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2007年4月 7日 (土)

ジョージ・ムア『湖』

 1887年、信仰上の迷いに苦しんだ青年牧師が、湖岸に僧服を脱ぎ捨て、湖を泳ぎ渡り、対岸に隠しておいた平服を着て、別人生を歩み出すという出来事が新聞に報道されました。これにヒントを得たジョージ・ムア(1852~1933)は、舞台を自らの故郷、アイルランドのメイヨー州にあるキャラ湖に設定し、オリヴァー・ゴガティなる34歳のカトリックの司祭がついに湖を泳ぎきって俗界に帰る物語『湖』The Lake(2005 彩流社・安達正訳)を1905年に発表しました。物語は、ひたすらゴガティの意識の中で展開され、重要な転換は常に手紙の形式で読者に与えられます。いわゆる「意識の流れ」の先鞭をつけたこの小説は、ただ魂の出来事だけに終始しながら、しかしそのような物語にありがちな退屈さからは奇跡的に免れています。それでは簡単なあらすじを紹介しましょう。

 物語の冒頭、ゴガティ神父は沈痛な気持ちで湖岸を散策しています。美しいキャラ湖の霧にむせんだ風景を見ながら、彼の脳裏にはそれまでの34年の人生がフラッシュバックのように映し出されるのです。オリヴァー・ゴガティはティニックの町の零細な商家の息子として生まれました。彼はいつの日か事業を起こし寂れた町を再興しようと決意していたのですが、15歳の時、一つ上の姉の言葉に衝撃を受けました。姉のイライザは「わたしは尼になり、ティニック修道院の院長になる」と家族の前で宣言したのです。ゴガティはそれ以降、この姉に強烈な関心を抱くようになりました。彼は聖者伝の中に姉という人間の原像を探し出そうとしますが、図らずもそこで自らの天職を見いだしたのです。古来アイルランドは修道士の国でした。この国には神に生涯を捧げた修道士の伝説が至る所に生きています。ゴガティは聖者伝に描かれた隠者の生活にあこがれ、この人生の上にさらに上の価値を付与するのは信仰生活しかあり得ないと悟りました。彼は、英国の援助で建てられたマイヌースの神学校を優秀な成績で卒業すると、各地の教区で働いた後に、故郷のティニックにほど近いここギャラナードに教区司祭として赴任したのです。
 当時のアイルランドの教区司祭は、住民の宗教上の事柄全部に関わりを持っていました。そして宗教上の事柄でないものはほとんどないので、実際は住民の生活の細部に至るまで指導する義務を負うのです。さらに、修道士的生活に特に価値を見いだすアイルランドの民族性が、カトリックにもかかわらず、プロテスタントのように住民の内的生活まで支配力を及ぼすようになっていたのです。教区司祭に課せられた責任は大きく、その日常はきわめて多忙でした。ゴガティは自らが選びとったこの聖職に満足し、老いるまでこの天職を全うし、そして聖職者の墓に埋められ、天国の栄光に安らぐことを信じて疑いませんでした、あのノラ・グリンが教会の音楽教師として赴任するまでは、、、。

 ノラ・グリンは若く美しい女性で、ピアノ演奏にすぐれ、そして何より自信に満ち、明るく輝いていました。ゴガティ神父は自転車で散歩の折など、やはり自転車に乗って走ってくるノラ・グリンと会うことがあり、そんな時たいてい二人は話し込み、ゴガティは彼女の灰色のつぶらな目、独立心にあふれた話しぶりに引き込まれていくのでした。庭の花をいたわる彼女の仕草、子供たちに歌を教える活き活きした彼女の顔、ゴガティはノラ・グリンによってこの単調で多忙な生活に潤いを見いだしたのです。
 ところが、ある日、噂好きの隣人から、ノラが妊娠しているという話しを耳にします。ゴガティは気が動転して、住居を飛び出し、原っぱを駆け抜けて、ノラ・グリンが教える教会学校まで走りました。ちょうど子供たちを送り出していたノラはゴガティの形相に驚きますが、彼の尋問に悪びれずその通りだと答えました。ゴガティは、相手の男は誰だ、とさらに問いただします。男は湖頭の釣宿に泊まっている若い軍人でした。ゴガティは憤然として家に帰りますが、ノラがその日のうちに告解に来るものと待っていました。しかし、彼女は現れず、ゴガティは次の日曜礼拝の説教で純潔の必要を説き、公衆の面前で名指しでノラ・グリンを非難しました。ノラはその場で席を立って、そのままギャラナードから姿を消してしまいます。日が経つにつれて、ゴガティは自分がノラに行った仕打ちを後悔するようになり、もしかしてノラが絶望して湖に身を投げたのではないかと思って湖の周りを探索したりもしました。
 しかし、それからしばらくして、ロンドンに住むオグラディという70を過ぎた老神父から手紙が来て、ノラ・グリンがその神父の教会のオルガン奏者になっていると知らせてきました。ノラはロンドンで親切な婦人の下で子を産み、彼女の紹介でオグラディ神父の教会に勤め口を得たというのです。ゴガティはオグラディ神父に感謝の手紙を送ると同時にノラ・グリンにもお詫びの手紙を書き、もしよかったら実姉が院長をしているティニックの修道院の音楽教師にならないかと誘います。ノラの返事の手紙は冷淡なものでした。彼女は自分をギャラナードから追放したゴガティを非難し、もう自分のことは放念してほしいと書いてきたのです。ゴガティが彼女との仲を修復することを諦めようとしたその時、再びオグラディ神父から手紙が来て、ノラ・グリンがウォルター・プールなる著述家の秘書になるだろうと知らせてきたのです。ゴガティは、またまた頭に血が上って、オグラディ神父になぜ彼女を引き留めなかったのかと詰問します。ノラが再び過ちを犯すのではないかと心配したのでした。オグラディ神父からの手紙では、プール氏は若く優秀な作家で聖書学者でもあり、プロテスタントであることは気がかりだが、ノラ・グリンはもはや私たちの保護を離れているので口出しをすべきではないだろうと書いてきました。ゴガティはそれでもノラ・グリンに直接手紙を書いて、カトリックの教えを守るよう、私にはあなたの信仰を護る義務がある、などと告げ、『キリストのまねび』の本を同封しました。ノラ・グリンの返事は再びさらに冷たいものでした。もう、私のことは忘れてほしい、プール氏は立派な人間で今キリスト教の淵源を探る本を執筆中だ、自分は作家の秘書になることが夢だったので充実した毎日を送っている、送られた本は読む気になれない、と書いて来ました。
 ここから、再度ゴガティ神父の苦悩が始まります。彼はノラ・グリンがプール氏と愛人関係にあると妄想し、日々の仕事が手につかなくなり、住民たちの告解も受けず、あれほど丹精していた庭の手入れも忘れ、ぼう然と湖の周縁を徘徊します。苦悩はいつしか狂気に近くなり、食べることにも眠ることにも無関心になり、自分が洗礼を授けた子供たちの顔も識別がつかなくなりました。しかし、ゴガティは狂気の縁でかろうじて留まります。苦悩のいや果てで人は何かを悟るのです。ゴガティははじめて自分の内面を直視しました。そして、勇気をふりしぼってノラ・グリンに悲痛な告白を始めます。

 「私は仮面をかぶり仮装をしていました。、、あなたを愛している、これからも愛し続けると書く勇気がなかったのです。教会であなたを叱責して、結果的に教区から追い出すことになったのは教区内の道徳をどうしても守ろうとする信念からではありません。嫉妬心、そうです、官能的嫉妬心に使嗾(しそう)されたのです、、、」

 ノラ・グリンはゴガティの手紙を読んで、はじめて彼に心を開いた手紙を送ります。

 「私への冷たい仕打ちはあなたの嫉妬心から来ているのだと、私にはわかっていました。あなたが大事にし、愉しく付き合っていた女が、突然何の前触れもなくまったく違う光の下に、卑俗で不潔な光の下に出現したとは、男性として司祭として、衝撃を受けられたにちがいありません。私が妊娠したと分かると、あなたはご自分が祭り上げた台座から私を叩き落としました。あなたの偶像は地に落ち、あなたは感情に負けて、私を非難し私の仕事を奪いました。、、しかし、オグラディ神父があなたの手紙を見せてくださったときに私はあなたを許しました。女は、男が嫉妬にかられてやった悪事は赦すものです。つまり女というものは、男が少し嫉妬していないと本当は満足しないものなのです。、、視点を変えれば、愛は嫉妬なくしては完成しないものなのです。、、、私たちはいつも騙されなければいけないと思います。プール氏は自己欺瞞こそ人生の法則であると言っています。私たちはフィルムのように自己欺瞞に包まれて生きています。ときおりフィルムは雲が切れるように光を通します。すると目を覆います。光を好まないからです。真実を語ることは本当に難しいものです、、、」

 こうして物語は最初の場面、ゴガティ神父が沈痛な面持ちで湖岸を散策する場面に戻っていくのです。彼は今や自らの真実の前に逡巡しています。ノラ・グリンへの愛を諦めることは不可能でした。生身の女性への愛が神への愛を超えたとき、信仰が与える内的生に生きることはできません。しかし、司祭には貧しい住民への宗教的、現世的義務があります。いかにこの世界から逃れるべきか。ゴガティは、ついに決心して、月夜に湖岸に僧服を脱いで湖に泳ぎ出し、対岸に泳ぎ着くと、岩陰に隠しておいたフリースのコートとコールテンのズボンを着けて、異国の地へ向けて歩きはじめます。むろん、湖を渡ることは人生のイニシエーションを象徴しています。湖は命の揺籃、自然の象徴、本来の自分のあるべき姿です。「人は誰でも心の中に湖を持っている。最後にベルトを緩めるまで年々歳々いっそう心して、湖の単調なささやきに耳を傾けるのだ」物語はゴガティのこの呟きで終わっています。

 ゴガティの将来に何が待っているのか。ノラ・グリンが彼を愛し始めることはまず絶対にありそうもありません。実はこの物語の一抹の寂しさはその点にあるのです。真実の愛情も相手がそれに応えてくれればこそなのですが、決定的に違う世界に住む異性にそれを要求することは野球のチケットで美術館に入ろうとするようなものです。何という無駄な労力と情熱が望みのない意地だけの恋愛に注がれることでしょうか。人は、自分のすぐれたところを大切に抱きながら、その価値に気付き、心からの愛情を捧げる人を待つしかないのです。

 ジョージ・ムアはアイルランドの名門である大地主の家に生まれました。若くして従者付きでパリに遊び、多くの芸術家や女性たちと交遊を重ねました。その時代のことは『一青年の告白』(岩波文庫・崎山正毅訳)に面白く描かれています。その後英国ロンドンに居を構えますが、ウィリアム・バトラー・イエイツらのアイルランド文芸復興の波に刺激され、故郷のアイルランドに帰り、そこで『湖』を完成させましたが、後に再びロンドンで作家活動を続けました。彼の作風は自然主義から次第に心理主義に移り、晩年は何ものにも囚われない闊達な文学世界を開いたといわれています。長いフランス生活のために、まずフランス語で思考する癖がついたようで、その晩年ジェイムズ・ジョイスがムアの家を訪れて、『ユリシーズ』の仏語訳ができたらお送りします、と言うとムアは「私が英語も理解できることを忘れないでくれ」と答えたそうです(安達正『ジョージ・ムア評伝』鳳書房2001)。80歳で死んだムアは故郷のキャラ湖に浮かぶ小島に埋葬されました。「彼は芸術のために/家族と友人を見捨て/芸術に生涯をささげた」墓石にはそう記されています。

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