« ホルクハイマー/アドルノ『啓蒙の弁証法』(その2) | トップページ | フォンターネ『北の海辺』『迷路』 »

2007年5月 6日 (日)

ラフカディオ・ハーン『骨董』

 1902年に発表された『骨董』(岩波文庫・平井呈一訳)はラフカディオ・ハーン(1850~1904)の数ある著作の中でも私の心に適った作品です。たくさんの評論や気まぐれの文章よりも一巻のすぐれた短編小説集を残すことこそ永続的な価値を持つ、とハーンは信じていました。『骨董』の中のごく短い怪談話(その中でも最初の三つ、「幽霊滝の伝説」「茶碗の中」「常識」は特に傑作です)はいずれも読者の心の中に深く残ります。もっとも短い作品である「常習のこと」を紹介しましょう。
 作者のもとを時々訪れる一人の老僧がいました。この老僧はたいへん懐疑的な人間で檀家の人たちの話す幽霊話も笑って取り合いません。ところが、この老僧にも若いときに一度、不思議な体験をしたことがあったというのです。托鉢僧として山地を行脚していたころ、日も暮れて、ある寺に一夜の宿を求めたことがありました。あいにく住職は何里か離れた村の葬式に出かけて留守で、年老いた比丘(びく)が一人で留守番をしていました。その比丘が言うことに、住職が留守の時は誰も泊めることができない、不幸があると住職は七日間そこで仏事を執り行わねばならない、とのことでした。疲れきっていた旅の僧は、食うものはいらん、寝る所だけでも提供してくれないか、と頼みます。それなら、と許された場所が本堂の須弥壇の脇で、そこに蒲団を敷いて旅の僧は眠りました。その深夜に誰かが木魚をたたき念仏をあげる音で僧は目が覚めました。真っ暗な中で誰が読経をしているのか不思議に思いますが、おそらく住職が帰って来てお勤めをしているのだろうと思って再び寝てしまいます。翌朝、比丘にそのことを問うと、いや住職はお戻りではない、それは檀家の人です、と答えます。檀家の人とは、とまた聞くと、比丘は「ああ、あれは仏です。檀家の人が死ぬといつもそういうことがあります。仏が木魚を叩いて念仏をとなえにくるのです」と長年のことで慣れたように比丘は言うのでした。
 ありうるかもしれない、と思うところが怖いのです。怪談話はハーンの得意とするところですが、これは特殊な才能、ロマン的な心情の中でもある特殊な才能を必要とするジャンルです。ハーンは怪談話を執筆中は乗り移ったように没入して、あたかも自分が怪談の主人公でもあるようだったと云われていますが、この世ならぬものの非合理な世界を冷静にしかも文学的格調を失わずに描くのは至難のわざでしょう。

 『骨董』中の最長の一編「或女の日記」は実在のある婦人の日記を記述しただけの作品ですが、明治晩期の飾らない婦人の日常の記録を超えて普遍的な生のスケッチになっています。また「病理上の事」に記された飼い猫のタマの生活の短い断片は猫好きのハーンの面影を偲ばせます。タマは初仔が産まれるとその仔猫のおもちゃとして野外から野ねずみや蛙や蜥蜴を捕まえてきました。ある時はどこからか古い藁草履を運んできて朝まで親子で大騒ぎで遊んでいるのです。
 実は、一女性の日記も飼い猫の記録もハーンの独特のスペンサー流運命論の傍証に過ぎないのです。ハーンは一つの民族の経験は総合的に連綿としかもより濃くその民族の血の中に受け継がれると信じていました。日本女性の従順さ、この世の苦難はすべて前世に犯した過ちの酬いであるという観念、無私無欲の愛情などは、その個人に関わりなく民族の経験の蓄積の現れだというのです。日本の猫が仔猫をこんなにも愛し、また米の食事を好むのもその故ということになるのですが、ハーンはさらに天皇制のような制度も日本人の心の中にその存在根拠があるのだと考えました。このような一種の宿命論はその民族の独自性を尊重することになるが、同時に異文化を理解不能な他者とみなすことによって謂れなきレイシズムを導くことにもなります。また、理解可能な普遍的な人間の特質を認めたがらないが故に個人的好悪をただちに民族的憎悪に転化しやすくもなります。彼特有のこの考えはその日本への愛憎の変化の激しさによく現れているのではないでしょうか。

 ところが、ハーンの持つこの強いバイアスとも言ってよいもの、日本が独自の国であり欧米はそれを決して理解できない、という考えは、50歳を過ぎ、心臓の持病のゆえに常に死を意識せざるをえなくなって彼の救いともなったのです。『骨董』所収の「露の一滴」「夢想」「餓鬼」などの諸編で、ハーンは日本人の運命を人類一般の運命に置き換えて考えています。人間個人のすべての営みは、けっきょく死に終わるその運命から見れば空しいことではないか、という疑念からそれは始まります。神を信じない者にとって死は恐るべき無ではないのか。そして人類の営みも、そのもっとも美しい発露である母性愛さえも、地球とそれに先立つ人類の滅亡とともに永遠の無に帰してしまうのではないか、と。ハーンは次のように考えてそのニヒリズムから脱しました。私たちの血の中、肉の中、心の中には、それまでの全人類の経験の感情の思念の総体が生きている。いや人類だけではない、魚や獣や小さな虫のわずかの一生の経験さえも、この地球という世界の変化し成長し進化する舞台のそれぞれの主役に他ならない。だから生き生きた我々の経験は再びどこかで生き、また誰かの滋養になり、そしてまた我々は蝉に蜉蝣に姿を転じてその一生を華麗に生き抜いて行くだろう。どんな生も意味があり、どんな生も多くの贈与の賜物であり、また他の生の培養土であるのです。さらにハーンはこうも考えます。地球の滅亡も恐るるに足らない。なぜなら宇宙には無数の星と惑星があり、そこには人類と等しい生物も生まれているであろう、地球はその本質を損なうことなく、宇宙の進化の運命の中で、たくさんの星の生命の中に生き続けるであろう、と。
 あたかも、現代の法哲学者ノージックの「人生の意味は、やがて地球に寄るであろう宇宙人の餌になることにある」という冷たい言葉を思わせるハーンの達観は、しかし、彼に死の恐怖からの救いをもたらしたようです。人間は死んでもなお生き続けるのだから、死は長く続く眠りのようなものである、そして自分は次の世には蝉か蜉蝣として生まれたい、その短い一生を目いっぱい輝いて死にたい、と。

 ラフカディオ・ハーンは放浪の作家と知られていますが、事実はどこにも居場所を見いだせなかった男、住み着くと同時に逃げ出したくなる不節操な男、強すぎる自我を持ったエゴイストとして出発したようです。同僚や友人とほとんど喧嘩別れしていることからも、相手の欠点を許さない狭量な心を持ち、自尊心をほんのわずかでも傷つけられると我慢できない劣等感と優越感の極端にないまぜになった人間と考えられます。そして、愛情に飢えた魂は、人や国をただちに愛してしまうがゆえに、それに対しての失望も速やかで大きいのです。なんと不幸な性格を抱えてこの世を渡らねばならなかったのでしょうか。しかし、傷つきやすい心は、遠い東の国でもう一つの魂と出会いました。萩原朔太郎の「小泉八雲の家庭生活」(ちくま文庫『小泉八雲コレクション、さまよえる魂の歌』所収)はその幸運としか言いようのない出会いと生活について感動的に語っています。ハーンは小泉セツと出会って、はじめて自分を全的に無条件に肯定してくれる女性とめぐりあったのです。幼いとき母親に捨てられた孤独の男にとってなんと代え難い贈り物であったことでしょうか。それは度し難いボヘミアンを定住させ、妻子のためにアメリカ人であることをあきらめるほどに強いものであったのです。彼は自分の新しい世界とその住人たちを心の底から愛そうとしました。小泉セツの『思ひ出の記』の文章は夫の誠実でやさしい性質への感謝で満ちています。びしょ濡れになって捨てられた仔猫をハーンが着物が汚れるのもかまわず懐で暖めたとき、彼はそこに自分の運命と同じものを見いだしたに違いありません。セツはまた夫のために古本屋で本を買い集め、面白い日本の話しを彼に伝えました。ある日、セツは夫から万葉集の歌について質問され、答えることができなかったので、夫にその無学を泣いてわびました。ハーンは黙って彼女を書架の前に導き、厖大な著作全集を見せると、このたくさんの自分の本は一体どうして書けたと思うか、皆お前のおかげで、お前の話しを聞いて書いたのである、「あなた学問ある時、私この本書けません。あなた学問ない時、私書けました」と云いました。
 たびたび心臓の変調におびやかされていたハーンは、その晩年をせかされるように著述に没頭し、生活人としては万象を愛する博愛主義に傾きました。セツとハーンの夫婦はよくお互いの見た夢の話しをしたのですが、死の前日、ハーンは遠い遠い見知らぬ地をあてどなく旅している夢を見た、と妻に語りました。その旅をしている自分が本当の自分か、それとも今ここにいる自分が本当かと夫人に問うたというのです。
 漂白の魂を持ちながら妻と家庭を愛した男、「今この悲しい詩人の霊は、雑司ヶ谷の草深い墓地の中に、一片の骨となって埋まって居る」と朔太郎は結んでいます。

 (注)ノージックの言葉は長尾龍一『神と国家と人間と』(弘文堂1991)から引用しました。

|

« ホルクハイマー/アドルノ『啓蒙の弁証法』(その2) | トップページ | フォンターネ『北の海辺』『迷路』 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ホルクハイマー/アドルノ『啓蒙の弁証法』(その2) | トップページ | フォンターネ『北の海辺』『迷路』 »