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2007年8月22日 (水)

J.P.ヴェルナン『ギリシャ思想の起原』

 「その失われた対話篇『哲学について』の中でアリストテレスは、定期的に人類を亡ぼす自然の大異変について語り、その中でこのような天変地異の起こるたび毎に、わずかな生存者とその子孫が文明を再建するために通過せねばならぬ段階を叙述した」とヴェルナンは『ギリシャ思想の起原』(1970・みすず書房・吉田敦彦訳)の第5章「都市の危機、最初の賢人たち」を書き始めています。ゼウスの怒りによって引き起こされた「デウカリオンの洪水」で死を免れた者たちは、まず生産の基本手段を、次いで、生活を美化する技術を再発見せねばならなかったのですが、第三段階において、彼らはポリスの組織に注意を向け、法律と都市の部分を結合するすべての絆を発明した、とアリストテレスは書いています。「そして、彼らはこの発明を《知恵》と名付けた。七賢人の所有する知恵は、この知恵であり、彼ら七賢人こそまさに市民に固有の徳の発明者だったのである」
 この文脈で重要なことは、ポリスについての知恵が第四段階のピュシス・テオリア(自然学)の知識、第五番目の宇宙的秩序を越えた神的な知恵よりも先行しているということ、そしてその知恵をもたらすのが七賢人である、ということです。事実、ディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』第一巻は11人の〈賢人〉に充てられており、アナクシマンドロス以下の哲学者は第二巻より登場します。哲学者は都市の娘であるに過ぎず、その都市の魂を作り出すのが賢者の仕事なのです。

 ところで、七賢人とはいかなる人たちでしょうか。ディオゲネス・ラエルティオスはタレス、ソロン、ペリアンドロス、クレオブゥロス、キロン、ビアス、ピッタコスを挙げ、さらにアナカルシス、ミュソン、ペレキュディス、エピメニデスの名を加えています。彼らはその職種も、立法者(ソロン)、僣主(ペリアンドロス)、王族(アナカルシス)、呪術的予言者(エピメニデス)、神学者(ペレキュデス)などさまざまでした。彼らに共通の特徴は、彼らが共同社会の枠の外に基盤を持つことができる例外的で特別な存在、つまり変人であったということです。彼らはその生活の仕方によって社会から孤立しているがゆえに、共同体が身に帯びている災いや汚れを浄め、見えざる罪過を露わにすることができました。密儀宗教の中の個人と同じように共同体も彼ら賢人の知恵で再生し、変様し、より高い存在に持ち上げられるのです。それゆえ彼ら賢人はほとんど神の如きユニークな存在、ティオス・アネル(神人、あるいは奥義に達した人)とみなされ、彼らが言葉または文書によって都市に向かって発言する時、それは常に天来の真理を伝達するものと受け取られたのです。
 後の哲学者たちとの違いはそこにあります。哲学(フィロソフィー)の原義は「知を愛する」ということでしかなく、ルネ・ゲノンが言ったように、知そのものではありません。哲学はプロタゴラスのように世俗的な道具的知識になるか、ピタゴラスのように完全に閉鎖的な秘教に陥るかの道しかなく、かつての賢人が持ったような密儀的力を持ちながらかつ公共的威信も持つ(賢人の言葉は金言と見なされました)存在はついに再び現れなかったのです。

 賢人たちには伝説が残っています。サテュロスによって七賢人の筆頭にあげられたビアスは、人間にとって甘味なものは何かという質問に「希望だ」と答えています。また彼は、不幸に耐えることができない人こそがほんとうに不幸であるとか、つまらない人間を富のゆえに称賛するなとか、人を愛する時にはいつかは憎むことになるかもしれぬように愛せ、なぜならたいていの人間は劣悪だから、とも言いました。青年から老年への旅支度として知恵を用意せよ、これはどんな持ち物よりも確かだからだ、とはまさにそのとおりです。
 スキュティアの人アナカルシスは、どんな船が一番安全か、という問いに「陸に上がった船だ」と答えました。彼はある日、自分より賢い人間はいるか、という神託を伺ったところ、ピュティアの巫女は「オイテーの地のケーンに住むミュソンなる者、汝よりはるかに賢き者なり」と答えました。この神託に興味を持ったアナカルシスはケーンの村にミュソンを訪ねました。そして、ミュソンが夏であるのに鋤の刃に柄を取りつけようとしているのを見て、「ミュソンよ、いまはまだ鋤を使う季節ではあるまいに」と言うと、ミュソンは「そのとおり、だから用意しておくのだ」と答えました。このミュソンはプラトンが『プロタゴラス』の中で七賢人の一人に挙げていますが、あるとき人里はなれた所で一人で笑っているのを不意に通りがかった人がとがめて「なぜ誰もいないのに笑っているのか」と尋ねたところ、「誰もいないからだ」と答えたということです。

 賢人はだいたい前七世紀末から六世紀の危機の時代に登場します。簡単にギリシア史を振り返ってみましょう。
 ドーリア人の侵入とミュケナイ王制の崩壊はギリシアに決定的な変革をもたらしました。長い暗黒時代の後に各地に並立する貴族的武士階級は互いに反目しながら、なお共存する道を探し求めます。こうして、八世紀に軍事と産業を兼ね合わせた史上まれなポリスが誕生します。ヴェルナンによれば、ポリスの特徴は三つありました。一つは他の権力手段に対する言葉の絶対的優位、第二に社会生活上の最重要事項は必ず公共の場に引き出され、そこで論議の末に決定されるということ、さらに第三にポリスの成員はその出身、社会的地位、職務にかかわらず相互に「似通った」者たちであることを意識し、この類似性がポリスの統一の基盤を与える、というのです。
 「ポリスの出現によって社会生活と人間関係は、ギリシア人自身その独創性を意識する新しい形をとる」とヴェルナンは書いています。しかし、まもなくポリスは危機の時代に突入します。ギリシアは常に土地と食物と貴金属の三つを求めてきた、と云われますが、再びオリエントとの交易が始まり、地中海貿易の拡大とともに貴族間にも貧富の差が拡大します。冨を蓄えた貴族は耕地と農民を収奪することで、自営小農民たちを奴隷に転落させます。葡萄・オリーブなど交易のための営利作物栽培の増大は禾穀(かこく)のための耕地を奪い、その時代に増加した人口を養いきれなくなります。個人主義の増大、共同体の根幹である市民の平等の価値の低下、各ポリスでの僣主の横行は、人々に彼らの基盤であったポリスの精神の喪失を意味しました。

 最も強大なポリスの一つであるアテナイでも、この混乱に乗じてキュロンとその一味が僣主の座を狙いますが、彼らは神殿で殺されてしまいます。神聖な場所を夥しい流血で汚されたと感じた市民は、その汚れを祓うためにクレタ出身の予言者エピメニデスをアテナイに招聘します(596-593年)。この招聘は、市民が、ただ単に神殿の汚ればかりでなく、ポリス全体に漂うアノミア(法のない状態)に不安を感じ、共同社会全体の精神的改造を意図したものと思われます。
 ところで、エピメニデスとはいかなる人物でしょうか。プルタルコスは彼のことを「七賢人の一人であり、神々に愛され、神のことについては霊感による密教的な智慧を持っている」と書いています。彼はティオス・アネルの典型で、葵と赤熊百合を食し、魂を意のままに身体から出すことができたと言われています。また、非常な予見の力を持っていたとも、疫病の都市を浄め、そこに祭壇を作ったという伝承もあります。子供の時に行方不明になり洞穴で57年の間眠っていたとか、その150年にわたる生涯の間、食事する所を見られたことが一度もなかった、とも言われています。アテナイがそのミアスマ(しみ、汚れ)を洗い落とすために迎えたのはこのような人間でした。
 エピメニデスは、アテナイで改革に着手していたソロンを友人として扱い、彼自身数々の改革を行いました。その中で特に知られているのは葬式の時の喪の規定を緩やかにし、女性が従わねばならなかった野蛮な習慣を廃止したことです。彼は、むろん、宗教上の儀式を整え、神殿神像を建立し、アテナイに神聖な習慣を取り入れて、人々を正義に服し協和に向かうようにさせました。彼が帰るとき、アテナイ市民は彼に一タラントンのお金とクレタへの船を提供しようとしたが、彼はオリーブの枝を一本所望しただけだった、とも言われています。

 しかし、アテナイを再生させたのはやはり七賢人の一人ソロンでした。彼はアテナイの貴族の出ですが、財産から見れば中産階級に属していました。彼はその家柄には珍しく若い時に海外貿易に従事し、さまざまな国を渡り歩きましたが、それは単に蓄財のためばかりでなく修養のためだった、と思われます。彼の知識欲は「年老いても尚多くを学ぶ」と言って、老年を遊歴に過ごした生涯を見てもわかります。ソロンは外国貿易の経験から、奢侈や惰弱、船員に伴う危険な快楽も経験したようです。40歳頃ソロンは、自分をホイ・メソイ(中産者階級)と自覚し、人々に推されて、富裕と貧困の間の調停者の役を引き受けました。彼はアルコン(政務官)になり、ドラコンの立法を全面的に改正し、崩壊寸前にあったポリスを救おうとしたのです。
 賢人であることの必要条件は、私利を離れる、ということですが、これはまさに賢人ゆえにできることです。彼らは、一様に、生涯のある時期に自分自身を放下し、公的な利益のために没入することがありますが、アテナイ市民がソロンに期待したこともまさにそのことでした。彼は権力を握っても僣主の地位を狙うようには見えなかったのです。「独裁は美しい山だが、一度登れば下りられなくなる」とソロンは言っています。

 ソロンの情熱は富裕貴族階級の持つヒュブリス(傲慢、狂気の虜になって分(モイラ)を越すこと)への憎悪に表れています。それは冨の一極集中への憎悪です。「富に限度というものなし。コロス(飽満・横柄・傲慢)はヒュブリスの父なり」とソロンは言いました。富の本質は行き過ぎであり、それはいわばヒュブリスがこの世においてとる姿そのものです。「富の根源には従って一種の腐敗した精神、曲がった邪悪な意志、プレオネクシア(貪欲・強欲)が潜んでいる」とこれはヴェルナンの言葉です。
 富者のヒュブリスに対立しこれと対照をなして、節度、均衡、適度、中庸からなるソプロシュネ(慎み・自制)の理想が描き出されます。ソプロシュネは「限度を越すなかれ」というソロンの金言であるばかりでなく、ギリシアが全歴史を通じて求めたものでした。ソプロシュネは心の平静も意味し、それは神秘主義的雰囲気の中では悪より遠ざかり、すべての汚れを避けることのできる抑制と潔斎の徳になります。しかし、ソロンはそのソプロシュネを天上より下ろし、アゴラ(広場)に据えました。そうすることによって、彼はすべての市民がそれについて考え、議論することができるようにしたのです。人々はソプロシュネが自分たちが理想としていた「ポリス的人間」の範型であることを思い出しました。慎みこそ、貴族の尊大や傲岸、庶民の放縦や野卑を戒めさせるものだったのです。「賢人の役割は、その格言や詩の中に、市民の行動や社会生活の中に多かれ少なかれ含蓄されていた価値を明瞭な形で抽き出し、言葉で言表することにある。教訓は一時的には誤解され、拒否されるかもしれない。しかし、賢人は時に信頼する。真理を公表し、またソロン自らの言葉によれば、真中に(エス・ト・メソン)おいてさえおけば、それは何時か必ずアテナイ人らに認められるであろう」とヴェルナンは書いています。

 ソロンの多くの改革の中では「重荷おろし」の法が有名です。借金を帳消しにし、また身体を抵当にしての借財を禁じました。こうして自由農民が奴隷に転落するのを防いだのです。さらに、彼は市民の一人が傷つけられたとき、それは都市全体の傷にもなりうる、と示しました。どんな国家が住みやすいか、という問いにソロンは、「不正な目にあっていない人たちが、不正な目にあっている人たちと同じように憤りを感ずる国家だ」と答えました。彼は、戦争で死んだ者の子供をポリスの費用で扶養・教育する定めや、父親から技術を教えられなかった子供は父親を養う義務はない、など市民生活の細部まで規定しました。むろん、徹底しない部分もあって、官職は財産の多寡によって決められるとか、貴族にほぼ独占されていた土地の再分配を行わなかったとかは後のクリステネスの時代まで待たねばなりませんでした。ソロンの改革は、自前で武装できる軍事力としての都市中産階級の増大を促してポリスの強化に役立ったと言われています。彼は、この改革が富裕層にも貧困層にも恨まれるだろう、と予想しましたが、あなたはアテナイ人のために最良の法律を作ったかと聞かれてソロンは「人々が受け入れる内で最良のものを」と答えました。「彼は僣主となることができたにかかわらず、祖国を救い、また最良の立法を行って、双方から憎まれる道を選んだ」とアリストテレスも『アテナイ人の国政』で評価しています。ソロンは、この法律に百年の効力を与え、木の回転板に記して行政府に掲げました。500年後、プルタルコスがアテナイを訪れた時にもまだその回転板の朽ちた残りがあった、ということです。ソロンは立法を終えると、十年間は帰って来ないと宣言して直ちにアテナイを発って旅に出てしまいました。「無知は重荷である」とは彼の有名な金言です。

 政治学を専攻する院生が私の職場にアルバイトに来て、話を聞いたところ、現在は時事的な問題、国の将来についての問題で権威をもって意見を言える知識人がいなくなった、と語っていました。私はその時は何も答えなかったのですが、一人になったとき、マイリンクの『ゴーレム』の一節を思い出しました。人の住まない部屋で何年も積もった埃がやがて何かのきっかけで火がついて燃え上がるように、ゲットーに住む人々の想念が次第に積もり積もってやがてゴーレムという怪物を生み出します。私たちを導いてくれる賢者を望む気持ちが、いつの日か渦巻いて巨大な形をとり、道を知らせてくれる人物を作り出すのではないか、それが賢者かゴーレムかは神のみぞ知るとしても、、、。

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管理人さん読者のみなさん、こんにちは。

現在、京都大学学術出版会より西洋古典叢書が刊行中です。
「そうか、あの古典が翻訳された」と微笑みたくなるような
訳書ばかりです。もしご存知の方がおられないのであれば、
ぜひ手にとって、ご覧になっていただきたいと思います。

投稿: 自由が丘 | 2007年8月26日 (日) 18時20分

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