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2008年3月13日 (木)

アレクサンドル・グリーン『波の上を駆ける女』

 「これは恋愛小説ですよ」とこの本を私に貸してくれた女性は言っていました。もう、ずいぶんと遠い昔のことです。一頁一頁、惜しむように彼女が読んだというその小説を私も読みました。ラム酒の芳香とシガーの煙に包まれたその物語の雰囲気は覚えていますが、あらすじはすっかり忘れていました。先日の神田古書会館の即売会「紙魚の会」で、久しぶりにこの本に出会いました。古書価はわずか100円ですが、その本を手にし、その本を開くと、私の青春時代そのものが甘酸っぱい香りとともに立ち現れてくるようです。

  いま再びこの物語を読んでみると、『波の上を駆ける女』(晶文社・安井侑子訳)は、確かに恋愛のある秘密に通じているようです。アレクサンドル・グリーン(1880-1932)本名アレクサンドル・ステパーノヴィッチ・グリネフスキー、はポーランドから流刑されてきた父親と土地のロシア人を母親にしてシベリアの町ヴィヤトカで生れました。海洋冒険小説に夢中だった少年は、中学校を卒業すると故郷のさびしい町をはなれて船乗りになるためオデッサへと旅立ちました。そのときグリーンは15歳、このときから放浪に明け暮れる波瀾にみちた生涯が始まるのです。船乗り、金鉱掘り、志願兵などを経験した後、22歳の時に左翼社会革命党(エス・エル)に入党し、三度の入獄を体験します。このころから彼は小説を書き始め、リアリズム小説の習作を経て後、一気に独特のロマンチズムと想像力あふれる小説世界を作り出します。

  グリーンの小説は、風変わりな人間の多いロシア文学の中でもひときわ異彩を放っています。舞台は、ほとんど船旅の先にある遠い南の国で、その架空の地名にも登場人物の名前にも何らロシア的なものは見られません。彼の作り出した小説世界はグリーンランディアと呼ばれ、そのファンタジーに満ちた世界に魅了された人間をグリーンマニアと呼びます。おそらく、その魅力は、ただ甘ったるいファンタジーだけではなく、リルケが歌ったような「熱い手を持ち、苦しい夢を抱く」人々への共感にあふれているからでしょう。

  旅に生きる男、トーマス・ハーヴェイは港町リッスで、今、船を降りたばかりの見知らぬ少女の姿を目にします。質素な白い麻の帽子と青いスカートをはき、人ごみの中でも超然としているすらりとした美少女、彼女はまるで自分のまわりのすべてを思い通りに支配せずにおかないような雰囲気を持っています。ハーヴェイはホテルに電話して、その少女の名前がビーチェ・セニエルであること、着いてすぐにまたどこかに旅立ってしまったことを知ります。

 ハーヴェイは正体の知れぬ「成らざる夢」を探し求めていました。もはや届かぬものとあきらめかけたその時に、彼の前に現れたビーチェ・セニエルは、彼が探し求めていた「成らざる夢」そのものではないかとハーヴェイに思わせました。

  翌日、友人の家でカードをしているとき、突然ハーヴェイの耳に「波の上を駆ける女」という言葉が聞こえます。どこから来たかわからないその声に誘われるように、帰り道、港に停泊している美しい船を見つけますが、その船の名はまさに「波の上を駆ける女」でした。ハーヴェイはただちにその船に乗ることを決意しますが、船長のゲスはなぜかハーヴェイを歓迎せず、航海中でも彼への敵意を露にしていきます。ついに大喧嘩した後、ゲスはハーヴェイをボートにのせて大海に放り出します。暗い夜に一人でボートに取り残されたハーヴェイ、しかし、そこで、物語中随一の不可思議な出来事が起こります。黒い髪をして象牙色のレースの服を着た美しく物静かな女性がボートに乗り移ってきたのです。フレジー・グラントと名乗ったその女性は、ハーヴェイに、「あなたは、翌朝一艘の船に助け上げられ、ヘル・ヒューという港町で再び私に逢うだろう。けれど、私があなたに逢ったことは、これから出会う一人の女性を除いて誰にも話してはいけない、特にあなたが逢いたいと願っているビーチェ・セニエルには決して話してはいけない」と謎めいたことを言いました。そして、暗い波の上を駆けるように遠く消えて行ってしまうのです。

  翌朝、予言とおり、ハーヴェイはヌィロク号という船に発見され、その船の上で船長の姪であるデジーという少女に会います。青い眼をした明るく無邪気な少女デジーはハーヴェイの心を引きつけましたが、ハーヴェイは自分の「成らざる夢」としてのビーチェ・セルニエを忘れることはできません。

ヘル・ヒューの港につくと、ちょうどカーニヴァルの真最中で、男も女も顔に半マスクをつけて仮装しています。花火の音、楽団の響き、人々が踊り楽しむ広場の真ん中にハーヴェイは波の上を駆ける女の彫像を見つけます。そして、その彫像に導かれるようにハーヴェイは町の劇場で、マスクをつけたビーチェ・セニエルと遭遇するのです。

ビーチェ・セニエルは、ハーヴェイが「波の上を駆ける女」号に乗っていたことを知って驚きます。というのも、「波の上を駆ける女」号は彼女の父親の持ち船だったのですが、破産した父親の担保としてゲスに船をとられてしまったのです。ゲス船長に対する共通の憎しみから二人は急接近します。ビーチェはハーヴェイに、「波の上を駆ける女」号の上で起こったことをすべて話すよう求めますが、ハーヴェイは波の上を駆けていった女性フレジー・グラントについてだけは黙っています。

 ここで突然、殺人事件が起こって物語が急展開します。最初に疑われたビーチェ・セニエルは、ハーヴェイの尽力もあって嫌疑を晴らしますが、そのためにビーチェはハーヴェイに愛情さえ抱くようになります。ところが、ビーチェ・セニエルは自分の愛する男性に絶対の誠実さを求めます。彼女は、ハーヴェイが自分にすべてを話していないことを不審に思います。仕方なく、ハーヴェイは、フレジー・グラントの忠告を無視して、夜の海の上を駆けて消えていった女性のことを話します。すると、ビーチェの顔色が突然変わります。「ハーヴェイ、どうか冗談だと言って下さい」とビーチェはハーヴェイに言いました。「ハーヴェイ、それを信じろというのは、カローやフラゴナールの描く非現実を現実と信じろというようなものです、波の上を駆ける女を信じろというのは。あなたという一人の人間の中に二人の人間がいるということを、、、」「ビーチェ、許してください」とハーヴェイは答えます。「しかし、それは真実にあったことなのです」

ビーチェ・セニエルは悲しい眼差しをしてハーヴェイから去っていきました。 
 ハーヴェイは傷心した思いで、ヘル・ヒューを発ち、紅茶会社の外国通信員として奇妙な二重生活を送り始めます。一つは真面目な事務員としての顔、もう一つは思い出にさいなまれ、思い出に追いかけまわされる男としての顔でした。絶えず彼は強い痛みとともにビーチェ・セニエルのことを思い出すのです。「しかし」と彼は思います。「あらゆることにもかかわらず、私は自らの尊厳が賭けられたあの瞬間に、嘘をつかなかったことで、幸せだった。そして同時に、ビーチェが、自らの世界の明るい庭において、何一つ譲らなかったことを嬉しく思った。私は、自分と彼女との間のへだたりを正当なものと認め、私が彼女とちがう存在であることを悔やむしかなかった」

 ある日、レガの町で、店のショー・ウィンドーに飾ってある帆船の模型を見ていたとき、誰かがハーヴェイの両目を後ろから隠しました。振り向くと、まっすぐな陽気なまなざしで彼を見ているデジーがいました。瞬間、ハーヴェイの胸の中にデジーへの愛情が湧き上がってきます。デジーは大好きなハーヴェイに偶然出会えた喜びで夢中です。「あなたが好きよ、ハーヴェイ」とデジーは叫びます。「おお、どんなに逢いたかったことでしょう! 私はたくさん言い残してしまったんですもの。あなたは、フレジー・グラントに逢ったのね!? 私に言うのが恐かったの? あなたは、波の上を駆ける女を見たのね?どんなに私が驚いたか、どんなに私が有頂天になったか、わかって? あなたのこの目がフレジー・グラントをみたのよ。底知れない海の深みの上に素足で立つことを恐れなかった、レースの服を着た少女を」

ハーヴェイはデジーと結婚し、物語は幸福な幕を閉じます。 
 グリーン
48歳のとき書き上げた最晩年の長編小説であるこの物語は、ロマンティックな男の人生の総決算とも読めるでしょう。ここには、三人の女性が登場します。憧れの対象であり、理知的で物静かで謎のような存在であるビーチェ・セニエル、明るく、無邪気で子供のようなデジー、そして波の上を駆ける女、フレジー・グラント。むろん、「波の上を駆ける女」はハーヴェイの心の真実、それあるがゆえに自分を律することのできる真実そのものです。「成らざる夢」の実現であるビーチェ・セニエルはハーヴェイを好きになったが、それは彼を優しくて立派な人間だと思ったからです。しかし、彼女は、波の上を駆ける女を見たというハーヴェイの言葉に動揺し、彼を嘘つきだと思って彼から去って行きました。一方、南の国の純で恥ずかしがり屋のデジーは、何の疑念もなくハーヴェイの物語を信じました。彼を愛していたからその話を信じたのではなく、その話の真実ゆえに彼を愛したのです。夢見る男の挫折と救いについて、これほどの美しい比喩があるでしょうか。

 

 

 

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コメント

 はじめまして。 偶然バートランド・ラッセル
のことについて書かれた文章を見つけ、非常に印
象に残っていたので時々眺めに来ていました。
 今回取り上げられた「波の上を駆ける女」は私
も図書館で見つけ、後に古本屋で探し回って購入
した記憶に残る本です。
 非常に謎めいたストーリーですが、ハーヴェイ
の前に現れる3人の女性はすがすがしく印象的で
すね。

投稿: くろだ | 2008年4月 6日 (日) 16時15分

 くろださん、コメントありがとうございます。私が古本屋や古書展を巡り歩く理由は、懐かしい本に再会できるからです。そして、その本にまつわる昔の友人や知人の顔、徘徊した町の思い出とともに、ゆっくりと酒杯を重ねることは私の密やかな愉しみでもあります。
 アレクサンドル・グリーンの本も、私のそういう感傷によって色濃く潤色されているかもしれません。それでは、また。

投稿: saiki | 2008年4月 6日 (日) 22時25分

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