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2007年9月16日 (日)

カンディンスキー/フランツ・マルク『青騎士』

 フランツ・マルク(1880~1916)の描くかわいい動物の絵はいつまでも見飽きるということがありません。水を飲む馬、輝く狐、眠る牡牛、うずくまる犬や猫、そっと立つ鹿など、美しく、不思議な、夢見るような光景、これはほんとうに動物を愛した人間が描く世界です。「私を取り巻く罪深い人間は私の真の感情を呼び覚ますことはなかった。しかし、動物に生まれつき備わる生に対する感覚は、私のなかにあったすべての良きものを引き出した」とマルクは書いています(「賢者の石ころ」より)動物の傍らにいる時、人間が感じる安らぎに似た感じは、人間が失ったものを求める郷愁に似ているのです。フランツ・マルクはそれを描くために動物の心の中を覗こうとします。「芸術家にとって、動物の目にうつるであろうような自然の映像以上に、謎めいた表象がまたとあるだろうか?」とマルクは自問します。「馬はこの世をどう見ているだろう? 鷲は、鹿は、あるいは犬は、、、? ぼくらが動物の映像世界を推量するために動物の内面に身をひそめるかわりに、動物をぼくらが目にする風景のなかにおくのは、なんと心ないみじめな習慣だろう」
 マルクの動物が潜み、吼え、眠る風景は動物自身が見たであろう光景なのです。それは理性によって曇らせられることのない風景、〈物自体〉を見据えている風景なのです。マルクがもっとも影響を受けたヴォリンガーの『抽象と感情移入』にはこんな一節があります。マルクにとっての動物はヴォリンガーにとっては未開人となっています。「未開人にあっては、いわば〈物自体〉に対する本能が最も強烈である。外界に対する精神的支配力の増加と慣れは、この本能の衰弱や退化を意味する。人間精神が数千年の永い発展の過程において、合理主義的認識の道程をすっかり通り過ぎてしまった後にはじめて、再び人間精神のうちに〈物自体〉の感情が知に対する究極的な諦観として目覚めるだろう。かつては本能であったものが、今度は究極の認識的成果となる」(草薙正夫訳)と。

 フランツ・マルクは、風景画家であった父親と、アルザス出身の厳格なカルヴァン教徒であった母親との間にミュンヘンで生まれました。父からは芸術的才能とドイツ語を、母からは深い宗教性とフランス語を受け継いだといわれています。神学と哲学を学んだ後で、フランツはミュンヘンの美術アカデミーに入学し、1903年に卒業するとパリに出ました。しかし、パリの生活の中で画家は深い抑鬱症に陥ります。自分がどこに向かうかわからない不安、自分の絵画が目指す場所が見えないという不安です。しかし、ゴッホの絵を発見したことが彼に心の平安を与えました。彼は自分が愛するもの、馬や鹿について描こうと考えたのです。マルクは動物解剖学を勉強し、動物を通じて根源的な宗教体験に似た認識を獲得します。「ぼくは、馬をあるがままに描こうとは思わない」と彼は言っています。「馬が感じているように、すなわち、われわれが見ている外観の背後に生きている絶対的な存在として描こうと思うのだ」と。「芸術とは、霊域に通じる橋である」という悟りを彼は得たのです。
 フランツ・マルクは1910年3月、ミュンヘンで「新芸術家協会」の展覧会を観て共感し、その中心的人物だったカンディンスキーと親交を持つことになりました。マルク30歳、カンディンスキーが44歳の時でした。当時、ゴッホ、ゴーギャン、ムンクらの表現に影響を受けて、フランスのフォーブ(野獣派)、イタリアの未来派、オーストリアの分離派などと同様にドイツでも表現主義の波が押し寄せていました。というよりドイツこそ形式よりも内容を、客観的自然の把捉よりも内面の真実の表出を重要視する表現主義の嵐の中心地だったのです。ベルリンの新分離派、ドレスデンの《ブリュッケ(橋)》が知られていますが、そのメンバーのきらめく才能によってミュンヘンの《青騎士》に優るものはありません。「私たちは二人とも青が好きで、そしてマルクは馬が、私は騎士が好きだった」とカンディンスキーはその名前について語っています。
 1911年、《青騎士》は二回の展覧会をミュンヘン始めドイツ各地で開催しましたが、この頃、マルクは彼の名声を確立した動物連作を描き始めています。1912年、年刊誌『青騎士』の第一号が出版されました。フランツ・マルクは巻頭の三つのエッセイを書き、カンディンスキーは『フォルムの問題について』という力作の論文を載せています。他に、マルクにアンリ・マティスの絵画を教えた7歳年下の鬼才アウグスト・マッケが『仮面』というエッセイを、シェーンベルクが音楽論を執筆したりしています。しかし、何よりも雑誌『青騎士』の特徴は、古今東西にわたるジャンルを超えた芸術の集積にあります。子どもの絵、ボルネオの彫刻、エジプトの影絵、中国や日本の絵画、メキシコやイースター島やニューカレドニアの彫像、古代ギリシアのレリーフ、バイエルンの民間のガラス絵などに混じって、セザンヌやゴーギャンやゴッホやクレーの絵が掲載されています。その真意は奈辺にあるのでしょうか。マルクは、作品の真実性を保証するのはその内的な生命である、と断言します。「芸術的な事物において、作品の慣習的な外面などまったく顧慮することなく、真実を愛する人々によって創られたあらゆるものは、どの時代にあっても本物でありつづけるのだから」と。形式を超えた内的真実こそ、見る者を感動させるというのです。

 『青騎士』第二号の計画は第一次大戦の勃発とフランツ・マルクの出征により中断しました。物質文明の未来に何の希望も見出せなかったマルクは新しい世界の曙光をこの戦争に託したのではないかと言われています。大戦開始直後に、《青騎士》の同士アウグスト・マッケが戦死したことで衝撃を受け、泥沼戦の中で虐殺を目撃するなど戦争の醜さを感じながら、マルクは来るべき制作の時のためにスケッチブックを離しませんでした。しかし、彼は1916年3月、ヴェルダン攻防戦のさ中、ある教会の中で砲弾に直撃され、あまりに短い36歳の生涯を閉じるのです。

 カンディンスキーは78歳まで生きて1944年に動脈硬化でなくなりました。マルクと違って怜悧な学者肌のカンディンスキーは内的表出という共通の命題をさらに徹底させ、ついには対象と完全に訣別することで純粋な抽象の世界にたどり着きました。そこには、マルクにも見られた、霊的魂の探求、神秘主義、衣装を変えた大時代のロマン主義が隠されています。その道が「かみそりの刃」の上を歩く危険な道であることは、カンディンスキーがブラバツキー夫人のオカルティスムやルドルフ・シュタイナーの神智学に接近したことでもわかるでしょう。カンディンスキーには、マルクの動物のような浄化された一点がなかったのです。フランツ・マルクも晩年には、未来派の幾何学的世界に彼の動物たちを棲まわせようとしました。最後の絵となった《ティロル》には動物は消えて、画面の中央にかすかに幼児を抱いた聖母が描かれています。しかし、いかなるときでも、マルクの眼差しからは、無垢の象徴としての動物の姿は失われることはありませんでした。彼は愛犬ルッシを描いた絵《世界を前にする犬》を残していますが、その絵について、犬がそんな風に座って世界を見つめているとき、犬の中でどんなことが起こっているか知りたいものだ、と語ったと伝えられています。

 『青騎士』(2007白水社・岡田素之・相澤正己訳)は、一号しか刊行されなかった年間誌『青騎士』の忠実な全訳です。論文・挿絵のすべて、シェーンベルク、ベルク、ウェーベルンの楽譜、さらにフランツ・マルクの飾り文字まで、そのままに美しく再現されています。いや、再現されているのは1912年という「あらしの前」の時代そのものだと言ってもよいでしょう。(同書に挿入されたマルクの、黄色い鹿の木版画、水彩画による木版画「二頭の馬」それに「牡牛」を載せておきます)


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コメント

こんちには トムです。
カンディンスキーは唯一、私が画集を複数持っている画家です。フランツ マルクの画集は以前、知人のを見せてもらいました。後期の作品には「これはっ」と思わせるものがありますね。もしマルクが後10年いきていればと、つい想像させる才能を感じさせます。この本の中の新時代への確信、希望、彼らの気概は私の中に複雑な感情をもたらしました。芸術の「新約聖書」とは思いませんがひとつの記念碑であることは間違いないと思います。

投稿: トム | 2008年6月16日 (月) 10時19分

トムさん、こんにちは。
マルクの画は私にも、さまざまな気分、感覚、いや深い思索さえも呼び覚ましてくれます。カンディンスキーに比べると生涯を全うしなかったのは、不運としかいいようがありません。それにしても、彼はたいへんな時代にめぐりあわせていましたね。
それでは、また。

投稿: saiki | 2008年6月16日 (月) 12時07分

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