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2009年8月16日 (日)

芥川龍之介編『近代日本文藝讀本』

 最近、家の猫は、本を置いてある狭い部屋で爪とぎ板に身をもたせてぼんやりするのが好きなようです。網戸を張った広い窓からは、隣の家の庭の樹や風呂屋の煙突などが見えます。まだ、子猫のころ、夜に興奮して走り回るので、寝付くまでこの部屋で私が側についていてやりました。座布団の上で、時おり薄目をあけて私の存在を確認しながら、いつしかスースー鼻息を出しながら寝入ってしまうのです。その間、私は積み重なった本の中から、わずかの時間に読める短いものを探します。そんな時には、芥川龍之介が編集した『近代日本文藝讀本』(全五集1925興文社・1981日本図書センター)に勝るものはないでしょう。

 

 死の二年前、芥川は書肆興文社から、中学生用の副読本の編集を頼まれました。軽い気持ちで承諾した芥川は、これが自殺に至る神経衰弱の一因になろうとはむろん夢にも思わなかったはずです。凝り性の芥川は次第にこの編集作業にのめりこんで、120人余りの作家の148編の作品を選び出しました。一人一作でなく、鴎外なら小説『高瀬舟』、戯曲『仮面』、翻訳『老曹長』とジャンルを分けて選んでいます。それでも、特別の作家に偏ることなく、明治・大正のほとんどの作家の作品をほぼ公正に網羅していて、しかも文学的質はそのために少しも損なわれていません。

 その選択と配列も洗練を極めています。たとえば、室生犀星の詩『つれづれに』の後は二葉亭四迷の翻訳『四日間(ガルシン作)』、岩野泡鳴の小説『小僧』、さらに落合直文の短歌五首、川上眉山の紀行文『ふところ日記』と続いて、読者を全く飽きさせません。また、第一集から第五集までの配列も、読み易さの順に旧制中学一年から五年までの生徒に合わせています。

 

 ところで、これほど周到に作り上げた『近代日本文藝讀本』も、実はさっぱり売れなかったとのことですが、その主な原因は、このような本に必須の文部省検定を得られなかったためでした。検定を通るためには武者小路実篤と有島武郎の作品を除かねばならず、芥川のような人間がその点で妥協するなどありえないことです。しかし、芥川が悩んだのは本が売れないということでなく、他の作家たちの邪推と中傷でした。芥川自身はほとんど報酬を得ていないにもかかわらず、たまたま田端の家を増築した頃と重なって、俺たち貧乏作家の作品をダシにして大金をもうけたと噂されたのです。芥川は印税をすべて掲載作家に分配しようとしたのですが、友人の菊池寛に、そんなはした金を送っても意味ないし、だいたい本は全然売れてないではないか、と言われて思いとどまりました。しかし、気が咎めるのか、後に借金をしてまで全員に三越の商品券を送っています。

 

 「もう編集ものなどやるんじゃない」と後悔した芥川ですが、計らずも、ここに彼の文学的資質のもっとも良いものが表れてしまったようです。ベンヤミンは「自分はすべて引用によって成り立っている本を作りたい」という有名な言葉を残していますが、収集家の情熱は自分自身を直接表現するのを下品と感じ、周りの事物の中に間接的に、そしておそらく貴族的に自己を発現しようとします。おびただしい作品群の中から、自己の感性で一つ一つ選び出すことは面倒でもあり、また何と楽しい仕事でしょうか。芥川は、選択作品について、しばしば作家たちと手紙で意見を交換し合いながら、しかしたいていは自分の意見を通しています。

 さて、収録された148篇の作品を鳥瞰してみると、不思議なことに芥川のどんな作品にも増して彼の文学の基調をなすイメージが窺えるようです。それは、異界への憧憬、過去への郷愁です。収録作品の中から、いわゆる珠玉の幾編かを見ていきましょう。

 

 第一集には粒ぞろいの名品が揃っています。まず、谷崎精二の『朝の散歩』。主人公は、病み上がりの朝に珍しく早起きし、朝飯の食べられるところを探して神楽坂近辺を散歩します。店を開けたばかりの食堂で腹を満たすと、今度はなぜか子供時代を過ごした神田の町へ行ってみたくなり、乗りなれない早朝の混みあった通勤電車(市電)に乗ります。懐かしい界隈を歩くと、かつて住んでいた古い家がありました。見知らぬ人が住んでいるようで、奥をのぞいても人影はありません。彼は、その当時零落しかかった父親を、元気で美しかった母親を、そしてお下げに結って黄色い草履袋を提げた小学校に通う妹を思い浮かべました。

 その四つ角には、彼の家が電話を借りていた酒屋があり、そこの気立ての良い息子とは知り合いでした。しかし、その息子は継母に疎んじられ、轢死してしまうのです。彼の家のちょうど裏側の裕福な大きな家には、16,7になる美しい娘がいて、日本橋の師匠の家へ清元を習いに行っていたのですが、ある日、橋の上で鋼材を曳いていた馬が暴れ出し、荷車から落ちた鋼材に胸を打たれて即死してしまいます。庭に運ばれてきた無残な遺体、狂ったように嘆く父親、頭を地べたにこすりつけて謝る馬子夫婦。思い出の糸を手繰りよせると、彼の目頭には涙がにじんできます。記憶が彼自身の家へ向けられ、窮迫のため薬も買えずに難病で死んでいった最愛の妹、そして同じように悶え苦しんで死んでいった母親のことも。「・・・・廣い東京の此の小さな街の一家にさへ、どれだけ人々の悲しい,傷ましい記憶が残って居る事であらう」と彼は考えます。思いがけずに朝早く起きてしまったことが、普段の光景を新鮮な目で見させ、思いがけずに彼を深い追憶の世界へ誘うのです。谷崎精二は、人も知る大谷崎の弟ですが、兄に比べ、今ではその著作を読むことさえ容易ではありません。

 

 第一集では、他に、久米正雄『競漕』、宇野浩二『父の記憶』がまさに大正文学の名品といえるものですが、私に忘れられない印象を残したのは、山田美妙『嗚呼廣丙號』です。美妙は、明治三十年、京都を旅行中に海軍少尉藤木定吉と知り合い、彼が体験した軍艦廣丙號の沈没事件についての詳細を聞き出します。乗組員170人中37名を失うことになったこの座礁沈没の顛末は、あの映画タイタニックを凌ぐ迫力と臨場感に満ちています。次々と侵されていく防水扉、浸入する海水、海に下ろされる救命用ボート、命を捨てて他を救おうとする水兵たち、それらが事実に徹した禁欲的な筆致で淡々と描かれます。これは、明治期ルポルタージュ文学の傑作であり、とても『夏木立』の軟弱作家美妙の作とは思えません。

 

 第二集は坪内逍遥の翻訳『テンペスト』(抄録)、菊池寛『出世』などが収められていますが、ひとつだけ紹介するとしたら、島崎藤村のわずか七ページの軽妙な小品『トラピスト』でしょう。作者は下町の料理屋に山の手から三人の友人を招いて一夕歓談の場を設けます。普段は物静かな紳士たちも気を許して放談に興じます。その時、作者はある所で聞いたトラピスト修道院のことを思い出すのです。トラピスト修道院は函館から少し離れたところにあります。ここの規則は、無言の行と激しい労働です。ただし、客人が来たときは必ず歓待し共に談笑します。毎日のお勤めは静かな音楽と鐘とともに始まります。僧はフランス人と日本人で、黒と白の地味な衣服しか身につけていません。「そんな生活のどこに生きがいがあるんでしょう!」と友人の奥さんは言うのですが、作者は、自分たちの生活もトラピストの修道僧たちと変わらないのではないかと思われてなりません。沈黙と労働、わずかな音楽、わずかな色彩、しかし、友人と会うときは歓待し、こうして自分を解き放ちます。すると、トラピストというのは、私どもの生活のごく簡単なわかりやすい要約にすぎないのではないか、という気がしてきます。このような柔軟性ある思考が『新生』の作者から出てくることは驚きです。

 

 第三集。ここからは久保田万太郎の自伝的小説『握手』をとりあげましょう。万太郎は、府立中学の三年から四年に上がる時、数学で不合格となり落第しました。彼は数学以外の国漢史などすべて優秀な成績だったのですが、それゆえに数学教師の山崎は彼の怠惰をひどく嫌い、彼を擁護する教師たちの意見を無視して彼を落第させてしまいます。万太郎は憤然としてその中学を去り、慶應中等部の編入試験を受けて、また三年からやり直します。彼にとってこの挫折と転進はどのような意味をもっていたでしょうか。後に慶應には永井荷風が教授として来塾し、ここに文学における三田派が誕生するのですが、万太郎はその中心メンバーとして活躍することになります。さて、物語は落第・退学してから14,5年後、府立中学の同級生が集う飲み会があって、万太郎も誘われて出席します。なぜか、そこに数学教師だった山崎も来ており、同級生たちはここぞとばかり、厳格すぎた山崎の授業を糾弾します。笑って済まそうとする山崎に対して、「先生、ここに先生のおかげで人生を狂わせられた男がいますよ」と旧友が万太郎を指差します。14,5年の間をおいて因縁の師弟は顔を突き合せることになりました。複雑な表情の山崎、しかし、万太郎は万感の思いを込めて握手の手を差し出すのです。

 実はこの中学は府立三中(現両国高校)で、万太郎のすぐ一級下に芥川龍之介がいました。当時三中は、府立一中(現日比谷高校)から分離して三年目で学校全体が進取の気分に満ちて、教師・生徒の意気込みはたいへんなものがありました。芥川自身は、成績きわめて優秀で、無試験で一高に入学するのですが、後に『大道寺信輔の半生』で、この学校に対しておよそ考えられる限りの悪罵を投げつけています。なかんずく、権威を笠に着た教師への憎しみ、軽侮は強く、その気持ちが『握手』の一篇を彼に選ばせたのでしょう。

 

 最後に第五集から、森鴎外の戯曲『仮面』を取り上げましょう。構成も劇的で、内容もかなりの深読みが可能です。主人公の医学博士は、自分の人生のすべてが仮面であったことを告白するのですが、これは龍之介のような人間には身につまされることだったのです。彼は、実母が精神障害に陥った後、叔母の家に預けられ、そこで成長するのですが、自殺に至るまでその仮面を脱ぎ捨てることはできませんでした。彼は、期待されたとおり優等生であり、期待されたとおり立派な家長でした。彼は、鴎外と同じように、緻密に織り上げられたしがらみの網を打ち破ることはできませんでした。彼は遺稿となった『西方の人』の中で、イエスの天才的利己主義への共感(彼にはついに実現不可能だった)を示しています。


(補遺)芥川の母校、都立両国高校(旧府立三中)には芥川の碑があるそうです。むろん、そこには「この中学は、僕にとって悪夢だった」という『大道寺信輔の半生』のなかの言葉は刻まれていないでしょうが。

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