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2008年12月31日 (水)

ツルゲーネフ『ハムレットとドン・キホーテ』

 年末に入って体調を崩し、欠勤して職場の人たちに迷惑をかけてしまったのですが、それでも、日がな一日、布団の中で猫を抱きながら書物をあれこれ読み散らかすのは病気の時だけに許された楽しみでもあります。敦崇の『北京年中行事記』(岩波文庫・小野勝年訳―新訳は東洋文庫『燕京歳時記』)などをぱらぱら読んでいくと、日本と似たところもある年末年始の風物詩に遠い子供時代の思い出が呼び覚まされてきます。クリスマスの終わる頃から、街の所々に正月の飾り付けを売る小店が姿を現します。町内会の報せが大掃除の日を告げると、その日は家族総出で畳をはがし、天井のすすを払い、神棚を清めます。やがて、職人の人たちが家々の門に竹を立て、松の枝を飾ると、年の瀬の気分はいやがうえにも高まってきます、、、。

 

 ところで、捨てるはずで積んであった本の束から『世界思想教養全集』第九巻「近代の文芸思想」(伊藤整編・河出書房・昭和38年)という古い本を引っ張り出して、その中から寝ながら読めそうな短いもの、ツルゲーネフの『ハムレットとドン・キホーテ』(藤沼貴訳)を読んでみました。これは、ツルゲーネフが1860年に「困窮文学者・学者援護会」での公開講演会でおこなった講演ということです。原稿執筆に三年もかかったそうですが、練りに練った内容はヴァレリーの『精神の政治学』やヴェーバーの『職業としての政治』などの名高い講演に匹敵する豊かさに満ちています。

 

 ハムレットとドン・キホーテは理想に対する二つの異なった態度を示している、とツルゲーネフは書いています。ドン・キホーテはそれを外部に求め、ハムレットはそれを内部に求めます。ドン・キホーテのなかには、エゴイズムの影さえありません。そこにあるのは、信仰です。何か永遠のもの、不動のもの、真理、一言で言えば、個人の外側にあり、容易に個人には与えられず、奉仕と犠牲を要求するけれども、たえまない奉仕と、犠牲の力によって獲得される真理―この真理に対する信仰なのです。「自分のために生きること、自分自身について思いわずらうことを、ドン・キホーテは恥ずかしいと考えたことでしょう。彼はまったく、自分の外側で生きています。彼は全身これ自己犠牲です」。実際はドン・キホーテは貧乏な、ほとんど乞食同然の人間で、財産も縁故もまったく持たず、年寄りで、ひとりぼっちです。しかし、彼は自分の同胞のために、悪の絶滅のために、人間に敵対する力、魔法使いや巨人、つまり抑圧者たちに反抗して戦います。彼はそのために粗衣粗食に甘んじ、夜天で寝ることも厭いません。

 

 熱狂の人ドン・キホーテに対して、ハムレットは懐疑の人です。彼は、自分が何をのぞみ、何のために生きているのかわかりません。それでいながら虚栄心強く、自分自身と自分の生に執着しています。ハムレットは愛しもせず、信じもしません。女性に対する態度、あのドゥルシネーヤに対するドン・キホーテの心持には情欲のかけらすら感じさせませんが、清純なオフィーリヤに対するハムレットの態度には、人間とくに女性の性向をわきまえた皮肉な冷笑が満ちています。魅力といえば、それがハムレットの魅力でもあるのです。優美な物腰、他人に対する完全な優越感、手厳しい自虐さ、偽善への憎しみなどがその憂愁を秘めた表情とともに人を惑わせるのです。ハムレットがすべてを疑うのは、彼自身、世の物事をくわしく知っているからにほかなりません。それに対して、ドン・キホーテは、ほんの少しのことしか知りませんが、多くのことを知る必要はありません。彼は自分のなすべきことを知っており、なぜ自分が地上に生きているか知っています。

 

 それは、まったく同時代に生きた二人の作家の違いを私たちの前に際立たせてくれます。シェークスピアは、世界中のあらゆるところから題材と人物を、まるで鷲が獲物をさらうようにもぎとってきます。空だろうと地上だろうと昔の妖精であろうと。ところが、セルバンテスは、読者の前に、数少ない人物をやさしく連れ出してきます。彼は、自分の身近なものを何とよく知っていることでしょう。シェークスピアという天才は人間に関わりあうすべてのものを支配下におこうとしますが、セルバンテスは、その豊かさを自分の心だけからくみとってきます。その心はすみきっていて、おだやかで、人生経験に富んでいますが(七年間の苦しい捕虜生活も経験しています)そのためにすさんではいません。「セルバンテスは稲妻のようなことばで皆さんをめくるめかすことはないでしょう。また、圧倒的な霊感のすさまじい力で、皆さんを揺り動かすことはないでしょう」。しかし、彼には、また、わざとらしい警句や、不自然な比喩や、嫌味な奇想などは見られません。このことが、つまりは貧乏な一介の老人であるドン・キホーテに抜きがたい貴族性を与えています。反対に、デンマークの王子という上品な育ちにも関わらず、気取ったハムレットはなり上がり者のように見えてしまうのです。

 

 こんな風に書くと、ツルゲーネフはシェークスピアとハムレットを不当に評価しているようにも見えます。しかし、とんでもない、ツルゲーネフは、このハムレットという人物の中に崇高な役割を見出しています。それはシェークスピアという天才だからこそ創りえたことですが、ハムレットは優れた人間を導く教師だというのです。彼とその親友であるホレイショーの関係を見てみましょう。突出したハムレットに対して、ホレイショーは現代でもよく見かけるタイプです。もっともよい意味で、腹心の部下、弟子、のタイプで、禁欲的で一本気の性格と、熱情的な心と、あまり豊かでない知性を持った男ですが、自分の欠点を感じとっていますし、ひかえめです。彼は教訓や説教をむさぼるように求めているので、頭のいいハムレットを崇拝し、誠実な魂の底から、力いっぱいハムレットに打ち込んで、相手から愛されることさえ求めないのです。ホレイショー的人物はハムレット的人物から思想の種を受けとり、それを自分の胸の中で実らせ、やがては、その実を全世界にばらまくのです。それゆえ、ハムレット的人物もホレイショー的人物によって救われ、その苦悩の滴くを無駄に地面に落とすことはないのです。このような関係は、私たちの身の回りに、あるいは私たちの生涯に必ずあることではないでしょうか!

 

 ホレイショーについてのハムレットの次の言葉は、ツルゲーネフによれば、人間の高い尊厳に対するハムレット自身の考え、どんな懐疑にも弱められないハムレットの崇高な希求が示されているということです。ハムレットは次のようにホレイショーに言います。

 「はばかりながら、ハムレット、自分で自分の好き嫌いがわかるようになり、人間の善し悪しの見分けがつくようになってからというもの、ホレイショーこそは心の友と固く思い定めてきたのだ。人生のあらゆる苦労を知っていながら、すこしもそれを顔に出さず、運命の神が邪険にあつかおうと、格別ひいきにしようと、いつもおなじ気もちで受けいれる、そういう男だ、ホレイショーというのは。心臓と頭の働きがほどよく調和している。けっして運命神の指先で手軽にあやつられ、その好きな音色を出す笛にはならない。まことに羨ましい男だ。激情の奴隷とならぬ男がほしい。この胸の底にそっとしまっておきたいのだ。」

 

 ドン・キホーテにも追随者がいます。むろん、サンチョ・パンサですが、ホレイショーがハムレットに啓発され、心酔しているのと違って、サンチョにとってドン・キホーテはほとんど信仰の対象でした。ただし、その信仰は合理主義のフィルターを通っています。

「サンチョ・パンサはドン・キホーテをばかにしており、この男が狂人だということをよく知っています。ところが、その狂人の後についていくために、三度も故郷と、わが家と、妻と、娘をすて、どこまでもその後にしたがい、ありとあらゆる不愉快さをしのび、死ぬまで、この男に一身をささげ、この男を信頼し、誇りに思っています。そして、あわれな病床で、自分の昔の主人が息をひきとるときには、ひざまずいて、声をあげて泣くのです。損得や、個人的な利益目当てでは、この献身の情を説明することはできません。サンチョ・パンサはありあまるほどの常識を持っています。放浪の騎士の家来が期待できるのは、袋だたきぐらいのものだということを、彼はよく知っているのです。」

 

ツルゲーネフは、サンチョ・パンサの献身を大衆の無私無欲の熱狂のゆえであると説明しているのですが、やや曖昧な見解でしょう。私は、ウナムーノ著作集第三巻を隣室の書棚から何とか引っ張り出しました。『生の悲劇的感情』(神吉敬三・佐々木孝訳)と題されたその本の第六章に次のようなことが書かれています。

 『マルコ福音書』第九章で、唖の悪魔にとりつかれた息子を持った男がイエスのもとを訪れます。悪魔が息子にとりつくと、どこであろうが彼をめちゃくちゃにし、口から泡を吹かせ、歯ぎしりをさせ、全身を硬直させるので、治してほしいと連れてきたのです。そのとき、イエスは、奇跡としるし以外には求めようとはしない者たちに心の苛立ちを覚え、「ああ、不信仰な代(よ)だ! 私はいつまでもあなたたちとともにおり、いつまでもあなたたちを忍んでいなければならないのか! その子をここに連れてくるがよい」と叫びました。人々はその子をイエスの前に連れてきました。イエスは、その子が地面をころびまわるのを見て、いつごろからこうなったのか父親にききました。小さい時からです、という父親の返事に対し、イエスは「もしあなたが信ずるならば、信じるものにはすべてが可能である」と言いました。そのとき、そのてんかん性というか、悪魔にとりつかれた息子の父親は、次のような、極めて意味深い、不朽の言葉をもって答えました。「主よ、私は信じます。私の不信仰をお助けください。」

 

 この答えは矛盾しています。信じるのなら不信仰ではありえないからです。しかし、(ウナムーノによれば)その矛盾こそ、この悪魔に取り付かれた子の父親の心の底からの叫びに、最も深く人間的価値を与えるものなのです。彼の信仰は、不確実性に基づいた信仰で、信じるがゆえに、つまり信じたいがゆえに、自分の息子を治す必要があるゆえに、主に対し、自分の不信仰を助けてほしい、そうした治癒が可能であろうかという疑念に対する助力を欲しいと願ったのです。「人間の信仰とはかかるものである」とウナムーノは書いています。「サンチョ・パンサが主であるドン・キホーテに対して抱いた英雄的な信仰とはそういうもの、つまり不確定性、懐疑を基礎とした信仰である」と。

 

 ドン・キホーテの素朴な偉大さは、信念それ自身の誠実さにあります。彼は、ガレー船の罪人たちに打ちのめされても、あるいは豚に踏みにじられても、少しもその理想は損なわれず、その事業の成功を露ほども疑いません。ツルゲーネフは、このような偉大さの例としてシャルル・フーリエの名前を出しています。フーリエは自分の計画を実現するために、百万フラン提供してくれる人はいないかと、新聞でイギリス人に呼びかけ、何年もの間、その奇特なイギリス人に会うために足をはこんだというのです。もちろん、そんなイギリス人が現れたことは一度だってありませんでした。このことを笑う人は多いでしょうが、そこにはサンチョ・パンサのような現実的な人間を付き従わせる引力のようなものがあるようです。

 

 「ハムレットもドン・キホーテも、その死にぎわは感動的です」と最後にツルゲーネフは書いています。ハムレットは死を前にして穏やかになり、ホレイショーに生きるのだぞといいきかせます。そして、あれほど蔑んだ母親を許し、凡てを許そうとしたか、あるいはすべてに許しを請おうとしていたかのようにも見えます。「もう、、、何も言わぬ」これが瀕死の懐疑家の最後の言葉でした。ホレイショーは慟哭します、「ああ、ついに気高い御心の玉の緒も絶えた。お休みなさい、優しき王子よ、舞い上る天使の群れの歌声に乗って永遠(とわ)の安らぎに赴かれんことを!」(野島秀勝訳)

 ドン・キホーテの死はさらに人の心を揺り動かします。サンチョ・パンサが、なぐさめようと思って、もうすぐ二人でまた武者修行に行きましょうね、といいます。すると死のせまった人が答えます。「いや、そんなことはすべて、永遠にすぎさってしまったのだ、そして私はみんなに赦しを乞うているのだ。私はもうドン・キホーテではない、お人よしのアロンゾにかえったのだ、昔、みんなが呼んでいたように、Alonso Bueno (お人よしのアロンゾ)だ」と。

 

 この瞬間に、この人物の偉大な意義が、だれにでも理解されるものになる、とツルゲーネフは書いています。しかし、これは難解で、再びウナムーノの本を開いてみましょう。「ドン・キホーテは、本質的には、絶望した人間であった」と彼は書いています。絶望した人間として生き、希望をもった人間として死んだというのです。しかし、これは、あの不幸なハムレットにもあてはまるのではないでしょうか。

 

(今年も拙ブログを読んでくださった皆様に感謝いたします。皆様にとって2009年が幸多い年でありますように!)

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2008年12月 9日 (火)

ノーソフ『ヴィーチャと学校友だち』

 映画『ALWAYS続三丁目の夕日』がテレビ放映されたので夫婦で見ました。世代の違う妻にはあまりピンとくる時代風俗ではないのですが、私自身はその映画に出てくる小学生に在りし日の自分を重ね合わせ感慨深いものがありました。映画自体はとてもよく作ってあって、とくに自動車修理店を映画の中心においたことには感心しました。というのも、あの時代に一番勢いがあって羽振りがよかったのが自動車修理屋だったからです。たいていは、親父が自転車屋をやる傍ら息子が単車や車の修理を始め、折からの車の大衆化の波に乗って繁盛していったものです。また、堀北真希演じる東北から上京して住み込みで働く少女たちも、あの頃の風景には欠かせません。私の実家は、東京の下町、明治通りに面した商店街にあったのですが、近くには小さな縫製屋やメリヤス工場があって、そこで働く娘たちの部屋には、平凡や明星から切り抜いたスターの写真が貼ってあったりしました。

 むろん、この映画はひとつのお伽話にすぎません。こぎれいな映画の情景に比べて、昭和30年の街路はまだ汲み取り桶を積んだリヤカーを引いた人が通りを過ぎていき、大きな屑籠を背負った人が私の家の木製のゴミ箱から紙くずを取り込んでいきました。ぼろぼろの衣服を着た「乞食」が家の玄関に現れると、母は急いで台所に走り、おにぎりを握ると新聞紙にくるんで渡していました。暑い日にはゴミ箱に蛆がわき、大きな蠅がわがもの顔に飛んでいましたが、そのような鬱陶しさはこの映画からは窺うすべもありません。

 

 しかし、この映画の本当にありえない設定は近所の人たちの人情の美しさです。誰もが他人の幸せを願い、人は貧しくあればあるだけ美しいということは(むろん、それが悪いということではありませんが)現実にはとうてい目にしがたいことでしょう。私的な経験を普遍化するのは無理があるとしても、私が目にしたあの時代の東京の下町の近隣住民のほとんどは冷酷で自分のことしか考えない人間たちであったと思います。絶えず人の悪口を言い、自分が世界で一番正しいと信じている、まるでゴーリキーの『世の中に出て』で描かれる住民たちのように暗い、重たい嫉妬の怨念を宿していたように思われます。

 さらに、昔の東京下町というものは厳然とした階級社会でもありました。上は大工場の経営者から、鉄板や材木販売の大店、洋服縫製の家内工業、会社員、公務員、職人、商店から、下は廃品を集める人たちまで、住民も子供も序列化されて、だいたい着ている衣服でその階級がわかります。現在のように、ほとんどの人たちが携帯電話を持ち、大学へ行き、車や一軒家やマンションも持つという時代など当時では考えられないことでしょう。

 

 ところで、今日は『ヴィーチャと学校友だち』(岩波少年文庫・ノーソフ作・福井研介訳)について書くのですが、この訳書は1954年に出て、現在でも版を重ねています。私が小学生の頃、10歳上の長兄は大学の帰りによく神保町で岩波少年文庫の古本を買ってきてくれたのですが、それが私の生涯の読書好きの基となりました。『ドリトル先生』『アンデルセン童話』『水滸伝』『シャーロック・ホームズの冒険』など愛読したものはたくさんあります。先日、近くの図書館の児童室で懐かしい二冊の本、『ヴィーチャと学校友だち』と『ゆかいなホーマーくん』(岩波少年文庫・マックロスキー・石井桃子訳)を借り出してきて読み返してみました。この二冊とも、子供の頃に何度も何度も読んで挿絵まで全部覚えている本なのですが、おそらく、今の私が『続三丁目の夕日』を観て心を暖めていると同じ心持を、これらの本は子供の私に与えてくれたのだと思います。そこに描かれているのは子供にとって心安らぐ世界、穏やかで、のんびりとした世界だからでしょう。

 

 ヴィーチャはロシア(当時はソ連)の郊外の町に住む四年生で、全く算数ができません。二年生で覚える九九さえもまだ暗記していないので、いつも先生や両親に怒られています。自分では勉強しなければいけないと思っているのに、まず遊ぶことを考えてしまって、遊びつかれたあとは眠くなっていつも勉強どころではありません。ヴィーチャのクラスの他の生徒たちは協同してクラスでできない子を失くそうとしているのですが、そんな雰囲気の中、ヴィーチャはしだいに孤立していきます。そこに遠くの町から、シーシキンという転校生がやってきます。シーシキンは国語の文法が苦手なうえに、ヴィーチャに輪をかけて勉強嫌いです。二人は仲良くなり、教室で先生に指された時もこっそり教えあったり、放課後は暗くなるまでフットボールをして遊んでいます。学級の壁新聞では二人の怠惰ぶりが絵入りで糾弾されますが、二人は意に介しません。とうとう、ヴィーチャとシーシキンはそれぞれ算数と国語で2をとってしまいます。「クラスから3をなくそう」運動をすすめてきた他の生徒たちはあきれて、二人に監視役をつけて勉強させようとします。コムソモール(青年団)の一員でピオネール(少年団)の指導者であるヴォロージャも二人に優しくがんばるように励まします。学級担任のオリガーエヴナ先生は、国家が子供たちの教育にどれだけ犠牲をはらっているかを説明し、二人に勉強に精出すように諭します。何度も挫折した後で、ついに二人は算数と国語で4をとるのです。

 

 こんな風にあらすじを読むと、ソ連に(あるいは日本の小学校の教科書に)ありきたりの少年物語のように見えますが、読むにつれてどんどん引き込まれる面白さがこの本にはあります。いかにも、という児童文学にありがちの純真さを過度に尊ぶ心がここにはありません。それは作者が純真な心を持っていて、ヴィーチャやシーシキンという少年造形に自分の全体重をかけているからに他なりません。ロシアにはしばしば、イギリスや他の欧州諸国に見られない、洗練とはほど遠い、その荒削りな純粋さで心を打つものが現れるようです。あの優しい人形映画『チェブラーシカ』や『ミトン』のことを思い出してください。

 

もちろん、『ヴィーチャと学校友だち』の裏側には、ソ連の閉塞された政治風景が垣間見えます。(この本は1951年に発表されて、その年の最優秀国家賞(スターリン賞)を得ています)。スターリニズムは1500万人に達するかもしれない粛清による犠牲者を産み出しましたが、またソ連の国の姿も大きく変えていきました。最も顕著な変化は農業国から工業国への決定的転換による工業労働者あるいは技能労働者の増加でしょう。ヴィーチャの住む郊外の町の建物はみな四、五階建ての労働者住宅になっていて、ヴィーチャの父親は鋳物の木型のデザインをしています。シーシキンの家はその町には珍しい木造のアパートですが、それはシーシキンの父が戦争で死に、母親が運転手という単純労働をしているからでしょう。1919年のブハーリンとプレオブレジェンスキーの『共産主義のABC』には、まだ国家の消滅、労働の桎梏からの解放という共産主義の理想が生きていました。しかし、1930年代初めからすでに密告、粛清、自己検閲の暗い時代が始まります。『ヴィーチャと学校友だち』は最悪の社会から生れた最良の児童文学の一つです。こういう社会ではすべてが政治に収斂されてきますが、それゆえに集団に解消しえない個の心の揺らめきはいっそう際立つのです。いくつかの忘れがたいエピソードの中から、シーシキンの飼い犬の話を紹介しましょう。

 

シーシキンは教師や親に何度も怒られても、なかなか勉強する気になりませんでした。というのも、シーシキンは大の動物好きで、家にはカメやテンジクネズミやハツカネズミやシロネズミなどがいて(ハリネズミは三匹も飼っています)、いざ、勉強を始めようとすると、カメに餌をやらなければとか、ハリネズミに水をあげてからとか、テンジクネズミに籠を作ってやらなければと忙しくて勉強に集中できないからです。実際、動物たちはしょっちゅう病気になっていました。しかし、シーシキンが国語で2をとったとき、母親は堪忍袋の緒が切れて、とうとうシーシキンに生き物を全部処分するよう言い渡しました。シーシキンは涙を浮かべながらクラスの子供たちにハリネズミやハツカネズミを一匹一匹持っていって飼ってくれるよう頼みました。ヴィーチャのところにもハリネズミを持ってきたのですが、ヴィーチャの家にはすでにシーシキンからもらったハツカネズミが箪笥を占領しています。それでもヴィーチャはその弱って死にそうなハリネズミをもらいうけました。

ところで、全部の動物を処分しても、シーシキンは犬のローブジクだけはどうしても手放すことはできませんでした。ローブジクはありふれた宿無しの子犬で、シーシキンが拾って育てていたのです。シーシキンはローブジクを母親に内緒で屋根裏部屋に隠していたのですが、屋根裏部屋はひどく寒い上に片側は煙突があってこちらは反対に焼けるように熱いのです、だから、ローブジクは、とくに寒い日には、同時に片側は寒くてぞくぞくし、もう片側はフライパンで焼かれたようにあぶられていました。シーシキンは、ローブジクが凍傷や肺炎にならないだろうか、また煙突で火傷をしないだろうか、といつも心配しなければなりませんでした。ある日、母親が仕事で留守の昼間にローブジクを居間に下ろして遊んでいると、母親が早く帰ってきて、犬を見つけ、「あの犬がまだここにいるの?追い出しなさいって言ったでしょう」と怒りました。シーシキンは泣きながら、ローブジクはひとりぼっちの宿無しなので、この寒い時に外に出したら死んでしまう、今度こそ勉強するから家に置いてくれと母親に頼みます。母親は、シーシキンの必死の訴えに、毎日学校から帰って、日の暮れるまでに全部の学科を勉強するなら犬を飼ってもよいと言ってくれました。

 

ところで、シーシキンはローブジクに芸を教え込もうとしていました。学校のみんなとサーカスを見に行ったとき、その演目の中で、足し算や引き算をする犬を見て、ローブジクにも教えられるかもしれないと思ったのです。それで、勉強が終わったあと、ヴィーチャと二人でローブジクを訓練し始めました。まず数字を書いた紙を見せて、その数字ぶんだけ吠えるよう教えますが、ローブジクはなかなか覚えません。ちょうどその頃、ヴィーチャとシーシキンはクラスで二人だけ2をとったため校長先生によばれました。校長先生は二人を叱らずに、暇な時は何をして遊んでいるのか、と尋ねました。シーシキンが、犬に算数を教えているが全然覚えません,というと、校長先生は、サーカスの犬は計算をしているのではなく、人間がこっそり合図をしているのだと教えてくれました。シーシキンとヴィーチャは家に帰るとさっそくローブジクを訓練してみました。合図によって吠えるのをやめると砂糖を一個与えます。ローブジクは砂糖がほしいのですぐにその合図を覚えました。数日後、シーシキンとヴィーチャは、ローブジクを連れてクラスの友達の家を回りました。ローブジクがニたす三とか、三の二倍とか計算すると、どの家でも驚いて、食べ物をたくさんくれるので、ローブジクはごちそうと砂糖で気分が悪くなりもどしてしまいます。

 

ヴィーチャとシーシキンの二人はローブジクを学芸会に出すことにしました。ヴィーチャの妹のリーカが、二人に金の三角帽を、ローブジクにも金の襟飾りを作ってくれました。学芸会当日、ローブジクはヴィーチャの誘導で足し算や掛け算の問題を次々解いて皆をびっくりさせました。ヴィーチャとシーシキンが得意になっていると、一人の生徒が立ち上がって、こんな問題を出しました。「栓と瓶とで10コペイカします。瓶は栓より8コペイカ高いんです。では、瓶と栓はそれぞれいくらですか?」「では、ローブジク」とヴィーチャが犬に言いました。「ようく考えて、答えなさい」もちろん、考えるのは犬でなくヴィーチャです。栓と瓶あわせて10コペイカだから、栓が2コペイカ、瓶が8コペイカだ、そう考えてヴィーチャはローブジクに答えさせました。すると会場からは不満の声、「その犬、まちがってるよ」と問題を出した生徒も叫びました。「もう少し待ってください」とヴィーチャが会場に向けていいました。「ローブジクが今度は正しい答えを出します」ところが、ヴィーチャはあせっていて、なかなか答えがわかりません。「この、とんま!」とシーシキンが我慢しきれずささやきました。「栓は1コペイカじゃないか!」それで、ようやく誤りに気付いたヴィーチャは、ローブジクに「さあ、ローブジク、栓はいくつかな」ローブジクは一回吠えました。「それではローブジク、瓶はいくつ?」今度はローブジクは九回吠えました。すると会場は拍手の嵐で、「なんて、すばらしい犬だろう、まちがえたけれど、最後は正しい答えをだしたんだ」と叫ぶ声も聞こえました。

 

最後に、もうひとつの児童書『ゆかいなホーマーくん』にも言及しておきましょう。原著は1943年に出版されました。アメリカ郊外の町に住むホーマーくんを中心に、町で起こる突飛な事件が引き起こす町の人々の愉快な行動を生き生きと描いています。この中の、とまらなくなって永遠にドーナツを作り続けるドーナツ製造機のことを覚えている人も多いのではないでしょうか。この本には忘れがたい思い出があります。小学校の時の同級生のOという生徒は体は小さいくせに頭の異常に大きい男の子で、最初は知的な遅れがあるのかと思ったのですがそうでもなくて、なぜか私と気が合って、家によく遊びにきていました。あるとき、私の家で『ゆかいなホーマーくん』を熱心に読んでいるので、貸してやると、数日後、その本を返しにきて、頼むからこの本を売ってくれというのです。ポケットからいくつもの硬貨を出すと、新刊で買う額を超えています。「本屋で買えば」というと、「この本がほしい」というので古本に相応の額で譲ってしまいました。おそらくは彼のほうがその本を所有するのに相応しい人間だったのでしょう。

 

 

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