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2008年6月29日 (日)

ゴーリキー『世の中に出て』(2)

記憶力など無きに等しい私ですが、買い込んだ書物の一冊一冊がどこで買ったかということは不思議とよく覚えています。ゴーリキーの『世の中に出て』(岩波文庫・湯浅芳子訳)の下巻は、ずっと昔に、新井薬師近くの古本屋の店先で五十円で買いました。20年余りたって、先日の土曜日、古書展の帰りに立ち寄った小宮山書店のガレージセールで、上巻を百円で手に入れることができました。

 帰りの電車の中で夢中になって読んだのはもちろんですが、下巻の感動そのままに、上巻も心の底へ滲みこんでいく清冽さ。「ゴーリキーの作品で後世に残るものは、三巻の自叙伝と、トルストイ、アンドレーエフの肖像だろう」と書いたV.S.プリチェット(筑摩世界文学大系52『若きゴーリキー』)の言葉も納得できます。ゴーリキーの作り物の小説は総じて不自然で、所々素晴らしい叙述もあるが、それをしっかり組み立て、動かしていく力に不足しているようです。「紛れもない二流文学」とナボコフに評された『母』などはもはや通読すら不可能でしょう。

  ものを書く前に、彼はあまりにも多くの経験を積み過ぎたのです。たいていの作家が、物語を苦労して紡ぎ出さねばならないというのに、彼は経験した「物語」の多くを忘れることに苦心しました。彼の生きた現実は、下劣、粗暴、屈辱、どうしようもない暗さと退屈に満ちていました。子供時代から何度も自殺を思い、十九歳の時についにピストルで胸を打ち抜きましたが、急所を外れ一命を取り留めました。「アレクサンドル三世の圧制というロシアの最も暗い時代に人生の最も美しくあるべき青春時代を過ごさねばならなかった悲劇」とクロポトキンはゴーリキーや二つ年下のチェーホフについて言っています。ゴーリキーが経験した十九世紀後半のロシアは45歳からほぼ10年間にわたって書き継がれた『幼年時代』『世の中へ出て』『私の大学』に鮮やかに書き出されています。

 
 さて、ヴォルガ川の定期船の皿洗いを解雇されたアレクセイは、再び祖父母のところに戻り、しばらくは森で小鳥を捕らえ、それを売って金を工面していました。やがて、祖父はまた製図工の家へアレクセイを働きにやります。今度も前にもまして過酷な待遇で、アレクセイは、毎日、家事全般のほかに河の洗い場で近所の女たちにまじって、主人の家族の衣服の洗濯をしています。忙しい日常でも、スムールイに目を覚まされた読書の習慣はやめられません。「知らず知らずに本というものが、酒飲みにとってのウオッカのように、私にはなくてはならぬもののようになった」貸本屋で借り、あるいは近所の家から借りて、アレクセイは時を惜しむように読書にふけりました。蝋燭をつけて夜中に本を読んでいると、蝋燭がもったいないと家のものに取り上げられてしまいました。それで、アレクセイは蝋燭の皿に残っている脂を集めて、それに火をつけて夜こっそり読み続けていました。

 エドモンド・ゴンクールの『ゼムガンノ兄弟』をページを繰る指をぶるぶる震わせながら、袖を涙でぐしょぐしょにしながら読みふけっていったのです。ゴンクールやバルザックの中には善人も悪人もいませんでした。ただ、生き生きとした人間がいるだけでした。これらの小説の主人公たちは理性と意志との巨大な浪費をしながら、やっぱり誰も望みのものへ到達できないのです。それでも、彼らが為したことのすべては、それとは違った風には為され得なかったのだ、とアレクセイには思えるのでした。

  ところで、アレクセイには、小説に描かれた人物たちと、彼が体験してきたロシアの住民たちとの決定的な違いに気づいてきました。たとえば小説の中の悪党は事務的に残酷で、なぜ残酷なのか、ほとんどいつでも理解できるのですが、アレクセイが観察してきた連中の残酷さは目的がなく、意味がなく、それから利益を受けもしないのに、ただ楽しみのためにだけそれを行うのでした。この説明しがたい残酷さ、まるで人間というものを嘲弄するかのような残酷さ、滑稽な者への無慈悲ないたずら、女性への無際限の暴力、弱いものへの容赦ない仕打ちなどはアレクセイには全く理解不能でした。「人間の互いへの態度の中には、人間をからかい、痛い思いを、きまり悪い思いをさせてやろうという絶えない欲望が感ぜられた。そして、私の読んだ書物が、人々の互いにからかってやろうとするこの絶えない病的な張りつめた欲求について黙っているのは不思議だった」とゴーリキーは書いています。

 たとえば汽船『ドーブルイ号』の中で、アレクセイは、新入りの水夫が、何の理由もなく徹底的にからかわれ、いじめられ、自殺未遂にまで追い込まれるのを見てきました。また、水夫たちが船着場で薪を船に運んでくる女たちにほとんど毎回目に余るいたずらをするのを知っていました。そういう場面を見ると、アレクセイの目からぼたぼたと涙が落ちてくるのでした。

 さて、またまた製図工の家を出奔したアレクセイは今度は聖像(イコン)製作所兼販売所に見習いとして住み込みます。昼間は販売所で聖像や聖書を販売し、夜は製作所で雑用をさせられるのです。製作所では各自が分業で黙々と聖像を作り出していました。まず家具師が下地の板を造り、次に下絵師が下絵を塗り、別の一人が原画を鉛筆で描き、鍍金師が浮き出し模様を作り、顔以外の衣服と風景を絵師が描き、最後に顔師といわれる職人が聖像の顔を描きます。顔師のジーハレフは中年の職人で、あらゆる聖画の顔を熟知していて、有名な聖像のいくつかを描いています。彼は一つの聖像を渾身して描き上げると必ず酒びたりになって何日も作業所に姿を現しません。まだ二十歳にもならない下絵師のダーヴィドフは重い結核を病んでいて、作業所の汚い、油虫のいっぱいいるベッドの上で死んでいきました。

  この職人たちは、水夫や従卒などと違って、より真摯に生きているようにアレクセイには思えました。アレクセイが読書好きであることを知ったジーハレフは、皆が作業しながら聞けるように、何か本を読んでくれとアレクセイに頼みました。アレクセイは苦労して手に入れた本を、毎晩、何時間も朗読するのが日課となりました。職人たちは、どんな本でも好んで聞きましたが、特にファンタジーやお伽話めいたものが気に入ったようでした。話が佳境に入ると、手を留め、じっと物語に聞き入るのです。ある晩、レールモントフの長詩『デーモン』を読み始めると、皆の筆がそろったように止まりました。そして、まるで磁石が引き寄せるように、職人たちはアレクセイのテーブルのまわりに集まってきました。アレクセイが第一部を読み終わると、ほとんど皆が寄りかかったり、抱き合ったり、眉をひそめたり、微笑んだりしています。「読め、読め」とジーハレフがせかします。アレクセイが全部読み終わると、ジーハレフはその本を取上げ、「これは、明日もう一度よまなきゃ。これこそ聖伝だ。これこそ真実だ」と言いました。皆は黙って彼の言うことをきいていました。「驚くべきだよ、これは。悪魔をして人間を不憫がらせたんだろ? 人間は可哀そうだから、な?」「可哀そうです」と若い顔師のシターノフが言いました。「そらこれがつまり、人間なんだ」とジーハレフは言いました。「おれたちは、目の見えない犬っころのように暮らしている。何が何のためだか知りもしない、神にも悪魔にも必要のない身じゃないか!」

 「おれは死ぬほどみんなが可哀そうだ」と、その夜、床に並んで寝ていた見習い絵師のパーヴェルがアレクセイに言いました。「おれはもう四年越しあの人たちと暮らしているんだから、みんな知っているんだ」それから二人は仲間のことを、彼らの善良な特徴を、その憐憫を深めるものを見出しながら、いつまでも眠りませんでした。

 シターノフは娼婦を好きになりましたが、彼女は彼に恥ずかしい病気をうつしました。しかし、シターノフは彼女を殴らず、部屋を借りてやり、病気の治療をしてやりました。彼は自由時間を費やしてレールモントフの詩を美しい筆跡で熱心に手帖に写していました。

  愛惜もなく、関心もなく、
  おまえは地上を眺めるであろう
  そこには真の幸福もなく
  とこしえの美しさもないのだ、、、

  歳が近いこともあって、パーヴェルとアレクセイとはたいへん仲良しでした。ずっと後で、パーヴェルは仕上がって良い職人になりましたが、30歳近くなってめちゃめちゃに酒を飲み出し、やがてアレクセイがモスクワのヒトロフ広場であったときは浮浪者になっていました。そして、まもなくチフスで死にました。

 「どれほどいい人々が私の時代には意味もなく滅びたことか! 憶い出すとこわくなる。彼らが、わがロシアにおけるように、こんなに恐ろしく急速に、こんなに無意味に使い古されていくところはどこにもない、、、」

 アレクセイが昼間働いている聖像販売所には、週二回の市の日にはとくに多くの農民たちが聖像や聖書や賛美歌の本を買いにやってきます。これら遠くから来た信仰深い農民たちに、安い聖像を吹っかけて売るのはアレクセイには辛いことでした。また、貧しく、飢えているように見える農民たちが、それにもかかわらず、詩篇や賛美歌に何ルーブルも払うのを見ることも彼には驚きでした。

 農民たちは聖像を買いに来るばかりでなく、古い農家にしまわれていた昔の聖像を売りにもやってきます。店の番頭はこのような掘り出し物に油断なく気を配っていて、売り手が現れると、聖書通のピョートル・ワシーリイチを呼びにやるのでした。

 ワシーリイチは杖をついた髭もじゃの老人で、びっこをひきながら店に現れると、入り口で二本の指で何度も十字を切り、たえず祈祷や詩篇の歌を口ずさんでいました。売り手の農民はこの敬虔深い老人を信頼と尊敬の眼差しで見つめます。
「いったい何事かね?」と老人が訊きます。
「それが、聖像を売りたいというんですが、ストローガノフ(古代聖像画法の一つ)だと言っているんですよ」
「なに、ストローガノフ?」と言って、老人は聖像を水平に持ち、画面をすかしたり、横から見たり、詳細に検討しながら、「お像はまったくもって、ストローガノフの画法に見える、ところがまなこを開いて見ればこの聖像には魂がない。罪業だよ。顔はストローガノフでないし、ただ、しょんぼりとして哀しいだけだ。贋物よ!」
「そんなことはあるはずがねえ! これは曽祖父(ひいじじ)からの宝物だ」と農民は怒ります。
「お前、よく見なさい、これは聖像でなく、ただの画だ。わしがウソをいうか? わしは、年寄りで、真実を求めておる人間じゃ、わしはもうすぐ神様のおそばに行かねばならん、わしがウソを言ったって間尺に合わんだろ!」
 老人は疲れたようにその場に腰を下ろします。仕方なく農民は番頭から
10ルーブルもらって、ワシーリイチにお辞儀して店を出ていきます。

  「贋物よ」という言葉は「本物だ」という意味の符号で、「罪業だよ」は「買え」、「しょんぼりとして哀しい」は「10ルーブル払え」の符号でした。農民の姿が見えなくなると、老人はほれぼれと買物を打ち眺めながら「すばらしい、実に微妙に神の恐れをもって描かれておる。これこそ本物のストローガノフだ。人間的なものは一切しりぞけられて、無い」と番頭に説明しています。

「で、どのくらいで売れるでしょうか?」と番頭が訊くと、「50ルーブルまではお前がとれ、それ以上はわしがもらう」というのでした。

  この老人、ピョートル・ワシーリイチがまたアレクセイの師ともなるのです。「でも、先生は農民たちを騙していますね」とアレクセイが言うと、「偽りのないのは神ひとりで、わしらは、馬鹿どものなかに生きておる。馬鹿を騙さないとしたら、馬鹿からどんな利益がある?」と反論します。

 ピョートル・ワシーリイチは、ロシアに多くいる「生活の教師」でした。彼らは聖書と神についての驚くべき知識、世間一般のことについての広い知見で、ロシア大衆、とくに農民たちに様々な指針を与えていたのです。彼らの尊敬されるべき理由は、唯一つ、その篤い信仰心でした。彼らは、たいてい、旧教派に属し、皇帝の権力を背景に持つニコン派の迫害に耐えて生きてきました。家宅捜索、監獄、裁判、拷問、シベリア、追放という辛い体験を経て、彼らの精神はゆるぎない強さにまで鍛え上げられました。

 アレクセイは、最初は、これら苦悩と迫害の友というべき教師たちを偉大な精神力の人々、地上のよりよき人々だと思っていました。しかし、自身つらい体験を重ねるうちに、次第に、彼らの信仰は(そして、それはロシアのインテリゲンチャの特徴でもありますが)ただ凝り固まったままであり、彼らは自分の立っている場所からどこへも行かず、ドグマの重い鎧に慣れて、たとえ翼は失い不具にはなっても、自分の殻の中で居心地よく都合よく生きているだけではないのかと考えるようになりました。ピョートル・ワシーリイチのように、農民を騙していても、信仰と神への思いがあれば、あとは無意味、がらくたの寄せ集めにすぎないと思うようにさえなるのです。

  「本ばかり読んでも駄目だ」と、いつも老人はアレクセイに言いました。「若い者は知恵では生きない。眼だ。よく見ろ、憶えていろ、そして、黙っていろ」そして、老人はその教会史の驚くべき該博な知識で彼を煙に巻きながら、いつも変わった質問をしてアレクセイをまごつかせます。「千人の人間がおる。五百は男、五百は女。その中でアダムとイブをみつけられるか?」アレクセイが当惑して黙っていると、「馬鹿者! アダムとイブは創られたんじゃ。彼らには臍がない」と言うのでした。

 

 ところで、このピョートル・ワシーリイチの像はゴーリキーの傑作『追憶』(岩波文庫・湯浅芳子訳)の中で描かれているトルストイの像と不思議に似ています。ヤースナヤ・ポリャーナの聖者、人類の教師、独特で厳格な信仰の人、全世界から崇拝者がこの偉大な人間に会いに広大な伯爵領を訪れていました。彼は日夜、「トルストイアン」たちに囲まれていたのです。いわば、レフ・トルストイは巨大な鐘楼で、その下を犬たちがキャンキャン鳴きながら、誰が鐘の音を一番よく真似できるかを競い合っているというわけです。

 ところで、幼いころから詐欺師や坊主や盗人を飽きるほど見てきたゴーリキーは、トルストイに会うやいなやたちどころにこの男の本性を見抜きました。「彼は人生のあちら側における永生を、常に口を極めてほめていましたが、しかし、彼にはこちら側のそれの方が、もっと気に入っているのです」「人々は生きることを欲している、ところがトルストイは彼らに説くのです、それは下らないことだ、地上におけるわれわれの生活は、と」「彼は乞食に与えるように不要のものを人々に与えました」トルストイは概して、人々に「させる」ことが好きでした、菜食主義、農民を愛すること、トルストイの理性的・宗教的思いつきの絶対無謬性を信じたりさせることが。ことさら苦悩する姿を人々に見せつけ、尊敬の念を植え付けておきながら、実は彼の本意は人々を自分のまわりから追っ払うことにあったのです。彼は、自分の下に訴えてくる人民(ナロード)たちの言うことを真剣に聞きもしないし、理解しようともしないのだ、とゴーリキーは書いています。

  むろん、トルストイはピョートル・ワシーリイチに比べればはるかに複雑な人間です。トルストイには、スムールイの素朴な賢さや、ジーハレフの職人気質、シターノフの優しささえあります。そして、ゴーリキーが最も嫌いな女性に対する庶民的な下卑た口調も持っています。しかし、トルストイの本質は、ゴーリキーがロシアの人間の特徴と力説した二つのもの、冷淡なニヒリズムとパッシブなアナキズムにあります。この二つはともに個へと分離していく自堕落な力を持っているのです。ゴーリキーが、トルストイに尊敬と同時に根強い憎しみを感じたのもこの抜きがたい性向のゆえでしょう。

 ゴーリキーには一つの救いがあって、それは信仰心あつく、常に明るく人生を見つめている祖母の存在でした。祖母はアリョーシャ(アレクセイ)を愛し、彼をあたたかい眼差しで見つめます。彼女は乞食のような暮らしをしていても、くるみを売ったお金が入ると、それを貧しい人々の軒下にそっと置いていくのですが、そのような謙虚な信仰心はトルストイと対極にあるものとゴーリキーには思われたのです。

 

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コメント

こんにちは。トムです。古本屋で世界文学全集「ゴーリキー」を見つけ幼年時代を読みました。初めてのゴーリキーです。若い時はロシアの作家を読みました、特にドストエフスキーです。ゴーリキーの中にも呆れる程の貧しさ、悲惨さ、理不尽さが溢れていて、ついその時代を思い出しました。最近、新訳ブームでカラマーゾフの兄弟が売れているようです。確かバーリンだと思いますが読書に慣れていない者や体が弱い者がドストエフスキーを読むと体を壊すと言っていたと思います。私も名作だからと言って強烈な作家を安易に推奨するのはどうかなと考えています。ツルゲーネフが良いと思います。猟人日記なら新訳を読みたいですね。

投稿: トム | 2008年10月12日 (日) 15時16分

トムさん、こんにちは。
ツルゲーネフは私も好きです。『散文詩』が忘れられない思い出の一冊です。
ところで、図書館や書店に行くと、ロシア文学の研究書は、まずドストエフスキー、それにゴーゴリとチェーホフがあって、他の作家はほとんど見当たりませんね。
流行なのでしょうか。私はブリューソフやソログープなどの名を最近見かけないのでさびしいです。
それでは、また。

投稿: saiki | 2008年10月12日 (日) 19時13分

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