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2009年9月 6日 (日)

内田魯庵『貘の舌』

  「ウェッジ文庫」から八月に出た新刊は、はっとする書名、内田魯庵『貘の舌』です。実は前回紹介した『近代日本文藝讀本』で、芥川は樋口一葉からは日記を、永井荷風からは浮世絵論をと、切れ味のよい選択をしていましたが、魯庵からは『獏の舌』の一節「切支丹迫害」を選んでいました。芥川が、中学生の読者に読んでもらいたかったのは、この史上特筆すべき迫害と殉教のドキュメントだったのです。魯庵は、『貘の舌』の最後近くで、世界史上の有名な虐殺事件をとりあげ、とりわけ、ロシアとアメリカを東西の代表的虐殺国家として紹介しています。そこで、ロシアのポグロム(ユダヤ人虐殺)、アメリカの黒人へのリンチについて身の毛のよだつ記述をしていますが、日本人もそれを非難する義理はないとして300年前の切支丹迫害について書き起こすのです。

 

 キリシタンの資料は明治の御一新まで江戸幕府によって完全に差し止められていました。むろん宗門の根絶を目指したがためですが、魯庵は、あまりに残虐な拷問の事実を後世に残すのを当該者も望まなかったためだろうと書いています。実際、火責め、水責め、穴つり、そぎ落とし、膾切りなど、これでもかといわんばかりの拷問の連続で、日本人がこれほど無慈悲になれることに驚くのですが、魯庵は、その反面、また日本人の美しい殉教者精神が発揮されたのもこの迫害によってである、と言っています。老人、子供、男女を問わず、無知な庶民たちが信仰のために、晴れ晴れした顔で恐ろしい拷問と処刑に身を晒したのですが、魯庵は「楠正成よりも大石良雄よりも私は無知なる切支丹宗徒の火に焚かれ、水に漬けられ、肉を寸断され骨をひしがれても毅然として少しも屈しなかった殉教者精神をヨリ偉大なりと信ずる」と断言します。

 

 (ところで、魯庵のこの記述の根拠は、明治以後に翻訳されたクラッセイの『日本西教史』や公教会発行の『鮮血遺書』や『公共会の復活』などを参考にしているらしいのですが、それらは、もちろん護教的な考えから、殉教者たちを聖者として、豊臣・徳川政権を迫害者として描いています。現在は、高瀬弘一郎『キリシタン時代の研究』(1977岩波書店)などに見られるごとく、キリスト教布教をスペイン・ポルトガルの両リベリア王国の植民地獲得政策の一環として捉え、もし中央政権が少しでも軟弱であれば、キリシタン大名を使って九州なり山口なりをゴアやマカオのように武力で制圧して、中国侵略の先兵にしようという目論見が多くの宣教師の意志にあったとされています。その考えでいくと、秀吉や家光の「迫害」は国家意志の当然のあらわれに過ぎないことになるのでしょう。)

 

 さて、『貘の舌』ですが、これは讀賣新聞に大正九年(1920)五月から六月にかけてちょうど一ヶ月毎日連載されたもので、毎回の分量は1700字ほどで、内容は時事問題から趣味の問題まで多岐にわたっています。「貘の舌」というタイトルは内田家の飼犬パクから採ったもので、この愛犬の痛ましい死については『病臥六旬』(1926・講談社文芸文庫『魯庵の明治』所収)で詳しく述べられています。

 内容は、脈絡のないように見えて微妙につながっています。まず、直近の1920年の総選挙で、不況の世相にもかかわらず与党が勝利したことを受けて、そこに人々の変革へのエネルギーの乏しさを読み取ります。そこから、維新後半世紀を経て、役人天国、資本家の横暴、表現・出版の取り締まりの厳格さなどが人々を無気力に陥れる時代閉塞の現状をあぶりだします。そこで、50年前の明治初頭が思い出され、意外や、その時代は今よりも自由であったことが説明されるのです。考えれば当然のことで、史上かつてない変革の時代は思い切った自由の時代でもあったのです。当時改革を実行したのは24,5歳の経験も人脈も爵位も金力もない青年たちで、無人島でも耕すように、書生放論をそのまま断行してしまいました。特殊の国情も固有の美徳もあったものではなく、理想に背くものは草でも抜くようにどんどん破壊したので、大名の領地奉還、家禄召上げ、帯刀、丁髷の禁止、儒仏を足蹴にし、聖堂仏像の破壊、あわや興福寺の五重塔まで焚きつけようとしたのです。これは庶民の間でもそうだったので、およそ封建的、旧弊の残滓とされたものは、仏典だろうと蒔絵だろうと燃やされましたが、これぐらいの気概がなくては社会の変革などというものはできっこないのだ、と魯庵は言っています。翻って今日の世相を見ると、あれほど憤怒を投げかけた封建の因習が復活し、あれよという間に流動性を失った「犬も喰わない出来損ないの文明」に成り下がってしまったと嘆きます。

 

 次ぎに魯庵は、明治維新がいかに進歩的で自由な言論があったかを例証します。たとえば、ローマ字国字論は日本字を全廃して詔勅法律まで全部ローマ字にしろという案、キリスト教国教論は神儒仏を廃して一挙に日本を西洋化しようという案、なかにはメートル法採用論など先見の明が光るのもありました。田島象二の『書林之庫』などは、国家は人民の国家であり、官吏は政府の官吏でなく人民の官吏だ、などとその後の時代なら禁錮確実の論を展開していました。

 こういう時代のエネルギーは必ず変てこな現象を引き起こすので、魯庵は明治初頭の漢語の流行を指摘します。当時の田舎出の官吏はろくに漢文の素養がなかったので、おそらく自分を偉く見せるために俄かの漢語仕込みのための塾通いが流行り、それが民衆の間にも広まったというのです。倫敦(ロンドン)、牛津(オックスフォード)、華盛頓(ワシントン)などの珍粉漢語が出てきたのもこの風潮の表れとのことでした。

 

 魯庵はつぎに6回にわたって、今は忘れ去られた思想家佐田介石のことを紹介していきます。介石は最後の鎖国論者で、西欧のものはすべて否定する徹底的な排外主義者でした。彼は洛外の閑居に閉じこもり、集中心を切らさぬため昼間から雨戸を閉め思索に没頭しました。生計は故郷の老母が貧しい中から仕送りし、その貧寒骨を刺す十数年の苦学の末、ついに西欧の天動説を打ち破る彼独自の地動説を作り上げ、その証明のための「視実等象儀」なる器械を考案しました。それだけの苦辛をするならもっと世間を裨益する大研究ができたろう、というのは小人物の料簡にすぎない、と魯庵は言っています。介石は、他にもランプ、写真、汽車、汽船、織機など舶来のものをすべて弾劾していますが、彼が多量に世に出したパンフレットや書物が、彼が排斥する印刷機械で印刷されたことは、文明の大勢が如何ともしがたいことを表しているのでしょう。

 

 介石は自ら路頭に立って辻説法し、その思想の宣伝普及に努めました。『貘の舌』は介石を紹介した後、引き続いて、ポスター宣伝について書いています。実はこれが魯庵の真骨頂で、文芸批評家として名を成した人間で広告宣伝について自前の考えを述べるような者は彼以外皆無でしょう。宣伝についての考察は、『貘の舌』の好評を受けて讀賣新聞に連載された『バクダン』にさらに詳しく、さらに興味深く書かれています。なお、『バクダン』は魯庵の筆がさらに冴え渡った傑作ですが、惜しいかな現在は全集でしか読むことはできません。

 

 さて、『貘の舌』は次ぎに、納札(寺院や神社に巡拝者が張る札)の起源、現在、改良、またその蒐集について四回にわたって書いています。かなり専門的で、興味のない読者は異様な感じさえ受けるでしょう。それが魯庵のねらいで、次ぎに人間の趣味の中心たる蒐集に話を持っていくのです。そこで魯庵は日本と世界の蒐集と蒐集家について語り、その徹底性とコスモポリタン性を賛嘆します。この辺が魯庵が日本のベンヤミンと言われたりする由縁でしょう。最後は自由主義者魯庵の叫びがこだまして、世界の虐殺事件を詳述しますが、最後の最後に、親友二葉亭四迷と猫の挿話を語って筆を置きます。豊富な知識と寛い心、『貘の舌』にはそのような魯庵の姿が躍動しているのです。

 

 内田魯庵(1868-1929)は江戸下谷の幕府の下級御家人の家に生まれました。父親の放蕩や転勤により、学校をすべて中退して、ほぼ独学で教養を身に着けました。しかし、その英語力は抜群で、それが雑多で新鮮な情報を英語圏の新聞雑誌から収集できる強みとなって表れたようです。

 私はいつも、バンジャマン・コンスタンの「人間は、これすべて性格である」という言葉を真実であると思い起こすのですが、魯庵という文人にはなおさらそれが真実であるように思われます。まず、好奇心と飽くなき知識欲、向上心、それが厖大な読書量となって表れました。偏見や極端な意見を避けながら、そのようなものへの偏愛も隠しません。人間に対する問題で決して独断に陥ることなく、従って一つの思想・宗教にこだわらない広い心、それはまた人間も含めた生命への愛情でもあります。ゆるぎない反骨精神は卑劣さを嫌い、その倫理は透明で開かれています。魯庵は、二葉亭や逍遥や、ある意味では漱石も含めた一派、すなわち文学を人生の秘密を解明する道であると考えた一派の一人でした。魯庵が文学に開眼したのは、英語で読んだドストエフスキーの『罪と罰』の衝撃でした。それが、彼を長谷川二葉亭に近づけ、明治文学でほとんど例のない二人の友情を生み出したのです。

 

 しかし、二葉亭がやや狂おしく人生を生きようとしたのに反して、魯庵は傍観者的に、そして恐らくは謙虚に人生に対しました。二葉亭の死後、文学全集の一巻に二葉亭と魯庵が合わさって入ることが提案されたとき、魯庵は家計が苦しいにもかかわらず、四迷と名前が並べられるのは分に過ぎるとその申し出を断りました。

 実は、魯庵の興味の範囲は二葉亭よりも遥かに広く、それが魯庵のもう一人の友であり師であった淡島寒月に彼を近づけたのです。西鶴に入れ込み、明治文学に西鶴の魅力をはじめて教えた寒月は、また時代を超えた趣味人でもありました。恒産のおかげで趣味に没頭し、権威など歯牙にもかけない寒月は魯庵の理想の人間だったのです。魯庵がはじめて寒月のもとを訪れたとき、彼は初対面の青年魯庵に、当時表紙を見ることも難しかった西鶴の本を気軽に貸してくれました。その人間性の大きさは尋常ではありません。寒月の蒐集癖、書籍や、玩具や、あらゆるものへの興味は、人間への驚きと興味に発しているのです。寒月はキリスト教の教会に通い、熱心に布教活動を手伝い、感激した神父が彼の家を訪れるとその部屋には仏像がたくさん置かれてあった、つまり宗教も彼にとっては趣味のひとつだったのです。魯庵もキリスト教への理解を示しながら決して信者にはなりえない人間でした。人間を断定してしまうことの拒否、理性を手放してしまうことへの恐れ、常に目覚めていたいという欲望、それは彼の強みであると同時に、文学者としては大成できなかった由縁でもあったのでしょう。

 晩年の魯庵は丸善の嘱託として収入もやや安定し、得意の雑文を書き続ける生活を送ることができました(彼はついに金持ちになれず、生涯借家住まいでしたが)。その興味の広さ深さはむろん当代随一ですが、その興味の中心は人間に向けられていました。近代文学を代表する回想記である『新編思い出す人々』(紅野敏郎編・岩波文庫)を読む人は、そこに描き出された四迷や緑雨や美妙よりも何よりも魯庵の無二の人間性に出会うのです。

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コメント

みごとな評に感銘を受けました。
ありがとうございます。
『バクダン』も文庫化できればよいのですが。

投稿: ウェッジ文庫担当編集者 | 2009年9月 7日 (月) 12時36分

コメントありがとうございます。
ウェッジ文庫の書名にはいつも意表を突かれます。
読書人の端くれとして、近現代の日本のもっとも良質な文庫のラインナップがいつまでも続いてくれることを願ってやみません。
それでは。

投稿: saiki | 2009年9月 7日 (月) 23時14分

卒爾ながらリンクを貼らせて戴きましたのでご報告いたします。御迷惑なら仰ってください。削除いたします。
http://d.hatena.ne.jp/qfwfq/20090913

投稿: qfwfq | 2009年9月13日 (日) 15時16分

リンクを張って頂き、しかもご丁寧なお知らせ痛み入ります。
これからもよろしくお願いいたします。
それでは。

投稿: saiki | 2009年9月13日 (日) 15時49分

 瑣末事ながら、書名は『獏の舌』ではなく『貘の舌』、けもの偏でなくむじな偏(豸)です。サーチ・エンジンで「貘の舌」をキイワードにするとこのページがヒットしませんでしたので。

投稿: 貘談 | 2009年10月28日 (水) 10時51分

貘談さん、ご指摘ありがとうございます。
早速、変換してみました。
獏も貘も同じ文字と思っていました。
また、よろしくお願いします。

投稿: saiki | 2009年10月28日 (水) 12時47分

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