« 2009年9月 | トップページ | 2009年11月 »

2009年10月16日 (金)

ヘンリー・ミラー『クリシーの静かな日々』

ヘンリー・ミラーの全作品は、暖かな家庭、信頼感のある職場、秩序だった社会、というものへの否定に裏打ちされています。呪詛ではありません。憎しみでもない。慇懃無礼な無関心、冷たい侮蔑と言ったらよいでしょうか。

『北回帰線』の中に、ミラーが仏米親善協定の一環としてディジョンの高校の英語教師に赴任する時のことが書かれていますが、彼はそこで働く「胸くそ悪くなる」フランス人教師たちに遠慮のない嘲笑を浴びせています。「彼らは、この世の中を機械技師、建築家、歯医者、薬剤師、教師等々でもってつくりあげているといったふうな味気ない人間の範疇に属していた。ことばのあらゆる意味で零(ゼロ)であり、立派な、あるいは哀れむべき市民の中核をなす無に等しい連中だった。ダンテが地獄の門に引き渡した無関心な人間の仲間なのだ。まるでかさぶたの皮である」(大久保康雄訳)そして彼は任が解かれるや否や校長にも誰一人にもあいさつせず駅に向って走って、パリ行きの列車に乗ってしまうのです。

また、『クリシーの静かな日々』の中で、友人カールとルクセンブルクに遊びに行ったときのことを思い出しましょう。その国で三日間、二人は楽しい音楽と美味な食事を堪能します。ルクセンブルクは、繁栄した美しい国で、人々の性格は善良で同情心が厚く、規則正しく、親切で寛大でした。「しかし、どういうわけか、この土地にはある種の腐敗した臭いがあった」とミラーは書いています。「ここでは、人々は牛や羊が存在するようにしか存在していない」そして、「この豊かな土地で暮らすよりも、パリでシラミのように死ぬほうがましだ」「この健康な土地でのんびり過ごすより、パリで淋病をもらおう」と決心して、カールと一緒にパリに舞い戻ってしまいます。

 

だからこそ、ヘンリー・ミラーは、私にとって、時を置いて何度でも読むに値する作家なのです。それは精神の健康になくてはならないものなのです。生活のために働くということは何と愚劣なことでしょう。そこで結ぶ人間関係の腐臭に似た臭い、無意味な、くそ真面目な会話、笑いと嬌声と優しさの裏に隠された傲慢さと浅薄さ、卑猥な言葉を投げつけてポケットに手を入れて立ち去りたい時、そういう時に、ミラーの本はまさに『コリント書』のように『伝道の書』のように不朽の光を放ちます。

『北回帰線』は、ヘンリー・ミラーを世に出した本であり、また彼の最高傑作といってよいでしょう。私は、ミシュランの地図帳を傍らにしてこの書を読みます。ミラーが几帳面に記している小さな通りのほとんどが、80年経った現在でも残っているのは驚くべきことです。「このホテル、私たちの泊まったホテルじゃない?」とミラーの短編『マックス』を読んでいた妻が声を出しました。貧乏なユダヤ人の友人マックスが泊まっていたホテルはサン・ミッシェル広場近くのアルプ通りにあります。短いアルプ通りで古いホテルといえば私たちが今年の春に泊まったホテルしかありません。しかも、最上階の6階(日本では7階)の一番安い部屋とはまさに私たちの部屋だったではありませんか。ミラーが書いている窓からの眺めもまさにそのとおりです。ミラーは友人マックスに、いかにこのホテルが古いパリの中でも古い由緒ある場所にあるか、14世紀に建てられたサン・セヴラン教会のあるこの地区はかつてダンテやダ・ヴィンチも馴れ親しんだ地区なのだ、と熱心に説明します。しかし、人生に疲れ切ったマックスは、何の興味も持ちません。彼は自分の部屋と、クリシーのミラーの部屋とをいつでも交換してやる、というのです。ミラーは、マックスを一人残して、サン・ジャック通りを天文台のほうに歩いていきます。すると、崩れかかった壁の近くに一人の売春婦が、いかにも気がのらない様子で立っています。あきらめきっているのか、こちらに合図すら送りません。その足元には、ごみ、空き缶、古新聞、吸殻が散らかっています。パリの風景とはそのようなものです。

『北回帰線』は、ミラーの友人たちについての話、哲学的な独白、食事と宿を求めてパリの街を放浪するあてどない記録です。思いつくがままに書き出されたように見える文章の脈絡のない集積は、しかし、細心に組み立てられ、何度も書き直され、書物という形にできあがったことが奇跡ともいえるものです。すばらしいエッセイ『性の世界』の中で、彼はつぎのように書いています。「・・・私たち人間の生活のめまぐるしい有為転変は、永遠にえたいの知れない謎として残る。人生の断片がたとえ限られた数のものであっても、そのすべてを結びつけ、一つの物語にすることは不可能である。人は、その切れ切れのエピソードにとどまるほかはない。唯一私の興味をそそるものは、実際の生活を包み込む、こうした未知なるものが放つオーラである。私が現実に自分の身に起きた出来事、人間関係、あるいは日常の些細なことを書くのは、こうした暗闇に閉ざされた秘密の領域が、私たちを取り巻いていることを読者に知らせるためである」(菅原聖喜訳)

 

このように難解とも深遠とも退屈ともいえる『北回帰線』は、私にとってはスタンダールの『アンリ・ブリュラールの生涯』やマイリンクの『ゴーレム』のように、私と同じ気持ちで読まれることは絶対にないであろうと信じている書物と同じく、それは簡単には推奨できかねる書物です。その代わりに私は、多くの人々に感嘆されるであろう彼の短編『クリシーの静かな日々』(水声社・ヘンリー・ミラー・コレクション4・小林美智代訳)について紹介したいと思います。

この作品は、『北回帰線』から十年後、『北回帰線』中の小さな挿話をひとつのまとまりある物語に展開したものです。当時、金に困っていたミラーは、ある好事家からの注文に応じてポルノグラフィーとしてこの小説を書きました。そのために、独特の饒舌な独白めいた文章は簡潔に刈り取られ、『北回帰線』での猥雑な言葉の洪水が、ここでは即物的な性描写となって描かれています。

 

簡単にあらすじを辿ってみましょう。

書き出しはいつものように素晴らしい。パリはクリシー広場の夕暮れ、久しぶりに二、三百フランのまとまった金が入った「わたし」は街の灯に誘われるように外へ出て行きます。行きつけのカフェ・ヴェプレールに立ち寄ると、店の奥のテーブルに誰かを待っているような上品な若い女性が座っています。この店は娼婦の溜まり場で、店先のテラス席では彼女たちが客待ちをしているのですが、どうもその若い女性は娼婦とは違うように見えました。馴染みのギャルソンに聞いても知らないとのこと。思い切って、女性の卓に行き、話しかけてみると、何と商売女で、この辺では顔を知られたくないのだと答えました。「わたし」は女の魅惑的な表情に心を奪われ、すぐにも彼女を抱きたいと思います。女の話すフランス語は美しく、聞いているだけで楽しくなりました。「女は一語一語を明瞭に発音し、俗語や方言はほとんど話さなかった。充分にはっきりした音声で、ゆったりとした速さで、言葉が女の口から出てきた。まるで音や意味を急速に変える空間に言葉を投げ出す前に、それを舌のうえで転がしているかのようだった。女のものうげな様子はなまめかしいもので、話す言葉は柔らかな羽毛をまとっていた。それがわたしの耳には綿毛の球となって流れ込んできた。女の体はこの世の荷を積んで重々しかったが、咽喉から出てくる声の響きは、穢れのない鐘の音色のようだった」「女がわたしのあそこに手をおくと、訓練されたアザラシのように、それは女のやさしい愛撫に答えて、喜びに満ちて立ち上がった」

 

「わたし」と女は店の外に出、女の知っているホテルに急ぎます。その部屋での描写もすばらしい。「部屋は鳥の巣のようにくつろいだ感じだった。わたしは少しのあいだ、石鹸とタオルが運ばれてくるのを待ち、メイドにチップを渡し、そのあとドアに鍵をかけた。女はすでに帽子と毛皮の襟巻きをとり、窓のところでわたしを抱擁しようと待っていた。なんてあたたかで豊満な肉体だろう! 手をふれたら、とたんにはじけてしまいそうだ。・・・わたしは立ち上がって、ふたたび女を抱きしめ、起伏にとんだ肉体のくぼみにゆっくりと手をはわせた。女はわたしの抱擁をすりぬけ、腕の長さだけわたしから離れたところに立ち、なにかだまされた気分になっていないかと、はにかんだ様子で訊いた。『だまされたって?』わたしは言葉を繰り返した。『どういうことかな?』『あたし、ちょっと太りすぎているんじゃないかと思って』女は視線を落として、へそのあたりを見ながら言った。『太りすぎているなんて。きみは素晴らしいよ。ルノワールの絵のようだ』」

 

そして二人はベッドに入ります。「わたしは着ているものをすばやく脱ぎ、エチケットから愛棒を洗って、シーツのあいだにもぐりこんだ。ビデはベッドのすぐそばにあった。女は洗浄がすむと、使い古した薄いタオルであそこを拭きはじめた。わたしは女のほうに体を傾けて、そのくしゃくしゃに乱れた茂みをひっつかんだ。そこはまだすこし濡れていた。女はわたしをベッドに押しもどし、かがみこんで、すばやくそのあたたかい赤い唇でわたしの愛棒をくわえこんだ。わたしは女のあそこが潤うように、そこに指を一本すべりこませた。それから女を上にのせ、深々とわたしの愛棒を押し込んだ。女のあそこは、手袋のようにぴたりと吸いつく類のものだった。その巧みな筋肉の収縮に、わたしはすぐ夢中になった。その間じゅうずっと、女はわたしの首やわきの下、耳たぶを舐めていた。わたしは腰をゆらしながら、両手で女の腰をつかみ、あげたりおろしたりした。ついにうめき声をあげて、女はわたしにしなだれかかった。わたしは女を仰向けに寝かせ、自分の肩に女の脚をかけ、腰を動かし、音をたてて攻め立てた。これ以上は我慢できないと思ったとき、庭の散水ホースから水がでるように、一気に放出した。体を離したときには、女の中に入れたときよりも、いっそう大きく勃起しているように見えた」

 

「いっそう大きく勃起しているように見えた」という表現の持つリアリティはどうでしょうか。女の魅力ゆえに高まった情感が余すところなく描かれています。比較のために、現代の日本の小説を覗いてみましょう。女の20歳の誕生日に、二人だけで祝った後、帰りそびれて男は女の部屋に泊まります。「僕は部屋の電気を消し、ゆっくりとやさしく彼女の服を脱がせ、自分の服も脱いだ。そして抱き合った。暖かい雨の夜で、我々は裸のままでも寒さを感じなかった。僕と直子は暗闇の中で無言のままお互いの体をさぐりあった。僕は彼女にくちづけし、乳房をやわらかく手で包んだ。直子は僕の固くなったペニスを握った。彼女のヴァギナはあたたかく濡れて僕を求めていた。それでも僕が中に入ると彼女はひどく痛がった。はじめてなのかと訊くと、直子は肯いた。それで僕はちょっとわけがわからなくなってしまった。僕はずっとキズキと直子が寝ていたと思っていたからだ。僕はペニスをいちばん奥まで入れて、そのまま動かさずにじっとして、彼女を長いあいだ抱きしめていた。そして彼女が落ちつきを見せるとゆっくりと動かし、長い時間をかけて射精した。最後には直子は僕の体をしっかり抱きしめて声をあげた。僕がそれまでに聞いたオルガズムの声の中でいちばん哀し気な声だった」(村上春樹『ノルウェイの森』講談社文庫)これはこれで一つの世界を作っているとはいうものの、「僕」という人間は大脳皮質を持っているのだろうかと疑わせます。興奮もせずに性器が固くなり、大過なくセックスを成就しなければという気持ちだけで腰を動かしているのでは女も哀し気な声を出すはずです。「体を離したときには、直子の中に入れたときよりも、いっそう勃起しているように見えた」という一文を最後に継ぎ足せば、愛と真実は一気に神秘の領域に高まったでしょうが、それでは「僕」の世界が崩壊してしまうかも知れません。いずれにせよ、前者が日曜の昼にテラスで食べる美味なブランチとすれば、後者は通夜の席でつまむ寿司のように味気ない記述となっています。

 

さて、「わたし」と女がベッドでくつろいでいると、突然女が「困ってるの。すごく困ってるの。助けてくれる?」言い出しました。「わたし」は「もちろんだよ、どうしたの?」と訊くと、「まとまったお金がいるの」とあっさりと答えました。「わけは言えないけど、うそじゃないわ、どうしてもいるの」それを聞くと「わたし」は椅子にかけてあったズボンを引き寄せ、ポケットからアメリカから送金されてきたばかりの二、三百フランの札と小銭をすべてあげてしまいます。「有り金ぜんぶあげるよ。こうするのが一番いい」。むろん、女は感激して、再度二人はベッドの上で抱き合います。「ふたたび女は股のあいだから手をのばしてわたしを迎え入れ、今度はさっきよりもさらに背中を曲げて、まるでわたしの愛棒をワナで捕らえるかのように腰を高くつき出した。背骨の真中から、ふたたびいきそうになるのを感じた。わたしは膝をすこし曲げて、さらに一、二度、突き上げた。それから発射! 流星花火のように炸裂した」

 

二人はホテルを出て、しばらく歩いた後、別れ際に女の名を聞くと「ニース」と答えました。「わたしは女と別れて歩きながら、何度も繰りかえしてその名前をつぶやいた。これまで、そういう名で呼ばれる女がいるなんて、聞いたことがなかった。それは高価な宝石の名前のようだった」

ところで、この物語の核というべき箇所はその直後に訪れます。ニースと別れてクリシー広場まで帰り着くと、「わたし」はひどく空腹であることに気づきます。レストランの前に立って、おいしそうなメニューを見るのですが、ポケットには1銭もありません。家の戸棚の中に何かあるか確かめようと、歩調を速めました。しかし、家に帰って、台所に飛び込むと、パンのかけらさえありません。空き瓶でもあれば現金にかえられるのに一本も見当たりません。よく食べに行く小さなレストランに行って、つけで食べさせてもらおうと決心して、外へ飛び出しました。が、そのレストランの前まで行くと、急に気後れしてそのまま通りすぎてしまいます。なにか奇跡が起こって、知っている人に会わないかと思いながら一時間ほどあてもなくぶらつきました。近くに住む何年も会っていないロシア人の友人を思い出しましが、いきなり踏み込んで施しものを乞うなんてできません。そうだ、レコードでも持参して、その代わりパンでももらおうと再び家に戻りますが、もう真夜中が迫っていることを知り、愕然とします。「わたしは完全に打ちのめされた。これ以上、食べ物を探しにでかけるのは無駄だ」と決めて、戸棚の中のくず入れの缶をあさります。その底からパンの皮を拾い上げ、注意深く汚い部分をこすり落として、水に濡らして、ゆっくりと噛みしめました。すると、「わたし」の顔に微笑みが浮かび、どんどんそれが広がっていきました。明日の朝、一番にレコードを売って、そのお金で10フランの食事をしよう。するとニースの顔が浮かびます。ニースはいい女だった、おそらくあの大金は病気の母親の薬を買うためでなく、ヒモの男の洋服や借金にあてるものだろう。それでも、ニースと豪華な食事をし、トゥーレーズまで行けたらどんなに楽しいだろう。なんといっても夢見ることだけは自由なのだから・・・

パンの皮を食べてしまうと、またたまらない空腹感が襲ってきました。食器棚の隅に腐ったロックフォール・チーズが一切れありました。ああ、あとパンが一切れあったら! 「くそ!」とつぶやくと、突然「わたし」は声を出して笑い始めます。あまりにもヒステリックに笑いはじめたので、それを止めることはできません。「どんなことを考えようとも、どんな恐ろしいことを考えようとも、その笑いはとまらなかった。それというのも、ほんの一切れのパンの皮がなかったせいだ!すべては家のなかに余分のパンの皮がなかったことがいけなかったのだ」

 

この窮乏の幸福感は、物語の最後にもう一度訪れます。「わたし」と友人カールは、ハンドバッグにピストルを入れた精神病の女を部屋に泊めたために、危険を感じてルクセンブルクまで出奔します。しかし、ルクセンブルクの「健康」的な生活に嫌気がさして、「梅毒にかかっていても、フランス人は偉大な国民だ」という悟りを得て、性欲をもてあませたままパリに戻ってきます。直ちに、三人の女を入れた五人で部屋に帰り、乱痴気騒ぎの末に、皆が帰ってしまった翌朝、「わたし」が一人散らかった部屋で目覚めたところで最後の場面が始まります。

「また、空腹になった。わたしは起き上がってサンドイッチの残りを探した。テーブルにはひとかけらもなかった。わたしは小便しようと思って放心状態でバスルームに行った。そこには二切れのパンと、チーズが数片と、つぶれたオリーブがいくつか散らばっていた」「わたしはパンを一切れ拾い上げて、食べられるかどうか調べた。誰かが怒って足で踏みつけたものだ。すこしカラシがついていた。しかし、ほんとうにカラシだろうか。別のも調べてみよう。濡れてはいるが。さっきのよりきれいなのを拾い上げて、その上にチーズを一切れのせた。ぜんぜんまずくなかった。病原菌は、空腹な人間やとりつかれた人間に危害をくわえることはない。それを証明するために、わたしはそのパンで尻をふいた。それからそのパンを飲み込んだ!」

そして、「わたし」はゴロアーズの吸殻を拾って火をつけ、深々と吸い込みます。

「さて、わたしは今、なにを考えていたのだろう。わたしは台所のテーブルの前に座って、両足をテーブルの上にのせた。・・・思い描くことも考えることもできなかった。あまりにも無条件にすばらしさを感じていた」

 

この幸福感は、「ぼくは金がない。資力もない。希望もない。ぼくはこの世でいちばん幸福な人間だ」という『北回帰線』の最初のページに書かれてある言葉と符合します。

 自分自身がすべてなのです。他人の幸福などどうでもいい。といってエゴイストというわけではありません。スタンダールの「エゴチスム」という概念とそれはよく似ています。ミラーのこの「エゴチスム」がもっともよく表れるのは、女性にたいする態度でしょう。ミラーにとって、女性は、全く彼女たちでしかできないやり方で、よろこびを与えてくれるものです。これに対峙するのがアメリカの男たちで、彼らは女性を性の対象としてしか見ていず、彼らが自分を解放できるのは、女性の体以外のあらゆるものに意識的に目をつぶることによってでしかない、とミラーは言っています。そのために、アメリカの男は、立派な女性を娼婦のように扱ったり、逆に正真正銘のあばずれを天使のようにもてなしてしまうのだそうです。

 ミラーによれば、女性は常に気前よく自らを与えてくれる存在です。「きっかけさえあれば、彼女たちは、いつだって、自分の恋する男に身も心も捧げつくすつもりなのだ」娼婦でさえ、男性がひねくれた心でなく接すれば、信じられないほどのものを与えてくれるのです。『クリシーの静かな日々』に出てくるニースは、ミラーの描く娼婦たちの中でも際立って魅惑的です。「わたし」はカフェ・ヴェルプールで時々ニースと会い、セーヌ河畔を散歩したり、電車にのって近場の森に行ったりします。「おいしい食事と、楽しい会話と、すばらしいセックスとーこれ以上の一日の過ごし方があるだろうか。彼女には良心を蝕む虫も、捨て去ることのできない心配事もなかった。潮の流れのままに漂う、それだけだった。ニースは子供を産まないだろうし、社会の福祉に貢献することもないだろう。だが、どこへいっても、人生をより安らかな、より魅惑的な、より楽しいものにするだろう。これは決してくだらないことではない。彼女と会うたびに、いつもわたしは、すばらしい一日を送ったという気になった。わたしも同じように、安らかで自然に人生を送ることができたら、どんなにいいだろうと思った」

 これが、「幸福に恋する男」ヘンリー・ミラーの願うことのすべてなのです。1976年にBuchet-Chastel社から出したフランス語のエッセイ集『Je suis pas plus con qun’un autre』(愚か者ではないけれど)という表題は、なんとよくミラー自身を表しているではありませんか。

| | コメント (0)

« 2009年9月 | トップページ | 2009年11月 »