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2007年12月16日 (日)

パリ滞在記第五日散策

 11月19日、月曜日。朝、食堂へ。ここは、セルフサービスで、パン、コーヒー、紅茶、ジュース、ヨーグルト、フルーツ、チーズ、卵、シリアルなどが揃えてあります。私たちは入口でサインしてから、まず食堂係の黒人の女性に挨拶します。彼女は、食堂に来る宿泊客全員に大きな声で挨拶しますが、返事をして一言二言ことばを交わすのは私たちだけのようです。宿泊客はアメリカ人、スペイン人、ドイツ人などで、彼らは私たち(アジア人は私たちだけのようでした)が挨拶しても無視します。もし、フランス人ならこのような態度は考えられないことです。フランス人がどんな場合もきちんと挨拶するのはパリを訪れた外国人の等しく感じるところでしょう。窓口で切符一枚買うときでも、まず挨拶から始まります。高いレストランでも安いカフェでも、100ユーロ買おうが1ユーロ買おうが、メルシ、オバー・ムッシュ、ボンジョルネ(夕方はボンソワレ)という言葉が返ってきます。ある本によれば、どんな不良少年でもエレベーターで他人と一緒になると、ボンジュールと挨拶してしまうそうです。相手が一人の人間であって、壁や物や空気ではないと認めるのが社会生活の第一歩であると学んでいるかのようです。私はここにフランス人の平等 egalite の感覚を感じるのですが、その平等はアングロサクソンの感じる平等ともアジア人が抱く平等の観念とも違うようです。それは、デカルトがbon sens は公平に与えられていると言った意味での平等なのかもしれません。お互いに理性の通じ合う人間であると確認して、さてそれからすべてが始まるのです、、、。

 ここ四日間の疲れが出たらしく、朝食を食べて部屋に戻ると、体が重く感じられたのでベッドで横になっていました。10時頃になって気分が回復してきましたが、今日は無理をせず、軽く街を散策することにしました。
 モット・ピケ・グルネル駅で20分待って、8番線でオペラ駅まで向かいました。早朝からの雨はほぼ上がりかけていました。オペラ座の正面半分は工事中でしたが、その華やかで堂々とした姿は何度見ても飽きません。妻は映画『オペラ座の怪人』を見て以来、このオペラ・ガルニエでオペラかバレエを観るのを楽しみにしていました。ところが、日本でオペラ座の公演スケジュールを調べても私たちのパリ滞在時には面白そうな演目はありません。バレエ『くるみ割り人形』はなぜかオペラ・ガルニエでなく、オペラ・バスチーユで催されています。仕方なく、日本ではチケットを買わず、パリに行って様子を見ようと思いました。実際にオペラ座の階段を上ってみると、妻はやはりオペラを観たくなったようで、滞在中に演じられる唯一のオペラ『Alcina』のチケットがまだあるかどうかチケット売り場で聞いてみました。10ユーロの席がちょうど二つ残っていました。舞台左側の五階です。あまり期待できない席ですが、それより高い席はすべて売り切れているので、仕方なくその最後の二枚を手に入れました。公演日は25日の日曜、パリを離れる前日です。
 チケットを買った後、オペラ大通りをぶらぶら歩いて、ブックオフとジュンク堂に寄りました。ブックオフは日本の店舗と同じ感じですが、2ユーロ均一はすべて日本のクズ本で埋まっています。ジュンク堂は狭い店舗で新宿や池袋の面影はありません。
 ジュンク堂のはす向かいにあったツーリスト・インフォメーションでパリ・ミュージアム・パスを買おうとしたら、スト中は販売できないと言われました。いつから売ってくれるのか、と聞くと、水曜に大きなストがあるからそれ以降だとのこと。当初の予定は大幅に狂っています。
 今日はもう予定はなかったのですが、オデオン付近の雑踏に浸ってみようと、地下鉄でオデオンまで行きました。まずレストランを探しましたが、ランチ時でみな混んでいます。ムール貝の専門店『レオン・ド・ブリュッセル』に入りましたが、二人とも実は貝は食べられないので、魚のコロッケと魚のステーキ、それにベルギーのビールを注文しました。味はまずまずですが、これで25ユーロ(約4200円)は少し高いような気がしました。

 昼食を食べ、外に出ると、雨が完全に上がり、雲間から日差しも出ています。私たちはぶらぶらとレンヌ通りを越えてラスパイユ通りまで歩きました。途中のサン・シュルピス通りやレンヌ通りには衣服や靴やアクセサリーの洒落た店がありますが、むろん貧乏な私たちは店内には入らず、ウインドウだけのぞきました。ウインドウ・ショッピングのことをフランス語で leche vitrines(ウインドウをなめる)といいますが、それはいい得て妙で、パリの店のウインドウは東京のようにその店のコンセプトを端的にあるいは象徴的に表現するものではなく、即物的にその店の最も魅力的な商品がことごとく展示され、すべて価格が明示されています。いわばウインドウは商品のカタログそのものなのです。
 ラスパイユ通りを歩いていくと、ガリマールの直営店があったので入りました。今はアマゾンで何でも買えるので、わざわざ重い本を持ち帰る意味はありませんが、それでもあれこれ手にとって見ることができるのは本好きの人間ならではの楽しみでしょう。記念にヘンリー・ミラーの『Lire aux cabinets』(トイレで読書)を買いました。これは Folio の2ユーロ均一の文庫です。

 セーブル・バビロンの交差点にくると、すぐにパリで最も古いデパート、ボン・マルシェ(Le Bon Marche Rive Gauche)が見えます。これは、たいへん立派な建物で、中は静かで落ち着いていて、中国人観光客の集団なぞは見られません。特に地階の文房具・玩具・書籍売り場は見応えがあります。妻はぬいぐるみやチェス・セットに目を奪われて買おうかどうか迷っています。書籍売り場は広くて明るく、ソファーで何冊も抱えて試し読みしている客もいます。作家はアルファベット順に整然と並んでいるのでとても探しやすい。私は、またまた Folio の2ユーロの文庫を買いました。今度はユイスマンスの『Sac au Dos』(背嚢を背負って)です。となりのボン・マルシェ別館は食品館(Grande Epicerie)となっています。広々として非常に買いやすい、およそ食材のあらゆるものが揃っています。妻はここでパリ土産のお菓子を多量に買い込みました。

 もう外が暗くなってきました。ヴァノー駅からメトロ10番線でモット・ピケ・グルネルまで帰ろうとしたところ、駅のホームは閑散としています。時折聞こえる駅のアナウンスによると、走ってはいるが、ほとんど走っていない、という曖昧なもの。ベンチに座って電車を待っていると、フランス人の女性がやってきて、どのくらい待っているのか、と聞きます。10分くらい、と答えると、ウーンと考えてから階段を上がって出ていってしまいました。ホームに誰もいなくなったので、私たちもあきらめて外に出ました。ここからならホテルまで歩いてもそれほどの距離ではありません。
 セーヴル通りをデュロック駅まで歩き、さらにネッケル小児総合病院の横を歩くと、急に人通りが少なくなります。暗い通りに、小児病棟の灯りだけがなぜか陰惨な感じで光っています。病院の前に小さな古本屋が灯をつけていました。店の前に均一本の台が二つあって、一つは1ユーロ均一のペーパーバック台ですべて大衆小説。もう一つは2ユーロ均一の単行本の台ですが、暗くて書名がよくわかりません。妻は早くホテルに帰って休みたい様子です。「五分だけ待ってて」と妻に言って、携帯電話の灯りで何とか書名を探っていきました。医学関係の雑誌が混じっているのは場所柄でしょうか。ラマルチーヌの『新瞑想詩集』があったのでぱらぱら見ているうちに読み込んでしまいました。買おうと思ったがよく見ると表紙が無く、裏表紙も外れかけています。迷ったが、買わずに暗い道をホテルまで帰りました。途中のフランプリという格安スーパーでワインとハム、チーズなどを買い、キオスクで夕刊紙のル・モンド(1.3ユーロ)を買いました。

 ホテルでテレビを見ると、ストのニュースを特集しています。21日の水曜日に労使および政府三者による話し合いがもたれるとのこと。SNCFの労働者は水曜までのスト継続を決議した、とのニュースもありました。今日、ル・モンドを買った理由は、ホテルに毎朝届けられるフィガロ紙のあまりの保守ぶりにあります。「サルコジ、労組の要求に屈するな」「サルコジには抑える力と理由がある」等々、またサンジカリストたちへの批判、ストで困っている人たちの話題など、文章は平易ですが、論調も単純です。秩序を愛すると同時に既成のものを打破したいという矛盾する感情を内包するフランス人の特性にストの原因を求める論文も掲載されています。一方、ル・モンドは文章が屈折していて長く、読むのに疲れますが、読んでも何を言っているのかよくわかりません。要するに難しすぎて、すぐに読むのをやめました。ストの話題はわずかで、もっぱら国際ニュースが主眼のようです。

 ところで、森有正は、自身の罪深さへの悔恨のゆえか、人間存在そのものの暗さに気付くことが多いのですが、こんなことを書いています。ある時、日本の知人の息子がパリに来たので世話してやった。一緒に芝居を観にいくと、フランス人がみな笑っているところでその青年も笑っている。ところが、自分(森有正)はどこがおかしいのかよくわからない。何度もそういうことがあって、結局この青年は理解できないのにわかっているフリをしているのだ、と気付きました。しかし、なぜ、そこまでしてフランス語をわかったフリをしなければいけないのだろうか、と森有正は疑問に思います。そして、この優れた哲学者は、次のような結論に達します。つまり、語学というものは自分を一回り大きなものに思わせる毒のようなものがあるのだ、と。これは鋭い指摘です。2チャンネルの語学版などを見ると語学「上級者」が初級者を馬鹿にしたような口調であしらうところをよく目にするのですが、単なる技能にしかすぎない語学がこれほど尊大な自信を持たせることに驚きます。
 なぜ、こんなことを私が書くかというと、実は私はフランスのテレビのニュースを見ても、アナウンサーの言っていることが全くわからないからです。それでもニュースならば全力集中して聞けば何とか内容らしきものはつかめますが、少しでもぼんやりしていたり、またバラエティー番組や討論番組は集中しても全然ついていけません。昔は、もう少しましだったと思いますが、それはまだ語学に挑戦するのが楽しくて、フランス語を積極的に使おうとしていたからです。そういう情熱は語学が面白いという以上に自分という人間の価値を高めるという気持ちがなかった、とはいえません。ところが歳をとってくると、そういう頑張りが苦しくなりますし、あるいはどうでもよくなります。日本に帰って職場にお土産を持っていったところ事務のおばさんから「フランス語がしゃべれると旅行も楽しいでしょう」と言われたので、「いや、全然しゃべれませんよ」「ほんとですか」「ほんとですよ」と、実際そうなのですが若いときの自分ならこうは答えなかっただろうと考えました。
 今回のパリ旅行での会話はほとんど妻に任せっきりでした。妻は毎日インターネットでフランス1のテレビニュースを聞いていたので、そういう地道な努力の結果、独学にもかかわらず聞き取りの力が急速に向上していたのです。メトロの駅での運行状況のアナウンスはスト中の旅行者にとってきわめて重要ですが、もし妻がいなかったらかなり困惑したことでしょう。また、店や街でのとっさのフランス語の聞き取りももっぱら妻に頼りました。といって、フランス語を話すのをすっかりやめたわけではなく、パリの街を歩いているとやはりフランス語を使ってみたくなります。ジッドは60歳をすぎても散歩の時にドイツ語の単語帳を覚えていたそうですが、その気持ちはよくわかります。語学はその難しさがわかってきた時に、はじめてこの世の愉しみとなるのです、、、。

 

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コメント

古書店といえば数学者デザルグの逸話をお思い出します。大
変な自信家だった彼は「現世の人間には理解できなくても、
後世の人間はきっと理解してくれる」とあえて独自の文字で
理論を記し、150年後にようやくその真価が公にされたそ
うです。

またフランスの音楽家といえばジャン・ピエール・ランパル
を即座に思い出します。ラジオで彼の演奏にうっとりと酔い
しれ、すかさずCDショップで彼のマスクをみたとき「ジェラール
・フィリップのような顔立ちだったら、申し分ないのに」と思いました。この楽器の音そのものが、まるで天使の
創り出したかのような響きです。そして楽器の構え方も実に
格好いい。それにふさわしい風貌の持ち主であるべきだ、な
どと勝手に考えてしまいました。

最後にヘンデルの「アルチーナ」ですが、お国が変われば歌
詞も変わります。何語の公演だったのでしょうか。

投稿: 自由が丘 | 2007年12月17日 (月) 18時05分

自由が丘さん、コメントありがとうございます。
いきなりデザルグが出てきて驚きましたが、彼の忘れられた著書が古本屋の雑本の中から発見されたためでしょうか。デザルグはその美しい定理が高校用の参考書に出ているほど著名なのにもかかわらず、その生涯についてはあまり知られていませんね。私は最近、小倉金之助の『数学の窓から』という古い本で珍しくデザルグのことが書かれているので驚きました。
ランパルとは有名なフルート奏者のことでしょうか。最近はまったくその名を耳にすることはありませんが。
Alcinaはイタリア語でした。詳しくは後のブログで。それではまた。

投稿: saiki | 2007年12月17日 (月) 23時39分

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