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2007年12月13日 (木)

パリ滞在記第四日オルセー

 日曜日には近くのモット・ピケ・グルネルで朝市があります。メトロ6番線の高架の下で100メートルほど露店が並ぶのです。私たちは朝市のついでにコインランドリーで汚れたシャツ類を洗濯することにしました。パリでは洗濯物を外に干せないので、コインランドリーはどこにでもあるようです。モット・ピケ・グルネル駅の近くのその店は明るく清潔で、まだ朝早くなので客は一人しかいませんでした。20台ほどの洗濯機と10台ほどの乾燥機が置いてあり、それが壁の一枚のパネルで集中管理されています。私たちがパネルの説明を読んでいると、管理人らしい中国人の青年が近寄ってきて親切に教えてくれました。まず洗濯物を入れ、買った洗剤と柔軟剤を投入し、コインを入れて機械の番号を押すのです。費用は、洗濯機3.5ユーロ、乾燥機2ユーロ、洗剤1ユーロ、柔軟剤0.5ユーロ、計7ユーロでした。
 機械を動かしている間、朝市を散歩します。まだ早いので準備中の店もありましたが、その慌ただしさがいかにも活き活きしたパリの朝の雰囲気を感じさせます。大鍋に炊きあがったパエリアの目の醒めるような黄色、ほうれん草とチーズのたっぷり入ったキッシュ・ロレーヌの香り、ゆっくりと回転しながらローストされる七面鳥のももから垂れる油、これこそ印象に残るパリの朝の思い出です。私たちは今日の夕食のために、鶏のもも焼き1.5ユーロ、焼いたジャガイモ2.3ユーロ、いちご3.2ユーロ、木イチゴのタルト1.8ユーロを買っておきました。

 今日も厳しい寒さ(0度)ですが、6番線は1 sur 10(10本に1本)になったので、カンブロン駅で地下鉄を待つことにしました。むろん改札は無料開放です。15分ほどで地下鉄は来たのですが、やはり混んでいます。私たちはモンパルナスで4番線に乗り換えてシテ島で降りました。日曜の小鳥市を見ようとしたのですが、いざ来てみると狭くて見るべきものはほとんどありません。小鳥の他はモルモットやリスのような小動物がいるだけでした。私たちは次の予定、オルセー美術館に向かうことにしましたが、私はその前に警察署とオテル・デュウ(市立病院)に囲まれたシテ島の静寂な一角の空気をしばし味わいました。『マルテの手記』にはオテル・デュウに運ばれる重病の人々の姿が描かれています。ノートル・ダム寺院の正面を見上げていると、オテル・デュウに向かって疾走する馬車にあやうく轢かれそうになる、とリルケは書いています。馬車の窓のすりガラスを通して見えるのは苦悶してのたうちまわる病人の姿です。貧乏な人々は幌のない無蓋の辻馬車で瀕死の状態のまま運ばれてきます。「この都会で病気になるとは何と恐ろしいことだろう」29歳のリルケの目に映るものは、道端で倒れる男、うずくまる妊婦、サルペトリエール病院に運ばれる娼婦や乞食です。「人々は生きんがためにこの都会にやってくるが、僕にはここで死ぬためのように思われる」

 ポン・ヌフを渡り、マラケ河岸、ヴォルテール河岸と歩くと、この寒さにもかかわらずブキニスト(古本屋)が店を開けています。面白い本もあるが、値段はどれも高めで、半分は観光客向けの商品で埋まっています。体を温めるためでしょうか、赤ワインを飲みながら店番をしている店主もいます。気候がよかったら何と楽な商売でしょうか。リルケはこう書いています。「僕は時々、セーヌ川の露店の前を散歩する。、、ああ、僕もあのような生活で満足できたら。この場所を譲り受けて、書棚を歩き回る猫や、前でうずくまる犬とならんで20年ほどすわってみることができたら、、」

 ヴォルテール河岸からアナトール・フランス河岸にくると、ついにオルセー美術館(Musee d'Orsay)が姿を現します。1900年にオレルアン鉄道の発着駅として建設され、1986年に女性建築家によってその駅舎の雰囲気を色濃く残したまま美術館に改築されました。私はパリの建築の中でこの美術館が一番美しいといつも思います。アナトール・フランス河岸に沿って、この細長い建物の横をゆっくり眺めていきましょう。建物の上の方に、左から順番にオレルアン鉄道の停車駅の名が彫られています。ボルドー、ナント、リモージュ、トゥーム、ロリアン、オレルアン、、、そして上に飾られた彫像は各地方の守護聖人の像でしょうか。駅舎の魅力は旅への憧れを喚び起こすところにあります。そして素晴らしく大きな二つの丸時計、向うに列車が停車しているのが見えるようなアーチ型の七つの窓! 
 正面の入口にくると、長蛇の列です。日曜日は5.5ユーロで入れるからですが、入場のときの厳しい手荷物検査と赤外線検査が列を滞らせる原因になっているのです。私たちは寒い中40分並んでやっと入場できました。すぐに向かったのは5階のカフェ・デ・オトゥールです。熱いコーヒーを飲んで体を温め、それからじっくり絵を見ようと思ったのです。カフェも混んでいて、少しの間並んで待ちましたが、ホールを取り仕切る洒落た黒人女性が案内してくれた私たちの席は何とセーヌ川に面したあの大時計の前の席でした。私たちは大時計の丸い縁にコートと鞄を置いて、カフェ・ノワゼットとカフェ・ロング(計4ユーロ)を飲みました。隣の席に座った日本人の若い姉妹はサラダなどを頼んで38ユーロも払っています。私たちはその裕福さにびっくりしました。

 ローマについてこんな話があります。「もし、ローマを見学するのに一日しか与えられなかったら、その人は見るべきものの50パーセントしか見ることができないだろう。もし。一週間与えられたら見るべきものの30パーセント、一ヶ月なら10パーセント、一年ならほとんど何も見ることはないであろう」と。つまり、明日見れるものは今日見ないし、いつでも見れると思えば永遠に見ない、ということなのです。パリについていえば、それと同じことが人間の年齢について言えるでしょう。20歳でパリに来ても決して必死に見ることはなく、30,40代では余裕をもってパリを見るが、50代では恐らくこれが最後と思い心して見つめることでしょう。
 私はオルセーの部屋から部屋へ時間をかけてじっくり見ていきました。セザンヌの「オーヴェール・シュールオワーズの首つりの家」やゴッホの「ボヘミアンのキャンプ」、そしてピサロ、ゴーギャン、ルノワールなど、私は自分が感じたものが強い印象になって心に残るまで目に焼き付けていきました。
 妻は私より常に一部屋二部屋先に進んでいて、時折ベンチで手持ち無沙汰に待っています。私はこの日だけは妻の気持ちを無視して思いどおりに時間をかけて絵を見ていきました。不満そうな顔の妻に私は言いました。「オルセーに来るのはこれが最後かも知れないし、ピサロやゴッホの絵を二度と見ることができないかも知れない。だから、これが最後だと思って思う存分時間をかけて見ているんだよ」しかし、妻はきょとんとした顔で私を見ています。妻はまだ若く、彼女にとってはパリに行くのは四国や仙台に行くぐらい容易なことに思えるのでしょう。それはむろん幸せなことではあるが、ある意味不幸であるといえなくもない、と私は思いました。しかし、と同時に私は妻の興味が中世からルネサンスの芸術にあって、19世紀後半の絵画を中心としたオルセーの所蔵作品に永続的価値を認められないのではないかとも気付きました。それはまたそれで仕方のないことではあります。

 オルセーを出てから、温かい飲み物と軽食を食べられるところを探して、私たちは日曜の閑散としたサン・ジェルマン大通りを下っていきました。すぐにサン・ジェルマン・デ・プレの教会が目に入ります。カフェ・ドゥ・マゴとカフェ・フロールが隣り合うこの一角は今や最もコアな観光地といえるでしょう。こういうところで適正な値段であたたかいサービスが受けられると考える方が間違っています。私は昔何回か訪れたカフェ・ボナパルトをのぞいてみましたが、ここも昔の倍くらいの料金表を掲げています。
 いつのまにか、パリに来て初めての雨が降り出しました。私たちはロマネスク様式のサン・ジェルマン・デ・プレ教会の横を通って、小さな折りたたみ傘で冷たい雨をしのぎながらオデオンを越えて歩きましたが、Maubert Mutualite駅近くの横町でLa Petite Perigordine という感じの良いカフェを見つけました。「ペリゴールの小娘」という名のこのカフェはおそらくペリゴール出身者の家族が経営しているのでしょう。店内は田舎のあたたかい雰囲気があって、窓際の席に着くとすぐに体と心が温まるのを感じました。ギャルソンはとても愛想がよく、この仕事を心から楽しんでいることがわかります。隣の席にすわった外国人らしき客が定食のメニューについて何やら質問していると、ギャルソンは外に立ててある大きなボードを中に持ち込んでチョークで書いてあるメニューを指さしながら説明しています。私たちはホット・チョコレートとコーヒーと自家製テリーヌのサンドイッチを注文しました。ゆっくり食べ終わった後、メニューに記されてあった店のホームページ・アドレスを私がノートに写していると、ギャルソンが心配そうな顔でこちらを見ています。「ミシュランか何かの記者だと思ったんじゃない」と後で妻が笑って言いました。

 居心地の良いカフェで長居しすぎて、私たちは慌てて今日の最後の訪問地、レ・アルにあるサン・トスタッシュ教会に向かいました。メトロのレ・アル駅のすぐ前に立つサン・トスタッシュ教会は壮大な教会です。ここで、毎日曜の17時半から8000本のパイプを使ったパイプオルガンの演奏を聴くことができるのです。着いたとき、すでに演奏は始まっていたので、私たちはそっと空いている席にすわりました。オルガンの音が巨大な天井と壁を振動させています。死者の霊を慰め、これから至りゆく天国の楽園の栄光について語るのにこれ以上の芸術は考えられません。最後の曲に入ると、オルガンの調子は強まり、押し寄せる荒波のような響きが全教会の隅々まで反響します。演奏は終り、盛大な拍手の中を演奏者が退場し、司祭が人々に散会を促します。
 私たちは十分満足して地下鉄に乗りました。妻は疲れたのか座席につくやいなや眠り始めました。私は教会で思い出したことをもう一度思い出していました。それは昔見たミッキー・ローク主演の映画『死にゆく者への祈り』です。IRAのテロリストであった主人公は、誤ってスクールバスを爆破してしまいます。償い切れない罪の負い目から彼はIRAを脱退してロンドンに逃れますが、スコットランド・ヤードは彼への指名手配を緩めていません。ある時、彼は刑事たちに追われて教会に逃げ込みます。教会の祭司の娘は彼の無実を信じ、彼をパイプオルガンの裏に隠します。しかし、刑事は彼を発見し、銃口が一斉に彼に向けられます。娘はとっさに彼をかばい、彼が実はパイプオルガンの修理に来た人間であると訴えます。刑事は冷笑するが、娘の熱心さに負けて、彼に、それではオルガンを弾いてみろと言います。絶望した顔の娘、あざ笑うような刑事、観念した顔の主人公はオルガンの前にすわります。しばしの沈黙の後、彼は二つ三つの鍵を押しますが、不揃いな音が震えるように出るだけです。再び銃口が彼に向けられると、突然、教会全体にバッハの荘厳なトッカータが響き渡ります。あっけにとられる刑事、喜びで顔を輝かす娘、、、。教会に逃げ込んだ凶悪犯がパイプオルガンの名手である確率がどのくらいのものであるかはわかりません。しかし、その確率も、熱沸するタンパク質から生命が合成され、それがついに教会堂とパイプオルガンの崇高な感動を生み出す偶然に比べたら問題ではありえないでしょう、、、。

 モット・ピケ・グルネルの駅前の店で、私たちは中年のおじさんが焼いているクレープ屋に寄りました。クレープが焼けるまで妻がおじさんと何やら冗談を言い合っています。私たちはチョコレート・クレープを一つずつ食べながらホテルまで歩きました。パリのクレープは茶色い色でガレットと区別がつきません。ホテルに着いて、朝買っておいた鶏やジャガイモをワインと一緒に食べました。妻は頭痛がしてきたのですぐに眠りに入りました。明日は一日雨、ストは継続の見込みというニュースを見ながら私もぐっすり眠りこんでしまいました。精神を使い切ってぐったりした日曜日にはワインが深く腹に沁みてくるようです。

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