでいたので、そこには必ず経験を超えた真理があると感じていたに違いありません。

 

 そして、カントは、理性が常に人間をこのような形而上学的問題に引きもどすからには何か理由があるのではないかと考えます。

 「われわれの知識欲のもっとも重要な部分の一つにおいて、もし理性がわれわれをかえりみないばかりか、いいかげんな期待で釣ったあげくに裏切るなら、われわれにいささかなりと理性を信頼するだけの理由があるだろうか」(同書)

 

 このことが彼を理性一般の能力の吟味というものに駆り立てます。なぜ、形而上学は、数学や物理学のような明証性を持つことができないのか。数学と物理学の場合は、認識は、理性だけから生まれてくるものでありながら対象と関連があるという意味で、逆に合理的であり客観的といえます。形而上学も、まさに対象をアプリオリに定めようとするのですが、それは必ず失敗に終わるという宿命にとりつかれています。

 そこで、カントはまず、数学や物理学がなぜこのような華々しい成功をおさめたかを吟味し、その方法を形而上学に流用することはできないだろうか、と考えたのです。

 

 むろん、数学も物理学も出だしは手探りでした。しかし、

 「二等辺三角形を証明した人には(それがタレスという名の人であれ、誰であれ)、ひらめきがあったのだ。なぜならその人はこう悟ったからだ。自分がやらなければならないのは、その図形について自分が目にしているものとか、その図形のたんなる概念だけとかを追求し、そこからこの図形のいわば特徴を学び取ろうとするのではなく、自分自身がいろいろな概念によってアプリオリに考え描写したことをつうじて(つまり作図して)、この図形を生み出さねばならないのだ、と。そうしてなにかをアプリオリに正確に知るため、このものに帰すべきものは、自分の概念にしたがって自分自身が入れてきたものから必然的に出てくるものだけにすべきだ、と」(同書)

 

 物理学では、ガリレオやトリチェリが、ばらばらの観察をよせ集めて、経験の教えるところをおとなしく鵜呑みにするのでなく、理性の求めるところにしたがって、自然に向かって問いを発し、そうすることによって自然の法則の発見に成功したときのことでした。彼らはこう気づいたのです。

 「理性には、自分が自分の構想にもとづいて自分で生み出すものしか見えない」(同書)

 

 ここから史上名高い「コペルニクス的転回」が生まれました。対象を与えられた現実として見るのでなく、対象を理性の要求するところにしたがって見ること、つまり、「対象のほうがわれわれの認識にしたがうとしてみたら、形而上学の問題ももっとうまく解決できるのではないか、いちど試してみたらどうだろう。、、、こうなるともう、コペルニクスが最初に考えたのとそっくりだ。彼は、おびただしい星群のすべてが観察者の周りを回っていると認めたら、天体の運動を説明しきれないとわかったので、回っているのは観察者のほうであり、星は、これに反し、動かないままだと仮定してみたらうまくいくのではないかと考えてみたのだ」(同書)

 

 つまり、現実とは、われわれにとって、一つの構築の結果であり、その対象の性格はわれわれの認識能力から受けとるものなのです。『純粋理性批判』とは、この認識能力としての精神のアプリオリな形式を徹底的に調べ上げることにほかなりません。アプリオリな形式とは、人間精神が世界をとらえる普遍的・必然的な枠を意味します。それは眼鏡のようなもので、この眼鏡がなければ何も見えないのです。

 もちろん、「真実は、経験の中にしかない」(『プロレゴーメナ』)のですから、あらゆる認識は経験ではじまるのは疑いを入れません。対象は感覚を刺激するのですが、感覚的直感だけでは、なんであれ、われわれは何も認識できません。そして、対象から受けとる表象を、比べたり、結びつけたり、別々にしたりして、感覚的な印象の原材料を対象の認識に、すなわち経験という認識に仕上げるのが悟性の役割です。その比べ方、結び付け方、別々にする仕方がカテゴリーといわれるもので、それによって秩序付けられたものが概念と呼ばれます。

 ところで、認識するとは結び合わせることなのですから、感覚世界では、けっきょく、相対的なものしかとらえられません。しかし、精神は、絶対を、無条件をあこがれます。無条件とは、条件の連なりを完結させるもので、無条件をとらえようとするかぎりでの悟性を理性と呼ぶことができます。そして、こうした追求の結果、到達する概念をイデーと呼ぶのですが、たとえば一個の全体として見られる「世界」も理性の生んだイデーのひとつです。

 

 しかし、ここで問題があります。カテゴリーには感覚的直感によって与えられる内容以外に内容がないのですから、理性が超感覚的にカテゴリーを利用するのはやってはいけないことなのです。なぜ、理性はそのようなことをするのか。経験を通じて悟性が行う総合では、理性にとって不十分であるからです。悟性が、概念に形式を与えるという意味で構成的と呼べるとすれば、理性は概念に方向付けを与えるという意味で統制的といえます。理性が統制的だといえるのは、そのイデーが思考の歩みを、絶対というものに到達させないのに絶対というものの方向に向けさせるからです。(まるで、無限に近づきながら決して到達できない漸近線を思い出します)となると、形而上学とはどうしても避けられない幻想といわねばなりません。そして、これが、『純粋理性批判』の基本テーマなのです。

 

 「身軽な鳩は、自由に飛びつつ抵抗の感じられる空気を押し分けながら、これが真空ならもっとうまくいくのになどと思い込みかねない。その例がまさにプラトンだ。プラトンは、感覚的世界が悟性を窮屈に制限するからというのでここを去り、イデーの翼に乗って純粋悟性の真空地帯へ、あえて飛び込んだのである。彼は気づいていなかった。いくらがんばってみても一歩も進まないことに。なぜなら彼には、自分に対抗し、かつ、悟性を動かすためのよりどころとなり自分の力が発揮できる、いわば支点となれるものがなにもなかったからだ。もっとも、まずは大急ぎで建物をたて、あとになって、はたして土台は大丈夫なのかと考えるのが思索する人間理性のつねなのだ」(『純粋理性批判』)

 

 理性は、分不相応なことを要求します。しかし、こうしたイデーが志向する完璧への要求のうちには、なにか道徳的な響きといったものがないでしょうか。カントは、『純粋理性批判』の最後、「超越論的弁証論」の中で、人間が経験的性格と可知的性格を持っていると指摘しています。経験的性格によってわれわれは自然界に属し、われわれの行為は普遍的決定論の法則にしたがいます。可知的性格によってわれわれは現象の世界を離れ自由となります。われわれは自分の行為を必然性の観点からではなく、自由の観点から裁かねばならないし、事実、そういうふうに裁いています。たとえば、嘘は、嘘をつくにいたったいきさつとか、行為の状況とかをすべて考慮すれば、やはり仕方がなかったというふうに思えてくるでしょう。にもかかわらず嘘つきは非難されるのです。

 

 これは、無限に近づくが、しかし、決して到達しないというイデーの性格に由来するのです。もし、現象がそのまま物自体のむきだしの姿であったら、自由は救いようがありません。悩んでいる時に神から手紙が来たら、あるいは、散歩の途中で美の化身である女神に出会ったら、われわれの自由は決定論の暗闇に放り込まれてしまうでしょう。われわれの行動は自由な意志からではなく神への恐怖から為されるだろうし、われわれの創造するどんなものも醜く見えてくることでしょう。そうではなく、物自体も、自由も、神も、美も、われわれには知るどころか、存在するかどうかも不明のままなのです。しかし、理性はここで極めつけの大技を繰出します。それは、あたかもなにかのように(comme si…)みなすことです。

 

 「最高の存在という理想は、理性の統制的原理にほかならない。この原理はこの世のいっさいの結合を、あたかも、まったく間然とするところのない、ある必然的原因から発するかのようにみなすものである。、、、したがって、これはなにかそれ自体において必然的なものが実在しているという主張ではまったくないのだ」(同書)

 

 この世におけるいっさいの結合を、あたかもなにかのようにみなすこと、それはまさに悟性を強制する理性の役割なのです。

 神が、魂の不死が、そして自由が存在しようがしまいが、それはどうでもいいことなのです。ただ、それが存在することも、存在しないことも証明できないことを知るだけでいいのです。そんなことに関係なく、理性は、あたかもそれらが存在するかのように、われわれを高めていこうとするのです。アランが、困難な戦争の時代に生徒たちに言っていたことを思い出しましょう。「善が存在するかのように行動したまえ。まさにそれが存在しないがゆえに」

 

 

 『純粋理性批判』によってカントは、道徳心が、人間の自由、魂の不死、神の実在などに依存することは全くないと確信しました。それでは、その根っこはどこにあるのでしょうか。

 「この世において、いやそもそもこの世の外においてさえ、考えうるあらゆることのうちで無条件に善と呼べるものは善意志しかない」(『人倫の形而上学の基礎づけ』)

 知性、判断、勇気などは、絶対的に良いというものではありません。「悪党が沈着冷静になれば、いっそう危険な人物になるだけである」(同書)幸福もそれ自身では善ではありません。善意志によって動かない人間にとっては、幸福も堕落のもとになるからです。

 

 しかし、善意志とはいったい何でしょうか。ルソーの愛読者であったカントは、道徳において感情に大きな場を与え、また学者の知性よりも庶民の感性にしばしば真理が宿ることを気づかされていました。カントにとって、道徳心とは、ふかく考える必要のないことなのです。だれでも、義務、すなわち善なる意志の条件がどこにあるか迷わずいうことができるのです。

 「人々がふつうものごとを考えるとき、実践的判断力のほうが、理論的判断力よりもはるかにまさっている」(同書)のです。

 

 嘘をついてはいけないとか、人を殺してはいけないとか、ということは、経験によって知っていくことではなく、われわれの道徳心から自然に出てくるものなのです。スタンダールは「幸福の定義など誰でも知っている」(『恋愛論』)と書いています。同じように行為において何が善であるかは、各自がそれぞれ自分の胸に手を当てて、だれでもいいから理性のある人が自分の立場にたったらどうするか考えてみればよいのです。そのとき、人は自分自身の心を偽って悪を為してしまうだろうと考えることは無用です。人間のもっとも奥底にある感情は尊厳で、それは自律への意志となってあらわれます。その意志は人間を、自分にとって恥ずかしくない行為へと駆り立てるのです。不思議なことに、モラリストたちは常に人間を意志の弱い存在としてしか見てきませんでした。だが、人間とは、アランも言っているとおり、御しがたい動物なのです。人間は容易に妥協しません。彼らは、自分が義務を守る人間であるとの自覚があるときしか自分を評価しません。なぜなら、自己統御の意志こそが、人間の尊厳をなしているからです。カントが見抜いたように、人間は、その天空に道徳律を仰ぎ見るとき、自己に恥ずかしさを感じ、そこに至ろうと常に努力する存在だからです。そこに葛藤が生じ、人間実存のドラマが生まれるのです。アランは書いています。「欲望の恐ろしさと、君自身の内なる抑制をはばむ反発の動きとを察知するとき、君はもう誤ることがない。すべては自分と自分とのあいだでおこなわれる。他人はそれについてなにも知らない。自分はそれについてすべてを知っている」(Alain; Minerve ou la Sagesse

 

 カントは、自分固有の法が課す実践的法に服している存在の力を、人格と呼んでいます。多くの人間は、逆境にあっても、自分が「人として人間らしさを守りつづけた」(同書)という自覚に支えられています。この人格こそが、道徳律の拠ってきたるところであり、『実践理性批判』のクライマックスともいえるのです。

 「これが純粋実践理性の真の動機である。この動機は純粋な道徳法則そのものにほかならない。ただしそういえるのは、この法則によって、われわれ自身が超感覚的実在であることの崇高さを予感させられるからであり、また一方、主観的に見ると人間には、自分が感覚的実在であり、それゆえに情動的に触発されるかぎり強い自分の本性にしばられているという意識がありながら、この法則のおかげでより高い次元の使命に対する尊敬の念を芽生えさせうるからである」

 

 こうして、『純粋理性批判』で断絶を宣告された自然界と可知界は、『実践理性批判』において、人間の尊厳という点でかすかなメッセージのつながりが確認されました。カントは、最後の『判断力批判』で、両者を媒介することになる美と崇高との弁証論を繰り広げます。しかし、もうかなり長くなりましたので、続きは気が向いたら書いてみることにします。

  なお、カントは(プロテスタンティズムのドイツ観念論は総じて)中世キリスト教哲学者の論理学的営為を無視していますが、彼についての本が中世思想原典集成を出しているカトリックの上智大学から出版されたのは興味深いことです。それは、つまり、カントという名前があらゆる意味で別格であり、アランが言うように、カントは今日の時代に生き、また、あらゆる時代に生きる哲学者だからでしょう。楽譜は開かれたままであり、プレイエルはまだ鳴り響いているのです。

 

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