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2007年8月11日 (土)

J.C.キャネル『フーディーニの秘密』

 ケネス・シルバーマンの『フーディーニ!!!』(1999 アスペクト・高井宏子・庄司宏子・大田原眞澄訳)は偉大な人間の詳細な伝記です。フーディーニ(本名エーリッヒ・ヴァイス1874~1926)はハンガリーのブタペストにユダヤ教のラビである父親のもとに生まれました。彼が二歳の時、家族はアメリカに渡り、父親はニューヨークなどでユダヤ教の儀式についての何でも屋で生計を立てるかたわら妻と六人の子供を養うためにネクタイ工場で働いたりもしました。四番目の息子エーリッヒは幼い頃から靴みがき、新聞配達などをして家計を支えていました。ほとんど学校教育を受けていないのですが、エーリッヒは自分がラビの息子であること、立派な学者の家柄の出であることを常に誇りにしていました。晩年に魔術の歴史についての厖大な書物のコレクションの整理・研究のためH.P.ラブクラフトを助手として雇ったのですが、ラブクラフトは最初はフーディーニを「くだらない野郎」だと思っていたのですが、次第にある分野での正確な知識と量、人間についての鋭い認識、研究態度の誠実さに敬愛を覚えるようになりました。もっとも「一般教養が足りない」とつけ加えていましたが、これがフーディーニの悩みで、死ぬ数年前にはコロンビア大学の英語コースの新入生になることを真剣に考えていたということです。
 子供の頃からスポーツと手品が好きだったエーリッヒが肉体を使った奇術の世界に入ることはいわば必然的でした。芸名のフーディーニは近代最高の奇術師ロベール・ウーダンを英語読みにしたものです。フーディーニはまず手錠抜けの技術で有名となりました。手錠についての深い知識と強い肉体の鍛錬と勇気が彼に名声をもたらしたのです。その後も危険を伴う脱出技が常にフーディーニの最高の呼び物で、彼はアメリカにおける世紀の境目に出現した最も成功した人間の一人になりました。

 しかし、フーディーニの名を高らしめているのは最晩年における彼の心霊主義との闘いでしょう。心霊主義は19世紀の半ばに興ったもので、真理を3000年前の預言者の言葉から引き出すのでなく、他界してしまった愛する家族や知人から直接得ようとするものです。特別の能力を持った霊媒(medium)が降霊会という催しで死者を呼び出し、呼び出された死者は生者の質問に答えたり彼らを励ましたりするのです。アーサー卿コナン・ドイルが最も有名な伝道者で、ウイリアム・ジェイムズやダヌンチオ、ベルグソンらも賛同者だった、と云われています。心霊主義が流行した理由の一つは、極端に進んだ科学主義があります。科学至上主義に対する反撥と、その反対に科学が人間の無意識また霊の世界さえも解明できるという無条件の信頼、の両面があるというのですが、世紀が変わって、第一次大戦が夥しい犠牲者を出した後で、肉親の死を認めきれない遺族が死を乗り越える思想を心霊主義に求めたとも云われています。降霊会は部屋を暗くした中で行われ、人々が輪を作って卓の回りに手をつないで座ります。霊媒に呼び出された死者はメガホンで叫んだり、ベルを鳴らしたり、人の頭を叩いたりしますが、この間、霊媒は両手を左右の人間に拘束されています。フーディーニは「霊媒たちのすることはすべてトリックで可能であり、そもそもなぜ死者が生者の世界に関心を持つ必要があるのか」と言い、世に名高い霊媒たちのペテンに対して闘いを宣言します。
 手錠して河に沈められる、拘束衣をつけて檻に入れられるなどの修羅場をくぐり、さらにあらゆる奇術についての豊富な知識を持っていたフーディーニにとって霊媒たちのインチキを暴くなど朝飯前のことでした。しかし、彼の前に最強の霊媒「マージェリー」が登場します。マージェリーの夫クランドン博士はハーヴァード大学の著名な外科医で、ボストンの優雅で知的な邸宅で開かれた降霊会には多くの文化人、科学者が参加していました。マージェリーが呼び出す死者は事故で死んだ実の兄ウォルターで、ウォルターは口笛を合図に現れると、次々とふざけたいたずらを行います。フーディーニは直ちにマージェリーの仕掛けを見抜きますが、巧妙なマージェリーは決して証拠を掴ませません。あろうことか、ウォルターは「フーディーニ、奴はやっぱりユダ公だ」と降霊会で叫んだりします。実際、この二人の対決は、ボストンの洗練されたインテリ仲間といかがわしいユダヤ人の手品師との闘いと見られたのです。そして、ついにフーディーニは公開の降霊会でマージェリーに「霊力」を使わせず、彼女が伸縮自在の定規(奇術師が普通に愛用しているもの)を隠していることを見破りました。この勝利以降、フーディーニは心霊主義を装い、超能力を自称する手品師たちを次々に告発していきます。その背景には、いかがわしい「霊力」で無知な人々から金をだまし取る霊媒師たちの跋扈する20世紀初頭のアメリカ社会がありました。

 伝記『フーディーニ』は感動を与える書物ですが、この本には決定的なものが欠けているために読者にそれなりの満足を与えてくれません。欠けているものはもちろんフーディーニの行った様々な奇術の種明かしです。手品師とは、人を騙すことが仕事なので、いかに正義を装っても本質的に何かいかがわしさが残るのは仕方がありません。しかし、彼らの魅力はそこにあるので、裏に隠された秘密の通路こそ彼ら自身の深い人間性に通じるものなのです。J.C.キャネルの『フーディーニの秘密』(『ミステリ・リーグ傑作選上』所収、2007論創社・白須清美訳)はフーディーニの死の直後に少部数のみ刊行された本で、ここにはフーディーニの驚くべき脱出のトリックが暴露されています。
 まず、厳重な金庫からの脱出。これはイギリス遠征の時にただ一回だけ行われたものですが、彼の冷静さと大胆不敵さのよい例証と見られています。フーディーニはロンドンの劇場で、ロンドン中のいかなる金庫からも衆人環視の中で脱出できると公言しました。あるメーカーがこの挑戦を受けて、人の入れるほどの大きな金庫がキングス・クロスの劇場に運ばれました。フーディーニからの条件はただ一つ、挑戦の24時間前に金庫を劇場に運んでほしいということだけでした。メーカーはこの厳重な金庫に絶対の自信があったので快くその条件を受け入れました。当日、劇場はその挑戦を目撃しようとする人であふれました。幕が開くと、ガウンの下に水着を着たフーディーニ、地元の高名な医師、金庫製造会社の社長(彼が金庫の唯一の鍵を持っています)が大きな金庫の前に立っています。フーディーニは観客に向かって、これから挑戦することは大変危険なことで、金庫の中は空気が非情に少ないと語りかけます。そして、観客から立会人を一人選んで舞台に上げると、医師と社長と立会人の三人に金庫の中を徹底的に調べさせ、さらにガウンを脱いで医師に彼自身の身体検査をさせます。そして、医師、社長、立会人と握手をして、フーディーニは金庫の中に入り、その後立会人が慎重に金庫の鍵を締めると、大きな衝立が金庫の前に置かれます。満員の観客の前で時間が刻々と経って行きますが、フーディーニは出てきません。30分が過ぎると女性の観客から悲鳴が聞かれました。45分後、やっとフーディーニが現れました。衝立が外されますが、金庫は元のとおり鍵がかかったままです。
 ロンドン中の度肝を抜いたこの脱出劇は実に巧妙に行われました。まず、前日に金庫を劇場に入れるという条件はそれほど無邪気な要求ではなかったのです。フーディーニと彼のスタッフ(優秀な機械工たち)は24時間かけて金庫の鍵をすっかり作り替えていました。そして、立会人として舞台に上がった観客は親友のゴルドスタインで、最後にフーディーニが彼と握手したとき、合鍵が隠された指輪を彼の指から抜き取ったのです。衝立が立てられると、ただちにフーディーニは合鍵で金庫から抜け出し、時間が経つまで衝立の後ろで小説を読んでいました。金庫はむろん全く痕跡を残さず金庫会社に返されました。

 アメリカでのパフォーマンスは、まずボイラー脱出が有名でしょう。フーディーニは全米各地を回り、その土地のボイラー会社に挑戦状をたたきつけます。頑丈に作られたボイラーは公演の数時間前にフーディニーのところに届けられます。フーディーニはボイラーの構造の最も肝要な部分、蓋に通す金属棒などを鋼鉄から軟鉄に置き換えておきます。見かけ上はわかりませんが軟鉄は小さなノコギリで時間をかけて切断することができます。もちろん、公演を終えた後はすっかり元通りにしてボイラー会社に返却されます。「彼の人生は、まっとうな職人技の弱点を見出すことに注がれたし、それが見つからなければ自分で作り出したのである」
 紙袋からの脱出はさらにスマートに行われました。フーディーニは舞台上で、人の入れるほどの大きな封筒の形の紙袋を観客にしめします。彼はその中に入ると、その市の名士や公平な立会人が封筒の上部を折り返し、糊付した上にサインをします。そして例によって衝立によって紙袋は隠されるのですが、袋の中のフーディーニはただちに隠してあった安全剃刀を出して封筒の上部の折り返しの部分を切り取って外に出ます。そして、再び折り返して糊付してサインをそっくりに真似して書いておきます。封筒は数インチ短くなりましたが、それに気付く者はむろん誰もいません。

 しかし、フーディーニの脱出技の中で最も特筆すべきは郵便袋脱出です。アメリカの郵便袋は帆布で作られていて、上部を革紐で絞り上げ、さらにそれを南京錠で施錠してあります。ある大学教授は、この脱出技に興味を持ち、自らその袋を購入して脱出を試みましたが、人がぎりぎり入るだけの狭い袋にいられるのは数秒間がやっとでした。彼は同僚の教授たちと研究し合い、また学生にも考えさせましたが、むろん誰も正解を見つけられません。フーディーニの方法は実に見事なものでした。まず彼はあらかじめ合鍵を作っておいて、それを紐に通して腰に隠しておきます。袋に閉じ込められると、鍵を上部のほんのわずかな隙間から外に押し出します。鍵が落ちないよう紐をつかみながら、もう片方の手は帆布の内側から器用に外の鍵をつかみ、南京錠を開けてしまうのです。これを窒息する前のわずか数十秒で行うには熟練した技と柔軟で強靭な肉体が必要です。

 最もスリリングな脱出は棺桶からの帰還です。舞台上での棺桶脱出は、棺とは蓋を開けて外にでるものだという先入観を利用した心憎いものです。フーディーニが棺に入ると、蓋は頑丈なネジで徹底的に締め付けられます。ところが、衝立で棺が隠されるやわずか数秒でフーディーニは外に出てしまいます。仕掛けは棺の底にあって、底のネジだけは短いものが使われているのです。フーディーニはそれを苦もなく外し、棺をそっくり持ち上げて外に出てしまいます。
 土の下に埋めた棺からの脱出は、これとは全く異なる困難さが伴います。棺の中に厳重に密閉されて、衆人環視の中、穴に埋められ土が重く重ねられます。40分、50分、辺りが騒ぎ始めた頃、一時間の約束の時間が過ぎて棺は土から引き出され、ネジが外されると、フーディーニはややこわばった表情で外に出てきます。パイプで空気を供給していたとか、実は彼は棺に入らなかったのでは、という推測は全く的外れで、この生き埋めのトリックと云えるものは、ただほんのわずか棺の容量を大きくしたぐらいでした。フーディーニは独特の浅い呼吸法で棺の空気だけで一時間耐えたのです。
 
 

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コメント

重要な図書を紹介してくださりありがとうございます。この作品の主人公は未知の人物でした。

管理人さんが記入された文中、心霊主義という言葉を使っておられますが、その言葉で思い出すのがラスプーチンです。一度コリン・ウィルソンによる伝記を読んだもの、彼を肯定的に取り上げた著者のウィルソンと違い「なんてウサン臭い人物なんだろう」と眉をひそめたものです。

その後かなりの歳月が流れ優れた伝記と出会いました。それがロシアの作家ラジンスキーによる『真説ラスプーチン』です。これはラスプーチンに関する膨大な文献や書簡を読み、豊かな想像力を駆使して読むものを圧倒します。

賢明な管理人さんのことですから、すでにお読みなっいるかもしれませんが、もしお読みでないのであれば、同じラジンスキー著『赤いツァーリ』とともに、ロシアの歴史観を一変するほどの迫力でせまるこれら2冊を、ぜひとも読んでいただきたいと思います。

追伸:前回立ち入ったコメントを記入して申し訳なく思っています。今後は気をつけます。

投稿: 自由が丘 | 2007年8月17日 (金) 13時07分

自由が丘さん、こんにちは。
ラスプーチンについては通り一遍の知識しかなく、むろんラジンスキーの書物も初耳でした。手に入りしだい読んでみようと思っています。ご紹介どうもありがとうございました。もともとロシアのことは無知なほど知らないので、歴史観を一変させられるかどうかは疑問ですが、、、。
それでは、また。

投稿: saiki | 2007年8月18日 (土) 21時05分

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