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2007年8月 4日 (土)

永井荷風『江戸芸術論』

 麻布の家を戦災で失い、市川に寓居を得てからの最晩年(66歳から79歳まで)の荷風の生活は想像を絶するものだったようです。戦争で財産を離散し、安易な利子生活者の身分から一転して、孤独な老人として生きねばならなかった身の不安はいかばかりであったでしょう。戦後すぐから荷風の作品は一種のブームになって夥しい印税が彼の懐に転がり込んできたのですが、中村光夫の「狂気の文学者」(『評論永井荷風』所収)によれば、荷風の生活は自分らしい死をいかに死ぬかという懸念に満ちていた、ということです。荷風と同じように孤独な晩年を徳島で過ごしたポルトガルの作家モラエスは、手足の自由を失ってから、世話をしていた女が大小便の始末に一回いくらという報酬を要求したため、糞尿にまみれて死んだということです。荷風には金があり、困れば助けてくれる友人もいたでしょうが、それにしても人の世話になること、自分のだらしない姿を見られるのを極度に嫌った貴族主義者の荷風が寝たきりの死を怖れたことは容易に想像できます。幸運にも実際の荷風の死に方は、中村光夫によれば「望外のこと」であり「最上の死」であり「生涯の最上の仕上げ、完成」ともいえるものでした。荷風は昭和34年4月29日に外出先から帰るとそのまま吐血し倒れ、翌30日に家政婦に発見されました。病院での苦しい治療の経験もせず、誰にもほとんど迷惑をかけず、わずか数時間の苦痛の果てに、我が家の畳の上で死んだのです。「三千万円の金を持って、町医者ひとり呼ばず、野良犬のように死ぬのは、凡人にできることではありません」と中村光夫は書いています。死こそ彼の芸術の一帰結、生きるスタイルの傍証であったのです。鎌倉に家を持ち軽井沢に別荘を持つ俗臭芬々たる近代文学者たちのいる中で何と彼は文学の極みに生きたでしょうか。

 『江戸芸術論』(岩波文庫)は荷風の秀逸な日本文化論です。作家の書いた日本文化論というと谷崎の『陰鬱礼賛』が思い浮かびますが、心のこもっていない優等生の軽く仕上げた論文のようで、谷崎が本当に磁器の白さが溶け込む薄闇の家に住みたかったのか大いに疑問といえるでしょう。それに反して荷風の江戸文化への愛着は彼の人生観の根底に関わっています。彼は幼き日に、母親と一緒に江戸浮世絵の世界に親しみました。尾張藩の儒者、鷲津毅堂の二女として江戸三味線堀に生まれた母親は江戸文化に強い愛着を持ち、芝居を好み、浮世絵の収集もしていました。徒然の夜に、母は息子壮吉に錦絵の紙挟みを展げて春信や春章や豊国のことを教えていたのでしょう。『江戸芸術論』の中で荷風は最も愛した鈴木春信の板画のことを語っています。前髪の少年が菱形の井筒に頬杖をついて見えない井戸の底を指さしています。これと相対して振袖姿の少女が袂(たもと)重たげに井筒の上に片手をつき、前身をかがめて井戸の底を窺っています。二人の上からはしだれ柳が糸のような細い枝を垂らしています。この板画を見ると何の理由もなく直ちにメーテルリンクの『ペレアスとメザリンド』を連想する、と荷風は書いています。さらに現代の読者はフォーレの同名の曲の美しい第四曲を思い出すでしょう。「古今の浮世絵にして男女相愛の様を描きしもの枚挙に遑(いとま)あらず。然れども春信の板画の如く美妙に看者(かんしゃ)の空想を動かすものは稀なり」と荷風は言います。春信の板画は単純を極めています。人物は常に同じ容貌で、しばしば男女の判別さえ困難です。男は必ず前髪の美少年、女子は必ず大きな櫛をさした妙齢の女性で、写実に遠いことこれほど甚だしきは稀でしょう。荷風によれば、春信の男女は当時の衣服を着しているのみでその感情においては永遠の女性と男性を象徴し、その思想は永久なる恋愛の詩美を表しているとのことです。有名な《雪中相合傘》や《座舗八景》を思い出しましょう。「不自然な姿勢は幽婉の境を越えてしばしば神秘となり、単純なる後景はあたかもパストラル曲中の風景に等しく」なるのです。
 元禄期の華やかな都会より興った芸術的感情は菱川師宣の浮世絵を生み出しました。その浮世絵は明和期の春信に至って錦絵の技法を創出し、天明の鳥居清長で一つの頂点を迎えると、寛政の歌麿に及ぶや正確なる写実によって浮世絵は完全なる絵画となりました。しかし、極端な写実は爛熟した江戸文明の廃頽期の産物で、そこには春信の描き出した柔和で古雅な音楽的情緒は希薄です。春信の板画にはオランダ幾何学の遠近法も清長の均整ある女性や精密な背景もありません。春信はすべてを平坦に単純に描きます。この稚気と未完成は彼の欠点ではなく、むしろ長所なのです。昼の夢から覚めたばかりのようにうつろな眼差しで斜めにふる雨を見つめる女性、土塀に隠れて恋人を窺う少年、艶書を読む少女、柳したたる井のほとりに黙然として水底を観る年少の男女、これら小説的意匠を纏った浮世絵の登場人物たちは互いの心と心に何を語り、何を夢見ているのでしょうか。単純なる美に対する煙の如き哀愁、造花の如く動かざる装飾画的配合、これは他国の美術のついに持てなかった日本的美である、と荷風は書いています。それが何かを論理的に精密に述べることはできません。それは何らの神秘も哲理も示すものではありません。ただ、人が秋雨に聴く虫の音、木枯らしの夕べに聞く落葉の声、または女の裾の衣擦れの響きなどを聞くとき、人の心に立ち上がる一つの思いなのです。

 浮世絵は自分にとって単に美的価値のみに留まらず「精神的慰藉」を与える、と荷風は書いています。ここに荷風の人生のスタイルの要諦があります。彼は明治期の多くの知識人のように明治政府の安直な欧化政策に失望していました。見附と呼び慣れた旧江戸の古城門を何の哀惜もなく取り払い、周囲に繁茂する古松を濫伐して省みない無神経さ。欧州では一樹の古木、一宇の堂舎も民族の過去を表すものとして敬愛されているのに。文化的に低劣な武断政府に荷風はアジア的専制政治の狭量さを感じます。軽蔑を感じつつも「日本人古来の諦めの無差別観」が彼を襲います。粗野で愚かで威張りくさった指導者に文句を言って何になろう、思えば江戸三百年の間、民衆はこの鬱屈した感情をいわば発酵させ、いかなる外来文化の影響も受けずに独自の文化様式を発展させてきたのではないでしょうか。特に浮世絵において、その技巧と表現の独自性は同時代のヨーロッパの絵画に深甚な影響を与えました。これら美しい板画は幕府の庇護を受けた公認の絵師達が作り出したものではありません。18世紀のアカデミー学派たる狩野派の画家たちの作品はいまやその美術的光栄を後世に保つことはありません。渋い色調で哀訴の旋律を奏で、片隅で朽ちていく江戸庶民の心を描き続けたのは、遠島に流され手錠の刑を受けた卑しむべき町絵師たちでした。可憐なる錦絵、美しも哀切な美人画は、虫けら同然に扱われた町人の手によって日当たり悪い横丁の借家で制作されたのです。「ああ、余は浮世絵を愛す。苦界十年親のために身を売りたる遊女が絵姿はわれは泣かしむ。竹格子の窓によりて唯だ茫然と流るる水を眺むる芸者の姿はわれを喜ばしむ、、、およそ果敢(はか)なく頼りなく望みなく、この世は唯だ夢とのみ訳もなく嗟嘆せしむるもの悉くわれには親し、われには懐かし」

 『江戸芸術論』はさらに江戸演劇について言及しています。森鴎外は「旧劇の未来」という小論で、旧劇は最早や観るに堪へざれば、全くこれを廃棄するか然らざれば改作するにありと書いています。荷風はそれに反対して、江戸演劇はそのまま変更せずに保存するか、もしくは全く新しく一から作り出すべきだ、と云っています。というのも、荷風は江戸演劇を骨董的価値を有するにすぎないと見ているからです。江戸演劇は江戸の窒息せる都会においてのみ発達した芸術でした。それは民衆の社会と等身大の総合芸術だったのです。戯曲の内容はほとんど問題になりません。それが作り出す世界がすべてなのです。拍子木の音、幕明きの唄、引幕の波打ちつつ開きいくその瞬間の感覚、役者の花道に出づる時、囃子の鳴りものに合わせて回る舞台、出入りの唄合い、床の浄瑠璃、すべてが渾然一体なる一芸術の要素なのです。さらに江戸演劇は江戸文化のすべてに浸透し、また影響されます。文学としては役者評判記また劇場案内記、絵画としては浮世絵、流行としては紋所縞柄染模様、その他羽子板、押絵、飴細工、菊人形にいたるまで、その世界は江戸文化全般に及びます。それら全体の基盤は江戸市民の圧迫された閉塞した心持ち、権力への無力と諦念にあるのです。ですから、時代が変わって異国の文化が自由に多量に流入する時代になると、江戸演劇はその存在の根底から崩れていきます。一部の改作による手直しなど問題になりません。少しの変更もその精神を全体的に揺るがせるでしょう。それでも骨董としての価値はある、と荷風は言っています。「旧劇は元より卑俗の見世物たりといへども、昔のまま保存せしむれば、江戸時代の飾り人形、羽子板、根付、浮世絵なぞと同じく、休みなき吾人日常の近世的煩悶に対し一時の慰安となすに足るべし」と。

 骨董的価値、という概念こそ荷風の心底を窺わせるものはありません。彼は自分を旧文明の最後の生き残りと見なしていました。頽廃した文明が極度に洗練された芸術を生み出すように、自分はともかく江戸芸術の血脈を受け継ぎ、その精神を体現していると。しかし、荷風はまた明治の子であり、平民の出でありながら明治の高官、日本郵船の支店長まで務めた現世の成功者である父久一郎に深い劣等感を抱いていました。この劣等感からついに抜け出せなかったことが荷風の文学に不透明な屈折を与えています。彼は父親の財産のおかげで生涯に貧乏に陥ったことは一度もありません。晩年の極端な吝嗇も、死んだことのない人間が死を怖れるように、無一文を体験したことのない人間が無一文になることの恐怖に外なりません。けちん坊の裏には身を屈して借金することの貴族的怖れがあります。飛び込み台の上で逡巡するようなこのくぐもった精神が、荷風にボードレールやヴェルレーヌのような霊魂の深みに至る道を閉ざしています。荷風の敬愛し続けた文人が大田南畝と森鴎外であったことも理解できるでしょう。彼らは文筆を奮いながら官吏としても一流でした。「自分は父親に云われたように駄目な人間である」という意識、その意識が荷風に自分自身を何よりいとおしくさせているのです。井筒の底を見つめる少年少女、可憐で繊細でやや物憂げな少年と少女は、荷風が唯一愛した自分自身にほかなりません。

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コメント

残暑お見舞い申し上げます。今回も素敵な評論です。
永井荷風のこの本は知りませんでした。というようりは、先生の取り上げられる本はほとんど私は名前も知らないものばかりで、結果私の優れた読書案内となっています。
近頃、それは北極の氷が溶けるのがICCP(?)の予測より40年も早くなっている今という意味ですが、近代化以前の我が江戸時代に関心がいきます。先日も幕末秋田の二人の女性が関所破りをしながら伊勢参り、金毘羅参詣等日本を一周した記録に基づく本を読み、私もやりたいことをやってから死にたい思いをさらに強くしました。
取り留めのない内容で失礼しました。
一言先生の書評の大ファンとしてのリスポンスでした。

投稿: 相澤俊行 | 2007年8月23日 (木) 13時22分

相澤さん、こんにちは。今年の夏は本当に暑かったですね。
旅行記を読むと、私もどこか遠くへ旅立ちたくなります。旅も読書と同じようにそこには密やかな感動へのあこがれがあるのでしょう。
脈絡もなく好きな本を勝手に選んで書いていますが、愛読して下さって光栄です。これからもよろしくお願いいたします。

投稿: saiki | 2007年8月24日 (金) 22時00分

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