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2007年10月11日 (木)

ロバート・ラッセル『天使をこの手に』

 『目の見えぬ子ら』(1961岩波新書・赤座憲久)を読んだのはずっと昔のことですが、盲学校の生徒たちの活き活きとした日常は強く印象に残っています。
 『ロバータさあ歩きましょう』(1977偕成社文庫、1983旺文社文庫・佐々木たづ)は18歳で失明し、当時日本にいなかった盲導犬を得るためにイギリスまで行った女性の回想記です。失明という暗い現実がロバータという犬によって徐々に光に照らされていく、という過程は障害者の物語というより犬との愛情物語といってよいでしょう。その一生を一人の人間に捧げて静かに死んでいく動物への感謝と畏敬がそこにはあります。
 『全盲学生のアメリカ留学』(1993アドバンテージサーバー・勝山広子)は、盲学校で鍼・灸などの専門技能を学んだ後、両親の反対を押し切って短大に進学し、さらにアイオワ州のコーネル大学、アイオワ州立大学で学んで、ついに日本の大学で教えるまでになった女性の留学記です。全盲の人間が通例の職業以外の分野で生きていくことの難しさは無論ですが、この本ではそれよりも障害者を受け入れて、健常者と同じ土俵で闘う機会を与えるアメリカ社会への賛嘆があります。

 ところで、そのようなアメリカで全盲の人生を歩んだ一人の男、ロバート・ラッセルの半生の回想録『天使をこの手に』To  catch  an  angel   -  Adventures  in  the  world  I  can  not  see (1975みすず書房・佐伯わか子訳)は、自伝文学としては屈指の面白い作品となっています。著者は5歳の時、クロケー(ゲートボールの一種)の槌で玄関の石を思い切り叩いた時、槌の木片が左目に突き刺さって片目を失明します。ほどなく、右目の視力も弱くなり、物の輪郭がだんだんぼやけてきて、六歳の時についに完全に視覚がなくなりました。ロバートは、まだかすかな視力があったとき、母親の腕に抱かれて台所の窓から薄れゆく星空を見たときのことをよく覚えています。「エマソンは、もし星空が千年に一回だけあらわれる現象であったら、それは宇宙の不思議となるだろう、といっている。実際にはそれは夜毎にあらわれる。しかし私にとっては空も星も一回きりのものであった。五歳の私は、衰えいく視力の限りを尽くして、今まさに去ろうとしている世界を見たのだった」

 ニューヨーク州ビンガムトンで小さな宝石店を営む両親は七人の子どもたちを愛情をこめて育てました。末っ子のロバートが七歳になったとき、両親は彼の将来を考えて、家から遠いニューヨーク市ブロンクスにある盲学校に入学させることにしました。全寮制のその学校の鉄の門をくぐり、消毒剤のきつい匂いの中で母親がロバートのスーツケースの荷ほどきをしてくれました。そして見知らぬ世界の中に一人取り残されたのです。「カニは成長するためには古い甲羅ー慣れた安らぎーを脱がなければならない。そしてその時から新しい甲羅が固まるまでは、カニにとって非常に傷つきやすい時期である。カニの一生はこうして次々に甲羅を脱いでいくことで費やされる。最後に丈夫な甲羅を作り上げると、もうそこから逃れられない。そしてその中で死ぬ」
 ロバートは新入生でしかもちびなので入学するとまもなく一方的になぐられっぱなしでした。しかし、友人ができ学校になじんでくると、生彩を取り戻します。朝六時のベルと同時に飛び起きて、ロッカーまで競争し、タオルをとってシャワーを浴び、また部屋に駈けもどると着替えをし、20分戸外で散歩をしてから、ぺこぺこになったお腹で朝食に飛びつきます。一年生で点字を習いますが、ロバートの母親は自らも点字を勉強して読み切れないほどの長文の点字の手紙を送ってきました。「私は母がしてくれたことを過小評価するつもりはない。点字を読むのは比較的容易なことであっても、点字を書くということは遥かに努力を要することである」
 同学年にフレディという子がいました。家族から離れる寂しさに耐えられずいつも泣いており、ロッカーのタオルの場所を間違えたり、食堂へ行く道を忘れたりするのでみんなからいじめられていました。「たとえ私たちが愛情と優しさをもって彼を扱ったとしても、フレディにとって盲学校は煉獄だったろう。それを私たちが地獄に変えた。私たちの誰一人も彼を殴ったりしなかったーそんな価値もなかったのだ。ただ軽蔑して、からかっていただけだった。彼こそ私たちの弱さの象徴だった。私たちは自分をいじめるかわりに彼をいじめた」ある朝、フレディが降りてこないので教師が探しに行くと、彼は自分の口にハンケチを詰込んで、頭と顔をタオルでぐるぐるまきにしてロッカーに自分を閉めこんで苦しんでいるところを発見されました。この事件の後、もうフレディをかまう者はいなくなりました。

 盲学校では、フットボール、野球などさまざまなスポーツを行いますが、それらを通じて生徒たちは視覚のない世界での勘を養っていきます。ボールの音が左右の耳に届くごくわずかの時差によってその位置を見分けます。また、かかとと耳の間の距離を規準として足音が壁に反響する音から距離を割り出したりします。
 ロバートは家が遠かったので年に三回しか帰れませんでしたが、12歳になると週末に街に出ることが許されました。それは自由への道の準備でした。初めての外出の時、ロバートは友人のサムと二人で、ブロンクス区を探検してみました。歩道の縁につまづき、街灯の柱にぶつかり、何台もの乳母車と衝突し、多くの人たちに助けられて、ついに十セント均一の店にたどりつきました。二人は店の中をあちこち歩いてみました。カウンターの女の子がみつけて話しかけてきました。「坊ちゃん方、何をお買いになりたいの?」「別に」とロバートは答えました。「ちょっとショッピングしているんです」少しの間、店員はあっけにとられているようでしたが、二人がにこにこしているのに気付くと、声をたてて笑いました。「何というすばらしい笑い声!その笑い声は彼女が私のことを一人の人間ー見ることができないだけのーとして考えていることをあらわしていた!」
 ともにピザが好きなロバートとサムは新しいピザ屋を探して歩きました。街路を歩きながらピザの匂いを嗅ぎ付けるのです。ある時、間違えてピザ屋の隣のクリーニング店に入り、中の椅子にすわって「トマトとチーズのたっぷりかかった25セントのやつ」と注文してしまいました。ある時は、行きつけのピザ屋が満員で席が空くのを待っていたところ、一人の老婦人がロバートの手に25セント銅貨を握らせて去って行きました。後でそれを知ったサムは泣きそうな顔で「ぼくと外出するときはもっときちんとした服を着てくれよ」というのでした。ロバートの友人のニックは一人で外出した時に、道で倒れて泣いている幼児がいたので立たせてやると、その子はまたすぐに倒れて泣いています。再び立たせてやると、また泣き出しました。すると近くで母親の声がして、「うちの子に逆立ちばかりさせないで!」と怒鳴られたというのです。

 休暇で家に帰ることはもちろん最大の楽しみでした。夕方、父親が家に帰ってくると、いつもロバートとティドリー・ウィンクス(卓上球戯)をするのですが、父親は負けるとロバートに五セントくれるのでした。たいてい三ゲームやり、いつもロバートが勝って15セントもらうと姉と一緒にアイスクリームを食べにいきます。父親が疲れて帰ってくると、形式的な手続きなしで15セント渡してくれるのでした。
 13歳の時、休暇で家族と行ったセントローレンス河のキャンプで、ロバートは恋をします。相手はアデルという20歳の女性で、どんぐりが好きだという彼女のために蚊に攻め立てられながら下生えの中をどんぐりを探しました。アデルはそのドングリをきれいな色に染めてモカシン(柔らかな革の靴)の縁に縫い付け、ロバートの手をとってその靴に触らせてくれました。「初恋はその経験を簡単に忘れてしまう人にとってはしばしばひやかしの対象になる。私はそうではなかった。アデルを愛することによって、私は少年期の岸辺から一歩踏み出した。自分の障害を痛いほど意識している一人の少年にとって、彼女の親切と思いやりは私に希望をふきこんでくれた。私もまたいつの日か一人の女性—もうひとつの世界に住む、ちゃんと目の見える一人の女性—によって愛されるかもしれないという希望を」

 盲学校での猛勉強によってロバートは16歳で高校過程を卒業して、理学療法士の学位を目指してハミルトン大学に進学します。健常者の学生に混じって視覚障害者が楽しく学生生活を送るためには、自らをアピールしなければなりません。というのも全盲の人間は自分から知人を見つけることはできないので、相手から話しかけてもらわねばならないからです。孤独に耐えられず大学を退めていく障害者の何と多いことでしょう。しかしロバートは、盲学校で鍛えたレスリングと仲間とばか騒ぎのできる才能で自分の存在を十分に認めさせることができました。「私は何人かの盲学生を知っている。ある者はアカデミックな面で業績をあげるだけの十分な能力を持ちながらも、希望を失って大学を去っていった。彼らは孤独に耐えられなかったのだ。喧噪の中での友情—フットボール、ダンス、ビアパーティ、ポーカーのゲーム、自由討論、体育館での練習試合—のただ中で彼らは隠遁と絶望の生活を送る。彼らは仲間入りをするすべを知らない。興奮の友情に参加することがどうしてできようか?」
 ところが、入学して一年経ったとき、ロバートの父親が心臓発作で死亡します。ビンガムトンに家族が再会して葬儀が営まれました。父親の死はロバートに決定的な変化を起こさせました。それは自分を温かく見守ってくれてきた世界の顛落だったのです。「愛する者の死はあまりにも大きなできごとで、とても短時間に事実として把握することはできない。意識の周辺にそれを止めようとする力と、それを拒否しようとする力が拮抗して波のように打ち寄せては退いていく」
 彼はその時、それまで彼が愛誦していた詩の幾篇かが、このような悲しみを経験することによって初めて理解し得る深い内実を有していることに気付いたのです。詩はそれまで、彼にとってはなぞなぞのようなものでした。しかし、コインに表裏があり、人生に喜悦と憂愁があるように、すぐれた詩の意味するものは人生を理解することによって初めて感得できるものなのでした。ロバートは人生の行先を変更し、エール大学に編入して英文学を研究することを決意します。

 エール大学は、のんびりしたハミルトンと違って、あまりに大きく、すべて事務的に物事が進んでいました。その大変な勉強もさることながら、彼は学費を稼ぐためにゴルフ場でマッサージをしたり、当時視覚障害者を積極的に採用していた国際ビジネスマシン会社(IBM)でタイムレコーダーの組立てのアルバイトをしたりしました。彼が大学院に入って、将来大学の教員を目指していることを知ったエール大学の教授はこう言いました。「君は自分の言う意味が分かっているか? 学位を取るためには五つか六つの与えられた課題をこなして、さらに学位論文を仕上げねばならないが、一つの課題を成し遂げるのに10日間で百冊以上の本に目を通さなければならない。それができたとしても、ノートはどうやって取るのか? まさか点字タイプを図書館に持ち込む分けにはいかないし、できたとしても4,50キロある点字用紙をどう処理するのか。そして、たとえ、学位を手に入れたにしても、君のねらっているポストは目の見える優秀な人間が十人以上争っている。誰が君にチャンスをくれると思うかね。しかも、そんな努力をしてもサラリーはたかが知れてる。盲学校の教師になるほうが君にとっても社会のためにも良いと思うのだが」と。ロバートは深い失望を感じながら、さらにもう一人の教授に相談してみました。その英知と学識で人気のあるチャンシー・ティンカー教授です。「成功の見込みは限りなくゼロに近い」と教授は言いました。「しかし、ミシガン大学にはその学識で私も尊敬する盲目のポール・ミュスキー教授もいる。いかにしてその学識を彼が身に付けたかは知らない。しかし事実だ。もし、君が英文学の教授になろうとするなら、条件は一つ、絶対に第一級にならねばならない、ということだ。公平に考えてそれ以外に君にチャンスはない」
 もう盲学校には戻りたくなかったので、ロバートはそのわずかの可能性に賭けました。日夜を問わぬトップスピードの猛勉強が始まりました。アメリカでは盲目の学生に年300ドルが支給されますが、ロバートはそれを全て大学に委託し、リーダー(盲人のために本を読む人)の費用に当てました。スターリング記念図書館に点字タイプを持ち込んで関連文献をどんどんノートにとりました。朝五時から夜八時までの勉強にもかかわらず、他の学生が読み込んでいる厖大な書評や評論までは目を通せません。彼は作品自体に重点を置いて、それを深く読み込む方策を立てました。実際、それ以外にチャンスはなかったのです。

 それ以後の話は簡単に済ませましょう。ロバートは優秀な成績を収め、ロータリー基金で念願のオックスフォード留学を果たします。そこで、メアリー・コールリッジ(詩人。サムエル・テイラー・コールリッジの甥の孫娘)の研究で博士号を取得し、同時に結婚してアメリカに戻りました。しかし、盲目という障害はあまりに大きく、大学の教員職は見つかりません。妻子を養うため、再び I B M でコンピューターのパネルの単純労働に就くことになります。その屈辱と敗北感の中でも希望を捨てず、ついにペンシルヴァニア州のフランクリン・アンド・マーシャル大学で助教授の職を得るところでこの物語は終ります。ここで、著者はかの古くからの成長のパターン、カニの甲羅を思い出します。「実はこれこそ真理だったのである。私は盲であるということのために、一般の人よりもいっそう古い甲羅にしがみついていた。私の探索の旅はナルシスと同じく、エゴのけばけばしい器を求めることから始まった。次第にそれは聖杯—人間の秘密をたたえる—に変わっていった。これを手に入れようと努力することは、すなわち天使の群れの最後の一位を手にすることである」

 「子どものときから私はじろじろ見られてきた」とロバート・ラッセルは半生を振り返って語っています。「『どんな感じなんですか? ただの暗闇? 真夜中のような?』人々は私に尋ねる。私はそんなに不思議な人間か?」
 恐らくこういうことなのだ、と彼は考えます。我々はみな孤独である。そして、みな同じ希望の前に胸おどらせ、同じ怪物の前にたじろぐ。とりわけ我々は誰でも何の予見もなしに行動することを強いられる。結果を予見できぬままにコミットし、その結果は取り返しがつかない。この険しい人生行路において、我々はみな盲人である。盲人は、見えないものに向かう不安定な人間の足どりの象徴なのだ。それゆえに、盲人の物語は読者の物語そのものである、と。

 
 

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