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2007年12月 1日 (土)

パリ滞在記第一日到着

(憂愁書架特別編としてパリ滞在記を12回にわたって連載します。当時1ユーロ169円でした)
 つき抜けるような青空、11月15日木曜日14:00ちょうどにエール・フランス航空のエアバスA330はシャルル・ドゴール空港(CDG)に降り立ちました。日本人ツアー客の列の後について空港の通路を進んでいったのですが、夫婦で交代にトイレに入っているうちに辺りに誰もいなくなってしまいました。進路標示を見たり、人に聞いたりして、やっと出国カウンターを通過して、ロワッシー・バスの乗り場に着いたのはもう三時、外はものすごい寒さです。ところが、乗り場は何やら騒然として、ストで遅れているのではないかという情報も、どうやらRER(高速郊外鉄道)B線パリ北駅行は全く走ってないようで、エール・フランスのリムジンバスは長蛇の列になっています。
 やがて、ロワッシー・バスがすでに別のターミナルの人たちを乗せてやってきました。二人分17ユーロを用意して乗り込むと、何とストなので gratuit(無料)とのことです。混んでいる車内で、赤ん坊を抱いた若夫婦が私たちに向いの席を空けてくれました。ところが、発車して気がつくとその席は後ろ向きに座る席で、私はその姿勢でバスに乗ると必ず酔ってしまうのです。おまけに前日は遅くまで仕事をし、今朝は4時起き、12時間半の長旅で疲れ切っていたので、案の定すぐに気分が悪くなってきました。すぐ前には金髪の幼児が母親に抱かれて眠っています。私は体を捻って顔だけ前方向を向けて、唸りながら耐えていました。私が唸り声を出す度に、背中合わせの外国人の男性がびくっと肩を震わせて不安そうに様子を窺っています。
 もうひとつのターミナルで人がさらに乗ってきて車内はすし詰め状態になりました。バスが幹線道路に入ってスピードが出ている間、やや気分がよくなりましたが、いよいよパリの周辺地区に入ると、また苦しくなりました。バスの窓からは無粋で汚れたビル、落書きでまみれた壁、ゴミで散らかった広場が見えます。早足で歩く人のほとんどは黒人かアラブ系に見えるのですが、パリの中心地区の整った建物とは対照的なこの無機質な街の佇まいもまたもうひとつのパリなのでしょう。それにしても、歩いている人の数は尋常ではありません。メトロもバスも動いてないのかも知れず、ストは13,14日で終るという情報がかなり楽観的だったことに気付きました。
 バスはメトロのクリニャンクールの駅の横を過ぎていきます。おびただしい人の数。赤信号でバスが止まると、人々がバスに群がって運転席の扉を叩いています。バスが走っているときに横で追いかけてくる人もいます。もうこれ以上人を乗せられないのでバスは人混みの中をのろのろ進みます。やがてモンマルトル墓地の上を通り、坂道を大きな音をたてながら降りているうちに、私はまた気分が悪くなりました。冷や汗が吹き出してきて、妻が飛行機に備えてあった非常用の袋を取り出して渡してくれました。終点のオペラ・ガルニエはすぐそこなのに、私は顔を窓に向けながら袋の中にもどしてしまいました。顔を上げると、目の前に聖トリニテ教会のすらりとした正面が見えます。初めてパリを訪れた時、一人で一日中パリの街を歩き回って疲れ切って広場のベンチに腰を下ろした時、突然頭上で鐘がなりました。見上げると聖トリニテ教会の大きな三つの彫像が下を見下ろしています。サン・トリニテ広場の雑踏はその六時の鐘の鳴り出した瞬間に凍り付いたように思えました。それはパリについて私が抱いた最も強い印象の一つでした。しかし、バスの中で苦しんでいた時はそんな思い出どころではありません。後になって妻に聞くと、その時ちょうど向いの席の夫婦のところに携帯電話がかかってきて、どうも肉親の死を知らせているらしい。夫がそのことを妻に伝えると、赤ん坊を抱えた妻は周囲を気にすることなく大声で泣き出したというのです。どうやらこの夫婦は病気の肉親に会うためにパリにやってきたのでしょう。
 やっとオペラ・ガルニエの横に着き、私も妻もふらふらの状態でバスを降りました。妻は長旅の後は必ず体調を崩すのです。四時半過ぎだが、辺りはもう夕闇というより夜に近い暗さになっていて、普段でも人の多いオペラ座周辺は、ストの影響かさらに雑踏でごった返しています。とにかくホテルへ直行ということで、目の前のメトロの階段を降りましたが、電気もついていず、地下鉄が走っている様子はありません。再び外に出ると、バスは一台も見えず、道路は車であふれています。タクシー乗り場を探しましたが、見つからず、通りを走るタクシーに空車はありません。仕方なくホテルまで歩くことにしました。予約していたホテルは、セーヌ河を渡り、アンヴァリッド(廃兵院)を越え、さらに陸軍士官学校の裏手のグルネル通りにあります。直線距離で約3.5キロ、歩けない距離ではありません。とりあえずその方向に歩いていくと、すぐに格調高い建物に囲まれた場所に出ました。これこそパリで最も美しい広場 Place Vendome(ヴァンドーム広場)です。周囲の喧噪をよそに夜の帳の下でここだけは静かで、この広場に面したアパートに住んでいたショパンの時代もやはりこのように静かであったろうと思わせます。

 ヴァンドーム広場からコンコルド広場に向かって歩き、コンコルド橋を渡ります。ここは普通でも交通量の多いところですが、さらに今日はストの影響で信号のない横断歩道を渡るのに冷や冷やの思いをしました。ところが、橋を渡ってみると、今まで見えていたアンヴァリッドの金色に輝くドームが見えなくなってしまいました。仕方なく、それらしき方角に歩いていくと、全く自分たちがどこにいるのか分からなくなったことに気付きました。鞄の中にはすべての通りの名が載っているミシュランの地図があるのですが、暗い中で地図を調べる気力もありません。通りの向うに灯りがあって、透明なプラスチックの箱の中に警官が不動の姿勢で立っています。道を聞こうと妻が近寄ると、すぐに戻ってきて「人形だったよ」と言いました。そんな馬鹿な、と思って近寄ると、確かに人形のような端正な顔立ちです。「ムッシュ、、、」と私が話しかけると、急に表情が緩んで、透明な箱から出てきました。「アンヴァリッドはどこですか、シルヴ・プレ?」と聞きましたが通じない様子。フランス人ではないのか、と思いながらもう一度、アンヴァリッドと発音すると、「レ・ザンバリット les invalides?」と聞き返してきました。「ウィ、もちろん」と答えると、非常に懇切に道順を教えてくれました。妻は冷笑の眼差しでこちらを見ています。
 しかし、歩き出すと疲れはもうピークを迎えています。暗く静かな街路にカフェの灯が見えて、私たちは思わずその店 La Source に入りました。そこでトイレを借り、エスプレッソを飲んで生き返ったようになりました。ギャルソンはたいへん親切で(カフェのギャルソンはほとんどすべて親切です)レシートの裏にホテルまでの道順を詳しく書いてくれました。その店で払った4.6ユーロが私たちが使った初めてのユーロでした。
 ナポレオンも学んだ陸軍士官学校の横を通り過ぎると、右手にシャン・ド・マルス(練兵場跡)が開けて、そこにエッフェル塔が美しいイルミネーションに輝いています。モット・ピケ・グルネルの交差点を左に曲がるとすぐに目当てのホテルが見えました。フロントには感じの良い女性がいて、妻が日本のおみやげを渡すと、二人であれこれ話をしています。後で妻に聞くと、ストは火曜日(20日)まで続くとのこと、これは大変がっかりする話です。部屋は五階(日本の六階)で狭いが清潔でバスルームも広くてきれいです。風呂に入り、ポットで湯を沸かして紅茶を飲むと、ベッドに倒れてしまいました。二度と来ることはできないと思っていたパリについに着いたのです。

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コメント

「パリ滞在記」が電子書籍化された事を知り、読者の一人として嬉しく思います。この旅行記の圧倒的なところは、作者の人生を垣間見せる文章だと思います。パリがあるから生きてゆける、書物があるから生きてゆける。そんな稀有な文章だからこそ、商品として認められたのだと思います。個人的には、電子書籍よりも、このブログ全部を印刷書籍にして頂きたいぐらいです。「眼前のボブスレー」と「最悪の一歩手前」は畢生の大作の感があります。また新たな「パリ滞在記」がブログに載るのを楽しみにいております。

投稿: tomo | 2014年1月11日 (土) 10時52分

tomoさん、コメントありがとうございます。
電子書籍化は特に審査などないのですが、私の場合、ココログが消滅してデータが失われるのが心配なので、少しずつアマゾンに移して行こうという思いと、これによって著作権が明確になるという理由です。どうも、私的なブログとしても恥ずかしいのですが、旧友が読んで近況を知らせてくれるかも知れません。おっしゃられるような立派なブログなどではなく、極めて個人的な趣味的なものだと思っています。全的に理解されることも、どうせないだろうと思っているので、好意的なコメントや励ましのメールなどが届くとびっくりし、またなぜか恐縮してしまいます。これからもどうか、よろしくお願いします。

投稿: saiki | 2014年1月11日 (土) 17時47分

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