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2007年9月 6日 (木)

T. ワイルダー『サン・ルイス・レイ橋』

 1714年7月20日金曜日の正午、リマからクスコをつなぐ街道筋にあるサン・ルイス・レイ橋が崩落し、五人の人間が真逆さまに谷底に転落して死亡しました。この橋はペルーの歴史ある名橋で、何人もこの橋が落ちるなどと思いもしないことでした。前日この橋を渡り、あるいは明日この橋を渡る予定だった人々は、運命が自分たちでなくその五人を選んだことに感謝しつつも「もし自分だったら」と思うと肝が冷やされるのを感じたのです。
 しかし、この惨事をたまたま目撃したジュニパー修道士は、そこに神の明白で誤ることのない意思を見ようとしました。なぜ、他の人間でなく、その五人が選ばれたのか? もしこの宇宙に何らかの計画が存在し、この人生に何らかの範型が存在するとすれば、こんなに突如として断ち切られたこの人たちの生涯の中にこそ、たしかにそうした計画や範型が秘め隠されているのを発見しうる筈だ、ジュニパー修道士はそう考えたのです。彼は、その直後から五人の犠牲者の生涯について調べ始めました。リマ中のほとんどすべての家を訪れ、数千という質問を発し、幾十の手帳を書き尽くし、その六年にわたる調査の結果は厖大な一冊の書物となりました。彼はその中に、故人の言葉や逸話やささいな出来事の思い出を細大漏らさず書き残しました。どんなわずかな生活の断片、知人の思い出の中にも、もし後世の炯眼ある人間が注意深く読み込めば、そこに神の摂理の紛うことのない証拠を発見しうると信じたのです。
 この書物は直ちに異端審問官の目に留まり、著者もろとも火中に投ずべしという審判が下されました。こうしてジュニパー修道士は公衆の面前で広場で火刑に処せられ、その書物も焼かれたのです。しかし、秘密の写本が一冊、サンマルティン大学の図書館深くに残っていて、そこには多くの逸話や証言の最後に荘重な文体で神がなぜその日に五人の人間を天に召されたのかが書かれている、ということです。

 その五人とは、モンテマヨール侯爵夫人とそのお付きの少女ペピータ、双子の兄弟の一人エステバン、舞台監督のアンクル・ピオとその女友達の息子ドン・ハイメでした。

 モンテマヨール侯爵夫人はリマの富裕な織物商の娘でしたが、醜い容貌と吃音のため子供時代から引きこもるように暮らしてきました。娘を心配した母親は、何とか彼女を人前で目立たそうと、体中に宝石を飾らせて通りを歩かせたりしましたが、孤独を好む性癖は多くの求婚者があらわれたにもかかわらず、彼女に独身を通させました。しかし、母親のヒステリックな願いに負けて、彼女は26歳のときある年取った没落貴族と結婚します。結婚後も孤独な思いにふける生活は続きましたが、一人娘が誕生するに及んで彼女の生活は変わりました。侯爵夫人はは気違いじみた愛情をこの娘に注ぎ始めたのです。ところが、娘は母親に似ず理知的で冷徹な性格で、成長するに及んで母親を馬鹿にするようになりました。母親は何とか娘の機嫌をとろうとしつこい愛情を示すのですが、娘はそれをうるさく感じ、手紙が届くさえ六ヶ月もかかるスペインの伯爵家に嫁いでしまいます。
 リマで一人で暮らすこととなった侯爵夫人はさらに内向的になり、次第に身なりに無頓着になり、独り言をくり返すようになり、アルコールに溺れ、その奇矯な行動はリマ中の人々の噂に上るようになりました。夫人の唯一の楽しみはマドリッドに住む娘に手紙を書くことで、娘が興味を持って読むよう面白い話や耳目をひく事柄をリマ中から探し求めました。夫人が望むことは、ただ娘から「こんないいお母さんなんていないわ」と言ってもらうことでした。
 彼女は奇妙な麦藁帽子を被り、日がな一日バルコニーに座って、あれこれと思い悩むことがありました。娘の愛を望みながら、しかし彼女は自分が決して娘から愛されないことを知っていました。そのことは彼女の考えの奥深くに浸透し、彼女のものの見方を左右したのです。夫人は神を信じられなくなり、人間はみなエゴイズムの塊で、親しい友人にふりかかった災難にさえ無頓着である、と思うようになったのです。そして悲しい眼差しは自分自身にも向けられ、自分は結局娘を愛しているのではなく自分自身を愛しているだけなのではないか、とも考え始めました。
 その頃、侯爵夫人はサンタ・マリーア・ロサ・デ・ラス・ロサス修道院付属の孤児院からペピータという12歳の少女を話し相手として借り受けていました。ペピータは修道院長であるマードレ・マリーア・デル・ピラールの秘蔵っ子で、彼女は聡明で信仰心厚いペピータを自分の後継者にしようと考えていたのです。侯爵夫人の相手として差し出したのも、大邸宅での起居を経験することは彼女の将来に必要のことと考えたためでした。ペピータは老院長に身も心も捧げていたので、馴れ親しんだ孤児院を離れ多くの召使いの中の生活に入っていくことも甘受し、侯爵夫人の気紛れ多い態度にも我慢しました。そして、いつしかペピータは夫人にとってなくてはならぬ存在となっていきました。少女が邸宅に来てから二年目、スペインに暮らす娘の安産祈願のためアンデス山中のサンタ・マリーア・デ・クルシャンブカの神殿に夫人とペピータは参詣することになりました。サン・ルイス・レイ橋の袂にある宿屋に宿泊すると、早速ペピータは運搬夫に行李を降ろさせ、火桶やタピストリーの置き場を教えると、料理場に下りて、夫人の常食の粥の調理について細々した指示を与えました。それから、部屋に戻って、マードレ・マリーア・デル・ピラール修道院長に手紙を書き始めました。「、、、私は自分が見捨てられたとは思っておりません。もし、私が夫人の許にいることを院長さまがお望みなら、、、。私は始終院長さまのことを考え、院長さまのおっしやったことを思い出しています。私は院長さまのお望みになることだけをしたいと考えておりますが、もし四、五日でも私を修道院に帰していただけたら、いえそれも院長さまがお望みでなければ帰りたくはございません、、、」手紙の途中でペピータが粥の味加減を見に階下に行くと、隣の教会堂でお祈りをしてきた侯爵夫人が部屋に帰ってきました。夫人はふと卓の上のペピータの書きかけの手紙に目をとめ、無意識にそれを開いて読み始めました。読み終えてインクの染みで汚れた手紙をたたんで傍らへおくと、夫人の心はある羨望に似た気持ちでいっぱいになりました。自分の愛情にいつも重苦しく付きまとっている倨傲と虚飾とをかなぐり捨てて、こうした素朴な愛情へ帰れないだろうか、ここには確かに幸福への秘密が隠されている、、、夫人は娘とのやりとり、記憶の底から掘り出された対話、ありもしない侮辱、除け者にされているという意識、を思い出しました。それら記憶の残骸を押しのけて、明日からもう一度人生を生き直すことができるだろうか。夕食の後、夫人はペピータの寝室に入って、その寝姿を眺め、その顔にかかっている長い髪をかきあげました。「これから自分はほんとうに生きるのだ」と彼女は呟きました。
 その二日後、リマへ帰る途次にモンテマヨール侯爵夫人とペピータはサン・ルイス・レイ橋を渡って椿事にあったのでした。

 ある朝、サンタ・マリーア・ロサ・デ・ラス・ロサス修道院の戸口の捨子箱に双子の兄弟が発見されました。直ちに、マヌエルとエステバンという名がつけられましたが、あまりに似ているので、誰もこの二人を区別することはできませんでした。院長のマードレ・マリーア・デル・ピラールはこの二人を愛し、院長室へ呼び寄せては菓子を与えたり、お話を聞かせたりしていました。年頃になると、彼らは修道院を出て、リマの僧院の聖具室で働いたり、十字架を磨いたりしていましたが、いつしか代書人の職を身につけて劇場の舞台の脚本や音譜の筆写を始めました。
 無口で生真面目な二人は、自分たちが似すぎていることを恥ずかしく思い、そのことで周囲の人たちにからかわれることに耐えていました。彼らはお互い同士顔を見合わせることも妙に嫌がり、二人つれ立って市には現れないという暗黙の取り決めができていて、同じ用事で出かけるにしても違った通りを行くことにしていたのです、、、こうした仲というものは何といったらよいのでしょうか、その事実の反面には実はこの二人が互いに相手を必要とすることのやむにやまれぬ衝動があるのです。この二人の仲にはいつも奇蹟ともいうテレパシーが起こって、たとえば一人が家へ帰ってくる時には他の一人は通りをいくつも隔てた遠くからもうそのことに気付いたりするのです。彼らは物を言えるようになった頃から二人だけの秘密の言葉を発明していて、人がいない時はこの言葉を話し、苦しい時には人前でも使いました。この秘密の言葉こそ彼らの一心同体の証しなので、モンテマヨール侯爵夫人がクルシャンブクゥの宿屋で感じたことを一つの言葉で表すことが難しいように、マヌエルとエステバンの間にあるものも「愛情」とはかたづけられないある独特の感情だったのです。

 ところが、彼らが22歳の時、兄弟の仲を割くような出来事が発生したのです。二人は性格もまた酷似していたのですが、ほんのわずマヌエルの方がエステバンより感じやすい心を持っていました。舞台の台本の書写が終った日、支配人の好意で二人は劇場で芝居を観ました。気難しい性格の二人は芝居などなんの興味もなかったのですが、幕間に看板女優のペリチョーレが舞台の上で踊ると、マヌエルはその赤い靴と赤い靴下に強い感銘を受けました。それまでに二人はもちろん女性たちとつきあったことがあったのですが、今度の場合は全く違っていました。彼女がマヌエルには高嶺の花であったにしても、その不思議な情愛に満ちた興奮を抑圧することはできません。エステバンはマヌエルのこの変化にすぐに気付き、それゆえに苦しみました。彼は二人の生活の意味がすっかりなくなってしまったように感じたのです。ある夜、二人の下宿でマヌエルが代書の仕事をしていて、エステバンが寝床に入っていた時、突然戸を叩く音がして、マヌエルが開けるとそこにペリチョーレが立っていました。彼女は夜遅く来た詫びを言い、急な手紙を代書してほしい、とマヌエルに頼みました。エステバンは夜具の隙間からペリチョーレがマヌエルの耳元でささやき、マヌエルが頷きながら代書していく場面を見ていました。それを見ていると、急に自分自身が限りなく小さくなり、不必要な存在に思われたのです。用を済ましてペリチョーレが部屋から出ていくと、暫くしてエステバンは服を着けて少し散歩に出かける、とマヌエルに言いました。マヌエルは兄弟の間の亀裂に直ちに感づくと、「エステバン、どこに行くんだ」と尋ねました。「俺は邪魔な存在なんだ」とエステバンは言いました。「何を言うんだ、俺はあんな女なんか愛していない」とマヌエルは言いました。「どうせ望みなんかないんだから。俺はもうあの女が代書を頼んできても断るよ」そして、実際マヌエルはペリチョーレへの思いを断ち切ったのです。彼はエステバンが、あのかけがえのない存在であるエステバンが遠く地平線の彼方へ消えてゆくのを目の当りにしたように感じました。彼はエステバンの苦しみを感じ、熱に浮かされた幻のために兄弟を犠牲にすることなどできないと思ったのです。

 ある夕方、仕事中にマヌエルは金具で膝の肉を引き裂きました。二人はこれまで病気をしたことがないので、兄弟ともパニックに襲われました。襲い来る痛みと不安にマヌエルは自分を失い、兄弟の苦しみにエステバンは気が狂いそうになりました。町の理髪屋兼外科医が隣町から朝戻るのを待って診てもらい、水薬と塗薬を渡されました。一時間ごとに当てる湿布の激痛のためマヌエルは我を失って、朦朧とした気持ちでペリチョーレの名を叫び、仲を割いたエステバンを憎み、痛みが治まるとそれを否定しエステバンに許しを請うのでした。三日目の夜、エステバンは坊さんを呼びにやりました。そして、暗い部屋の中で臨終の塗油を受けてマヌエルは息を引き取りました。下宿の大家が修道院に連絡すると、院長は飛んできて一切の後始末を済ませました。エステバンを見つけて、手伝ってくれるよう頼むと、エステバンは黙り込んでから「いやです」とだけ言いました。白昼に蝋燭を輝かしてマヌエルの葬列が市中を通るとき、エステバンはその葬列と並行する通りを葬列に遅れながら遠くから隠れるように追って行きました。
 それ以来、エステバンは幽霊のように町や墓をさまよい、修道院の周りをひそかに徘徊するところも人々に目撃されました。院長はエステバンを心配して、船長で旅行家であるキャプテン・アルバラードに相談することにしました。キャプテン・アルバラードは地球上をくまなく航海して、その豊富な人生経験と気高い性格でリマの町の人々から尊敬されていたのです。実は兄弟が修道院長以外に心を許した人間はただ彼一人でした。アルバラードは最愛の一人娘を失ってから、ただその面影を求めるためにだけ、あるいは悲しみを忘れるためにだけ世界を旅行しているのだということでした。船長は、代書の仕事のためクスコにいるというエステバンを訪ねて行きました。
 アルバラードは宿屋にいるエステバンを夕食に誘いました。しこたま酒を飲ました後、「わしは次の航海に連れて行く若い男を探しているんだが、どうだ、わしといっしょに働かないか?」と誘うと、エステバンは頷きました。それから椅子からずり落ちるほど酔ったエステバンを抱えて部屋のベッドに寝かせると、アルバラードは宿の前の広場でアンデス連山の上に懸かるおびただしい数の星の光を見上げました。すると、中空にさまよいながら自分に微笑みかける懐かしい娘の幻影が見えるのでした。
 翌朝、宿の下でアルバラードが待っているとエステバンが降りてきて、やはり行けなくなった、というのです。「なぜだい、昨夜は行くって約束したじゃないか」「どうしても駄目です。私はお伴できません。このペルーを離れることはできないんです」「いや、エステバン、今のお前にはペルーより海の方がいいんだ。リマもクスコも、その街道もお前はみんな知ってしまっただろう。お前に必要なのは海だよ。海にいれば年が年中仕事はある。さあ、お前の荷物を取っておいで。そしたらわしたちは出発しよう」そう言われて、エステバンは何とか決断をつけようと、ゆっくり階段を上がっていきました。船長は彼を待っていましたが、ずいぶん待たされるので思い切って階段を途中まで上がって耳を澄ましました。つづけざまに物音がしたので、体をぶつけ戸を壊して中へ入るとエステバンが梁から切れた綱にからまって床に倒れていました。「あっちへ行ってください、一人にして下さい」とエステバンは叫びました。「私はひとりぼっちだ、ほんとうにひとりぼっちだ」と彼はうめきました。船長は蒼白になりながらエステバンを見下ろして立っていました。彼の心に今ふたたび蘇ってくるのは、かつての日の彼の心情に外なりませんでした。「エステバン」とキャプテン・アルバラードは言いました。「人間には自分の力だけのことしかできないんだよ。できるだけ頑張るまでのことさ。エステバン、永いことはないんだ。時はどんどん過ぎてゆくんだ。後になってみれば、年月の経つのは早いものだとびっくりするぜ」
 二人はリマへ出発しました。サン・ルイス・レイ橋を渡るとき、船長は荷物の運搬を監督するため河へ降りていきましたが、エステバンは橋を渡ろうとして、その墜落と運命をともにしたのでした。

 残りの二人、アンクル・トムとドン・ハイメについては割愛しましょう。私たちの周囲にいる人々、そのうちどの五人をとっても、モンテマヨール侯爵夫人やペピータやエステバンと同じくらい、あるいはさらに狂おしく、孤独に苦悩し愛を求めているのではないでしょうか。しかし、それがわかるのはその人が死んだ時なのです。その人が亡くなってはじめて、私たちはその人について考え、その人の秘密に気付き、しかし、もっとも隠された部分は謎であったことがわかるのです。

 ソーントン・ワイルダー(1897~1975)はユージン・オニールとテネシー・ウイリアムズの間に記憶される劇作家ですが、中国大使をしていた父の下に生まれ、若き日をローマで過ごしました。『サン・ルイス・レイ橋』(岩波文庫・松村達雄訳)の驚くべき構想のヒントはこのローマ時代の古典と歴史研究にあるといわれています。

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