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2007年12月21日 (金)

パリ滞在記第七日マレ、モンマルトル

 11月21日、水曜日。ストはついに8日目を迎えました。今日行われる労使政府三者の話し合いに希望が持たれます。さすがのパリっ子もスト疲れが見えてきました。今回のストには今年から開始された自転車レンタルシステム(velib)が大活躍していたようです(注)。観光客にとっては大打撃で、地下鉄がなかなか来ないし、博物館や記念館は閉館時間が早まったり、あるいは休館したりしました。
 朝9時にホテルを出ました。夜から断続的に降っていた雨も完全に上がっています。カンブロン駅からメトロ6番線に乗ってシャルル・ドゴール・エトワールへ行き、ここで1番線に乗り換えます。私たちがヴァンセンヌ方面行きのホームで待っていると、向う側のデファンス行きのホームは通勤客で鈴なりの人で、ホームから人があふれそうです。ところが、電車が来ても無理して乗らず、乗れない人は次の電車を待っています。日本のように駅員が押し込んだりすることはありません。
 サン・ポール駅下車。ここはマレ地区の入口です。地上に出ると、いきなりシナゴーグがあり、その前にユダヤ人がたむろしています。並んでいる商店をのぞくと、黒い帽子にあごひげをはやしたユダヤ人たちが買い物をしています。なるほど、ここはユダヤ人が多い地区かと思っていると、向うからユダヤ人の子供たちが先生の後について二列に並んで歩いてきます。男の子はみなコースターのような黒い小さな帽子を頭に載せています。「わぁ、かわいい」と妻が言うと、男の子の一人が妻を見て「シノア」と大きな声で言いました。「中国人に間違われた」と、妻はくやしそうな顔をしています。

 「En raison de la greve...」(ストのために、、)という張り紙を見ると、またかと思うのですが、カルナバレ館も開館時間が遅れるとのことで、入口には観光客が何組か待っています。やっと開館されて、まず貴族の館の中庭を通ります。マレ地区は、ヴェルサイユに王や貴族が引っ越す前のパリでの貴族の館が集まっていたところで、今はそのころの館が歴史博物館や図書館となって公開されています。さて、カルナバレ館はあのセヴィニュ夫人が住んでいたところで、今はフランス革命関連の品などが展示されています。フランス革命に登場する著名な人士の書簡や当時の服装、馬車の模型などなどあって興味深いのですが、私は小物が展示されてある部屋に興味を持ちました。まず、辰野隆がフランス革命で最も魅力的な人物とよんだダントンの小物入れ。これは巻物のようになっていて、並んでいる細長い袋にペン、櫛、ナイフ、爪切りなどが収納されており、インクの鉄の缶もついています。つぎにロベスピエールの書類入れ。おそらく議会の演説の原稿などを入れたに違いない黒い皮のブリーフケースです。そしてサン・ジュストの二連拳銃。凝った装飾つきの重そうな拳銃で今でも弾が撃てそうです。
 このカルナバレ館の魅力は、部屋から部屋へ見ていくことによって、かつての貴族の生活が疑似体験できることにありますが、興味津々の妻と比べて、私はすぐに疲れてきました。というのも、見る部屋、見る部屋、同じようなロココ調の家具、疑古典的な壁絵、装飾過多な天井などで、とても心が落ち着くどころではありません。書院造りの日本の居間の清々しさが懐かしい、、、。花模様の布張りの椅子や天使が踊る扉などを見てるうちに吐き気さえ感じてきました。仕方なく外に出て、予定していたスービーズ館やロアン館なども行くのをやめました。「あんな館に住んでいて、居心地がよいはずがないが、、、」と思ったのですが、妻は全く私の気分が理解できない様子。
 気分転換にフラン・ブルジョア通りを散策して、カフェ・カミーユへ入り、コーヒーを飲みました(二人で4.4ユーロ)。カフェは気持ちを落ち着けるには最適の場所です。パリにあって東京に決して無いものはこのカフェ文化でしょう。パリのカフェではすべてが可能でどんな必要にも応じます。食事を頼めば、すぐに白い布が敷かれ、グラスが並べられます。早朝から夜更けまで開けられ、朝からビール、ワインを飲んでも、夜に紅茶を飲んでもよく、顔を知られれば、ビールにピーナツがついてきます。カウンターで飲めば半額ですみ、テーブルにすわれば何時間いても追い出されることはありません。良いカフェを見つけるコツは、中を覗いてカウンターで常連客が楽しく飲んでいるような店で、そういう店は観光客にもたいてい親切です。最近、パリにもスターバックス・コーヒーがあちこちに出来ていますが、その無機質的なサービスがうけるのか、どこも盛況です。コーヒーの値段は2.2ユーロほどでカフェと変わりませんが、席が空くのを順番に並んで待っているのはいかにもパリらしい。(フランスでは列の順番は厳格に守られます)

 カフェを出て歩き始めると、クマのグッズばかり集めたお店があって、妻はそこでクマの財布を買いました。それから、「るるぶパリ」という雑誌に載っていたロジェ通りのファラフェル(薄いビタパンにコロッケや野菜を入れて挟んだもの。ユダヤや中近東の食べ物)のお店で、5ユーロでファラフェルを一枚買って、ヴォージュ広場のベンチで二人で食べましたが、コロッケの味が強烈で、二人とも胸焼けしてしまいました。さて、ヴォージュ広場はその美しさで有名ですが、実際来てみると、その回廊はあまりに古すぎて暗く、鉄の枠で区切られた芝生の広場は何か閉塞感があります。片隅のヴィクトル・ユゴー記念館は特別展が開催されていて有料だったので、入りませんでした。
 ヴォージュ広場からサンタントワーヌ通りに出ると、そのにぎやかさに驚きます。左に行くとバスチーユ広場に行き着きますが、私たちは右の方に歩いて、人通りの喧噪の中に厳然とそびえるサン・ポール・サン・ルイ教会の偉容を眺めました。これはパリで最古の教会のひとつで、内部は昼なお暗く、ところどころで煌めくロウソクの光が粛然とした雰囲気を醸し出しています。内陣の奥の左に特徴ある大きな祭壇画があります。私たちは双眼鏡でかわるがわるその絵を見つめました。劇的な瞬間を動的に捉える独特のタッチ、そう、これはドラクロアのLe Christ au Jardin des Oliviers (オリーヴの園のキリスト)です。

 サン・ポール・サン・ルイ教会の横の道を入ると、学校を終えた生徒たちが三々五々歩いてきます。こういう生徒たちの中に時折天使のような顔立ちの少年少女が混じっているのがいかにもフランスらしい。ここは古い伝統を持つリセ・シャルルマーニュ校で、その学校の一部が城のような丸い塔を持つサンス館になっているのです。サンス館の庭は開放されていますが、そのあまりに幾何学的な造園は落ち着きを感じさせません。この辺り一帯は古い家や街路がそのまま残っていて、ローマ時代を思わせる井戸の名残もあります。
 セーヌ川に沿って、シャトレまで歩くとかなり疲れてきました。ここで、クレープとガレットを食べさせるお店に入りましたが、ガレットは茶色の生地に卵を落としただけのもので全くおいしくありません。クレープもただ甘いだけです。ガレットにつきもののシードル(リンゴ酒)は陶器の杯に入れて飲みますが、これもリンゴ酢のように酸っぱくておいしくありません。外に出ると口直しにオテル・ド・ヴィル(パリ市庁舎)の横にある パン屋 Paul で生ハムのサンドイッチ(フランスでサンドイッチとはフランスパンに具をはさんだものです)を買って、オテル・ド・ヴィル前のベンチにすわって食べました。
 食べ終わって、さて歩き出そうとすると、中年のあか抜けない感じの婦人が近寄ってきて、地図を広げ、何やら話しかけてきます。道を聞こうとしているのかと思いましたが、話す言葉が何語なのかさっぱりわかりません。すると、中年の汚いブルゾンを来た男が来て、いきなり写真つき身分証明書を見せました。そこには Police と大きく書いてあるのですが、妻はそれを見て思わず失笑してしまいました。明らかに二人はグルで何か詐欺をたくらんでいるのですが、私たちが笑いながら手を振って去っていくとポカンとした顔でこちらを見つめていました。

 ルーブルの地下のタバコ売場で待望のパリ・ミュージアム・パスを買うことができました。このパスは連続2日間でほとんどの美術館・モニュメントが無料となるもので、一人30ユーロです。その地下から、ついでにレストラン、トラン・ブルーの土曜のランチの予約を入れておきました。自信満々で予約の電話をした妻ですが、une table をune chamble と間違えたので、傍らで聞いていた私は思わず笑ってしまいました。
 外はまだ明るかったので、私たちはモンマルトル散策を思い立ちました。メトロ7番でショセ・ダンタン・ラファイエットまで行き、まずサン・トリニテ教会の中に入りました。この教会はメシアンがオルガニストとして勤めていたことでも知られています。私たちは後ろの席にすわって、そこだけ明るく照らされている祭壇を眺めていました。何げなく双眼鏡で祭壇を見てみると、十字架に架けられているのは金色に輝く骸骨です。

 サン・トリニテ教会のすぐ横の道を上って行きます。ラ・ロシェフーコー通りに出ると右手にギュスターヴ・モロー美術館がありますが、ストのため早々と閉館しています。アンネー通りに入り、しばらく歩くとその街並の見事さに圧倒されます。パリはすべての建物が高さを揃えて建てられているのですが、この辺り一帯は完璧に、まるでブロックの積木細工を正確にはめ込んだように、高さも色も佇まいも同じ建物が並んでいます。何という街並、何という美しさ、これこそモンマルトルです。この風景が真実美しいと思えるのは、その非人間的な美しさにもかかわらず、内部に人間が生きているからです。この通りが出来た19世紀の初めから、人々はこれらの建物の内部で暮らしてきました。窓を開け、花を飾り、通りを歩く人々に言葉をかけてきたのです。詩人ギョーム・アポリネールの住んでいたアパートはこの通りの端にあり、その一階は今は画廊のようなものになっています。アンネー通りの突き当たりにアリ・シェファーの自宅を改造したロマン派美術館があるのですが、入口には、またまた「ストの影響により、、、」の張り紙が。

 外も暗くなってきたので、モンマルトル散策の続きを後日にまわして、私たちは一番近くの地下鉄の駅サン・ジョルジュまで歩きました。そこからメトロ12番線でコンコルドまで行き、8番線に乗り換え、モット・ピケ・グルネルまで行こうとしたのです。ところが、コンコルド駅で8番線がなかなか来ず(私はホームのベンチでぐっすり眠ってしまったのですが)やっと一時間後に電車に乗れました。本当にストは今日で終るのだろうか。明日からのパリ・ミュージアム・パスは有効に使えるのだろうかという心配が頭をよぎります。
 モット・ピケ・グルネルで降りると俄然お腹が空いてきました。おいしいパンが食べたいと妻が言うので、グルネルの商店街をずんずん歩いて、何軒ものパン屋を物色し、次のコメルス駅の近くでエリック・カイザーというパン屋を見つけました。店内は大変混んでいます。私たちはサンドイッチとチョコレート・エクレアを買い、帰り道のモノプリで一番安いシャンパンを買ってホテルに戻りました。シャンパンは口当たりが良く、あっというまに二人で一本空けてしまいました。特筆すべきはエリック・カイザーのエクレア(2.3ユーロ)です。苦みの効いたとろけるようなチョコレートが隙間無く詰まっていて、ずっしりと金の延べ棒のような重さ、本物とはこのようなもののことなのでしょう。

 早々と妻が寝た後で8時からテレビでユーロ2008の最終予選、キエフで行われたフランスーウクライナ戦のサッカー中継を見ました。すでに予選通過を決めているフランスは、アンリのゴールで2-1としましたが、終了間際にシェフチェンコのヘディングで同点にされました。翌日のニュースではこの試合よりも、同じ日にイングランドがホームで2-3でクロアチアに負けて24年ぶりに予選敗退したことを大きく採り上げています。

(注)今年の夏からの自転車のレンタルシステム velib によってパリの様相は少し変わりました。さらにストによって首都の公共交通機能が麻痺したときに、その存在はいっそう際立っているようです。velib のステーションはメトロの駅や主要スポットなどにパリ全体で600以上設置されています。各ステーションには20台余りの自転車が置いてあり、velibカードかnavigo というパスモに似たカードを自転車のつながれているポストにかざすだけでキーが外れて使用できるようになります。そして、パリ市内のどのステーションでも乗り捨てることができます。登録料は一日1ユーロで、30分までは無料です。30分以内に乗り捨てれば一日何度乗っても無料なので、通勤にはたいへん便利です。自転車は独特のスタイルの丈夫な構造で、パリの坂道に合わせた三段変速ギア、走行時常時点灯するリアランプなどかなり工夫されています。ただ自転車のメンテナンスは大変で、velibの専属技術者が各ステーションを自転車で巡回していますが、とても人員的には足りないようです。壊れやすいのは各自が調節するサドルの部分らしく、完全に壊れているものもあります。
 velibの普及は自転車環境の整備によるところが大きいようです。パリでは自転車の歩道走行は認められていませんが、大きな道路にはほとんど自転車専用レーン(段石で仕切られている)が付随しており、道の真ん中に設置されている場合もあります。驚くことに彼らはみな大変なスピードで自転車を走らせます。半分近くは自転車用ヘルメットを被っており、蛍光色の安全ベストをつけている人も多いようです。11月17日のフィガロ紙によると、パリでのvelib の成功から、ツールーズでも同じ試みがなされるとのことです。

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