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2007年12月19日 (水)

パリ滞在記第六日ペール・ラシェーズ

 11月20日、火曜日。ワインを飲み過ぎたのか、朝方やや体が重い。ロビーや食堂でのんびりした後、9時半すぎにホテルを出ました。メトロ6番線は1 sur 5(5本に一本)の割で走っています。無料で開放されているカンブロン駅で20分待って混雑する地下鉄に乗りました。この6番線は半分以上が高架で、シャルル・ドゴール・エトワールからナションまで左岸をぐるりと横断します。ナションから右岸をぐるりと走る2番線と合わせると、ちょうどこの2路線を乗り継ぐとパリを一周できることになります。その終点ナションまで行って、2番線に乗り換えました。今日の行き先はペール・ラシェーズ墓地です。ところで、ナション駅で始発の2番線に乗り換える時、(ストで混んでいたのですが)回送電車がホームに入ってくると、間違えて乗ってしまう人が多く、しかもその人たちを乗せたまま車庫に入っていってしまいました。ホームにはひとしきり笑い声が起きました。やってきた始発電車はすぐ満員になりました。すし詰めだったので、三つ目の駅ペール・ラシェーズで無事降りられるかどうか心配になりました。電車がホームに滑り込むと早めに「パルドン」と声をかけてドアの方に移動しようとしましたが、前に立っていた若い黒人の女性が穏やかな声で「ムッシュ、どうかあわてないでください。電車が止まったら、道をあけますから」と私に言いました。この言葉を聞いて妻はそこにフランス人の余裕を感じた、ということです。妻によれば、フランス人は車も自転車も歩き方も速いが、他人のペースを尊重することを忘れないとのこと。確かにスーパーのレジの列でもイライラしている人はいないし、レジの店員も椅子に座ってペットボトルを飲みながらのんびり仕事をしています。

 さて、ペール・ラシェーズ駅を降りると雨が降ってきました。これは妻には残念なことで、彼女は墓地で子猫を見つけたがっていたからです。もしかしたら子猫をポケットに入れて日本に持ち帰ろうとしていたのかもしれません。傘をさしながら入口の管理所に行って墓地の地図をもらいました。訪ねたい墓に鉛筆で印をつけていきましたが、アポリネール、バルザック、ビゼー、ショパン、ドラクロア、ピサロ、ワイルド、ミシュレ、モリエール、ネルヴァル、メルロ=ポンティなどとても回り切れません。雨は激しくなるし、墓地は思ったより広大で、とりあえず右端だけ回ることにしました。まず、何よりアベラールとエロイーズの墓です。ところが、すぐ見つかる筈の墓がなかなか見当たりません。なんと工事中だったので、小さな館のような墓所は工事の枠組みで覆われています。しかし、何とかそばに近寄って、二人仲良く並んで横たわっているアベラールとエロイーズの仰臥像を見ることができました。この墓は圧巻で、この二人にまつわる様々な思いが私たちの頭をよぎります。彼女の運命を翻弄したアベラールの屍体を22年間修道院で守り続け、ついに共に葬られるに至ったエロイーズの生涯についての思いが、、、。冷たく穏やかに降りしきる雨が、二人の墓所をいっそう中世の修道院の冷たさに近づけるかのようです。

 次も妻の希望で、墓地の右端のバンジャマン・コンスタンの墓へ。地図を見ながら歩きましたが、狭い石の階段をどんどん上へ上がっていきます。結局一番上の見晴らしの良い一角まで来て、妻がすぐにコンスタンの墓を見つけました。見つけられたのが奇蹟なほど、それは平凡な、むしろ簡素すぎる墓です。「 Journal Intime の作者に相応しい」おそらく妻もそう感じたのでしょう。私たちは彼の墓と、その向うに広がるペール・ラシェーズの風景にしばしの間立ちつくして見入りました。
 体が冷えてきたので、雨と泥ですべりやすい道を北出口まで降りていきました。墓地を出る前に私の希望で出口近くのアランの墓を探しましたが見つかりません。うろうろしていると、黒いオーバーコートを着て黒い帽子を被り、傘もささずにいる老人が私たちに近づいてきました。「ミヤゥミヤゥに餌をやりにきたんだ」と白いビニール袋を振って私たちに示しました。歯が一本もないらしく、何を言っているのか判然としません。「誰の墓を探しているんだ」と言うので、妻が「アラン」というと、「フィロゾフィー?」と言って、私の手から地図をとると、早足でずんずん墓地を歩いてアランの墓を探し始めました。雨に濡れるのもかまわず、懸命に探してくれますがなかなか見つかりません。もういいですから、と言おうとしたら、向うで「アラン、イシ!」と叫んでいます。行ってみると確かにアランの墓で、アランという名前の上に誰かが板を置いてあったので探すのが難しかったのです。するとこの老人はエミール・オーギュスト・シャルティエという本名でこの墓を見つけたわけです。メルシーという暇もなく、老人はいつのまにか遠くの方に行ってしまいました。

 ペール・ラシェーズから地下鉄3番線でサンティエールまで行きました。地上に上がり、フォーブール・モンマルトルまで歩き、有名なレストラン・シャルティエへ入りました。ここは大きな大衆食堂で、唯一の特長は全く気楽に飲み食いできるということです。ちょうどランチタイムでほぼ満席、老人ばかりのギャルソンが手際よく料理を運んでいます。お客も年配の夫婦や一人で食事する老人が多く、パリの場末の食堂の雰囲気がよく出ています。私たちは、子牛のソテー、黒ダラの煮込み、それにワイン、クレーム、ヨーグルトなど31ユーロ使いました。味は意外と濃厚でおいしく、ワインとパンでお腹いっぱいになりました。お客も給仕人も全く気さくで、ここにはフランス人らしい食事を楽しむ喜びがあふれています。

 2時間近くシャルティエにいて、外に出ると雨はきれいに上がっています。底冷えのする寒さは変わりませんが、二人ともパリの寒さに慣れてきたようです。グラン・ブールヴァールからぶらぶらとセーヌ川の方に歩いていくとギャラリー・ヴィヴィエンヌがあります。中にはサロン・ド・テとしてよく知られているアプリオリ・テがありますが、私たちはギャラリーの外れにある古書店に入ってみました。フランスの古書店は、店の真ん中に事務机のようなあって、まわりをぐるりと書棚が囲んでいる形が多いようです。妻は古本屋の主人にレオン・ブロアの本はないかと聞いていましたが、なんと一冊もないとのことです。一通り書棚を見てもあまり食指をそそられるものはありません。
 そこからルーブルまで歩いて、地下のフード・コートでコーヒーを飲みました。体を温めてからリヴォリ通りをコンコルド広場まで歩き、グラン・パレ、プチ・パレの間を通って、アレクサンドル三世橋を見学しました。この驚くべき橋は1900年に、まさに最も美しい橋を架けようという理念の下に作られたのです。金色で装飾された数々の彫像で飾られた橋は、そこからの眺めが、パリをさらに美しく見せるために工夫されています。アンヴァリッドの金色のドーム、セーヌ川を挟んで対峙するオルセーとルーブル、右手にはエッフェル塔が遠慮深く立っています。大きな声で話しながらぞろぞろ並んで歩く中国人の観光客の列がなければ、私たちはもっとうっとりと旅情に浸れたことでしょう。

 シャンゼリゼ通りの雑踏の中をしばらく歩いて、「戦争が終わったら、フーケで会おう」という映画『凱旋門』の中の言葉で有名なカフェ・フーケの前を通り、ディズニーストアとフナックを覗いて、メトロ6番線でモット・ピケ・グルネルまで帰りました。高架の6番線は、パッシー駅を過ぎたところでセーヌ川を渡ります。そこから見えるエッフェル塔がおそらく最も美しいエッフェル塔ではないでしょうか。塔からこぼれる光がセーヌ川の上に停泊する船の灯りと流れる滝のように共鳴します。この夢のような数秒のあとで、メトロはビル・アケムの駅へ、つまり現実の世界にすべりこんで行きます、、、。

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コメント

そうですか地下鉄をご利用になったのですか。地下鉄といえ
ばアラン・ドロン主演の映画『サムライ』で、彼が乗り換え
るシーンが効果的に使われたことを思い出します。

それはそうと現時点において、有名な俳優や歌手とお会いに
なりましたか(笑)。

投稿: 自由が丘 | 2007年12月19日 (水) 18時05分

自由が丘さん、こんにちは。
どうも唐突な内容のコメントなので答えに窮します
それでは。

投稿: saiki | 2007年12月19日 (水) 22時42分

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