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2008年12月 9日 (火)

ノーソフ『ヴィーチャと学校友だち』

 映画『ALWAYS続三丁目の夕日』がテレビ放映されたので夫婦で見ました。世代の違う妻にはあまりピンとくる時代風俗ではないのですが、私自身はその映画に出てくる小学生に在りし日の自分を重ね合わせ感慨深いものがありました。映画自体はとてもよく作ってあって、とくに自動車修理店を映画の中心においたことには感心しました。というのも、あの時代に一番勢いがあって羽振りがよかったのが自動車修理屋だったからです。たいていは、親父が自転車屋をやる傍ら息子が単車や車の修理を始め、折からの車の大衆化の波に乗って繁盛していったものです。また、堀北真希演じる東北から上京して住み込みで働く少女たちも、あの頃の風景には欠かせません。私の実家は、東京の下町、明治通りに面した商店街にあったのですが、近くには小さな縫製屋やメリヤス工場があって、そこで働く娘たちの部屋には、平凡や明星から切り抜いたスターの写真が貼ってあったりしました。

 むろん、この映画はひとつのお伽話にすぎません。こぎれいな映画の情景に比べて、昭和30年の街路はまだ汲み取り桶を積んだリヤカーを引いた人が通りを過ぎていき、大きな屑籠を背負った人が私の家の木製のゴミ箱から紙くずを取り込んでいきました。ぼろぼろの衣服を着た「乞食」が家の玄関に現れると、母は急いで台所に走り、おにぎりを握ると新聞紙にくるんで渡していました。暑い日にはゴミ箱に蛆がわき、大きな蠅がわがもの顔に飛んでいましたが、そのような鬱陶しさはこの映画からは窺うすべもありません。

 

 しかし、この映画の本当にありえない設定は近所の人たちの人情の美しさです。誰もが他人の幸せを願い、人は貧しくあればあるだけ美しいということは(むろん、それが悪いということではありませんが)現実にはとうてい目にしがたいことでしょう。私的な経験を普遍化するのは無理があるとしても、私が目にしたあの時代の東京の下町の近隣住民のほとんどは冷酷で自分のことしか考えない人間たちであったと思います。絶えず人の悪口を言い、自分が世界で一番正しいと信じている、まるでゴーリキーの『世の中に出て』で描かれる住民たちのように暗い、重たい嫉妬の怨念を宿していたように思われます。

 さらに、昔の東京下町というものは厳然とした階級社会でもありました。上は大工場の経営者から、鉄板や材木販売の大店、洋服縫製の家内工業、会社員、公務員、職人、商店から、下は廃品を集める人たちまで、住民も子供も序列化されて、だいたい着ている衣服でその階級がわかります。現在のように、ほとんどの人たちが携帯電話を持ち、大学へ行き、車や一軒家やマンションも持つという時代など当時では考えられないことでしょう。

 

 ところで、今日は『ヴィーチャと学校友だち』(岩波少年文庫・ノーソフ作・福井研介訳)について書くのですが、この訳書は1954年に出て、現在でも版を重ねています。私が小学生の頃、10歳上の長兄は大学の帰りによく神保町で岩波少年文庫の古本を買ってきてくれたのですが、それが私の生涯の読書好きの基となりました。『ドリトル先生』『アンデルセン童話』『水滸伝』『シャーロック・ホームズの冒険』など愛読したものはたくさんあります。先日、近くの図書館の児童室で懐かしい二冊の本、『ヴィーチャと学校友だち』と『ゆかいなホーマーくん』(岩波少年文庫・マックロスキー・石井桃子訳)を借り出してきて読み返してみました。この二冊とも、子供の頃に何度も何度も読んで挿絵まで全部覚えている本なのですが、おそらく、今の私が『続三丁目の夕日』を観て心を暖めていると同じ心持を、これらの本は子供の私に与えてくれたのだと思います。そこに描かれているのは子供にとって心安らぐ世界、穏やかで、のんびりとした世界だからでしょう。

 

 ヴィーチャはロシア(当時はソ連)の郊外の町に住む四年生で、全く算数ができません。二年生で覚える九九さえもまだ暗記していないので、いつも先生や両親に怒られています。自分では勉強しなければいけないと思っているのに、まず遊ぶことを考えてしまって、遊びつかれたあとは眠くなっていつも勉強どころではありません。ヴィーチャのクラスの他の生徒たちは協同してクラスでできない子を失くそうとしているのですが、そんな雰囲気の中、ヴィーチャはしだいに孤立していきます。そこに遠くの町から、シーシキンという転校生がやってきます。シーシキンは国語の文法が苦手なうえに、ヴィーチャに輪をかけて勉強嫌いです。二人は仲良くなり、教室で先生に指された時もこっそり教えあったり、放課後は暗くなるまでフットボールをして遊んでいます。学級の壁新聞では二人の怠惰ぶりが絵入りで糾弾されますが、二人は意に介しません。とうとう、ヴィーチャとシーシキンはそれぞれ算数と国語で2をとってしまいます。「クラスから3をなくそう」運動をすすめてきた他の生徒たちはあきれて、二人に監視役をつけて勉強させようとします。コムソモール(青年団)の一員でピオネール(少年団)の指導者であるヴォロージャも二人に優しくがんばるように励まします。学級担任のオリガーエヴナ先生は、国家が子供たちの教育にどれだけ犠牲をはらっているかを説明し、二人に勉強に精出すように諭します。何度も挫折した後で、ついに二人は算数と国語で4をとるのです。

 

 こんな風にあらすじを読むと、ソ連に(あるいは日本の小学校の教科書に)ありきたりの少年物語のように見えますが、読むにつれてどんどん引き込まれる面白さがこの本にはあります。いかにも、という児童文学にありがちの純真さを過度に尊ぶ心がここにはありません。それは作者が純真な心を持っていて、ヴィーチャやシーシキンという少年造形に自分の全体重をかけているからに他なりません。ロシアにはしばしば、イギリスや他の欧州諸国に見られない、洗練とはほど遠い、その荒削りな純粋さで心を打つものが現れるようです。あの優しい人形映画『チェブラーシカ』や『ミトン』のことを思い出してください。

 

もちろん、『ヴィーチャと学校友だち』の裏側には、ソ連の閉塞された政治風景が垣間見えます。(この本は1951年に発表されて、その年の最優秀国家賞(スターリン賞)を得ています)。スターリニズムは1500万人に達するかもしれない粛清による犠牲者を産み出しましたが、またソ連の国の姿も大きく変えていきました。最も顕著な変化は農業国から工業国への決定的転換による工業労働者あるいは技能労働者の増加でしょう。ヴィーチャの住む郊外の町の建物はみな四、五階建ての労働者住宅になっていて、ヴィーチャの父親は鋳物の木型のデザインをしています。シーシキンの家はその町には珍しい木造のアパートですが、それはシーシキンの父が戦争で死に、母親が運転手という単純労働をしているからでしょう。1919年のブハーリンとプレオブレジェンスキーの『共産主義のABC』には、まだ国家の消滅、労働の桎梏からの解放という共産主義の理想が生きていました。しかし、1930年代初めからすでに密告、粛清、自己検閲の暗い時代が始まります。『ヴィーチャと学校友だち』は最悪の社会から生れた最良の児童文学の一つです。こういう社会ではすべてが政治に収斂されてきますが、それゆえに集団に解消しえない個の心の揺らめきはいっそう際立つのです。いくつかの忘れがたいエピソードの中から、シーシキンの飼い犬の話を紹介しましょう。

 

シーシキンは教師や親に何度も怒られても、なかなか勉強する気になりませんでした。というのも、シーシキンは大の動物好きで、家にはカメやテンジクネズミやハツカネズミやシロネズミなどがいて(ハリネズミは三匹も飼っています)、いざ、勉強を始めようとすると、カメに餌をやらなければとか、ハリネズミに水をあげてからとか、テンジクネズミに籠を作ってやらなければと忙しくて勉強に集中できないからです。実際、動物たちはしょっちゅう病気になっていました。しかし、シーシキンが国語で2をとったとき、母親は堪忍袋の緒が切れて、とうとうシーシキンに生き物を全部処分するよう言い渡しました。シーシキンは涙を浮かべながらクラスの子供たちにハリネズミやハツカネズミを一匹一匹持っていって飼ってくれるよう頼みました。ヴィーチャのところにもハリネズミを持ってきたのですが、ヴィーチャの家にはすでにシーシキンからもらったハツカネズミが箪笥を占領しています。それでもヴィーチャはその弱って死にそうなハリネズミをもらいうけました。

ところで、全部の動物を処分しても、シーシキンは犬のローブジクだけはどうしても手放すことはできませんでした。ローブジクはありふれた宿無しの子犬で、シーシキンが拾って育てていたのです。シーシキンはローブジクを母親に内緒で屋根裏部屋に隠していたのですが、屋根裏部屋はひどく寒い上に片側は煙突があってこちらは反対に焼けるように熱いのです、だから、ローブジクは、とくに寒い日には、同時に片側は寒くてぞくぞくし、もう片側はフライパンで焼かれたようにあぶられていました。シーシキンは、ローブジクが凍傷や肺炎にならないだろうか、また煙突で火傷をしないだろうか、といつも心配しなければなりませんでした。ある日、母親が仕事で留守の昼間にローブジクを居間に下ろして遊んでいると、母親が早く帰ってきて、犬を見つけ、「あの犬がまだここにいるの?追い出しなさいって言ったでしょう」と怒りました。シーシキンは泣きながら、ローブジクはひとりぼっちの宿無しなので、この寒い時に外に出したら死んでしまう、今度こそ勉強するから家に置いてくれと母親に頼みます。母親は、シーシキンの必死の訴えに、毎日学校から帰って、日の暮れるまでに全部の学科を勉強するなら犬を飼ってもよいと言ってくれました。

 

ところで、シーシキンはローブジクに芸を教え込もうとしていました。学校のみんなとサーカスを見に行ったとき、その演目の中で、足し算や引き算をする犬を見て、ローブジクにも教えられるかもしれないと思ったのです。それで、勉強が終わったあと、ヴィーチャと二人でローブジクを訓練し始めました。まず数字を書いた紙を見せて、その数字ぶんだけ吠えるよう教えますが、ローブジクはなかなか覚えません。ちょうどその頃、ヴィーチャとシーシキンはクラスで二人だけ2をとったため校長先生によばれました。校長先生は二人を叱らずに、暇な時は何をして遊んでいるのか、と尋ねました。シーシキンが、犬に算数を教えているが全然覚えません,というと、校長先生は、サーカスの犬は計算をしているのではなく、人間がこっそり合図をしているのだと教えてくれました。シーシキンとヴィーチャは家に帰るとさっそくローブジクを訓練してみました。合図によって吠えるのをやめると砂糖を一個与えます。ローブジクは砂糖がほしいのですぐにその合図を覚えました。数日後、シーシキンとヴィーチャは、ローブジクを連れてクラスの友達の家を回りました。ローブジクがニたす三とか、三の二倍とか計算すると、どの家でも驚いて、食べ物をたくさんくれるので、ローブジクはごちそうと砂糖で気分が悪くなりもどしてしまいます。

 

ヴィーチャとシーシキンの二人はローブジクを学芸会に出すことにしました。ヴィーチャの妹のリーカが、二人に金の三角帽を、ローブジクにも金の襟飾りを作ってくれました。学芸会当日、ローブジクはヴィーチャの誘導で足し算や掛け算の問題を次々解いて皆をびっくりさせました。ヴィーチャとシーシキンが得意になっていると、一人の生徒が立ち上がって、こんな問題を出しました。「栓と瓶とで10コペイカします。瓶は栓より8コペイカ高いんです。では、瓶と栓はそれぞれいくらですか?」「では、ローブジク」とヴィーチャが犬に言いました。「ようく考えて、答えなさい」もちろん、考えるのは犬でなくヴィーチャです。栓と瓶あわせて10コペイカだから、栓が2コペイカ、瓶が8コペイカだ、そう考えてヴィーチャはローブジクに答えさせました。すると会場からは不満の声、「その犬、まちがってるよ」と問題を出した生徒も叫びました。「もう少し待ってください」とヴィーチャが会場に向けていいました。「ローブジクが今度は正しい答えを出します」ところが、ヴィーチャはあせっていて、なかなか答えがわかりません。「この、とんま!」とシーシキンが我慢しきれずささやきました。「栓は1コペイカじゃないか!」それで、ようやく誤りに気付いたヴィーチャは、ローブジクに「さあ、ローブジク、栓はいくつかな」ローブジクは一回吠えました。「それではローブジク、瓶はいくつ?」今度はローブジクは九回吠えました。すると会場は拍手の嵐で、「なんて、すばらしい犬だろう、まちがえたけれど、最後は正しい答えをだしたんだ」と叫ぶ声も聞こえました。

 

最後に、もうひとつの児童書『ゆかいなホーマーくん』にも言及しておきましょう。原著は1943年に出版されました。アメリカ郊外の町に住むホーマーくんを中心に、町で起こる突飛な事件が引き起こす町の人々の愉快な行動を生き生きと描いています。この中の、とまらなくなって永遠にドーナツを作り続けるドーナツ製造機のことを覚えている人も多いのではないでしょうか。この本には忘れがたい思い出があります。小学校の時の同級生のOという生徒は体は小さいくせに頭の異常に大きい男の子で、最初は知的な遅れがあるのかと思ったのですがそうでもなくて、なぜか私と気が合って、家によく遊びにきていました。あるとき、私の家で『ゆかいなホーマーくん』を熱心に読んでいるので、貸してやると、数日後、その本を返しにきて、頼むからこの本を売ってくれというのです。ポケットからいくつもの硬貨を出すと、新刊で買う額を超えています。「本屋で買えば」というと、「この本がほしい」というので古本に相応の額で譲ってしまいました。おそらくは彼のほうがその本を所有するのに相応しい人間だったのでしょう。

 

 

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