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2008年5月31日 (土)

サミュエル・バトラー『エレホン』

 「サミュエル・バトラーの名は多くのレゾナンス(反響)を呼び起こす」とアンリ・コルバンは書いています。19世紀後半の英国の自由主義思想家という全く興味を引きそうにない文脈で語られるからといって、その言葉を軽視してはいけない、と。

 バトラー(1835~1902)はヴィクトリア女王の治世(1837~1901)とほぼ同時代を生きました。その代表作『エレホン』(岩波文庫・山本政喜訳)は英国がその国力の頂点に達した頃、1872年に出版されました。簡単にそのあらすじを追ってみましょう。

 主人公(後の作品でヒッグズという名が明かされる)は、牧羊を目的として遠い植民地にやってきた22歳の英国人です。牧用地の遥か彼方の山を越えた地に何があるか興味を持ったヒッグズは、危険を冒して雪山を越え、激流を渡ってその地にたどり着きます。『エレホン』の最初の五章はこの旅の描写にあてられていますが、ひとつの旅行記として見ても生彩に富んだすばらしい描写です。サミュエル・バトラーは、父親と同じ聖職者の道を歩もうと思って、ケンブリッジのセント・ジョンズ・カレッジに進みますが、キリスト教に疑問をもち、その道を外れ、ニュージーランドに渡って、そこで牧羊を始めます。『エレホン』の自然描写は彼の6年のニュージーランド生活から生れたのですが、そこには終生画家を志して果たせなかったバトラーの芸術家的眼差しが生きているようです。ニュージーランドの美しくも荒々しい自然! それは、『ナルニア国物語』や『ロード・オブ・ザ・リング』の映画ロケで私たちにも馴染みになっています。研究者英文学叢書のErewhonを注釈した石田憲次は、特に次のような場面を挙げています。草原と小舎と平原と早瀬の流れ、見上げる空は悲しい灰色の雲、山腹で泣く迷った子羊の声を除いては何の音も聞こえない、やがて、子羊の声を聞きつけた母羊が嗄れた声を上げてやってきます。あぁ、見つかった、二匹は走りよって顔を近づけるが,南無三、我が母、我が子ではなかった、二匹は無言で別れて、また探し求めて歩き始めます、、、。

 エレホンへの旅に先立って、ヒッグズが用意するもの、紅茶、ビスケット、砂糖、堅パン、煙草、塩漬牛肉、ブランディーなどと書き出すと、スティーヴンソンの旅行記の一節を思い出すようです。夜天、焚き火のそばで毛布を巻きつけての就寝、夜のしじまの爽やかさ、時折の水鶏(くいな)の鋭い叫声、火の赤いかがやき、ひそやかな川の流れ、夜半に眼をさますと、頭上には星が見え、月は山上に輝く、すると突然、甘美な平和な感じがわきおこってきます。何日も野天の旅を続けた人、あるいはともかくも野天に出たことのある人、でなくては感じられない満足しきった感じ、朝、底に紅茶が凍りついた鍋を袋に提げて新たに一歩を踏み出す爽快さはどうでしょうか。

 さて、ヒッグズはようやく「エレホン」にたどり着きます。その村の風光明媚なこと、男も女も老人も子供たちも美しく健康で品位があることは彼を驚かせます。のどかで平和なその村の描写はバトラーが愛した北イタリアの風景そのものでした。「彼らの手や肩のわずかの動きすらも私にイタリアのことを思い出させた」と彼は書いています。

サミュエル・バトラーは厳格な牧師である父親のために暗い少年時代を送りました。「私は父をただただ憎んだ」と彼は書いています。この辛い子供時代の唯一の慰めは家族で何度か訪れたイタリア旅行だったということです。それ以来イタリアは彼の第二の祖国、終生の恋人となりました。バトラーは死の直前まで、何度も繰り返しイタリアを訪ね、特にピエモンテ、ヴァラッロ、ティチットなどの北イタリアの湖水地方を愛したのです。そこの古く朽ちはじめたたくさんの寺院に残されたテラコッタの芸術を絶賛し、忘れられた無名の芸術家たちの名を世に出しました。Alps and Sanctuaries1881)は、その成果ですが、バトラーはそこで、もっとも愛するヴァラッロのことは書かず、別にそれは一書にして上梓しようと思っていたのですが、ヴァラッロの人々はバトラーを招待して、一時盛大な励ましの宴を張りました。翌年、バトラーはEx Voto1888)(誓に従って)という本を著してヴァラッロのサクロ・モンテの神殿などの忘れられた壁画を世に紹介しました。

 バトラーには、世間で無条件の高い評価を得ているものへの一種反骨めいた感情がありました。北イタリアの世に埋もれた芸術家たちを称揚したのも、ミケランジェロやラファエロへの不満があったのでしょう。戸川秋骨の『Butler(研究社英米文学評伝叢書)によれば、バトラーはキリスト教世界七大馬鹿として、ラファエロ、ソクラテス、プラトン、ヴェルギリウス、マルクス・アウレリウス、ゲーテ、ベートーヴェンを挙げ(時にダンテとダーウィンが替って入る)ています。彼が認めた数少ない例外はシェークスピアとヘンデルでした。(バトラーの弟子、バーナード・ショーはそのシェークスピアさえ罵倒しています)

 さて、未知の土地、エレホンに入国したヒッグズは、住民に発見され、懐中時計を所持していたがために拘置所に入れられます。拘置所には二人の囚人がいましたが、彼らは外の美しい住民と違って、病気持ちで醜い人間でした。やがて、牢屋の番人の娘イルマからエレホン語を習ううちに、主人公は次第にこの国の奇妙奇天烈な慣習を知るようになります。

エレホンでは、病気になることや醜いことや不幸であることが犯罪なのです。また、いかなる器械の所持も犯罪とみなされるので、特に時計を持つことは肺結核やコレラになることと同様、死刑にも値する重罪でした。ところが、ヒッグズは金髪碧眼の美青年だったので釈放され、首都に住む裕福な家庭の預かりとなることを提案されます。しかし、その家の主人は大金横領の前科があると知ってヒッグズはひるみますが、エレホンでは犯罪は一種の病気であるとして同情されるのだと言われます。それでも、気がすすまないヒッグズですが、エレホン一の美人姉妹がその家庭にいると聞いてその提案を受諾します。

 その家庭、ノス二ボル家に着くと、早速主人公は美しく優しい性格の妹のアロウヘナと恋に落ちます。ところが、エレホンでは、姉妹は姉の方から先に結婚しなければならないというきまりがあるため、ノス二ボル家では、ヒッグズに姉のズロラを娶わせようとします。ズロラはやはり美人だが性格が悪く、ヒッグズはズロラをどうしても好きになれません。ノス二ボル家に通う青年たちも、アロウヘナを手に入れるために先にヒッグズにズロラと結婚させようと画策しています。アロウヘナへの愛情が抑え難くなった主人公は、悩んだ末、ついに意を決して彼女を連れてエレホンを脱出しようとします。しかし、ここで一気に最終章まで行かず、英文学史上有名なエレホンの「逆さま」の制度慣習について説明しておきましょう。

 ヒッグズは、エレホン国の裁判を傍聴します。すると、まず入廷した被告の男性は妻を病気で失くし,残された三人の子供を抱えて悲嘆にくれているという罪で起訴されました。弁護人は、被告が本当は妻を愛していなかったのだ、と陳述しましたが、それは検事側のたくさんの手紙類によって否定されました。結局、この男は有罪を宣告されますが、ただ、妻にかけた保険金がおりるという理由で、罪を軽減されました。

次に出廷したのは肺結核で死にそうになっている青年でした。弁護人は被告が保険金を多く取得するために重病を装っていると弁護しますが、それは衰弱してほとんど立っていられない被告の状態そのものによって否定されます。判事は被告に無期懲役を言い渡しますが、その際、こう付け加えます。「被告の青年に罪はなく彼はもともと病弱に生れた不運にある、という人間もいるだろうが、まさにたわけた言い草だ。不運である、ということが被告の罪なのだ」と。

 ここで主人公ヒッグズは考えます。エレホンでは不運なこと不幸なことが罪とされる、それは不運や不幸が人を不快にさせるからだ、同じように、幸運なこと、幸福であることが限りなく誉めそやされる。特に、生まれながらに裕福で健康であるものは名誉と賞賛を一身に受ける。幸運であることは既得権益のうちで最も重要なものである。病弱の両親のもとに生まれ、劣悪な環境で重病に陥った人間の罪は不運であることだ。我々は蛇が近づいてくれば殺すが、それは蛇が悪いことをするからではない、蛇であることが蛇の罪なのだ。こう考えてヒッグズはエレホン流の罪悪感に同意します。

 またヒッグズはノス二ボル家の主人が大金詐取という犯罪を犯しているのに、皆の同情をかっているのに驚きます。エレホンでは、犯罪は一種の病気とされ、矯正士という肩書きの人間に更生プログラムを作ってもらいます。エレホンでは犯罪を犯した人間の家にお見舞いに行くのです。エレホンの習慣に馴染んできたヒッグズは、「家の主人が今朝、市場で靴下を盗みましてね」という挨拶をした婦人に、「私も今朝、毛皮ブラシを一本盗むところでした」と返答するのでした。エレホンでは犯罪は人が時々陥る道徳上の病気と考えられているのです。

 ところで、ヒッグズはノスニボル家の婦人たちが、毎日、きちんとした服装をして「音楽銀行」へ行くことに興味を持ちました。ひそかに後をつけて行ってみると、音楽銀行は立派で荘厳な建物で、内部ではいつも音楽が鳴っています。婦人たちは用紙に何やら書き込むと、それを係員に渡します。係員はその用紙を見ずに、何枚かの紙幣を適当に婦人たちに渡しますが、婦人たちもそれを確認せずに財布に入れるか、あるいは傍らの箱に捨ててしまいます。実は、この音楽銀行で発行される紙幣は実世界では全く通用しないのです。にもかかわらず、婦人たちは財布を開けてその紙幣をこれみよがしに人に見せたり、人があまり音楽銀行へ行かないことを非難したりします。音楽銀行の行員たちは、エレホンの一般的人間と比べてもかなり容貌が劣っています。彼らは小さいころから、独特の教育を受けているので、大人になってからはもはやそれ以外の職業につく力はありません。 
 要するに、この音楽銀行はイギリスの教会の絶妙な風刺になっているのです。

 エレホン人の実生活での信仰は、音楽銀行の行員(司祭)たちが悪魔と糾弾するイドグラン(Ydgrun)の神に捧げられています。YdgrunMrs.Grundy(世間体)を捩ったもので、偏在で全能、残酷で不合理でもありますが、全体的に見れば有用で情け深い神である、とバトラーは書いています。「人は、最も熱心に彼女を崇拝しているときでも、口先ではしばしば彼女を否定した」また、イドグランの掟は、我慢できなくなるまでは服従することだ、とも言われています。バトラーが、この神を好意的な目で見ていることは明らかでしょう。「一般に、イドグランは自分たちに適合するほど高尚でないと最も声高く苦情を言う人たちこそかえって、まだイドグランの標準に達しかねているのだ」

ここに、ヒッグズがひそかに「高級イドグラン教徒」と名づけている人たちがいます。「その人たちは、人間的な行動と生活上の細々としたことにおいて、正しい人道の範囲内でやれる限りのことをやってきたもののように私には思えた」つまり、「彼らはこの言葉の十分な意味において紳士だった。そして、そう言っただけで言い残したことが何かあるだろうか?」「真の紳士の実例は、もしこう言っても瀆神にならないとすれば、あらゆる福音の中の最善のものである」「私はいつもこの人たちが好きで、敬服していた。そして私は、彼らが必ず終には地獄に墜ちるに極まっていることを深く残念に思わざるを得なかった。(彼らは来世については少しも考えず、彼らの唯一の宗教は自尊と他人のための思い遣りとの宗教だったから)」

 私自身は、バトラーのこの辺りが好みです。彼は、ヴィクトリア時代のもう一つの神、金銭にもそれなりの敬意を払っています。次の文章はバトラリズムの真髄を示すものとしてよく知られているでしょう。

「神を愛するということは、すぐれた健康と容姿、良識、経験、親切をそなえていて、かつまた手許に相当の預金残高を所持していることだ」(Note Books of Samuel Butler引用はバジル・ウィリー『ダーウィンとバトラー』みすず書房・松本啓訳より)

エレホンの社会は一年に二万ポンド稼いだ実業家を芸術家とみなし、税金を免除します。ヒッグズは、金持ちが天国に入るのは駱駝が針穴に入るより難い、という聖書の言葉を思い出しながらも、「富を持たぬものはなおさら天国に入ることは難しい」と思うようになります。「人は、金と教養を対置して、もし人が金を儲けることに時間を使えば、教養を得ることはできないと主張するー誤謬の最たるものだ! 立派な恒産を得ていることより大なる教養への助けがあるか、そしていくらかでも教養のあることが、それだけ強く自分の地位を痛感させること以外に、無一文の者に対して何かのためになるか?」「金を愛することが、すべての悪の根源だと言われている。金の無いことも全く同様である」
 最後の文章(ティモテ書六章十節による)は、ディケンズ以下の社会改良家たちへの痛罵です。

 さて、物語の最後にヒッグズは、恋人アロウヘナを伴って気球でエレホンを脱出します。愛を確かめ合う前に彼はアロウヘナをキリスト教に改宗しようとするのですが、エレホンの伝統的な信仰に深く浸っている彼女は、恋人の宗教を認めながらもそれを受け入れようとはしません。二人は何度も真剣に議論するのですが、ここで、バトラー最大の懸案であった宗教と信仰の問題が掘り下げられます。

エレホン人は偶像崇拝者なのですが、その底に「眼に見ゆることなく存在する真摯な力強い信仰」を持っていたのです。彼らが崇拝する神は、正義、力、希望、愛など、人間の諸特質の人格化でした。人々は、それらのものの原型が雲のはるか彼方の国に客観的に存在していると考えていました。

「わかりませんかね、」とヒッグズはアロウヘナに反論します。「正義は崇敬すべきものであるという事実は、それがまた生きたものであるという信仰が無くとも、すこしも左右されるものではないということが? 希望は実在の人格であるということを信じなくなったら、人がそのためにこれっぽっちでも希望を失くすると、本当にあなたは考えているのですか?」

「その通りです」とアロウヘナも反論します。「人格性の信仰がなくなれば、正義とか希望とかに対する尊敬もなくなり、人々は二度と正しくあることも希望を持つこともなくなるでしょう」さらに、アロウヘナは逆襲に転じて次のようにヒッグズに迫ります。「あなたのキリスト教の神は、善、智、力についての認識の最高の表現にすぎません。そんな偉大な光栄ある思想の一層生々とした認識を作り出すために、人がそれを人格化し名前を与えたのです。ところで、人々が、神は善や智や力などの人々の抱く概念の表れにすぎないがゆえに、神を一個の人格だと信じなくても神を愛せるようになったとしたなら、(つまり、啓蒙された仕方で理解するときにはじめて神を愛せるようになったとしたらーこの部分の要約はバジル・ウィリーによる)、一体どうなさいますか」と。

 バトラーはキリスト教の祭司たちが、自分でみたこともない復活の物語やあれこれの奇蹟や神意について語るのを聞いて憤慨していました。彼は、聖職者になるつもりでカレッジを卒業したのですが、イースト・エンドの貧しい子供たちを教えるうちに、洗礼を受けた子と受けていない子とでは道徳上全く差異がないことに気づいて驚きます。また、四福音書の比較研究をしているうちに、キリストについての事蹟、なかんずく復活の事実など、は信用できないと思うに至りました。

バトラーの至りついた道は、次のようなものでした。
 「この世のものならぬ、目に見えざる生活と目に見えざる<王国>とがあること、この世の英知は神にとっては愚かさにすぎないこと、この地上でわれわれが送っている生活は大した物ではあるが、同時に、この地上の生活にしても、もうひとつのより大なる生活、すなわち、われわれがこの地上にあって、それについてはほんのわずかしか知ることのできぬものの、われわれが一人残らずともに分かち持っているもう一つの生活、に比べれば取るに足りぬものであること、その<存在>の中に入り込むことは誰にもできないが、さりとてそれから逃れることもできない、ある偏在的<存在>―言語を絶する名辞矛盾―が存すること、最善なる者は常に無益なるしもべ(ルカ
1710節)であり、最賢の者は常に子供であることー正気の人間にして、しかも以上のことに疑いをさしはさむ者などいるでしょうか」(ブライト宛の書簡・バジル・ウィリー前掲書)

 ここで、冒頭のアンリ・コルバンの言葉にもどりましょう。サミュエル・バトラーの名は多くのレゾナンスを呼び起こす、と。エレホンErewhonは無論、Nowhereの並べ替えですが、それは、またスフラワルディーのLe pays de Non-Ouを連想させます。

コルバンが言及するのは『エレホン』刊行後30年経って出版された『エレホン再訪 Erewhon Revisited』です。エレホンを気球で脱出したヒッグズは、その20年後再びエレホンを訪れます。すると、何ということでしょう、大空に消えていったヒッグズは、今やSunchild(太陽の子)として崇められ、彼を神とする「太陽の子教」は国家宗教と認定されているのです。彼の言行を集めた「聖書」が研究され、国中に寺院が建てられていました。ヒッグズが彼らに残した言行のうちには、天文学についての初歩的知識があって、そこでは、太陽は多くの恒星の中のひとつであり、宇宙には無限に近い多くの太陽系に似た世界が存在する、と教えていました。エレホン人たちはその教えをさらに深化させました。彼らによれば、太陽は正義や希望と同じ一つのペルソナであって、我々を支配している。太陽は無数の恒星の中の別に特別でもない恒星のひとつであり、他の恒星とおなじように太陽神に従属している、太陽神はすべての恒星に同等にその恒星系を司り、守護する任務を委託している。それから、彼らはこう結論します、もし、我々が正義や希望や太陽に祈りを捧げるとしても、神には祈りを捧げないであろう、と。我々は神が諸恒星を見守っていることに感謝はするが、それ以上のことはしないであろう、と。

 コルバンによれば、これこそバトラーの「見えざる神」であり、宇宙的多元論の、霊性的宇宙観念の主張でした。それは、プロクロスの師、シュリアノスの思想を連想させる、とコルバンは書いています。

ヒッグズは、エレホンの宗教的指導者の前で、自分は神でもなんでもないと告白しますが、それでも「太陽の子教」の信仰は守るべきだと主張します。ただし、と彼は付け加えます。我々には、この世界のほかに別の高次の世界があるのだ、という信仰の他には何も必要ではない、知らないことを知ったかのように教えたり、神の言葉を弄ぶのは、神という銀行あてに振り出された小切手に神の筆跡をなぞって署名するようなものだ、と。

 『エレホン』には他にも「機械の書」という章があって、そこではいつの日か機械が意識を持ち、人間を支配するようになるだろう、という鋭い思想も見られます。その時代の支配者であった科学にバトラーほど激しく噛み付いた作家はいないでしょう。男色であったためか、彼は終身独身を守りました。画家として身を立てようとも思い、また歌劇やオラトリオも作曲しました。(ヘンデルこそ彼の最も愛した芸術家であったのです) 「オディッセイア」を英訳し、その弛まざる探究心から、オディッセイアの作者はナウシカ王女に違いないと確信し、『オディッセイアの作者は女なり』を出版しました。さらに、シェークスピアのソネットを研究し、そこに登場するW.Hなる人間について論文を書きました。彼の本は、生前最後の『エレホン再訪』を除いてはすべて自費出版で、多額の赤字を彼にもたらしました。ニュージーランドで蓄えた資産と父の遺産で、何とか働かずに暮らせたのです。死後に出版された『万人の道』はヴィクトリア時代を代表する傑作の一つと言われています。

優しい心を持ち、謙虚でやや血の気の多い男、バトラーは、こう書いています。
 「そもそも書くということで、私は永罰を受くべき者のうちに入る。もし読者が何かを信じなければならぬのなら、すべからくヘンデルの音楽、ジョバンニ・べルリーニの画、それに聖パウロの「コリント人への第一の手紙」の第
13章を信じるのがよろしかろう」(全集第四巻・引用はバジル・ウィリー前掲書)と。

 (なお、芥川龍之介の『河童』は『エレホン』のあまりに似ている二番煎じ、といえましょう。詳しくは山田章則『マイドー、倫敦』(熊日出版)を参照してください)

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2008年5月 1日 (木)

ランペドゥーサ『山猫』

 岩波文庫の新刊を手に取ると、なぜかいつもほんの少し胸さわぎがします。三月に出たトマージ・ディ・ランペドゥーサの『山猫』は待望のイタリア語からの原典訳ですが、岩波書店の「文庫ニュース」によると、訳者の小林惺は、翻訳原稿の最終確認を終えた夜、夫婦で歓談し、翌朝他界したということです。パーキンソン病を患っていた訳者にとってこの翻訳は時間との戦いでもありました。そして、重厚で格調高い訳文は、この小説のテーマが「死」に他ならないという理由で、さらにその深みを増してきたかのようです。

  『山猫』はその小説的結構の巧みさ、深い内面的真実によって、20世紀最高の小説群の中のひとつに数えられるでしょう。あらすじはきわめて簡単で、1860年のシチリアを舞台に、リソルジメント(イタリア統一運動)の嵐が、衰退していく大貴族の視点を通して冷静に語られていきます。

 シチリア有数の貴族、サリーナ公爵家のドン・ファブリーツィオは時代の蛩音を敏感に感じながら、なすすべもありませんでした。すでにガリバルディが南イタリアに侵攻して、両シチリア王国の国王軍を敗退させていました。サリーナ家は、パレルモの南、ドンナフガータの広大な領地を所有する大貴族ですが、ドン・ファブリーツィオの息子たちはみな貴族の家柄としての資質に欠けていました。唯一人、末娘のコンチェッタだけは、家の紋章の「山猫」に相応しく、高慢で不屈の魂を受け継いでいて、それゆえに公爵のお気に入りだったのです。

  しかし、公爵の本当の愛情は彼の甥、タンクレーディに向けられていました。タンクレーディはファルコネーリ公爵家の跡継ぎですが、元はサリーナ家と並ぶほどの所領を持っていたファルコネーリ家も、代々の遊蕩と放漫な家計によって、タンクレーディの代にはすでに無一文となっていました。両親が死んで身寄りのないタンクレーディを公爵は何くれと面倒を見ていました。というより、タンクレーディはドン・ファブリーツィオにとって日々の喜び、こういう息子がいてくれたら、という理想の青年だったのです。

 ほっそりとしてハンサムなタンクレーディは、愛想よく、機知に富んで、悪戯好きの子供らしさと、現実的な抜け目なさを持っている魅力的な青年でした。彼は貴族でありながら、ガリバルディの千人隊に投じ、祖国統一後の出世を夢見ていたのです。誰からも愛される、という点では『パルムの僧院』のファブリス・デル・ドンゴを思い起こさせますが、実際のところ、作者のランペドゥーサはスタンダールの研究家でもあります。スタンダールにとっても、ランペドゥーサにとっても、反省的な資質を全く持たず屈託もなく現実の勝利を手にしていく青年は彼らの理想でした。自由闊達で、優しく、その場の人々を楽しませる天性の能力。「この階級の人間にとって、人を楽しませる能力は愛情の五分の四を占めている」とランペドゥーサは書いています。「そして、何代にわたる災厄と痛ましい出来事と財産を蕩尽するほどの遊蕩がなかったら、彼のような若者が気品と気配りと魅力を身につけることは不可能なのだ」と。

  絶世の美女も登場します。ドンナフガータの村長であり、シチリアの新興階級の代表である大金持ち、ドン・カロージェロの娘アンジェリカです。タンクレーディは、恋仲のコンチェッタの意地っ張りに失望して、アンジェリカに結婚を申し込みます。彼にとって、アンジェリカの美貌もさることながら、その莫大な持参金は新しい社会に打って出るための貴重な資金と思えたのです。後見人であるドン・ファブリーツィオは、この結婚を祝福しつつも、曲がりなりにもファルコネーリ家の公爵であるタンクレーディが新興階級の平民の娘と結婚することに時代の決定的な変化を感じ取りました。「山猫」の時代は終わり、がつがつしたハイエナの時代になったということを。

  だが、この物語の核は、むろん誰よりもドン・ファブリーツィオ公爵その人です。父親からは好色と軽薄の資質を、ドイツ人の血を引く母親からは抽象と数学的能力を授かった公爵は、生そのものの喜びと同時に、その猥雑さへの空しさに捉われていました。50歳になろうとするドン・ファブリーツィオは、娼家への出入りを続けながらも、夜は自宅に設置した天文台から星々を覗き、その複雑な視差計算に没頭します。女性への官能的思い、狩猟の喜び、美食への嗜好という俗的欲望と相まって、天空の中に一秒と違わず出現してくる星々への崇敬に似た憧れがありました。それが地上に蠢く人間の運命と悲哀について宇宙的規模での省察に彼を導いたのです。

  すぐれた小説がそうであるように、この物語は美しい断片がモザイクのように組み合わせられながら、その一つ一つのいずれにも物語の核が散りばめられています。その核とは、秩序ある宇宙との精神的合体によって、死すべき存在への赦免と愛情を見出そうとする公爵の願いなのです。

狩の場面を思い出しましょう。公爵は朝早く、忠実な従者と慣れ親しんだ犬たちを連れて狩に出ます。アルグートとテレジーナの二頭の猟犬は、獲物のにおいを嗅ぎ、地面に伏せながら身を硬く緊張させ、低いうなり声を発します。数分後、灰色の野兎が草むらの中で動くと、同時に二発の銃声がして、数秒後にはアルグートが瀕死の野兎を公爵の足元に置きました。
 「(野兎は)痛ましくも、顔面と胸に深い傷を負っていた。ドン・ファブリーツィオは、二つの黒い大きな眼でじっと見詰められているのを感じた。眼はたちまち緑青色のヴェールに覆われはじめ、非難する様子もなく彼を眺めていたが、そこには世の事物の成り立ち全体に向けられた、茫然自失の表情がこめられていた。柔らかな毛に覆われた耳は早くも冷たくなり、頑丈な造りの小さな脚は、リズミカルに痙攣し、はかない逃走を示す身振りを繰り返した。野兎は、大抵の人間と同じように、捕獲された瞬間から脱出の可能性を夢見、不確かな救済の期待に慄(おのの)きながら死んでいった。慈愛に満ちた公爵の指先が、哀れな鼻面を愛撫しているとき、最後の身震いをしたかと思うと動物は息を引き取った」 
 狩は公爵のかけがえのない楽しみの一つであり、皆がまだ眠っている早朝に忍び足で邸宅を出、朝露で濡れそぼった草むらの上にまるで彼を待っていてくれたような金星の輝きを見ると、公爵の胸は高鳴るのです。しかし、そのような楽しみの中にも、公爵の頭から離れないのは、すべての存在が否応なく従わざるを得ない生と死の謎でした。

 物語のもっとも軽やかで歓楽に満ちたページは、婚約した若い二人、タンクレーディとアンジェリカが使われていない部屋が並ぶ宏大な邸宅の内部を手を取り合って散策するときです。二人は純潔を守ろうとしながらも、その欲望は苦悶と化し、法悦と苦悩、抑制までもが快楽となる瞬間に、タンクレーディはアンジェリカの緑色の瞳の中に自分の黒い瞳を見出します。この幸福の瞬間、すなわち、婚約は予定された幸福の猶予期間でありながら、本当の幸福は実はその猶予のとき以外ではなかったのだという瞬間に、人生は皮肉な逆説の顔を見せるのです。「それはまるで忘れられたオペラ作品をよそに独り生きのびた序曲のようである」と作者は書いています。二人の長い結婚生活は、結局は不成功に終わるのですが、その予告編だけが完成品としての美しさを持っていたのです。

 しかし、小説のクライマックスは、やはり、物語の終わり近くに描かれるパレルモでの大舞踏会の場面でしょう。サリーナ家の全員は正装し馬車に乗って舞踏会に出かけます。聖ドメーニコ教会の裏を進んでいると、誰かが亡くなったのか、臨終の聖体を授けに行く司祭に行き会います。司祭は聖杯を持ち、従者は銀の鈴と白い傘を持っています。ドン・ファブリーツィオは慣例通り馬車を停めさせ、降りて歩道に跪きます。それは司祭への敬意であると同時に身罷った死者への祈り、人間の運命への祈りに他なりません。

舞踏会は盛大に催されました。タンクレーディの粋な若々しさ、アンジェリカの恐ろしいまでの美しさ、コンチェッタの上品で清楚な顔立ち。だが、疲れたドン・ファブリーツィオは人のいない図書室でグルーズの《義人の死》という絵画に見入ります。画面では今まさに一人の老人が幾人かの身内に囲まれて死んでゆくところが描かれていました。「自分もまたこのように死ぬのだろうか」という思いが頭をよぎります。そして、なぜ自分の死を思うことは、他人の死のように悲しみとしてではなく、逆に慰みと感じられるのか、不思議に思います。そのとき、彼を探していたアンジェリカが入ってきて、叔父に最後のダンスの相手になってくれと頼みます。

華やかな舞踏会の会場、その真ん中でワルツを踊るドン・ファブリーツィオとアンジェリカ。時間が止まったかのように、舞踏会場の人々は二人の踊りを見つめています。ドン・ファブリーツィオの脚は軽く動き、手はアンジェリカの腰を強く抱きます。彼女のむきだしの肩からは若さの艶やかな香りが立ち上ってきます。公爵は一回転するごとに一年ずつ肩から年齢がはがれていくように感じ、まだ若かったころ妻と踊った幸福な時代を思い返します。幻滅、倦怠、その他もろもろのことを知らなかったその時代のことを、、、。死ぬなんて、とんでもない、と一瞬彼は思いました。

  舞踏会が終わったときはもう明け方になっていました。馬車に乗り込んだ家族に、公爵は自分は歩いて帰ると言い出します。星の降る空を眺めながら帰りたかったのです。すると荷馬車が向こうからやってきて、その中に屠殺場で殺されたばかりの四つに切り刻まれた家畜の屍骸が積まれています。赤い血の滴りが荷馬車の跡に続いていました。四つ角に立つと、白いターバンのように朝もやでくるまれた金星の姿が見えました。「彼女はいつだって自分を待っていてくれた」とドン・ファブリーツィオは思います。しかし、彼女はいつになったら、無様な人間社会や係累から遠く離れた自分だけの世界で束の間に終わることのない逢瀬を約束してくれるのだろうか、そう思ってドン・ファブリーツィオは深いため息をつくのでした。

 作者のトマージ・ディ・ランペドゥーサ(1896~1957)は代々シチリアで宰相を務めた名門ランペドゥーサ公爵家に生れました。ドン・ファブリーツィオのモデルは作者の曽祖父だと言われていますが、この小説に登場する広大な屋敷も貴族の生態もほとんど等身大の作者の体験から出ています。「貴族の家系を存立させる重要な基盤は、すべてその伝統の中、なおも生き続ける根源的な記憶の中にある」と書いたランペドゥーサにとってイタリア統一後に出現した「新興貴族」などは貴族の名に値しなかったのでしょう。さらに、シチリア人であること、シチリアがいやいやながらイタリアに統一されたことに作者はこだわります。シチリアの風土(それはこの小説の中でも興味深く描かれています)への熱い思いは、この物語の中で、ドン・ファブリーツィオが新国家イタリアの上院議員への推挙を拒絶する長い対話の場面で表現されています。

貴族であること、シチリア人であること、しかし、それ以上に作者は死すべき人間であることに深くとらわれています。訳者の解説によると、ランペドゥーサは晩年パレルモの若者に英仏文学を講じていましたが、その受講生の一人は「彼は文字通り、死の影を宿していた」と語っていたそうです。人生のすべての事物、事柄を死を通してしかみることができない人間のさびしい顔立ちが目に浮かぶようです。舞踏会で若いカップルたちが楽しそうに踊っているのを見た公爵は次のように思います。
 「ドン・ファブリーツィオは心が晴れやかになるのを感じた。彼の不快な気分は、揺り籠以前と、臨終の苦しみの後の、その二つの闇の間でわずかに与えられる光を味わい楽しもうと懸命にあがく、この儚い生き物への同情心に席を譲った。確実に死すべき人間に対して、過酷に振舞うことがどうして許されるというのか。彼らは、街の通りを鳴きながら屠殺場へ引かれてゆく動物たち同様、哀れで救いようのない、愛すべき存在なのだ。その、彼らの耳にも、いつの間にか、三時間前に聖ドメーニコ教会の裏で聞いた鈴の音が届くことだろう。永遠以外のものを憎む資格など人間にはない」

 かつてのイタリアの貴族たちは、この現世の苦しみと倦怠からの救いを芸術作品に求めました。しかし、ドン・ファブリーツィオは天体望遠鏡で星々を観測している時だけ平穏でいられたのです。彼は二つの小惑星を発見し、彗星の複雑な計算を成し遂げて賞賛されました。天空の澄み切った整然とした動き、偉大な秩序、そこには地上にはない調和と安らぎがありました。

そして、ついに公爵に死が訪れます。73歳になった老公爵はタンクレーディとコンチェッタの見守る中、パレルモのホテルで静かに息を引き取りますが、それを描く章はコニー・ウィリスの『航路』を思わせる感動に満ちています。死にゆく公爵に次々とかつての思い出がよみがえってきます。幼少年時代の友達、気持ちを通じあえた犬たち、心をときめかせた恋の思い出、アラーゴ(著名な天文学者)から手紙をもらったときの驚き、修道院での悔悟のひと時、、、、そして、意識がまさに遠のいていく瞬間に、旅支度をして鞄を提げた若い女性が汽車の時間に遅れるのを心配して慌てて部屋に入ってきます。身内の人間をかきわけ、ヴェールを外した美しい顔を公爵に近づけ、恥ずかしそうに、すぐにも身をまかせようとしています。彼の求愛に応じて、明け方の東の空から降りてきたのです。「大空の星の間で見かけたときよりも、ずっと美しい女(ひと)のように思われた」
 これがドン・ファブリーツィオの臨終の瞬間でした。

作者のランペドゥーサはほとんどこの一作で世に知られています。『山猫』は作者の死の翌年1958年に出版されました。

 

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