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2007年12月 6日 (木)

パリ滞在記第二日モンパルナス

 もともと、このパリ旅行は妻の熱意によるものです。私自身は体力も気力もなく、最近は休みの日もぐずぐずと本を読んで過ごすことが多いので、面倒なことがいろいろ必要な海外旅行は敬遠していました。それが突然妻の願いに応えるつもりになったのは、今年になって体調が良く、体が動けるうちに行っておかなければ永遠にパリを再訪できないのではないか、と思うようになったのです。妻は早速半年後のエール・フランスのパリ直行便のチケットを購入してしまいました。ホテルは、色々迷ったが、7区と15区の境を通るグルネル通りにある、パリらしいとはいえないが、最も安全で便利な場所に位置するホテルに決め予約をすませました。何よりも無事に日本に帰ってこれなくてはなりません。あの慎重な埴谷雄高でさえ、58歳で初めて外遊したとき、パリで辻邦生に別れて一人になった後で、怪しげなバーに誘い込まれ、身ぐるみはがされて日本大使館に駆け込んでいます。用心に越したことはありません。むろん、海外旅行保険にも入りました。

 二日目の朝、また予期せぬトラブルに襲われました。何と、妻がポケットに入れていたニコンのデジカメが壊れていたのです。電源をONにすると望遠ズームが目いっぱい拡大してしまいます。出発前、新しいデジカメを買いたいと妻が言っていたのを軽く聞き流していた自分が責められます。とりあえず、まずモンパルナスのフナック(fnac)へ行って安いデジカメを探さねばなりません。出かける前にテレビのニュースを見ると、地下鉄は平均して5本に1本しか走っていません。産業都市デファンスへ行く1番と自動運転の14番が通常運転で、あとは5本に1本とか10本に1本、特にホテルのそばのモット・ピケ・グルネルを通る6,8,10番の三路線は quasi nul(ほとんどゼロ)です。

 仕方なく歩いてモンパルナスまで行くことになりました。直線距離は1キロ余りですが、途中でネッケル小児総合病院(NECKER ENFANTS MALADES)を横切らねばなりません。外へ出ると11月半ばなのに肌を切る寒さ、気温は1度です。グルネル通りを高架で走る地下鉄6号線は全く運転していないようでその姿も見えません。ホテルの近くのカンブロン広場は車、人、自転車でごった返しています。すべてがすごいスピードで交差しているようです。カンブロン広場を横切るためには三つの信号を渡らねばなりませんが、それがとても危ない。青と赤の信号は目安に過ぎず、六本の道路が交差する広場では青でも車や二輪が飛び込んできます。歩行者も赤だろうとおかまいなくどんどん渡り、信号を守っている人はほとんどいません。だから、次のような小話が作られるのも当然でしょう。「フランスにやってきた日本人が、車の一台も走っていないのに信号が変わるのを待っていた。やがて青になったので渡り始めた時、信号を無視して走ってきた車にひかれて死んでしまった」

 妻は赤信号でもどんどん渡る習慣をすぐ身につけましたが、私は最後まで進むか止まるか迷うのが常でした。高架線の下を歩いていくと、スピードで走る車にボードを掲げて叫んでいる女性ヒッチハイカーがいます。ストで交通手段をすべて遮断されたので必死なのでしょう。幸いなことに観光客は気楽です。私たちはパリの街並をポケットに手を突っ込んで歩いていきました。
 ほどなく、400メートルも続くネッケル小児総合病院の長い塀にぶつかりました。ここは200年前にできた古い小児病院ですが、塀の中には近代的な建物のパリ最大の大学病院(FACULTE DE MEDECIEN PARIS V)も併設されています。私たちは朝7時から通り抜けられる通用門から病院の構内を横切っていきました。1816年に子供の遊びからヒントを得た医師が聴診器を発明したのはこの病院です。
 出口を出ると、そこはメトロのファルギェール駅です。正面に評判の悪いモンパルナス・タワーがそびえていますが、私たちはまだ開店していないであろうフナックへ行く前に、すぐ近くのラスパイユ通りの市場へ行ってみることにしました。そこはモンパルナス駅前から伸びるレンヌ通りがラスパイユ通りにぶつかったところの通りの真ん中の並木道に沿って続いています。
 パリの市場を訪れた人は誰しもそのディスプレーの見事さに感動を覚えるでしょう。果物はピカピカに磨かれて、レゴのように完璧に積み上げられています。魚たちは氷を敷いた斜めの台の上にびっしりと張り付けられています。羽をむしられた鶏がすきまなく吊るされ、その横では大きなレンジの中で食べごろのチキンが回転しています。パン屋では立ち並んだバゲットと積み上がった田舎パンのために店員の顔も見えません。むろん、タイヤのように大きなチーズを飾ったチーズ屋、手入れよくワインを並べたワイン店もあります。
 まだお腹が空いていなかったので、私たちはクレマンチーヌ(みかん)を二つだけ(0.58ユーロ)買って、食べながら、ヴォジラール通りを歩きました。クレマンチーヌは日本のみかんより皮が薄く、やや小ぶりですが、味は日本のみかんを思わせるおいしさです。

 すぐにリュクサンブール公園の鉄の網でできた小さな入り口にたどりつきました。樹々が立ち並び、枯葉が厚いカーペットのようにびっしり地面を覆っています。おそらく夏は小鳥たちが緑の樹々のすきまから顔をのぞかせるのでしょう(プルーストの『愉しみと日々』の一章を思い出します)。晩秋の今はあまりに静かで、ここには考えながら散策する人を俗界に引き込む自動販売機や汚れたゴミ箱はありません。風景の単調さはたくさんの見事な彫像によって償われています。奥に歩いていくと、リュクサンンブール宮殿とその前に有名な噴水が見えます。天気が良いので、この寒さにもかかわらず、多くの観光客が写真を撮ったり、椅子にすわって談笑したりしています。
 モンパルナスに引き返すため、モンパルナス大通りに出ると、すぐにヴァヴァン(VAVIN)の交差点に出ました。「右岸からタクシーをひろう時、モンパルナスのカフェの名を言うと、いつも決まって《ロトンド》の前で降ろされる」と『日はまた昇る』の主人公がぼやくカフェ・ロトンドがあります。体が冷えきったので、何か温かいものを飲もうと思いましたが、有名店はなにか入り難いものがあります。その隣のカフェ・ル・セレクトも有名店でセザンヌ、ピカソ、ヘンリー・ミラー、フィッツジェラルドらが通った店ですが、たたずまいが普通で入り安そうです。パリのカフェは必ず入り口のところに正確な値段表が張ってあるので、私と妻は近づいてじっくりそれを読みました。掃除のおじさんがにこにこ笑いながら扉を開けてくれ、妻と二言三言話しています。そのまま私たちは入店し、新聞を読んでいる地元客に混じってカウンターに陣取りました。ヘミングウェイも常連だったこのバーの椅子に腰かけて私はエスプレッソを注文しました。これがなんと1.3ユーロ。船橋のドトールより安いのです。妻は3.7ユーロのホット・チョコレートを飲みました。これは冬のカフェの定番でドロッとしたチョコレートを熱いミルクで溶かすのです。店内を見渡すと、例によってアメリカ人観光客の家族が食事していました。猫が一匹動き回っているのがこの店の庶民的な感じをよく表しています。

 さて、いよいよフナックへ、と歩き出しましたが、今度はお腹が空いてきました。駅前の交差点で鶏のサンドイッチ(フランスパンに鶏肉、トマト、チーズをはさんだもの)3.6ユーロを買って、歩きながら半分ずつ食べました。パンが固くてなかなか食べ切らないので、フナックの横の路地で何とか食べ切ると、やっと店内に。ところが、デジタル・カメラの品揃えは実に貧弱で、最も安いのは99ユーロの韓国の製品です。日本製品は日本での二倍近い値段、やはりニコンが欲しい妻はすぐに購入を諦めました。アマゾンで購入して、ホテルに送ってもらうこともできるが、問題の付属品(バッテリーやメモリ・カード)が大量に持参したものと合うかどうかは実際手にとってみなければわかりません。二人の携帯電話のカメラだけで何とかしのごうと結論を出しました。その結果、あまりカメラに頼らず、その都度ノートを細かくとったりすることになり、観察という点では好都合だったと思えます。
 帰りはモット・ピケ・グルネルのモノプリというスーパーでワインや惣菜やケーキを買ってホテルで食べました。明日もストが回避されるニュースは全くありません。

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