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2008年4月15日 (火)

アンリ・コルバン『イスラーム哲学史』(1)

時折、いや一日に一、二度は必ず次のような子供じみた疑問が頭をよぎります。人間の存在の意味ってなんだろうか、とか、宇宙とはそもそもなんだったのか、という素朴な問いなのです。宇宙が生れる前に原初の闇のようなものがあったのか、また死が意識の突然のそして永遠の遮断だとしたら、その世界こそ原初の闇に違いないのではないか。あるいは、そのようなことを考える意識を人間が持つに至ったのには、どんな企みが潜んでいるのだろうか。映画『ブレードランナー』のレプリカント(人造人間)は、自分がどこから生まれ、そしてどこへ行くのか知りたがりました。そして、彼は自分を作った人間に会いに行くのですが、果たして私たちもまた自らの創造主に出会えるときがくるのでしょうか。

  大昔の素朴な人たちもまた、そのようなことを考えていたようです。というより、彼らにはそのような問い、自分たちがどこから来てどこへ行くのか、という問いは他の何よりもまして切実であったに違いありません。その壮大な回答の一つがプラトンの『ティマイオス』ですが、この書はフィロンやプロクロスのような人々の想像力を大いに刺激しました。

 しかし、西欧では、すでに5世紀以降には宇宙と人間の意味についての問いは神学においても哲学においても閉ざされていったようです。キリスト教がローマにおいて現世的権力を得たのが、そのグノーシス主義をほぼ払拭したのちであったということは興味ある事実です。哲学も神学からの分離を果たして以降、もっぱら「道具的理性」に奉仕してきました。哲学はニコラウス・クザーヌスで最後の輝きを放ったのちに完全に終了した、という意見も過激ではありません。

  ところが、東方の地では1400年もの間、そして現在まで、途切れることなく、根源に至る思索が続けられてきました。20世紀半ばからシーア派イスラームの原典が次々と西欧世界の研究者の俎上に載せられて、この知られざる思想的営為の数々が明らかにされてきました。それによると、多くの哲学史がアヴェロエスで終わりにしていたイスラーム哲学は、実際は、イラン・サファヴィー朝ルネサンスを経て現在に至るまで、連綿と受け継がれてきたと、いうのです。ハイダル・アーモリー、ミール・ダーマード、モッラー・サドラー・シーラージーという名前は、デカルト、スピノザ、ライプニッツというラインナップと比べて少しも遜色がないように見えますが、彼らの哲学的探求は西欧の哲学者たちとは全く異質のものでした。「イスラームにおける哲学的瞑想とその意義を真に理解するためには、西洋において数世紀来《哲学》とよばれてきたものを決して求めてはならない」とアンリ・コルバンは『イスラーム哲学史』(岩波書店・黒田寿郎、柏木英彦)で書いています。「イスラームの哲学者たちの間で優位を占めている基本的概念は、社会的規範に帰属する倫理的概念であるよりも、むしろ精神的完成の理念なのである。ところで各個人はこのような完成に到達するために、社会的、政治的な水平の道を歩むのではなく、自分自身を自らの命運の最高の保証たる超越的階層と関わりをもたせる垂直の道を辿らねばならない」

  これは神秘主義の道であり、世界を階層構造、あるいは多元的な宇宙と捉え、意識をそこに至るまでのいくつかのレベルに分割して考える思想です。イスラーム哲学、特にシーア派イスラームにおいては千年以上の間、このような思想訓練の伝統ができあがってきていました。一方、哲学を神学から分離し、科学と同じ地平の論理的訓練に終始してきた西欧においては、もはやそのような思想的地盤は完全に失われています。神秘主義は西洋では錬金術や魔術や芸術の衣の下でしか生き残れませんでした。このような伝統の断絶、消滅は決定的なもので、回復不能のものです。シーア派的に、この世界のほかに別の世界を考えること、この世界を別の世界の似像と考えることは、ハイデガー流にいえば、生自身が頽落していることの証明でしかないし、論理哲学的にいえば、無意味な仮定にすぎません。

  ここで、いきなり『イスラーム哲学史』の最後の部分を引用してみましょう。
1198年、追放先のマラケシュでアヴェロエスが他界し、その遺体が馬に載せられて故郷のコルドバに帰ってきました。イブン・アラビーはその光景を身じろぎもせずに立ち尽くして見ていました。

「アヴェロエスの遺体がコルドバに運ばれたおりに、イブン・アラビーがそれを目撃したことは先に記した。これについての彼の記憶は強烈なものであった。馬の背の片側には棺が乗せられ、反対側にはアヴェロエスの著作が積まれていたのである。《遺体と平衡を保つ一束の書物》。伝統的な東方イスラームの瞑想的、学問的営みの意味を理解するためには、このイマージュをその追求、選択の裏返しの象徴として、つまり死に勝利する《神的な学》として銘記する必要がある」

 「イスラーム哲学がかくも長期にわたって西洋の一般哲学史から除外されてきたこと、あるいは少なくともそれがおおむねラテン・スコラ学的視野からのみ考察されてきたのは嘆かわしいことである、、、、イスラーム世界における伝統的形而上学の未来とは何か。したがってこの世界における意味は果たしていかがなものであろうか」

「その未来について訊すということは、まず証人として訊すということである。西洋の哲学史家たちが、今日に至るまで証言台に招こうとしなかったのは、まさしくこのような証人なのである。だが、この証人は、彼自身もまた、西洋が誇りとしている聖書とギリシア的叡智の申し子でありながら、西洋において13世紀以降に生じたものが、なにゆえ東方では生じなかったかを明らかにしてくれるであろう。外部世界を無限に征服する力をもちながら、その代償として哲学すべての恐るべき危機、人格の喪失、虚無の容認を伴うような学問は、このような証人を前にして、《遺体と平衡を保つ一束の書物》ほどの重さをもちうるだろうか」

 コルバンの『イスラーム哲学史』は、まず、イスラーム哲学の根本規定から筆を起こします。それはまずイスラム教が、ゾロアスター教、ユダヤ教、キリスト教と同じく「啓典の民」だということです。彼らにとっての課題は、聖典の真意を理解し、真理であると同時に本質であるような意味、つまりその聖典の精神的意味を追求することにあります。このことは、それぞれの民族に独自の精神文化、したがってある種の哲学をも要請することになるはずです。

「精神的意味の獲得を目的にするということは、前提として精神的意味とは異なる意味が存在すること、またこれら両者の間にはおそらく段階的差異があり、この差異は精神的意味自体の複数性を要求する、といったことを暗黙のうちに認めることになる。したがってすべては独自の展望を与える視点を設定する意識の最初の行為と、この展望の法則であり続けるような付帯的な法則にかかっている。意識自体に解釈学的展望を与えるこの行為は、意識に対してそれが組織化する世界、階層的存在構造をもつべき世界をも啓示する」

 啓典の民すべてに同様な上記の状況に加え、真の意味への接近の仕方に応じて、各宗教は互いにその質を異にすることになります。たとえば、イスラームにはキリスト教のような「教会」は存在しません。《恩寵の仲介》をこととする聖職者もいないし、教義の裁定を行う宗教会議もありません。イスラム教においてなされた自由で活発な精神的解釈学は、キリスト教においては教義上の師父が代行することになります。そして、決定的な相違は、キリスト教が歴史上の特定の時に起こった出来事にもっぱら関心を注ぐことにより、神が歴史に介入し(つまり神の受肉です)、聖書の字義通りの意味と真の意味とが神が参加する「歴史的意味」に包含されてしまうということです。

「イスラームの宗教意識は一つの歴史的事実にではなく、一つの超歴史(メタイストワール)の事実に集約されている」とコルバンは書いています。それは、「現世の成立以前に人間に課せられた《我は汝の主にあらずや》という神の問いかけにほかならない」

 イスラームのすべてはここから始まります。そして、天使が読み上げ、預言者が聞き取った件の聖典のうちにその姿を明らかにしている神自身、神の超越性と神の唯一性が思索の本質的な対象となりました。そこには、人間存在に関する真理、その由来の意味、またはその未来の命運に関する意味は、究極のところ神的啓示の真理に依存しているという信念、そしてその真理は盲いた魂には無縁であり、むしろ真理はその隠れた秘教的な意味合いによってこそ保護され維持されるという信念があります。そして、この信念は、ムアタジラ派などの正統派カラーム、ギリシア的哲学者(ファラーシファ)、スーフィーたちによってではなく、ただ、シーア派イスラームによってのみ受け継がれた、とコルバンは書いています。シーア派、とくにその本流たる十二イマーム・シーア派は、16世紀のサファヴィー朝に至るまで、宗教的少数者としての迫害、盛衰、試練に耐え抜いて、真のイスラームの証たらんという断固たる決意のために生き延びることができました。この信念が、キリスト教が陥った致命的な俗化からイスラーム哲学を救ったのです。

 コルバンのこの書は、シーア派イスラームの原典(歴代イマームの言葉を集積したイスナード、伝承の鎖とそれの注釈)から説き起こした「過去に先例をもたない」研究です。たとえば井筒俊彦の『イスラーム思想史』(中公文庫)は正統派カラーム(スンニー派の弁証論)、スーフィズム、ギリシア的哲学という従来の思想史を踏襲しています。また、同じ著者の『イスラーム哲学の原像』(岩波新書)は戦後の新研究を踏まえているものの、著者の射程はスーフィズムと仏教とを包含した普遍的な神秘主義にあるので、シーア派の思索の根源に迫ろうとしたコルバンの現象学的アプローチとはかなり異なっています。

次回より、断続的にですが、十二イマーム・シーア派、およびイスマーイール派を順番に紹介していこうと思います。

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