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2009年2月21日 (土)

ハンス・ケルゼン『プラトニック・ラヴ』

 「偉大な天才の伝記を研究してみればみるほど、彼らの性的異常性が明らかになる」とケルゼンは書いています。「そして、性的に異常だから道徳的に悪い奴だということは全然ないのである」と。

 というのも、天才の強烈な倫理的衝動の源泉は、まさしく「自分の生得の性格は異常なのではないか」という自覚にあるからです。そして、彼らは、その孤立感、劣等感を何らかの形で補償するか、あるいは逆にそれを偉大なる人間ゆえのスティグマ(聖痕)と解そうとします。

 

  国法学の大家であり純粋法学の創唱者ハンス・ケルゼンの『プラトニック・ラヴ』(木鐸社・長尾龍一訳)は20世紀の奇書といってよいでしょう。第一部「愛(エロス)」、第二部「権力(クラトス)」と分かたれたこの書でケルゼンは、人間の情念の奥深いところにあるエロスが、なにゆえに、一つの権力意志に、人を支配しようとする意志に変性していくかを分析していきます

 

 プラトンの作品を支える強力な情熱、それを克服しようとする努力、この絶えず抗争する悲劇的二元性は、プラトン的エロスから発生しています。そして、このエロスとはパイデラステイア(少年寵愛)以外の何ものでもなかったのです。少年愛はアテナイ社会においては普通の愉しみであったという俗説とは反対に、ソフィストたち、劇作家エウリピデス、アリストファネス、哲学者アリストテレスほか、ほとんどすべての著作家はこれを非難しています。法的には明文化されていませんが、(少年を金銭で買うことは禁じられていましたが)社会が抑圧的態度で臨んでいたことは事実のようです。もともと、少年愛はそれを許容していたドーリア文化圏の影響で、アテナイの貴族階級の間で主に見られたのですが、まさにそれゆえに、一般人の間では禁忌の対象とされていたのです。(中下層階級の両親が子供に上層階級の堕落したモラルを真似しないよう厳しく禁ずることはよくあることです)

 「痩せても枯れてもアテナイである。まだ解体もしていないし、自暴自棄にもなっていない。こんな社会が同性愛の流行を黙過するなどということがありえようか。同性愛は、これが一般化するならば、自己増殖の停止、社会的死、集団の死滅をもたらすものである。なお生命力を保っている国民の中に同性愛が入りこみ、繁殖しようとするならば、自己保存本能としてこれを反自然的なものと感じ、罪悪の刻印を押すはずである」

 

 プラトン時代のある著作家はつぎのように書いています。

 「男と男、女と女の間の恋は、個人にとっても国家にとっても、あらゆる災いの源泉である。獣がそういうことをしないのは、それらが反自然的だからである。(少年愛に固執する者は)故意に人類の死滅を計るものであり、根を下ろさず実もむすばぬ岩や石の上に種をまくようなものである」

 

 この文章を書いたのは誰なのか。驚くことに、これはプラトン自身の『ノモイ(法律)』の一節なのです。しかし、これは80歳のプラトン、すでにエロスが枯れ果て、性欲が「あらゆる災いの源泉」として記憶にとどまっているにすぎない老人の筆になったものなのです。『ノモイ』が他のプラトン作品とくらべ、エロスにたいする態度に正反対の理解が示されているという事実の解明はまだ完全になされていません。しかし、ケルゼンは、この『ノモイ』の一節の行間に感じとれるのは、プラトンがその青年時代にいかにこのエロスに悩んだか、いかに自らの性的特性の非社会性を自覚していたか、そしてその衝動の充足の放棄を倫理的理念として自らに課すことにいかに峻烈であったか、ということにほかならないと書いています。

 

 ところで、なぜ、プラトンはこれほどにエロスの問題で悩まねばならなかったのか。ソクラテスはむろん、ソフォクレスやアイスキュロスも少年愛に好意的ですし、そこには別に暗い影はありません。ところが、彼らは(ソロンもそうだといわれていますが)妻子を持ち、通常に家庭生活を営んでいる大人でした。彼らの少年愛は、国家のために有為の子孫を残すという市民の努めを果たした後にたしなまれる、いわば許容される慰みだったのです。しかし、真性ホモであるプラトンは、女性を見て性的興奮を覚えることはもちろん、それに近づくことさえできなかったようです。

彼の人生には女性が(それから生れたという以外は)まったく意味をもたなかったことは確からしく、実際、彼は女性のことを知ろうともしなかったし、事実何も知らなかったといってよいのです。

『ポリティア(国家)』で、幼児は出産されるや母親の手を離されて協同の場で育てられるのですが、母性というものについての無知は隠しようもありません。『ポリティコス(政治家)』では、生殖によって子供が誕生する時代は神に見放された時代、とプラトンは書いています。神が舵をとる理想の時代には、人間は母胎から生まれ老いて死ぬのでなく、大地から老人として生まれ、次第に若くなり、最後は種子となって大地に消え失せるのです。生殖の必要のないこの楽園には女性がいないとは明言されていませんが、それは言うまでもないからです。

 

 プラトンのこのような性向は、同じ少年愛者のグループの中でも、彼を孤立させる原因になったようです。同じ貴族階級の同じような青年の間では、少年愛は性欲の倒錯ではなくむしろ性を豊かにするものであり、そこには両性具有の持つ美への憧れさえありました。だが、プラトンにとって、エロスは桎梏であり、恥ずべきものでした。尊敬する政治家クリティアスを叔父に持つプラトンは、自分がアテナイ社会の正義の外に立つ人間であることを深く自覚したに相違ありません。エロス賛美の書である『パイドロス』の中においてさえ、愛の歓びよりも、自己に恥じ、自己を裁き、不幸な運命に悩むエロスの苦痛の声が響いている、とケルゼンは書いています。

 

そして、ここに生涯の師、ソクラテスが登場するのです。

  ソクラテスは特異な人物で、当時の上流階級の青年たちのカリスマでした。彼の目的は、若い男たちとつきあうためであった、とも考えられますが、彼は実に巧みな手段でそれを行いました。ソクラテスは彫刻家の父と助産婦の母の間に、つまり中産階級の市民の家に生まれたといわれています。当時のアテナイ中小市民階級のモラルは同性愛者に対して厳しく、ソクラテスはそれが許される貴族階級の青年たちのサークルに近づくことを考えました。彼は、そこで、青年たちの後を追い回すのでなく、逆に青年たちの憧れの的となりました。

 これは不思議なことで、というのもこの容貌魁偉な男は、ソフィストの一員でありながら、科学、弁論、政治など役立つ知識を何一つとして教えなかったからです。彼が教えたことといえば、対話を通して、自分たちが何も知らないということを合理的に論証しただけでした。彼は、美少年たちに彼らが無知であることを自覚させました。恋の手管でこれほど巧妙な手法はありません。『饗宴』でアルキビアデスは、ソクラテスを「美しい人を見ると、まず間違いなく恋してしまい、四六時中その人のことを心にかけ夢中になる、ところが、その人に接すると空とぼけ、ふざけている」と説明しています。「色事の知者(無知を標榜するソクラテスが自分を知者だというのはこの点についてだけです)は、愛人を手に入れる前から褒めたりしないものだ」とソクラテス自身も言っています。青年たちは、自惚れの一方で自分を根底から否定しその無知を知らしめてくれる人間を求めます。堕落の歓びと同時に精神を高めてくれる教師が欲しいのです。名高い美青年のアルキビアデスでさえ、ソクラテスの前で恥ずかしいと思うようになり、誰からも受けたことのないような隷属状態に落ちたことを告白するのです。

 

ところで、こういう手法は、戦前から、見てくれの悪い左翼の活動家や前衛劇団の指導者、新興宗教の教祖たちが、自惚れて育った未熟な女性たちを籠絡するのに使うものでしたが、もちろん、人間の深さの点でソクラテスには及びもつきません。彼が立ち回っていたのは、盛時のアテナイ、洗練の極みにあった文化で育った青年の集う貴族社会です。彼らはソフィストたちの合理的相対主義に飽き足らず、精神を陶冶する何ものかを常に求めていました。そこに、ソクラテスは、真実を装ったものの仮面を剥ぐ確乎たる倫理的態度を教えたのです。彼が貴族社会の寵児になったのも当然でした。

 

というのも、青年たちを深く魅了する人間は必ずその倫理において際立っているからです。若者は多かれ少なかれ、自分を孤立し、自分を特異な存在と思う時期を持つもので、そのときに毅然たるモラルの教師に会うと、その教師の存在それ自身が彼に倫理的正当化を与えるからです。彼らは若者に、「きみだって生きる価値があるんだ」とか、「いや、きみこそ選ばれた人間なんだ」「まちがっているのは、きみでなくて、きみをとりまく社会なんだ」と教えるのです。

 

ソクラテスの倫理はその人間そのものといってよいでしょう。彼は、青年を惹きつけながら、まったく貞潔を守っていたのです。 「プラトンをソクラテスに結びつけたのはまさにこの点であった。この危険な愛にこよなく精通しているこの人物、自らの醜い容貌にも拘らず、最高の美少年の愛を獲得する達人であったこの人物は、しかし、肉欲からは純潔で、それに打ち負かされることは決してなく、一切の情事を脱却していた」

まことに不思議な人物です。アルキビアデスがソクラテスを誘惑しようとした様々な努力もすべて失敗に終わり、しかし、ついにソクラテスを自分の家に泊まらせることに成功します。ところが、「神かけて誓ってもよいが、ソクラテスと同じ外套にくるまって寝たときでも、父や兄とともに寝たときと同じであった」と、アルキビアデスは証言しています。

シリアの人相家ゾピュロスがソクラテスの人相を見て「この人は肉慾の強い人だ」といった時、弟子たちがこれに抗議すると、ソクラテスは「その通りなんだよ。ただ、わしはこの欲望にうちかっているのさ」と答えたということです。

 

ここに、ソクラテスの秘密があるようです。この人物のほんとうの目的は若者とつきあうためではなく、彼らを支配することだったのではないでしょうか。盲目的崇拝者たちに取り囲まれる快感、それは表向きは教育の仮面を被ってはいますが、教育者に多かれ少なかれ見られる矮小化された権力意志がそこにはみられるのです。

ソクラテスは、アテナイの狭いサークルの中でその権力を発揮するのに満足していたようですが、ソクラテスよりも遥かにスケールの大きな人物であったプラトン、さらに強いエロスの情熱を持っていたプラトンにとってはそうはいきませんでした。ソクラテスの死後、彼は教育者よりも国家の指導者になることを希求します。

 

しかし、もちろん、その望みはかなわず、彼が創設したアカデメイアは政治に与れなかったプラトンの次善の策でした。(後日、アカデメイアはシチリアのクーデターに参加することになります)彼は、こうして弟子を養成しながら、刑死したソクラテスの仇を討つべく、次々と著作を発表していきます。『ゴルギアス』『パイドン』では、エロスは否定すべきものであり、魂は肉体の牢獄に閉じ込められている、というまさに「プラトニックな」エロス観が披瀝されます。しかし、この否定的世界観は『饗宴』『パイドロス』で大きく変貌します。エロスはもはや否定すべきものではなく、精神と肉体、イデアと現実界を結ぶものとなります。あれほど苦しんだ少年愛は、ここではイデアの世界を見るための準備となり、美少年を観賞することはイデアの片鱗を人に感じさせるのです。否、エロスはさらに積極的意味をもち、人間最高の感覚、天上に連なる階(きざはし)さえ与えると説明されます。ここで語られるエロスはむろん少年愛のことで、男女の性愛など考慮すらされません。男女の性交渉は肉体の子供を産むが、少年愛は精神の子供、より高貴な芸術作品や偉大な行為を生むというのです。偉人の碑が建てられることがあっても、子供を産んだ母親の像が建てられたためしはない、とプラトンは書いています。こうして、彼はアテナイ社会に復讐を果たしたのです。

 

『ポリティア』や『法律』で描かれる理想国家は、まず最悪の国家といえましょう。哲人王であれ誰であれ、独裁権力は必ず腐敗します。といって、民主主義に帰着してしまうのは安直な道でしょう。ケルゼンが、デモクラシーについての本で書いているとおり、イエスとソクラテスを刑死させたのは多数決による決定でした。人が、自らの内なる僭主(プラトンは自分のエロスをそう言っています)と和解できないかぎり、エロスは人による人の支配へと絶えず駆り立てずにおかないのです。

 

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2009年2月 6日 (金)

シクロフスキー『革命のペテルブルク』(3)

『革命のペテルブルク』(1)(2)で書けなかったロシア・フォルマリスムについて補遺の形で紹介しておきましょう。

 

ロシア・フォルマリスムというと、すぐに『異化』という言葉が頭に浮かびます。これは、私たちが、日常、見慣れたものとして使っている言葉・事物を奇異なものと思わせることによって、生の感覚を回復し、事物を事物として意識させることを目的としたものです。しかし、ここで、私は、シクロフスキー『散文の理論』(せりか書房・水野忠夫訳)の最終章「《主題》をはなれた文学」にもとづいて、別の角度からこの理論を見ていきたいと思います。

 

「文学作品は、滑稽なものであれ、悲劇的なものであれ、宇宙的なものであれ、部屋のなかで事件を描いたものであれ、世界に世界を、あるいは猫を石に対置するようなものであれ、それらのあいだにはいかなる優劣もなく、すべて等価である」

 

文学作品はすべて等価である、これこそフォルマリスムの本質といえるでしょう。それは、言語という面から見ると、フランス語のような「大」言語もインディアンの諸言語もまったくの等価であり、民族という観点から見ると、アフリカの「後進的」な部族も西欧の「先進的な」国民と等価であるのとよく似ています。レヴィ=ストロースは、アフリカの諸部族と西欧の諸国民との差は、ただ「冷たい」か「熱い」かの差しかないのだと言っています。「伝統」とか「進歩」とか「歴史」とかの観念は民族や言語にすべりこんで来た西欧の身勝手な価値観にすぎないというわけです。

 

「ここから芸術は無害で、それ自身完結していて、かつ絶対的なものではないという性格が生れてくる」

これは、それまでの文学理論からの訣別宣言です。

文学を一つの形式として、方法の総和として見ること、それは文学作品を(未完成のものも)を一つの完成した構築物と見ることです。形式としてめざましいものは活き活きとした「熱い」作品であり、そうでないものは「冷たい」作品といえるでしょう。

 

「芸術作品は構造としての魂、質量にたいする幾何学的な関係としての魂を所有している。芸術作品のための素材も、形式上の特徴に従って選択される。選択されるのは、意味をもち、感覚を刺激するものである。いかなる時代も、すでに使い古されたためにいまや選択することを禁じられているテーマの索引、一覧表をそれぞれ持っている」

 

たとえば、トルストイは、ロマンチックなコーカサスや月の光について書くことを自らに禁じ、チェーホフは、『小説のなかで、いちばん多く出くわすのは何か』という青年時代の作品のなかで、金持ちの叔父さん、状況によって左右される自由主義者、などを挙げています。

むろん、月並な文句のもつ制約性を強調することによって、月並な文句をかえって新しくする可能性もないわけではありません。しかし、月並なものと格闘してそれに打ち勝つことはきわめてまれにしかなく、シクロフスキーはハイネの次のような詩句を例外として挙げています。

 

 バラ! ユリ! ハト! 太陽!

 昔はそれらにうっとりした

 

 月並な文句を回避する努力は、また、日常の生活を活き活きと維持しようとする努力でもあります。妻へあてたトルストイの書簡を見てみましょう。

 

「子供部屋で、衝立のかげで、灰色のマントのなかで、きみに接吻しよう」(186411291日)

「きみは床(ゆか)の上で寝ていると言ってわたしをひどくびっくりさせたけれど、リュボーフィ・アレクスも、そんなふうにして寝ていたという話でしたので、わたしにも理解できました。彼女の真似をするようなきみが、好きでもあり、嫌いでもあります。二日たったら、油布を敷いた子供部屋の床の上で、すらりとして、敏捷で、やさしいわたしの妻であるきみを抱擁しよう」(19641016日)

 

しかし、時は経ち、トルストイの素材と方法は使い古され、ありきたりの文句となってしまうと、夫婦の愛は自然と摩滅し、慣れすぎた間で起こる事態が起こり、ローザノフの言葉で言えば、「愛の最後の希望である裏切り」に転化するのです。

 

文学というものは、常に古びた形式を破り、新しい形式を獲得しようとする努力でもあります。枠づけられた物語がほとんど皆無であるトルストイの『戦争と平和』やスターンの『トリストラム・シャンディ』はまさしく長編小説の法則を犯しているという一点において、長編小説と名づけられるのです。

そして、シクロフスキーは、「文学から立ち去ろう、言葉なしに形式なしに語ろう」と決意したローザノフの二つのアフォリズムの作品『隠遁者』『落葉』について紹介していますが、そのことがこのシクロフスキーの評論をきわめて注目すべきものにしています。

 

ヴァシーリー・ローザノフ(1856-1919)のそれらの作品は既成のジャンルに徹底した反逆を試みています。その中には、社会評論、文学論、自伝、詩、生活のさまざまな断面、写真、友人の手紙の長い引用すらも収められています。

たとえば、ローザノフは「台所」というテーマを文学に導入しました。かつて、『若きウェルテルの悩み』の中のロッテがパンを切る場面のように、台所が小説の印象的な要素をなすこともありましたが、台所そのもの、その匂い、などは文学には存在していなかった、とシクロフスキーは書いています。

 

「わたしの台所の家計簿は、ツルゲーネフがヴィアルドに宛てた手紙に匹敵する。これは、別のものだが、これは世界の軸のようなもので、本質的には、詩のようなものなのだ。

どれほどの努力を必要としたことか! 倹約であること! 《限界》を越えてはならぬという恐怖! そして、無事に帳尻があったときの満足!」(『落葉』)

「お茶が好きだ、巻きたばこ(の破れたところ)につぎを当てるのが好きだ。自分の妻、自分の庭が好きだ」(同)

 

 甘い追憶の動機づけをもったものもあります。

 

 「それでもやはり、たばこを吸いかけたまま、わたしは捨ててしまう。いつでもというわけではないが、一本のたばこの半分も吸えば、投げ捨ててしまう」「もっとうまく利用すべきだ(たばこの吸殻をふたたび役立てること)」「ところで、一年に二千ルーブル稼いでも、それでももちろん、じゅうぶんというわけではない。どうしてか?両手にしみこんでしまった昔からの汚れ、そしてきっと子供のころの古い記憶によるのだろう。どうして、こんなにも自分の幼年時代を愛しているのか? 自分の虐げられ、辱められた幼年時代を」(『落葉』)

 

ローザノフの魂は新しいテーマを探していました。そして、彼はテーマを発見したのですが、それは、平凡なこと、家庭、そして個人生活の賛美だったのです。彼は、それらに栄光と称賛を与えますが、「わたしの家庭事情は、わたしにしか関係がない」という告白どおり、そこにはどんなメッセージもこめられていないように見えます。確かに何のメッセージも、予言もこめられてはいません。そして、なにも伝えないということ、これがローザノフの方法なのです。彼は告白するのでなく、「告白」という形式を選択したにすぎません。

ローザノフは自分自身について語ります。

 

「目を剥き出し、舌舐めずりしている、それがわたしだ。醜いだろうか? それも仕方のないことだ」

「これは太陽に戯れているもの、糞尿に充たされた水槽のなかに入れられた金魚だ。そして、わたしは息がつまりそうになっている。いかにも真実らしくない。しかし、そのとおりなのだ」

「廊下の通風穴は、さほど荒々しくはなかったとはいえ、うんざりするほど執拗に、ひゅうひゅうと唸りつづけ、わたしは泣き出さんばかりだった。

その唸りを聞くためにでもわたしは生きていたい、だが大事なことは友もまた生きねばならぬということ。それから、思う、彼(友)はあの世で、通風孔の音をもはや聞けないのではないか。それから、不死への渇望にかられ、わたしは、床にうずくまんばかりにして、髪の毛をつかんだ」(『隠遁者』)

「自己を実現することにたいするいかなる興味もなく、あらゆる外部のエネルギーも《生活への意志》も存在しない。わたしはもっとも非現実的な人間である」(『落葉』)

 

間に挿入されている写真には書き込みがなされています。

「ママとターニャ(膝立ちになっている)、セント・ペテルブルグ(ペテルブルグ地区)パヴロフスク横町の家の前の庭で、隣に並んでいるのは隣家の二エスヴェテヴィチ少年。エフィモフの持家の二号」

警察の事件調書のような正確な住居表示と表現の記録性、それもまた文体上の方法の一つです。だから、これを彼の家庭の正直な披瀝と理解する理由はまったくありません。

 

日常のひとつの出来事も、正確に伝えるのはきわめて困難です。

 

「なにも与えるものがなく、そして心のなかには悲しみがある。贈物さえも与えられないとしたら(キエフ駅にいる少女に、キャップのついた鉛筆でも贈りたかったが、ぐずぐずしていると、少女は老婆といっしょに立ち去ってしまった)。だが、その少女は引き返して来たので、わたしは鉛筆をあげたが、彼女は一度もこちらの顔を見ようともせず、『すばらしい』と身ぶりで説明できただけだった。彼女もわたしも、なんと嬉しかったことか」(『隠遁者』)

 

これらの記述を通して浮かんでくることは、ローザノフにとって疑う余地のない唯一のこと、唯一の望みは、「書くこと」であった、ということです。

 

「わたしの魂のあらゆる動きは、口に出して物を言うという行為をともなっている。そして、口に出して言ったいっさいのことを、必ず書きとめておきたいと望んでいる。これは本能だ。文学とは、そのような本能から生れたのではなかろうか」(『落葉』)

「もちろん、まだ手本はなかった。涙が流れ、魂がはり裂けるまさにその瞬間に、わたしは聞き誤ることのない耳で、それらが文学的に、音楽的に流れ、『せめて書きとめておけ』というのを感じるために、この宇宙のなかで、手本どおりにくり返すなんて考えられなかったので、それだけの理由で、わたしは書きはじめたのだ」(『隠遁者』)

 

ローザノフにとって、それが書かれた場所、あるいは思考された状況もまた重要な事柄です。なぜなら、強烈に対比されたその事柄は彼の文学的方法の真髄ともいえるからです。

いくつかの断片は水洗便所のなかで書かれ、淫売についての思考は友人の葬儀の参列中に浮かんだもので、ゴーゴリについてのエッセイは、腹が痛くなったとき、庭のなかで考えられたものです。また、多くの断片は辻馬車のなかで書かれました。

 

「わたしの頭に浮かんできた場所と状況は、『かつて感覚のなかに存在しなかったものは、知性のなかにも存在しない』という感覚論の基本的理念を否定することによって(絶対に正確に)すべて指摘できる。この理念に反して、わたしはこれまでの全生涯、《知性における》出来事が《感覚》との完全な断絶のなかにあることを観察しつづけてきた。、、、実際、精神生活は自立したべつの河床を持っているが、もっとも重要なことは、異なった源泉、異なった動機を持っているということである。

いったいどこから来るのか。

神と出生に由来するのだ。

内面生活と外部の生活の不一致は、もちろん、だれでも知っていることだが、結局わたしの場合、ごく早い時期(十三ないし十四歳のとき)から、この不一致はきわめて驚嘆すべきもので、(そしてしばしば、《勤務》や《労働》のように辛いもので、深刻な悪影響を与え、破壊的なもので)あったので、わたしはこの現象、、、をすべて書きとめた」(『落葉』)

 

ローザノフの方法は、視点の交替、事物の新たな呈示のほかに、話の進展のでたらめさがあるでしょう。それぞれの話の部分のつながりに必然性はなく、それらを結合する動機づけも欠いています。(レーミゾフのように夢による動機づけさえありません)。シクロフスキーは、『隠遁者』と『落葉』は、動機づけをもたない長編小説とみなすことができる、と言っています。その特徴は、テーマの神聖化であり、剥き出しにされた方法である、と。

 

「ローザノフは新しいテーマを導入した。なぜ彼はそれらを導入したのか。彼が天才であったとはいえ、特殊な人間であったからではない。新しい形式の自己形成の弁証法的な法則と、新しい素材の導入の法則とが形式の死に臨んで空虚しか残さなかったからだ。芸術家の魂は新しいテーマを探求していたのである」

 

ローザノフの作品について何かを書くためには、その魂の内面的遍路や、その時代が彼に課した文学的使命などを考察してもあまり役に立ちそうにありません。彼は、まとまった物語形式で書くことができず、圧迫された魂は一見破綻した形式をとらざるを得なかったのです。その形式こそが彼の文学的方法であり、その方法でのみ彼は精神の震えを、魂の感動を表現することができたのです。

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