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2008年6月29日 (日)

ゴーリキー『世の中に出て』(2)

記憶力など無きに等しい私ですが、買い込んだ書物の一冊一冊がどこで買ったかということは不思議とよく覚えています。ゴーリキーの『世の中に出て』(岩波文庫・湯浅芳子訳)の下巻は、ずっと昔に、新井薬師近くの古本屋の店先で五十円で買いました。20年余りたって、先日の土曜日、古書展の帰りに立ち寄った小宮山書店のガレージセールで、上巻を百円で手に入れることができました。

 帰りの電車の中で夢中になって読んだのはもちろんですが、下巻の感動そのままに、上巻も心の底へ滲みこんでいく清冽さ。「ゴーリキーの作品で後世に残るものは、三巻の自叙伝と、トルストイ、アンドレーエフの肖像だろう」と書いたV.S.プリチェット(筑摩世界文学大系52『若きゴーリキー』)の言葉も納得できます。ゴーリキーの作り物の小説は総じて不自然で、所々素晴らしい叙述もあるが、それをしっかり組み立て、動かしていく力に不足しているようです。「紛れもない二流文学」とナボコフに評された『母』などはもはや通読すら不可能でしょう。

  ものを書く前に、彼はあまりにも多くの経験を積み過ぎたのです。たいていの作家が、物語を苦労して紡ぎ出さねばならないというのに、彼は経験した「物語」の多くを忘れることに苦心しました。彼の生きた現実は、下劣、粗暴、屈辱、どうしようもない暗さと退屈に満ちていました。子供時代から何度も自殺を思い、十九歳の時についにピストルで胸を打ち抜きましたが、急所を外れ一命を取り留めました。「アレクサンドル三世の圧制というロシアの最も暗い時代に人生の最も美しくあるべき青春時代を過ごさねばならなかった悲劇」とクロポトキンはゴーリキーや二つ年下のチェーホフについて言っています。ゴーリキーが経験した十九世紀後半のロシアは45歳からほぼ10年間にわたって書き継がれた『幼年時代』『世の中へ出て』『私の大学』に鮮やかに書き出されています。

 
 さて、ヴォルガ川の定期船の皿洗いを解雇されたアレクセイは、再び祖父母のところに戻り、しばらくは森で小鳥を捕らえ、それを売って金を工面していました。やがて、祖父はまた製図工の家へアレクセイを働きにやります。今度も前にもまして過酷な待遇で、アレクセイは、毎日、家事全般のほかに河の洗い場で近所の女たちにまじって、主人の家族の衣服の洗濯をしています。忙しい日常でも、スムールイに目を覚まされた読書の習慣はやめられません。「知らず知らずに本というものが、酒飲みにとってのウオッカのように、私にはなくてはならぬもののようになった」貸本屋で借り、あるいは近所の家から借りて、アレクセイは時を惜しむように読書にふけりました。蝋燭をつけて夜中に本を読んでいると、蝋燭がもったいないと家のものに取り上げられてしまいました。それで、アレクセイは蝋燭の皿に残っている脂を集めて、それに火をつけて夜こっそり読み続けていました。

 エドモンド・ゴンクールの『ゼムガンノ兄弟』をページを繰る指をぶるぶる震わせながら、袖を涙でぐしょぐしょにしながら読みふけっていったのです。ゴンクールやバルザックの中には善人も悪人もいませんでした。ただ、生き生きとした人間がいるだけでした。これらの小説の主人公たちは理性と意志との巨大な浪費をしながら、やっぱり誰も望みのものへ到達できないのです。それでも、彼らが為したことのすべては、それとは違った風には為され得なかったのだ、とアレクセイには思えるのでした。

  ところで、アレクセイには、小説に描かれた人物たちと、彼が体験してきたロシアの住民たちとの決定的な違いに気づいてきました。たとえば小説の中の悪党は事務的に残酷で、なぜ残酷なのか、ほとんどいつでも理解できるのですが、アレクセイが観察してきた連中の残酷さは目的がなく、意味がなく、それから利益を受けもしないのに、ただ楽しみのためにだけそれを行うのでした。この説明しがたい残酷さ、まるで人間というものを嘲弄するかのような残酷さ、滑稽な者への無慈悲ないたずら、女性への無際限の暴力、弱いものへの容赦ない仕打ちなどはアレクセイには全く理解不能でした。「人間の互いへの態度の中には、人間をからかい、痛い思いを、きまり悪い思いをさせてやろうという絶えない欲望が感ぜられた。そして、私の読んだ書物が、人々の互いにからかってやろうとするこの絶えない病的な張りつめた欲求について黙っているのは不思議だった」とゴーリキーは書いています。

 たとえば汽船『ドーブルイ号』の中で、アレクセイは、新入りの水夫が、何の理由もなく徹底的にからかわれ、いじめられ、自殺未遂にまで追い込まれるのを見てきました。また、水夫たちが船着場で薪を船に運んでくる女たちにほとんど毎回目に余るいたずらをするのを知っていました。そういう場面を見ると、アレクセイの目からぼたぼたと涙が落ちてくるのでした。

 さて、またまた製図工の家を出奔したアレクセイは今度は聖像(イコン)製作所兼販売所に見習いとして住み込みます。昼間は販売所で聖像や聖書を販売し、夜は製作所で雑用をさせられるのです。製作所では各自が分業で黙々と聖像を作り出していました。まず家具師が下地の板を造り、次に下絵師が下絵を塗り、別の一人が原画を鉛筆で描き、鍍金師が浮き出し模様を作り、顔以外の衣服と風景を絵師が描き、最後に顔師といわれる職人が聖像の顔を描きます。顔師のジーハレフは中年の職人で、あらゆる聖画の顔を熟知していて、有名な聖像のいくつかを描いています。彼は一つの聖像を渾身して描き上げると必ず酒びたりになって何日も作業所に姿を現しません。まだ二十歳にもならない下絵師のダーヴィドフは重い結核を病んでいて、作業所の汚い、油虫のいっぱいいるベッドの上で死んでいきました。

  この職人たちは、水夫や従卒などと違って、より真摯に生きているようにアレクセイには思えました。アレクセイが読書好きであることを知ったジーハレフは、皆が作業しながら聞けるように、何か本を読んでくれとアレクセイに頼みました。アレクセイは苦労して手に入れた本を、毎晩、何時間も朗読するのが日課となりました。職人たちは、どんな本でも好んで聞きましたが、特にファンタジーやお伽話めいたものが気に入ったようでした。話が佳境に入ると、手を留め、じっと物語に聞き入るのです。ある晩、レールモントフの長詩『デーモン』を読み始めると、皆の筆がそろったように止まりました。そして、まるで磁石が引き寄せるように、職人たちはアレクセイのテーブルのまわりに集まってきました。アレクセイが第一部を読み終わると、ほとんど皆が寄りかかったり、抱き合ったり、眉をひそめたり、微笑んだりしています。「読め、読め」とジーハレフがせかします。アレクセイが全部読み終わると、ジーハレフはその本を取上げ、「これは、明日もう一度よまなきゃ。これこそ聖伝だ。これこそ真実だ」と言いました。皆は黙って彼の言うことをきいていました。「驚くべきだよ、これは。悪魔をして人間を不憫がらせたんだろ? 人間は可哀そうだから、な?」「可哀そうです」と若い顔師のシターノフが言いました。「そらこれがつまり、人間なんだ」とジーハレフは言いました。「おれたちは、目の見えない犬っころのように暮らしている。何が何のためだか知りもしない、神にも悪魔にも必要のない身じゃないか!」

 「おれは死ぬほどみんなが可哀そうだ」と、その夜、床に並んで寝ていた見習い絵師のパーヴェルがアレクセイに言いました。「おれはもう四年越しあの人たちと暮らしているんだから、みんな知っているんだ」それから二人は仲間のことを、彼らの善良な特徴を、その憐憫を深めるものを見出しながら、いつまでも眠りませんでした。

 シターノフは娼婦を好きになりましたが、彼女は彼に恥ずかしい病気をうつしました。しかし、シターノフは彼女を殴らず、部屋を借りてやり、病気の治療をしてやりました。彼は自由時間を費やしてレールモントフの詩を美しい筆跡で熱心に手帖に写していました。

  愛惜もなく、関心もなく、
  おまえは地上を眺めるであろう
  そこには真の幸福もなく
  とこしえの美しさもないのだ、、、

  歳が近いこともあって、パーヴェルとアレクセイとはたいへん仲良しでした。ずっと後で、パーヴェルは仕上がって良い職人になりましたが、30歳近くなってめちゃめちゃに酒を飲み出し、やがてアレクセイがモスクワのヒトロフ広場であったときは浮浪者になっていました。そして、まもなくチフスで死にました。

 「どれほどいい人々が私の時代には意味もなく滅びたことか! 憶い出すとこわくなる。彼らが、わがロシアにおけるように、こんなに恐ろしく急速に、こんなに無意味に使い古されていくところはどこにもない、、、」

 アレクセイが昼間働いている聖像販売所には、週二回の市の日にはとくに多くの農民たちが聖像や聖書や賛美歌の本を買いにやってきます。これら遠くから来た信仰深い農民たちに、安い聖像を吹っかけて売るのはアレクセイには辛いことでした。また、貧しく、飢えているように見える農民たちが、それにもかかわらず、詩篇や賛美歌に何ルーブルも払うのを見ることも彼には驚きでした。

 農民たちは聖像を買いに来るばかりでなく、古い農家にしまわれていた昔の聖像を売りにもやってきます。店の番頭はこのような掘り出し物に油断なく気を配っていて、売り手が現れると、聖書通のピョートル・ワシーリイチを呼びにやるのでした。

 ワシーリイチは杖をついた髭もじゃの老人で、びっこをひきながら店に現れると、入り口で二本の指で何度も十字を切り、たえず祈祷や詩篇の歌を口ずさんでいました。売り手の農民はこの敬虔深い老人を信頼と尊敬の眼差しで見つめます。
「いったい何事かね?」と老人が訊きます。
「それが、聖像を売りたいというんですが、ストローガノフ(古代聖像画法の一つ)だと言っているんですよ」
「なに、ストローガノフ?」と言って、老人は聖像を水平に持ち、画面をすかしたり、横から見たり、詳細に検討しながら、「お像はまったくもって、ストローガノフの画法に見える、ところがまなこを開いて見ればこの聖像には魂がない。罪業だよ。顔はストローガノフでないし、ただ、しょんぼりとして哀しいだけだ。贋物よ!」
「そんなことはあるはずがねえ! これは曽祖父(ひいじじ)からの宝物だ」と農民は怒ります。
「お前、よく見なさい、これは聖像でなく、ただの画だ。わしがウソをいうか? わしは、年寄りで、真実を求めておる人間じゃ、わしはもうすぐ神様のおそばに行かねばならん、わしがウソを言ったって間尺に合わんだろ!」
 老人は疲れたようにその場に腰を下ろします。仕方なく農民は番頭から
10ルーブルもらって、ワシーリイチにお辞儀して店を出ていきます。

  「贋物よ」という言葉は「本物だ」という意味の符号で、「罪業だよ」は「買え」、「しょんぼりとして哀しい」は「10ルーブル払え」の符号でした。農民の姿が見えなくなると、老人はほれぼれと買物を打ち眺めながら「すばらしい、実に微妙に神の恐れをもって描かれておる。これこそ本物のストローガノフだ。人間的なものは一切しりぞけられて、無い」と番頭に説明しています。

「で、どのくらいで売れるでしょうか?」と番頭が訊くと、「50ルーブルまではお前がとれ、それ以上はわしがもらう」というのでした。

  この老人、ピョートル・ワシーリイチがまたアレクセイの師ともなるのです。「でも、先生は農民たちを騙していますね」とアレクセイが言うと、「偽りのないのは神ひとりで、わしらは、馬鹿どものなかに生きておる。馬鹿を騙さないとしたら、馬鹿からどんな利益がある?」と反論します。

 ピョートル・ワシーリイチは、ロシアに多くいる「生活の教師」でした。彼らは聖書と神についての驚くべき知識、世間一般のことについての広い知見で、ロシア大衆、とくに農民たちに様々な指針を与えていたのです。彼らの尊敬されるべき理由は、唯一つ、その篤い信仰心でした。彼らは、たいてい、旧教派に属し、皇帝の権力を背景に持つニコン派の迫害に耐えて生きてきました。家宅捜索、監獄、裁判、拷問、シベリア、追放という辛い体験を経て、彼らの精神はゆるぎない強さにまで鍛え上げられました。

 アレクセイは、最初は、これら苦悩と迫害の友というべき教師たちを偉大な精神力の人々、地上のよりよき人々だと思っていました。しかし、自身つらい体験を重ねるうちに、次第に、彼らの信仰は(そして、それはロシアのインテリゲンチャの特徴でもありますが)ただ凝り固まったままであり、彼らは自分の立っている場所からどこへも行かず、ドグマの重い鎧に慣れて、たとえ翼は失い不具にはなっても、自分の殻の中で居心地よく都合よく生きているだけではないのかと考えるようになりました。ピョートル・ワシーリイチのように、農民を騙していても、信仰と神への思いがあれば、あとは無意味、がらくたの寄せ集めにすぎないと思うようにさえなるのです。

  「本ばかり読んでも駄目だ」と、いつも老人はアレクセイに言いました。「若い者は知恵では生きない。眼だ。よく見ろ、憶えていろ、そして、黙っていろ」そして、老人はその教会史の驚くべき該博な知識で彼を煙に巻きながら、いつも変わった質問をしてアレクセイをまごつかせます。「千人の人間がおる。五百は男、五百は女。その中でアダムとイブをみつけられるか?」アレクセイが当惑して黙っていると、「馬鹿者! アダムとイブは創られたんじゃ。彼らには臍がない」と言うのでした。

 

 ところで、このピョートル・ワシーリイチの像はゴーリキーの傑作『追憶』(岩波文庫・湯浅芳子訳)の中で描かれているトルストイの像と不思議に似ています。ヤースナヤ・ポリャーナの聖者、人類の教師、独特で厳格な信仰の人、全世界から崇拝者がこの偉大な人間に会いに広大な伯爵領を訪れていました。彼は日夜、「トルストイアン」たちに囲まれていたのです。いわば、レフ・トルストイは巨大な鐘楼で、その下を犬たちがキャンキャン鳴きながら、誰が鐘の音を一番よく真似できるかを競い合っているというわけです。

 ところで、幼いころから詐欺師や坊主や盗人を飽きるほど見てきたゴーリキーは、トルストイに会うやいなやたちどころにこの男の本性を見抜きました。「彼は人生のあちら側における永生を、常に口を極めてほめていましたが、しかし、彼にはこちら側のそれの方が、もっと気に入っているのです」「人々は生きることを欲している、ところがトルストイは彼らに説くのです、それは下らないことだ、地上におけるわれわれの生活は、と」「彼は乞食に与えるように不要のものを人々に与えました」トルストイは概して、人々に「させる」ことが好きでした、菜食主義、農民を愛すること、トルストイの理性的・宗教的思いつきの絶対無謬性を信じたりさせることが。ことさら苦悩する姿を人々に見せつけ、尊敬の念を植え付けておきながら、実は彼の本意は人々を自分のまわりから追っ払うことにあったのです。彼は、自分の下に訴えてくる人民(ナロード)たちの言うことを真剣に聞きもしないし、理解しようともしないのだ、とゴーリキーは書いています。

  むろん、トルストイはピョートル・ワシーリイチに比べればはるかに複雑な人間です。トルストイには、スムールイの素朴な賢さや、ジーハレフの職人気質、シターノフの優しささえあります。そして、ゴーリキーが最も嫌いな女性に対する庶民的な下卑た口調も持っています。しかし、トルストイの本質は、ゴーリキーがロシアの人間の特徴と力説した二つのもの、冷淡なニヒリズムとパッシブなアナキズムにあります。この二つはともに個へと分離していく自堕落な力を持っているのです。ゴーリキーが、トルストイに尊敬と同時に根強い憎しみを感じたのもこの抜きがたい性向のゆえでしょう。

 ゴーリキーには一つの救いがあって、それは信仰心あつく、常に明るく人生を見つめている祖母の存在でした。祖母はアリョーシャ(アレクセイ)を愛し、彼をあたたかい眼差しで見つめます。彼女は乞食のような暮らしをしていても、くるみを売ったお金が入ると、それを貧しい人々の軒下にそっと置いていくのですが、そのような謙虚な信仰心はトルストイと対極にあるものとゴーリキーには思われたのです。

 

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2008年6月25日 (水)

ゴーリキー『世の中に出て』(1)

 「野蛮なロシアの生活の、あの鉛色のいまわしい現実を思い出しながら、私はときおり自らに問いかける、いったいあれについて語る価値はあるのだろうか、、、いま、こうして過ぎ去った昔をよみがえらせながらも、私自身、ときとして、すべてがまさにこの通りだったとは容易に信じられなくなるときがあるのだ」(『幼年時代』中央公論社・世界の文学・木村彰一訳)

マクシム・ゴーリキー、本名アレクセイ・ぺシュコフ(1868~1936)は三歳の時コレラにかかりましたが、奇跡的に回復しました。しかし、アレクセイを看病していた優しい父がコレラに感染し、31歳で亡くなります。堅実だった一家はそれから一気に没落していきます。母は子供を連れて実家に帰りますが、祖父は事業で破産し、母は出奔し、幼いアレクセイは襤褸(ぼろ)切れや廃材などを拾って売り、家計を支えようとします。小学校に入学しますが、困窮のため、わずか五ヶ月通っただけで退学を余儀なくされます。同級生にくず屋とか乞食とか呼ばれ、隣の席の女の子が、ゴミの臭いがするからといって教師に席換えを要求したりもしました。

やがて、再婚した母に再会しますが、継父は浮気と暴力と賭け事をやめず、小さなアレクセイにも辛く当たります。ある時、アレクセイの目の前で、継父は母を殴り、胸を蹴り上げました。アレクセイは思わずテーブルの上のパン切りナイフを手にとって継父の脇腹を刺してしまいます。幸い、傷は軽く済みますが、継父を切り殺し、自分も死ぬつもりだったと言って母を驚かせます。アレクセイ九歳のときでした。

 そのうちに継父は蒸発し、母は幼い弟のニコライを連れて祖父母のところに戻ってきます。ニコライ(コーリャ)は腺病質の弱々しい子供で、大声で泣くことさえできませんでした。重い結核を患っていた母親の代わりに、アレクセイは弟の面倒を見ます。天気の良い日には、乾いた砂をいっぱい運んできて、窓の下の日の当たる場所でコーリャを首まで埋めてやります。コーリャは砂の中にいるのがうれしいらしく、さも気持ちよさそうに目を細め、その異様な目で、ー白眼がなく、ただ明色の環に囲まれた空色の瞳ばかりの目―でアレクセイを見つめるのでした。

「私は弟に、たちまち、しかも強く心を惹かれるようになった。弟とならんで砂の上に寝そべっていると、私が考えていることを彼が何でもわかってくれるように感じていた」コーリャは砂の中から両手を出し、しきりに白い頭をふり、猫が近づいてくると、じっと見つめ、それから兄のほうを向き、かすかにほほえむのでした。

 まもなく、母の病気は悪化し、一日中寝たきりの生活になりました。ある日、アレクセイが用事で遅く帰ってくると、母は珍しくきちんと服を着て、テーブルに座っています。「どこをうろついていたの、この子は」と言って、母はアレクセイを平手で打ち、そのまま寝場所へよろよろと歩いて行きました。そして、寝台の上に横になって、汗ばんだ顔をハンカチでふきますが、手の動きがおぼつかなく、ハンカチは枕の上に落ちました。彼女は隅の聖像をちらりと見て、それからアレクセイの方に向き直り、微笑でもするかのようにゆっくりと唇を動かすと、目を閉じました。顔の上を影のようなものが流れ、それは次第に顔の奥へと沈んでいきました。アレクセイは母の顔が白くなり、死顔になるまでじっとその傍らに立ち尽くしていました。母は37歳で死にました。それから長く経たずに、弟のコーリャも死にました。彼は膨れた腹と瘡(かさ)だらけの曲がった足をむきだしにして、紫色になって横たわっているのを発見されました。

 アレクセイは十歳になり、街の靴店に住み込みで働きに出されることになりました。ここから、アレクセイの10-15歳の時代を描いた『世の中に出て』(岩波文庫・湯浅芳子訳)がはじまります。

 主人は濁った目をした小柄な男、番頭は如才ない男で、店の靴を盗んでは売っていました。小番頭のサーシャはアレクセイの従兄ですが、意地悪で、ことあるごとにアレクセイに悪態をつきます。アレクセイは皆よりも一時間早く起き、主人、番頭、サーシャの靴を磨き、服にブラシをかけ、サモワールを沸かし、ペチカの薪を運び、食器をみがきます。店へくれば床を掃き、埃を拭きとり、お茶の支度をし、得意先に品物を届けます。早朝から夜遅くまで、雑用はこれでもかとばかり小さなアレクセイの上にのしかかります。

しかし、過酷な仕事がアレクセイを痛めつけたのではありません。彼が我慢ならなかったのは、主人、番頭、小番頭たちの品性の下劣さでした。女客たちが店に現れると、精一杯おべっかを使いますが、彼女たちが店を出て行くと、その客について聞くに堪えない悪口を言い合います。

「私はもちろん、総じて人々がかげではお互いのことをよくは言わないのを知っていた。けれども、この連中は、何ごとについても、とりわけ不愉快極まる言い方をした。まるで彼らは誰かに最もいい人間と認められ、世界の裁判官に任命されてもいるように、多くの人を羨みながら、決して誰のことも褒(ほ)めず、どの人間についても、なにか忌まわしいことを知っていた」

 アレクセイはこの店を出る決心をし、台所でわざと鍋の熱湯を手にこぼします。病院にかつぎこまれ、入院して傷が癒えると、そのまま祖父母の家に戻ってきました。そして、しばらくは、祖母と一緒に森にくるみを拾いに行き、市場で売る仕事をはじめます。アレクセイは、祖母に教えられたとおり、樹の下の小さな傷を見つけ、りすの巣から貯め込んであるくるみを集めていました。ところが、ある日、くるみを拾っていると、狩猟家の散弾が脇腹にあたり、27個の弾が体に入りました。祖母が針でほじくって11個を出してくれたが、16個は生涯からだの中に残ったままでした。

 アレクセイの祖父はわがままで吝嗇でした。アレクセイが元気になると、祖父は今度は街の親戚の製図家に住み込みの手伝いに行かせました。
 製図家の家は主人夫婦とその弟、それに主人の母の四人暮らしですが、アレクセイはここでも朝から晩まで働きます。住居の床をすべて洗い、サモワールや銅の食器を磨き、ペチカ用の薪を割って運び、食器を洗い、靴をみがき、便所を掃除し、市場に買物に行きます。こんなことにはいくらでも辛抱できるのですが、耐えられないのは、やはりその家の出鱈目な家族でした。主人の弟のヴィクトゥールシカは製図の見習いをしているのですが、なぜか、アレクセイを憎み、寝台の上の羽目板の割れ目から、アレクセイに当たるように器用に唾を吐きます。その祖母のマトリョーナは、アレクセイを徹底的にこき使い、何かあるとすぐに「お前は覚えておかなきゃいけないよ。乞食のような家庭から引き取ってやったんだからね」というのでした。彼女と息子の嫁は毎日のように罵り合い、つかみあいになるような喧嘩を続けています。マトリョーナは毎晩寝る前に、アレクセイの寝台の横の祭壇で「嫁を懲らしめたまえ、あいつの骨がずきずき痛みますように、底もふたも無い棺で埋められますように」と大声で祈るのでした。「こんなに恐ろしくは、私の祖父でさえ祈らなかった」とゴーリキーは書いています。

「この人たちも、やはり、自分たちを町ではましな人間だと考え、自分たちこそ行状の最も正確な規律を知っていて、すべての人々を無条件に裁いているのだった」また、彼らが自分の親類でもあることにショックも受けました。「私の観察によれば、身内の者は互いに他人同士よりもわるい関係にいた。互いの悪いところや可笑しいところを他人よりもよく知っているままに、いっそう意地悪く中傷し、頻繁に口論しつかみあうのだ」

 ある日、アレクセイは朝食のパンを買いに行ったまま、主人の家に帰らず、ヴォルガの岸まで歩いて行ってしまいます。二、三日河岸通りをぶらぶらし、荷揚人足にパンをもらい、夜は波止場で寝ていると、汽船では皿洗いをほしがっているという話を聞きだします。早速行ってみると、大きな汽船「ドーブルイ号」の主任は、月二ルーブルで雇うと言ってくれました。「どこの馬の骨でも雇いなさる、安くさえありゃあ」と後ろで文句を言ったのが料理長のスムールイでした。太った大男のスムールイは、アレクセイを船尾の調理室へ連れて行き、その卓に座ると、アレクセイにフランスパンと大きなソーセージを出し、「食え」と言いました。アレクセイがパンを食べ、お茶を飲み終えると、スムールイはルーブル紙幣を出して、「これで自分用の胸当てのついた前掛けを二つ買ってこい」と命令しますが、「待て、おれが行ってやる」と熊のような体を揺すって船を降りていきました。

 その日から、皿洗いの毎日が始まりました。汽船には寄る船着場ごとに大勢金持ちの客が乗ってきて、ウォッカを飲み、川魚やソーセージを食べます。皿やコップは次から次へ重なって、アレクセイは食器を洗ったり、ナイフやフォークをみがいたりで食事する暇もありません。誤ってコップを割ると給料から引かれてしまいます。仕事が終わると、毎晩スムールイは自分の寝室にアレクセイを呼んで、自分は隅のベッドにドシンと横になり、大きなトランクから本を引っ張り出して、「読め」とアレクセイに命令するのです。アレクセイは言われたとおり、マカロニの箱に腰掛けて、ひたすら声を出して本を読んでいきました。ゴーゴリの『恐ろしき復讐』、スコットの『アイヴァンホー』、フィールディングの『トム・ジョーンズ』などを読んでいきますが、スムールイは巻煙草の煙をプッと吹いて、「作りごとばかりだ」とか「助平め」とか「奇ッ怪千万な」とかつぶやいていますが、感動すると涙をぽとぽと下に落とすのでした。

「おまえは、、、本を読め」と料理長はアレクセイに吹き込みます。「本がわからなきゃ、七回読め。七度でわからなきゃ、十二度読み返せ」「すべての本を読め、そうすれば正しいのを見つけられる」

岸に買物に行ったついでに、アレクセイは『一兵士がピョートル大帝を救った話』という本を買ってきました。すると、スムールイは、大きな手でその本をグシャグシャに丸めて川の中に放り投げてしまいました。「馬鹿め、こりゃ何て本だ、おれは馬鹿な本はみんな読んだよ」実際のところ、ずっと後になってアレクセイがその本を読んでみると、確かにくだらない本であることがわかって、スムールイの言葉の正しさに驚嘆とともに納得したのでした。

 スムールイは人とも思えない馬鹿力で汽船のみんなから恐れられていました。彼はいつも不機嫌で皆を怒鳴りつけていたのですが、あるとき、アレクセイが、「あなたは、なぜ、いつもみんなを恐がらせているんですか、だって、あなたは善い人でしょ」というと、スムールイは「おれは、だれにでも善い男だ。ただ、人にそれを見せないだけだ。人にそれを見せちゃいけない、でねえとあいつらに面あ張られるよ。善い人間の上には、皆、沼の中のコーチカ(小丘)のように這い上がるもんなんだ、そして踏みつける! 行って、ビールを持ってこい!」と答えるのでした。

 そのうちに、アレクセイは給仕係とのトラブルに巻き込まれて、ついにその船を下りることになりました。別れるとき、スムールイは、刺繍の入った煙草入れをアレクセイに与えて、「じゃ、さようなら。本を読め、それがいちばんいいことだ!」と言いました。荷揚人足を押しのけて汽船へ戻っていく彼の大きな、重い姿を見ながらアレクセイはほとんど泣き出さんばかりでした。スムールイは偉大な教師でした。読書はアレクセイに、違った世界の可能性と、この世に自分は一人ではないこと、そしていつかスムールイのように自分を広い明るい世界へ連れ出してくれる素朴な賢い人にまた出会えるという希望を彼に与えたのです。

 (下は、本を読むアレクセイとスムールイ 中公・世界の文学より)

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