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2007年5月21日 (月)

フォンターネ『北の海辺』『迷路』

 ドイツ北方のシュレスヴィヒの海辺ホルケナースに城を構えるホルク伯爵は45歳、紳士で気心もやさしいのですが、単純で深みのないところが欠点、先の計画など考えず、今日明日の楽しみで毎日を過ごします。もっぱら趣味の建築や庭の手入れや貴族の系図調べで時間を過ごしますが、面倒なこと、たとえば子供の教育とか礼拝堂の修理とかは妻任せにしてしまいます。妻のクリスティーネは37歳、結婚17年目になりますが、その美貌は衰えません。ホルクは、まず彼女の美しさにまいり、次にその賢さと豊かな教養に憧れ、さらにその美徳の裏にある深い信仰心に胸を打たれたのです。結婚当初は幸せでした。クリスティーネは天使のように完全無欠であり、その家庭はドイツの良俗を示す模範的な家庭とみなされていたのです。ところが日が経つにつれ、ホルクには居心地が悪くなってきました。クリスティーネの美徳はしばしば不遜なほど独善的で、他人は間違えても自分だけは誤りを犯さないという自信にあふれ、自分に知らないことがあった時でもそんなことは知る必要がないのだとばかりの顔をするのです。人は迷いながら生きていくというのに彼女の信仰心は決してゆるぎません。「まるで氷山と向かい合っているようだ」と時々ホルクはクリスティーネと一緒にいるとき思います。彼女の方も、何も考えていないようなホルクとの会話は退屈で、せめてホルクが無神論者であってくれたら論破する意欲がわいてくるのにとさえ思うのでした。
 ホルクは、その必要もないのですが、デンマークの宮廷に老いた王女の侍従として不定期に出仕しています。というのも、コペンハーゲンの華やいだ雰囲気、同僚の侍従たちとの気のおけない会話、そして何よりホルケナースの城での重苦しい雰囲気から逃れる喜びがそこにはあったのです。趣味のうるさい王女も美男で性格の良いホルクを気に入っていました。折しも、今、デンマークから出仕要請の書簡があり、ホルクは妻と子供たちに別れを告げて、ホルケナースの桟橋から船に乗り込みました。夫を見送るクリスティーネにはめずらしくも一抹の不安がよぎります。面白みのない夫ではあるが、いざ二人が離ればなれになると、新婚時代が思い出されて夫が恋しくなるのです。ホルクが王女に伺候するのも、自分の側から逃れるためだと知っているだけになおさらクリスティーネには淋しいのでした。 
 クリスティーネの不安は的中します。ホルクは王女の新しい女官エッバに次第に心を奪われるようになります。エッバはスェーデンの貴族の娘で、水色の瞳と奔放な性格を持ち、スウェーデンの王族とも浮名を流したことのある女性でした。まだ若いが、恋の手練手管についてはホルクよりも上手で、二人は凍った湖で、王宮の塔の部屋で、愛を交わします。この逢瀬にホルクは夢中になり、冷たいクリスティーネと別れて明るく機智に富むエッバと結婚しようと決意します。彼はいったんホルケネースに帰り、クリスティーネに離婚を切り出そうとしますが、すでに、ホルクからの手紙で破局の予感を抱いていたクリスティーネは、重大な決意をもってクリスマスの飾り付けを終えた城の居間に姿を現します、、、。
 ホルクはクリスティーネと別れてエッバと一緒になることができるのでしょうか? クリスティーネはどんな行動をとり、どんな悲しい結末に読者を導いていくのでしょうか? Unwiederbringlich(取り返しのつかない)という原題を持つ『北の海辺』(晶文社・立川洋三訳)はフォンターネ72歳の時の小説で、ベルリンを舞台にしたものの多い彼の小説の中ではめずらしくデンマークと北方ドイツ領のシュレスヴィヒで起こる出来事が描かれています。他の作品同様、軽妙な会話で物語が進展し、何より王女、侍従、義兄、牧師などの脇役が物語の興味を倍加するように的確に描かれます。北の激しい波が打ち寄せる海岸の城、鹿が群れをなして走るデンマークの草原、ウーラントの美しい詩句で始まり、ヴァイブリンガーの「墓地」の詩句で終わるこの静かな悲劇は読み終えたあとに重く深い感動が読者を襲います。これ以上の悲しみと浄福に満ちた結末はありえない、、、読者は本を閉じた後に次の詩句を思い出すのです。

  かけがえもなくいとおしき日々なれば、
  その日々の帰り来るを願わず、、、

 19世紀ドイツの作家テーオドア・フォンターネ(1819~1898)の小説の数々は、次第に忘れ去られるどころか世紀を超えてその評価は高まるばかりと言ってよいでしょう。その小説には鬼面人を威すようなものは何もありません。地獄の恐ろしさも、神と人との対話も、強烈な自我の主張もそこにはありません。しかし、またこの小説には読者を退屈させる教養小説的要素や外面のくどい記述や内面への濃いこだわりもないのです。フォンターネを読む限り、飽きて本を放り投げる心配は全くありません。最初のページを読みはじめた読者は、駅からゆっくり出た列車が次第に速度を上げて目的地に向かうように物語の静かな展開に徐々に身を奪われながら、気付かずに最後のページに滑りこんでいくような読書の醍醐味を味わうことでしょう。何ともいい知れぬ感動が、そのあとで胸の裡に残ります。なぜなら、そこに書かれてあることは誰にも身につまされること、かつて経験したか、これから経験するであろう人生そのものにほかならないからです。
 この面白さの要因は、両親がフランス系であることからくる軽妙さ、イギリス暮らしを経験したゆえの自由と個人主義への憧れ(この二つは彼の反プロイセン的感情の源泉でもあります)からでもあるのですが、やはり彼が60歳近くなってから小説を書きはじめたことが大きいでしょう。彼は妻と四人の子を養うため、薬剤師、軍人、ジャーナリスト等と職を転変し、一時は貧窮のどん底にありながら文筆一本で生きることを夢見てきました。最初の小説『嵐の前』を発表したのは59歳の時で、以後死ぬまでの20年間に計17編の作品を執筆しました。彼の偉大な作品はすべて60〜70歳代に書かれたのです。人生を十分に経験することによって、彼は退屈さの源であるドイツ教養小説の唯我独尊から解放されていました。ベンヤミンが愛読した『マルク・ブランデンブルグ周遊記』などの紀行文で文章力と観察力を磨いた彼は、また劇評で糊口をしのぐことによって登場人物を一つの場面の短い会話で一気に鮮明に浮かび上がらせる劇的手法をも身につけました。会話の妙は代表作『エフィ・ブリースト』に表れるようにフォンターネが絶対の自信を持っていた技術です。

 次に彼の「ベルリン小説」中の傑作『迷路』(岩波文庫・伊藤武雄訳)を紹介しましょう。物語の筋はきわめて簡潔です。プロイセンの軍人である若き男爵ボートー・リーネッケルは洗濯、刺繍、アイロン掛けなどの手仕事を業とする貧しい娘レーネと恋仲になります。ボートーは同僚の軽薄な貴族たちと違って、内面に沈潜する穏やかな生活を好みました。「人間は誰だって本来、何か特別な、時によると極く極く小さな事柄で満足するものなのだ。そして、いくら小さな事柄だって、それがその人間の全生活となり、少なくとも生活の最上のものになるんだ。おれにはその最上のものというのは、素朴、真実、自然らしさなんだ。レーネにはこれが三つとも備わっている、だからおれは彼女が好きになったんだ」レーネもまたボートーの人間味の深さ、やさしい話しぶりに惹かれていきます。しかし、身分違いの恋。レーネはボートーに、自分は結婚できるとは思っていない、ただ、現在あなたと二人きりでいるこの時間を楽しみたい、と告げます。ボートーはレーネを忘れられないものの、貴族の長男として一家の経済的苦境を救うために金持ちの従妹と結婚することを決意します。そしてベルリン郊外の美しい森の宿で過ごした一晩の思い出を最後に二人は別れます。それから半年余り経ち、レーネは偶然ベルリンの目抜き通りで新妻と楽しそうに歩くボートーを見かけ、慌てて路地の暗がりに身を潜めます。足下の鉄版がガタガタ音がするほどレーネの足は震えました。翌日、もうボートーに出会わないようにレーネはベルリンの外れの下町に引っ越します。レーネは仕事と病気の母親の看病とで忙しい中、隣人である誠実で堅気な労働者のフランケと婚約します。婚約の前、レーネはフランケに正直にボートーとの過去を告白しました。フランケは、思い立ってボートーの家に出向き、レーネのことが本当かどうか尋ねます。「レーネさんは嘘なんか言いませんよ」とボートーは思わず昂奮し立ち上がって叫びました。「人を騙すぐらいなら、あの人は舌を噛み切ってしまうでしょう。あの人には二つの誇りがあるのです。自分の手で働いて食べて行くというのが一つ、何もかも率直に話して出鱈目を言わず、物事を大きくも小さくも言わないというのが一つ。あの人は自分で責任の持てると思うこと、また事実責めを果たすことのできることしか求めないのです」
 しばらくして、レーネとフランケの結婚式があり、そのことが新聞に小さく出ました。ボートーはその記事を読みながら、妻から気付かれないように新聞で顔を隠すのでした、、、。物語はここで終わります。印象的な場面が多いこの小説でひときわ心に残るのは、ボートーがレーネの母親との約束を守って、母親が死んだ時に人知れず菊の花輪を墓に供える場面でしょう。文中に引用されているシラーの『ドン・カルロス』中の「お妃さま、人の世はやはり美しゅうございます」という台詞はこの悲劇の物語にあってもなお真実ではないでしょうか。

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2007年5月 6日 (日)

ラフカディオ・ハーン『骨董』

 1902年に発表された『骨董』(岩波文庫・平井呈一訳)はラフカディオ・ハーン(1850~1904)の数ある著作の中でも私の心に適った作品です。たくさんの評論や気まぐれの文章よりも一巻のすぐれた短編小説集を残すことこそ永続的な価値を持つ、とハーンは信じていました。『骨董』の中のごく短い怪談話(その中でも最初の三つ、「幽霊滝の伝説」「茶碗の中」「常識」は特に傑作です)はいずれも読者の心の中に深く残ります。もっとも短い作品である「常習のこと」を紹介しましょう。
 作者のもとを時々訪れる一人の老僧がいました。この老僧はたいへん懐疑的な人間で檀家の人たちの話す幽霊話も笑って取り合いません。ところが、この老僧にも若いときに一度、不思議な体験をしたことがあったというのです。托鉢僧として山地を行脚していたころ、日も暮れて、ある寺に一夜の宿を求めたことがありました。あいにく住職は何里か離れた村の葬式に出かけて留守で、年老いた比丘(びく)が一人で留守番をしていました。その比丘が言うことに、住職が留守の時は誰も泊めることができない、不幸があると住職は七日間そこで仏事を執り行わねばならない、とのことでした。疲れきっていた旅の僧は、食うものはいらん、寝る所だけでも提供してくれないか、と頼みます。それなら、と許された場所が本堂の須弥壇の脇で、そこに蒲団を敷いて旅の僧は眠りました。その深夜に誰かが木魚をたたき念仏をあげる音で僧は目が覚めました。真っ暗な中で誰が読経をしているのか不思議に思いますが、おそらく住職が帰って来てお勤めをしているのだろうと思って再び寝てしまいます。翌朝、比丘にそのことを問うと、いや住職はお戻りではない、それは檀家の人です、と答えます。檀家の人とは、とまた聞くと、比丘は「ああ、あれは仏です。檀家の人が死ぬといつもそういうことがあります。仏が木魚を叩いて念仏をとなえにくるのです」と長年のことで慣れたように比丘は言うのでした。
 ありうるかもしれない、と思うところが怖いのです。怪談話はハーンの得意とするところですが、これは特殊な才能、ロマン的な心情の中でもある特殊な才能を必要とするジャンルです。ハーンは怪談話を執筆中は乗り移ったように没入して、あたかも自分が怪談の主人公でもあるようだったと云われていますが、この世ならぬものの非合理な世界を冷静にしかも文学的格調を失わずに描くのは至難のわざでしょう。

 『骨董』中の最長の一編「或女の日記」は実在のある婦人の日記を記述しただけの作品ですが、明治晩期の飾らない婦人の日常の記録を超えて普遍的な生のスケッチになっています。また「病理上の事」に記された飼い猫のタマの生活の短い断片は猫好きのハーンの面影を偲ばせます。タマは初仔が産まれるとその仔猫のおもちゃとして野外から野ねずみや蛙や蜥蜴を捕まえてきました。ある時はどこからか古い藁草履を運んできて朝まで親子で大騒ぎで遊んでいるのです。
 実は、一女性の日記も飼い猫の記録もハーンの独特のスペンサー流運命論の傍証に過ぎないのです。ハーンは一つの民族の経験は総合的に連綿としかもより濃くその民族の血の中に受け継がれると信じていました。日本女性の従順さ、この世の苦難はすべて前世に犯した過ちの酬いであるという観念、無私無欲の愛情などは、その個人に関わりなく民族の経験の蓄積の現れだというのです。日本の猫が仔猫をこんなにも愛し、また米の食事を好むのもその故ということになるのですが、ハーンはさらに天皇制のような制度も日本人の心の中にその存在根拠があるのだと考えました。このような一種の宿命論はその民族の独自性を尊重することになるが、同時に異文化を理解不能な他者とみなすことによって謂れなきレイシズムを導くことにもなります。また、理解可能な普遍的な人間の特質を認めたがらないが故に個人的好悪をただちに民族的憎悪に転化しやすくもなります。彼特有のこの考えはその日本への愛憎の変化の激しさによく現れているのではないでしょうか。

 ところが、ハーンの持つこの強いバイアスとも言ってよいもの、日本が独自の国であり欧米はそれを決して理解できない、という考えは、50歳を過ぎ、心臓の持病のゆえに常に死を意識せざるをえなくなって彼の救いともなったのです。『骨董』所収の「露の一滴」「夢想」「餓鬼」などの諸編で、ハーンは日本人の運命を人類一般の運命に置き換えて考えています。人間個人のすべての営みは、けっきょく死に終わるその運命から見れば空しいことではないか、という疑念からそれは始まります。神を信じない者にとって死は恐るべき無ではないのか。そして人類の営みも、そのもっとも美しい発露である母性愛さえも、地球とそれに先立つ人類の滅亡とともに永遠の無に帰してしまうのではないか、と。ハーンは次のように考えてそのニヒリズムから脱しました。私たちの血の中、肉の中、心の中には、それまでの全人類の経験の感情の思念の総体が生きている。いや人類だけではない、魚や獣や小さな虫のわずかの一生の経験さえも、この地球という世界の変化し成長し進化する舞台のそれぞれの主役に他ならない。だから生き生きた我々の経験は再びどこかで生き、また誰かの滋養になり、そしてまた我々は蝉に蜉蝣に姿を転じてその一生を華麗に生き抜いて行くだろう。どんな生も意味があり、どんな生も多くの贈与の賜物であり、また他の生の培養土であるのです。さらにハーンはこうも考えます。地球の滅亡も恐るるに足らない。なぜなら宇宙には無数の星と惑星があり、そこには人類と等しい生物も生まれているであろう、地球はその本質を損なうことなく、宇宙の進化の運命の中で、たくさんの星の生命の中に生き続けるであろう、と。
 あたかも、現代の法哲学者ノージックの「人生の意味は、やがて地球に寄るであろう宇宙人の餌になることにある」という冷たい言葉を思わせるハーンの達観は、しかし、彼に死の恐怖からの救いをもたらしたようです。人間は死んでもなお生き続けるのだから、死は長く続く眠りのようなものである、そして自分は次の世には蝉か蜉蝣として生まれたい、その短い一生を目いっぱい輝いて死にたい、と。

 ラフカディオ・ハーンは放浪の作家と知られていますが、事実はどこにも居場所を見いだせなかった男、住み着くと同時に逃げ出したくなる不節操な男、強すぎる自我を持ったエゴイストとして出発したようです。同僚や友人とほとんど喧嘩別れしていることからも、相手の欠点を許さない狭量な心を持ち、自尊心をほんのわずかでも傷つけられると我慢できない劣等感と優越感の極端にないまぜになった人間と考えられます。そして、愛情に飢えた魂は、人や国をただちに愛してしまうがゆえに、それに対しての失望も速やかで大きいのです。なんと不幸な性格を抱えてこの世を渡らねばならなかったのでしょうか。しかし、傷つきやすい心は、遠い東の国でもう一つの魂と出会いました。萩原朔太郎の「小泉八雲の家庭生活」(ちくま文庫『小泉八雲コレクション、さまよえる魂の歌』所収)はその幸運としか言いようのない出会いと生活について感動的に語っています。ハーンは小泉セツと出会って、はじめて自分を全的に無条件に肯定してくれる女性とめぐりあったのです。幼いとき母親に捨てられた孤独の男にとってなんと代え難い贈り物であったことでしょうか。それは度し難いボヘミアンを定住させ、妻子のためにアメリカ人であることをあきらめるほどに強いものであったのです。彼は自分の新しい世界とその住人たちを心の底から愛そうとしました。小泉セツの『思ひ出の記』の文章は夫の誠実でやさしい性質への感謝で満ちています。びしょ濡れになって捨てられた仔猫をハーンが着物が汚れるのもかまわず懐で暖めたとき、彼はそこに自分の運命と同じものを見いだしたに違いありません。セツはまた夫のために古本屋で本を買い集め、面白い日本の話しを彼に伝えました。ある日、セツは夫から万葉集の歌について質問され、答えることができなかったので、夫にその無学を泣いてわびました。ハーンは黙って彼女を書架の前に導き、厖大な著作全集を見せると、このたくさんの自分の本は一体どうして書けたと思うか、皆お前のおかげで、お前の話しを聞いて書いたのである、「あなた学問ある時、私この本書けません。あなた学問ない時、私書けました」と云いました。
 たびたび心臓の変調におびやかされていたハーンは、その晩年をせかされるように著述に没頭し、生活人としては万象を愛する博愛主義に傾きました。セツとハーンの夫婦はよくお互いの見た夢の話しをしたのですが、死の前日、ハーンは遠い遠い見知らぬ地をあてどなく旅している夢を見た、と妻に語りました。その旅をしている自分が本当の自分か、それとも今ここにいる自分が本当かと夫人に問うたというのです。
 漂白の魂を持ちながら妻と家庭を愛した男、「今この悲しい詩人の霊は、雑司ヶ谷の草深い墓地の中に、一片の骨となって埋まって居る」と朔太郎は結んでいます。

 (注)ノージックの言葉は長尾龍一『神と国家と人間と』(弘文堂1991)から引用しました。

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