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2007年6月 2日 (土)

アラン『裁かれた戦争』(1)

 昔は平和を愛し、誰に対しても兄弟のように親切だった男が、占領下の町で、独軍の軍靴の下に三年間暮らしました。アランが再会したとき、彼は全く別人のように復讐心に燃え、狂暴な敵を辱め、苦しめ、よりよく罰するためには、さらに十万人の犠牲も辞さないとまで考える一人になっていました。彼がアランの面前で敵軍を罵倒するのを耳にしてアランは「あなたのお気持ちはわかります。だが、敵がそれほど威張りくさっていたのなら、どうして敵の一人や二人自分で殺してやろうと思わなかったのでしょう。というのも、あなたほど背が高く頑丈でなくても一人や二人確実に殺せるではありませんか」と問いただしました。「ねえ君、子供のようなことを言っては困りますよ」と彼は答えました。「そんなことをすれば僕が殺されたでしょう。そして多くの住民が処刑され、投獄されたことでしょう。そんなことをしても勝ち目はなかったでしょうよ」「それは解りませんよ」とアランは返答しました。「なにしろあの消耗戦では千の勇士を失っても勇猛な二千の敵兵を倒せば勝利を収めたと考えられるのですから。、、、つまり、敵の勇猛な職業軍人一人を倒すために、役に立たないフランス人が一人犠牲になればよいのです。たとえば、窓から弾薬が切れるまで撃ちまくったアルベリック・マニャール(1865-1914 フランスの作曲家)は軍事的には無価値な自分の命と引きかえに、恐らく三、四人の若い兵士を倒したのですから、身を捨てて戦いに勝ったわけです」「あなたは何をおっしゃりたいのですか」「つまり、こういうことです。貴方は隷属と屈辱から激しい怒りを感じていたにもかかわらず、身を捨てて戦おうとはしなかった。しかし、復讐の喜びのためなら、自分自身危険を犯し、自分自身で復讐することを私の道義心は求めるでしょう。過激な感情を許し得る唯一の口実はそれだけです。自分の血を流さない限り、自分の感じる憎悪の念をのさばらすべきではないのです」

 アラン(1868~1951)は46歳の時に第一次大戦に志願し、一砲兵として三年間ヴェルダンの激戦に加わり、足を負傷して入院、再び復帰して49歳のとき除隊、その体験をもとに53歳で『裁かれた戦争』(小沢書店・白井成雄訳)を発表しました。
 アランの志願の理由は彼の哲学の一帰結といってよいでしょう。彼が志願したのは祖国防衛のためではありません。それは若者たちと「共通の不幸をともにする」ためで、そこにはアランの高邁さgenerosite が隠されています。前途ある若者が死地に赴くとき、それをただ見送るのは正義に反すると思うのです。ただ正義に反すると思うのは簡単ですが、その情念の正当さは自ら死の恐怖に打ち勝ってこそ生まれます。「私は戦場で倒れる英雄と、それを拍手喝采する弱虫を区別するだけの判断力は守っていたい」と、アランは書いています。
 しかし、「勝利よりも危険を求めて」戦地に馳せ参じたアランは負傷しながらも無事に帰還できました。『裁かれた戦争』と同じ時期に書かれた『音楽家訪問』(1921)で、彼は死んだ兵士の墓を訪れ、「死者だけが戦争を知っている」と呟きます。「彼らだけが戦争をしたのだ。彼らだけが自分の内で戦争を終結させたのだから、、、。君や私のように戦地から生還した人間の戦争認識には、なにか未完成な焦立たしいところがある」と。
 『裁かれた戦争』の中で、戦死していった教え子の手紙に答える箇所では胸がつまります。「君たちは戦争の真っ只中から、また目前に戦闘を控え手紙をくれた。だが、私のみるところ、君たちはいさぎよく戦死することを願っているようだ。私はそんなことは望んではいない。それは余りに美しすぎる。、、私は君たちが苦い盃を唇から離さず、苦いままに飲み干してくれたらと思うのだ。それに実際君たちは苦い盃を飲んだではないか。私をだますことはできない。、、要するに君たちは強制されたのだ。三文の価値もない一兵卒として強制されたのだ。従わなければ死刑だったのだ。君たちは運命に先駆けて走り、力の限りを尽くし、従容として刑についたのだ。だが、なぜこの私を慰めようとするのか。なぜ、自分たちは人生を愛していた。命を投げ出すのは辛かったと、最後に私に言ってくれなかったのか。、、、この嘘が十年も経たぬうちに百万の青年を殺しかねないことになるのだ」
 
 『裁かれた戦争』はまず第一に戦争告発の書です。一家の父で、その勇猛さを讃えられた兵士が一時危険を避けるため待避壕に戻り、不運なことにそのまま眠ってしまいました。彼は敵前逃亡の罪に問われ、銃殺刑に処せられたのですが、アランはこれを当然のことと見なします。軍隊の厳格な組織の中では、特に戦闘中では、はっきりした不服従は稀で、普通見られるのは、負傷兵の付き添いをかこつけたり、道に迷ったふりをしたり、疲労困憊を装おって持ち場を離れる兵士です。臆病者にはすべてがもっともな言い訳になるからです。処罰されずにすむかもしれないという期待が戦闘の恐怖と結びつくと、兵士はその義務を少しずつ逸脱していきます。部隊がばらばらになれば危急の時に回復しがたい損害を受けるでしょう。だから規律を守るためには理由を問わず戦闘の恐怖よりもさらに情け容赦のない罰を与える必要があるのです。「言語道断な即決処刑も、戦争それ自体以上に私を驚かせたりはしない」とアランは書いています。「というのも、そうした処刑は戦争が必然的に生み出すものであり、残虐で正当化しえないのは戦争それ自体であるからだ」
 戦争を命令した者が自ら先頭に立って戦うことはまずありません。これが戦争の醜さです。平時では聡明な人間が軍隊では不当な扱いを受け、愚かで粗暴な男が非情な鞭をふるうのです。戦争が始まると同時に戦地でも銃後でも人は二つの種類に分かれてしまうのですが、その二つは命令を与える者とそれに従う者です。命令を与える者は可能な限り死地から遠ざかろうとし、真っ先に死んで行く者は勇敢な人間たちです。愛国心? そんなものは何の力にもなりません。アランは次の事実を挙げています。戦時中は質素な生活を余儀なくされるので、ある階級以上の軍人は数年戦争が続けば必然的に財を蓄えることになる、ところで彼ら将校の内一人でも「祖国が危機にある以上すすんで金持ちになろうとは思わない」と言って余分な金を国庫に返した例があっただろうか、と。徴集された国民は命さえさし出したのに。また、戦争に関連する仕事で財を成すことは悪いことではないが、その商人の内一人でも「高潔な人々が命を捧げたこの戦争で生き延びただけでも幸いだ、人々の不幸のおかげで成した財など何の価値もない」といって財産を国家に寄付した例が一つでもあったろうか、と。「戦場から回心して帰還した教養ある人々は、祖国を超える何かを見いだし得ない限り祖国を支持できなくなった」とアランは書いています。
 要するに「(戦争では)人間の弱さが解き放たれ、情念が勝ち誇り、徳が首を打ち落とされた姿しかみてとることができない」のです。そして、「この世のいかなる人間にとっても、他人の死を当然かつ不可避の手段と見なしうるような目的は絶対に存在しないのだ。それは犯罪的行為である」とアランは断言しています。
 ここからアランの筆は恐るべき戦争のその原因と、それを避けるための方法に及びます。そこには、「私は教育者として生まれてきた」と語るリセの教師としてのアランの真骨頂が示されているのです。(続きは2で)

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