« パリ滞在記第八日ガーゴイル | トップページ | パリ滞在記第十日カルチェ・ラタン »

2007年12月27日 (木)

パリ滞在記第九日クリュニー、ルーヴル

 11月23日金曜日。モット・ピケ・グルネルから10番線でクリュニー・ソルボンヌ駅まで。パリの地下鉄は14路線でパリ中を網の目のように結んでいます。座席は4人掛け、扉はほとんど手動で、ノブを上げるかボタンを押して開けます。(14番線のみ自動運転、自動開閉です)地下鉄はパリの人々を観察するのに絶好の場所です。女性に話しかける酔っぱらい、周りに迷惑をかける家族、などもいますが、全体的に日本と比べ、緊張感と「よそ行き」の感じがあります。ストが終って、名物のメトロ・ミュージシャンも早速現れました。しかし、ホームや通路で演奏する彼らはプロ並のうまさの人が多いのですが、メトロ車内で演奏してまわる「ミュージシャン」には迷惑な連中もいます。すぐそばで下手なサックスを鳴らされるのは苦痛ですし、妻は頭痛の時に近くでアコーディオンを弾かれて我慢できず席を移って行きました。その後、皿を持って喜捨を求めに来たアコーディオン弾きが妻に睨みつけられたことはいうまでもありません。何かしら哀愁が漂うのは年老いたヴァイオリン弾きなどで、中年のパリジャンがその老人の皿に1ユーロ銀貨をのせている姿は様々な人生が交錯するパリのメトロのイメージそのものでしょう。

 さて、朝一番でかつてのクリュニー修道院である中世美術館に出かけました。時間どおり開かないのは予想通りですが、古い門の鉄槌をガンガン叩くと、館員が門から顔を出して、もう少し待ってくれとのこと。入口で待っているのは私たちの他はフランス人夫婦が一組いるのみです。クリュニーの入口とその門はかなり古く、様々な中世風の彫刻に飾られています。ライオン、クマ、猫、ガーゴイル、花、植物など、どこまでも細かい装飾でいっぱいです。少し離れて見ると、クリュニーの建物は14世紀の時代そのままに私たちが思い描く中世という時代そのものを表しているかのようです。
 なかなか門が開かないので、すぐ前のソルボンヌ(パリ第四大学)との間にある小さな公園に入ってみると、何とモンテーニュの像が。思わずその碑に刻まれたモンテーニュの言葉を読んでしまいました。「パリは少年時代のわが心を持ちたり。我はこの偉大な都市によって初めてフランス人となれり。偉大であり比べるもののない都市。フランスの栄光であり、この世界の最も高貴な宝飾であるこの都市によって、、、」
 クリュニーの門が開きました。中庭にはローマ時代の遺跡も残っています。館全体がまるで別世界のような趣です。中に入ると、まさに中世というべき素朴な庶民感情がこめられた彫刻、レリーフでいっぱいに埋められています。妻は目を輝かし、写真を撮ったり、スケッチしたりしています。妻によると、たくさん並べられた聖母マリアの表情がすべて違っていて、特にアルカイック・スマイルともいえる不思議な顔立ちはすばらしいとのこと。確かに全く愛すべき作品の連続で、一つ一つに人々の願いと哀惜がこめられているようです。ところで、部屋から部屋へ鑑賞しているうちに、クリュニーの中世芸術のテーマは三つに絞られることがわかりました。一つは、キリストを抱くマリア像 vierge a l'enfant、次にキリストの生涯と処刑の一代記、そして洗礼者ヨハネの像と首です。それらが、繰り返しくり返し、まるで人々の願いを反復するかのように現れてきます。特にキリストの一代記の浮彫りは絵本のように左右に開くものが多く、それぞれ微妙な違いがあって楽しめます。中世の人々は子供の頃から教会でこれらの話を何度も何度も聞かされ、クリスマスにはこれら聖史劇を自ら演じたのでしょう。
 私自身がこれら中世の彫刻の中で最も衝撃を受けたのは、切り落とされた自分の首を持ったサン・ドニの石の像です。モンマルトルの丘で処刑されたサン・ドニは首を抱えたまま歩き続け、今のサン・ドニ大聖堂のところでついに倒れました。この残酷な話は、素朴でユーモラスな石の像となって子供たちの想像の翼を広げさせたに違いありません。

 クリュニーの素晴らしさは一言では言い表せません。12世紀から15世紀あたりまでの宝飾品、十字架、そしてステンドグラスのコレクションもあります。美術収集家アレクサンドル・デュ・ソムラールが生涯をかけて集めた数々の芸術品、工芸品は彼の死後国家に買取られ、1844年にクリュニー中世美術館として一般公開されました。この館を訪れたライナー・マリア・リルケは、この美術館のある所蔵品について女友達に語りかけています。「アベローネ、ここにゴブラン織の壁掛けがある。僕は君もここにいると想像しよう。壁掛けは六枚ある。ここへ来たまえ。一枚ずつゆっくりと見て行こう。、、何という静かなつつましい感じだろう。この静けさのなかに音楽が聞こえずにいたろうか」(『マルテの手記』岩波文庫・望月市恵訳)
 この壁掛けは、かの有名な「貴婦人と一角獣」で、二階の奥深い一部屋の全部を六枚の驚くべきタペストリーが覆っています。パリで、これほど予想を裏切られて感動したことはありません。このタペストリーは人間の五感の、つまり欲望の静かなる慰めを表しています。一角獣、獅子、小犬、ウサギ、自在に振る舞うそれら動物たちの真中で一人の美しい女性が物思いに沈んでいます。何という美しさ、何という謎に満ちた美しさでしょう。私がこの壁掛けの前に考えながら立っていると、フランス人の女性が部屋の隅に解説のファイルがあると教えてくれました。私は何となくその女性のやさしさに心を打たれました。

 クリュニーを出て、サン・ジェルマン・デ・プレへ。昨日閉まっていたドラクロア美術館を訪問しましたが、ここは狭く、見るべきものがほとんどないのでがっかりしました。しかし、下の売店で、妻は探していたドラクロアの日記を見つけました。完全版はとても大きくて重いので、妻は迷った後で小さな抄録版の日記を購入しました。
 メトロでコンコルド駅へ。地上へ出るとチュイルリー公園の端に改装なったばかりのオランジュリー美術館があります。さすがに行列が出来ていましたが、10分ほどで入館できました。ここでは画商ポール・ギヨームのコレクションをたっぷり見ることができます。絵の選択のセンスの良さは素晴らしい。セザンヌ、ルノワールをはじめ、ユトリロ、モジリアニ、マティス、ルソーの作品をじっくり見るのはこの上ない楽しみです。やや明るすぎるのと、常に人が多く静かに鑑賞できないのが欠点でしょう。
 ところで、この美術館には呼び物のモネの巨大な「睡蓮」があります。自然光を採り入れた大きな部屋の四方をぐるりと睡蓮の絵が囲んでいます。私たちは中央のベンチに座って休憩しながらその絵を見ていましたが、私にはこの絵のどこが良いのかさっぱり分かりませんでした。中国人らしいカップルが睡蓮の絵に近づきすぎて係員に注意を受けていました。それを笑って見ていた妻は双眼鏡で「睡蓮」を見て、なぜかやはり係員の注意を受けてしまいました。

 オランジュリーを出て、そのままチュイルリー公園をルーヴルに向かって進みます。この公園は物乞いの人が多く、避けて歩くのにたいへん苦労します。公園に、パン屋の Paul の出店があって、私は好物のアプリコットのパイ、妻はチーズのタルトを食べました。ここから、金曜日には夜九時四十五分まで開いているルーヴルを見学するのです。ルーヴル美術館をどう説明したらよいでしょうか。すべて鑑賞するためには九ヶ月かかるといわれていますが、それでも展示されているのは所蔵作品の十分の一もありません。かつて王宮として使われていた建物自体も驚異で、中庭に立つと、建築をぐるりと囲む多くの彫像に目を奪われます。
 とりあえず最上階の三階へ上り、オランダ絵画のコーナーから鑑賞することにしました。しかし、それだけを鑑賞するのにかなり時間がかかりました。なにしろ、フロマンタン『オランダ・ベルギー絵画紀行ー昔日の巨匠たち』で馴染みとなったロイスダール、フランツ・ハルス、カルプ、ハイデンなどが部屋から部屋へ続々現れてくるのです。絵を見て作者を当てるのはよくある楽しみですが、そんなことをしてゆっくり見ているうちに、ついにルーベンス、レンブラントが目の前に現れてきました。怒濤のように並ぶルーベンスに圧倒された後で、レンブラントの『エマオの晩餐』を心ゆくまで鑑賞しました。フェルメールの小さな絵画『レースを編む女』は大きな部屋の隅っこにあって思わず見落とすところでした。

 オランダ絵画で疲れた後で、同じ階の反対側のフランス絵画のコレクションへと進みました。G. ラ・トゥール、シャルダン、ワトー、プッサン、クロード・ロランなどの絵画をどうして時間をかけずに通り過ぎることができるでしょうか。くたくたになった後で廊下の出窓に腰かけて夜の薄闇に浮かぶルーヴルの中庭と建物を眺めました。ルーヴルの欠点は広さと部屋の多さです。しかも各室に番号が明示してなく、地図との照合に苦しみます。
 豪華な装飾に飾られた階段を降りると、そこからイタリア絵画の世界が展開します。ジオット、フィリッポ・リッピ、コレッジョ、ウッチェロ、ティントレットをじっくり見ていると、人の数が次第に多くなってきたことに気付きました。『モナリザ』を展示してある室が近づいてきたのです。ラファエロを鑑賞した後で後ろを見ると、『モナリザ』はたいへんな行列です。その反対側にはヴェロネーゼの巨大な『カナの婚宴』があり、これが意外に面白く鑑賞できました。妻は相当昂奮してイタリア絵画を見ていましたが、後で聞くと、私の好みのオランダ絵画にも感動したとのことです。

 さすがに疲れて、その後はミケランジェロなどのギリシア彫刻を見ましたが、エジプト美術まで足が進みませんでした。ルーヴルを出ると、もう夜遅く、それでもリヴォリ通りには人通りが絶えません。私たちはコンコルド広場まで歩き、メトロの駅でサンドイッチを買ってホテルまで帰りました。ロビーは着いたばかりの旅行客で混雑していましたが、フロントの黒人は私たちの顔を見るやいなや「サン・ソン・アン(501)」と言いながらキーを持ってきてくれました。九日も逗留しているのでホテルのスタッフはすっかり私たちの顔を覚えています。 

|

« パリ滞在記第八日ガーゴイル | トップページ | パリ滞在記第十日カルチェ・ラタン »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« パリ滞在記第八日ガーゴイル | トップページ | パリ滞在記第十日カルチェ・ラタン »