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2007年4月26日 (木)

ホルクハイマー/アドルノ『啓蒙の弁証法』(その2)

 再び『啓蒙の弁証法』(2007岩波文庫・徳永洵訳)について、今回はアドルノが主に執筆した「文化産業ー大衆欺瞞としての啓蒙」について紹介しましょう。
 1938年以来のアメリカでの社会学的調査・研究の仕事を通じて、アドルノは急激に発達しつつあるアメリカの大衆文化に強い印象を受けました。彼の結論は大衆文化の全否定であり、旧いヨーロッパのブルジョア文化の擁護です。実は『啓蒙の弁証法』でもっとも違和感を抱くのがこの章なのですが、とくにアメリカ文化の魅力に浸って成長した戦後世代の人間には納得できないものがあるでしょう。
 まず、アドルノは巨大な企業が文化の全般を牛耳ることで成立する「文化産業」について説明します。啓蒙のいや果てにある合理化はここでも猛威をふるって、ハリウッドの映画産業や全国的なラジオ・ネットワークは人々を画一的、類似的に処理しようとします。アメリカ文化にはヨーロッパが培った確固とした様式がないという批判に対してアドルノは、いやアメリカ文化ほど牢固とした様式を確立した文化はない、と断言します。すなわち、徹底した同一化、規格化、全体化です。中世の建築主が、教会の窓や彫像の題材についていちいち注文をつけたその執拗さも、文化産業が、売れるという認可が下りるまでスタジオが何段階もの検閲を経て映像を商品化する徹底さに比べればものの数ではありません。どんな細部に至るまで、何が禁止され、何がカットされるかあますところなく統轄されているので、内容的には代わり映えのしないものが、形だけ新しい衣装をまとって現れてくるのです。目新しいものを求める努力も、かえってその陳腐さを増幅するだけに終わります。
 同じことの繰り返し、新しいことの排除は、ひたすら娯楽を通じて行われるのですが、その娯楽そのものは労働の延長でもあるのです。「娯楽とは機械化された労働過程を回避しようとするものが、その労働過程に新たに耐えるために、欲しがるものなのだ」よって、楽しみが楽しみであるためには再び労苦を支払ってはならないわけで、それは厳格に定められた連想のレールの中で動かなければなりません。つまり、観客が自分でものを考えることを必要としてはならないのです。
 ここに文化産業が蔵する巨大な秘密があるのです。文化産業が人々に要求するものはその生をあますところなく捧げつくすことです。そのために文化産業は人々にひたすら無力感を吹き込み、個人的抵抗の摩滅と挫折こそ生の条件であることを教えます。そんなことができるのでしょうか。実は同一化、画一化のからくりはここにこそ潜んでいるのです。大衆文化は手の届く所にスターを押し下げ、そうすることで誰にもスターになれるチャンスがあるという幻想を抱かせます。誰にも平等に機会が与えられているという「合理的」な社会であるからこそ、社会がその幸運を誰に授けるかは全く不合理な偶然ということになってしまうのです。天国に招じ入れられるのは一人で、残りは外に放り出されます。いわば、素朴な同一性への誘惑で人々をおびき寄せておきながら、突然、それを否認し、人々を我に帰らせ、自分と同じではない他人の幸福を楽しむことを教えるのです。
 これは日常生活でも同じことでしょう。都会の周辺に生まれる住宅地には一種異様な世界が出現します。北欧と南欧の混ぜ合わされた安普請の家に住み、同じような未来型のワゴン車に乗り、同じような犬を飼い、休みの日には同じような家族が集まる大型のショッピングセンターに出かけます。こういう類似性の社会ではごくわずかな差異が絶対的なものと映ります。「そういう一律性のうちに人間的諸要素間のどうしようもない差異が生じてくる。完成された類似性とは絶対的差異である。類の同一性は個々のものの同一性を禁止する」自ら同一性の世界に入り込みながら、非同一性の現実に直面するとき、人は(抵抗することの無力を叩き込まれているので)全面的に社会の価値の中に没入しようとします。「誰だって身ぐるみ残さず引き渡し、幸福への要求を譲り渡してしまいさえすれば、全能の社会同然になり、幸福になれるのだ」つまり、個性化への努力を免除され、模倣への努力ー息つく暇もない努力によって与えられる満足への道です。これは隷属への道に外なりません。
 ショッピングセンターに併設されたシネマ・コンプレックスで映画を観る人は、むろんチケット代を払うのですが、さらにその映画について吹聴する義務を負っています。文化産業に自分たちの欲望を一括して処理してもらい、その代償として自らを捧げる図式は本質的に社会のマゾヒズム的構造に拠っています。あらゆる抵抗の無力さ、改新の、革新の希望の無さが人々を作り出された欲望の消費の中に駆り立てます。自立性を失うことがどれほど心地よいか疑う人間はアルフレッド・ド・ヴィニーの『軍隊の服従と偉大』(岩波文庫・三木治訳)を読んでください。自分を超えた絶対的なものに自らを捧げる人間は自由や個性などが与り知らぬもの、高貴なモラルの快感に酔いしれるのです。あるいは、生涯を鎖に繋がれている飼い犬を思い出しましょう。そんな不自由な身ながら彼らはそれを喜び、飼い主の意に添うことを最上の満足とします。あるいは水族館で芸をするイルカを。私は係員が投げるフリスビーを6度も取り逃したイルカを見たことがあります。そのイルカは焦り、緊張しているように見えました。7回目にやっと成功したとき、彼が欲したのは褒美の魚ではなく、義務を尽くした安堵と主人を喜ばせた快感に違いありません。広々した大洋で生きる希望を諦めた途端、奴隷として生きることが快感になるのです。

 以上がアドルノ描く大衆文化の現実です。画一化、同一化を非難しながら彼の意見は人間を余りに一括りしすぎています。「私は、前より馬鹿になったと思わずに映画館から出てくることはなかった」とアドルノは語っています。また、ジャズという言葉を聞いただけでゾッとする、とも言っています。アメリカ文化と大衆文化の全否定は小気味よくもあるが、彼の根深い偏見を改めて考えさせられもします。公平に見れば、大衆文化が産み出すさまざまな素敵な夢の世界も、恐ろしい現実のルポルタージュも、そこを深く見つめれば絶望に仮装した希望も湧いてくるでしょう。そこには限りない喜びも秘められています。事物はいつだって魅力的なのです。この「現にあるものへの偏愛」がアドルノに欠けているものであり、ベンヤミンに組する者たちが彼を非難する根拠なのですが、またアドルノの魅力もそこにあるのです。クラカウアーはベンヤミンの思想を要約して「それは小さなことは重要であり、重要なことは小さなことだ、という哲学である」と語っていますが、確かにベンヤミンなら、多様なアメリカ文化の中のどんな小さな様相からも人間の生にまつわる根源的な思索を引き出してきたでしょう。ニューヨークの裏町も、ハリウッドの撮影所も、ベンヤミンの思考地図の上で尽きせぬ哲学の集積所となるのです。
 ところで重要なことは変わらぬ理念、決してぶれぬ強靭さだとしたらどうでしょうか。ベンヤミンはプロレタリア芸術の中にも未来の希望を見いだしていますし、スターリン賛歌を書いたブレヒトの友人でもありましたが、アドルノはただの一度も労働者芸術、プロレタリア文化などというものに頷いたことはありません。すぐれた芸術はブルジョワの中からのみ産み出されるのです。実はアドルノとホルクハイマーを強く結びつけているものは共産主義と社会主義への、つまり絶対真理を標榜する全体主義社会への嫌悪なのです。ホルクハイマーはカントとショーペンハウアーから人間相互の自由な関係というものが社会の絶対条件であるという思想を学びました。アドルノはヘーゲルから否定的なものを含むものこそ真理であるという概念を会得したのではないでしょうか。「真理は決して完成したもので与えられ、仕舞い込まれる鋳貨ではない」という『精神現象学』の序文の言葉はアドルノの生涯のモットーでもあります。「あるがままで美しいものは、それと同じ理由で醜い」という『ミニマ・モラリア』の一節は弁証法の奥義というべきものですが、その信念は否定的なものを媒介にしなければそれ自身を実現しないということなのです。
 文化産業が作り出すさまざまに合成されたスターの顔を見ていると、とアドルノは書いています。「かつては人生という概念があったのだということさえ忘れられてしまう」と。かつては人生という概念があったのだ、とは驚きの言葉です。すみずみまで規格化された社会に生きることは生きるに値しない、というのです。和解することを拒否して、非同一性のただ中に生きることこそ意味ある生だというのです。

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2007年4月17日 (火)

Th.W. アドルノ『楽興の時』

 アドルノの音楽論には、難解で知られる哲学論と違って、のびやかな思考のリズムのようなものがあります。『啓蒙の弁証法』の補論として書かれたと言われる『新音楽の哲学』(音楽之友社・渡辺健訳)は、その中でも際立って先鋭なものですが、理論の底に流れる低音は初期シェーンベルクを思わせる透明さに満ちています。その「まえがき」でアドルノは、論文執筆の動機を述べ、自分の勉学のもといとなっている芸術が、すべてを支配する物象化(日常生活のすべてが、人間同士の関係さえも、物と物との関係に還元されてしまうこと)から除外されているわけではなく、無傷を守ろうとする努力のうちに、それが抵抗しているものと同じ性格を生み出している、という事実を見逃すことができなかったからだ、と言っています。これは『啓蒙の弁証法』の美しい要約とも言えましょう。そして、さらにアドルノは、悲痛な思いで語ります。「、、、これは、ただ音楽のことにすぎない。いわんや、対位法の問題においてすでに、宥和(ゆうわ)されえぬ葛藤が証明されている世界とは、どんな状態にあるはずであろうか。経験世界の危機がもはや入りこむことのない所、すなわち、恐ろしい規格の圧力を逃れる避難所を人間に与えてくれると思われている領域にも、生のおののきや硬直が反映されるとすれば、生とは今日、どれほど根底から妨げ乱されていることであろうか。その領域は、人間がそこから期待するものを拒否することによってしか、人間への約束を果たさないのである」

 ここでは、16編の音楽エッセイを集めた『楽興の時』(1928-1962 白水社・三光長治・川村二郎訳)から、私のもっとも好きな「ラヴェル」を紹介しましょう。
 「ひとりラヴェルだけが、鳴り響く仮面の大家である」とアドルノは書いています。ラヴェルのいかなる作品も、あるがままの姿を反映していないが、しかし、彼の作品を解明するために作品以外のいかなるものも必要とはしない、と。これはまるでプルーストについての解説を思わせます。直接的なものを嫌うのは、ラヴェルの羞恥心によるものです。彼は物悲しげな神童の時代に音楽上の諸形式を身につけました。それは発展することなく、子供時代の思い出が固定されるごとく、いつまでも彼の資質にまとわりついたのです。自分を吐き出すことの恥ずかしさと音楽上の高度の洗練さが、否応なく彼に仮面を被せたのです。同じ印象派として括られながら、ドビュッシーとは何とちがっていることでしょう。いずれが印象派における先駆者かという問いはラヴェルの場合は意味をなしません。というのも、独創という言葉ほど彼に縁のない言葉はないからです。ドビュッシーはたくさんの音を物の見事に使って挑戦的な音楽を作り出します。ラヴェルは、より軽やかに懐疑的に、故意に平板に音楽を組み立てます。四手のための組曲《マ・メール・ロア》のつましさ。ドビュッシーの《子供の領分》が堅固な市民気質による温雅さ、いってみればおもちゃ箱の中に子供がほしがる物をおもちゃ屋一軒分独り占めして持っている子供を想像させるのに対し、《マ・メール・ロア》や《ソナティナ》における子供は、物悲しげな光に照らされた戸外の子供、美しい並木道で太陽の斑点をいっぱい浴びているのだが、イギリス人の家庭教師がついている子供たちなのです。「(子供の音楽は)ラヴェルのそれだけが憂愁の貴族的な醇化である」とアドルノは書いています。

 「彼の憂愁が幼年期の像(イマーゴ)を選ぶのは、それが自然を脱却していないからだ。音楽に即して言えば、調性と倍音列という自然素材をはみださないからだ。、、、ただの一度も彼はあらかじめ考えられた形式をはみだしたりはしない」そして、アドルノはここでホーフマンスタールの詩句「さて子供たちはふかい目の色をたたえて成長する」を引用するのですが、確かにラヴェルの音楽はホーフマンスタールを思い出させるものがあります。船がふるさとの河口を静かに上っていく、、懐かしい家々が建ちならぶ河岸の上に、幼い姿の自分が深いまなざしでこちらを見ている、、、この背景に流れる音楽は《マ・メール・ロア》しか思いつかないでしょう、、、。
 「高貴(noblesse)と情感(sentiment)のまぼろしの情景を通り抜けて、彼の音楽の旅路は太古のほうにむかう。原始的なものを目指すのではなく、ドビュッシーにつきものの復古のパトスにはまりこむのでもなく、信仰のない悲哀のうちに歩みいるのだ。自らの和音によって葉を落とされるフォルラーヌの枯れた匂いをもち、こよなく愛しいメヌエットをふくむ彼の古代ふうの傑作《クープランの墓》が葬送曲になったのも偶然ではない」(《クープランの墓》はフランスの音楽家クープランへのオマージュとして作られたが同時に第一次大戦で失った多くの友人への鎮魂曲でもあります。フォルラーヌはその第三曲)
「ラヴェルの憂愁は、明るい、走り去る時のそれである」このラヴェルの音楽にあっては、いっさいは平等であり、偶然自らの前に示されたものの運命を執行するだけです。あの《ボレロ》を思い出しましょう。詐術と計算の極致であるこの曲においては、あらゆる直接性は抹殺されています。しかし、自らの資質にとらわれすぎたラヴェルは、借り物の素材を征服してわがものにすることも、借り物の意匠によって手中の物を燃え立たすこともできません。「風土はかき消えて、その大気、大気のかすかな顫動(せんどう)だけがあとに残って音楽を構成している」のです!
 アドルノのラヴェルへの賛美は彼にはめずらしく絶対的なものです。その貴族性、懐疑性、子供時代への過剰な思い、それがアドルノの共感を誘ったのでしょう。この小論の最後の一節は、まるでアドルノの少年時代の思い出の一節でもあるかのようです。
 「、、、しかし後世は、事物のちがった秩序のなかにありながら、《ソナティナ》のメヌエットにおいて古人がいかに美しく昼下がりの五時を作曲したかを、耳にすることであろう。お茶の用意ができて、子供たちが呼びこまれる。すでにどらが鳴らされて、子供たちはそれを聞きつけているのだが、もうひとまわり遊んでから、ヴェランダの一座に加わるのだ。彼らがそこにいるあいだに、戸外は冷えてきて、もう外に出ていくことはできない」

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2007年4月 7日 (土)

ジョージ・ムア『湖』

 1887年、信仰上の迷いに苦しんだ青年牧師が、湖岸に僧服を脱ぎ捨て、湖を泳ぎ渡り、対岸に隠しておいた平服を着て、別人生を歩み出すという出来事が新聞に報道されました。これにヒントを得たジョージ・ムア(1852~1933)は、舞台を自らの故郷、アイルランドのメイヨー州にあるキャラ湖に設定し、オリヴァー・ゴガティなる34歳のカトリックの司祭がついに湖を泳ぎきって俗界に帰る物語『湖』The Lake(2005 彩流社・安達正訳)を1905年に発表しました。物語は、ひたすらゴガティの意識の中で展開され、重要な転換は常に手紙の形式で読者に与えられます。いわゆる「意識の流れ」の先鞭をつけたこの小説は、ただ魂の出来事だけに終始しながら、しかしそのような物語にありがちな退屈さからは奇跡的に免れています。それでは簡単なあらすじを紹介しましょう。

 物語の冒頭、ゴガティ神父は沈痛な気持ちで湖岸を散策しています。美しいキャラ湖の霧にむせんだ風景を見ながら、彼の脳裏にはそれまでの34年の人生がフラッシュバックのように映し出されるのです。オリヴァー・ゴガティはティニックの町の零細な商家の息子として生まれました。彼はいつの日か事業を起こし寂れた町を再興しようと決意していたのですが、15歳の時、一つ上の姉の言葉に衝撃を受けました。姉のイライザは「わたしは尼になり、ティニック修道院の院長になる」と家族の前で宣言したのです。ゴガティはそれ以降、この姉に強烈な関心を抱くようになりました。彼は聖者伝の中に姉という人間の原像を探し出そうとしますが、図らずもそこで自らの天職を見いだしたのです。古来アイルランドは修道士の国でした。この国には神に生涯を捧げた修道士の伝説が至る所に生きています。ゴガティは聖者伝に描かれた隠者の生活にあこがれ、この人生の上にさらに上の価値を付与するのは信仰生活しかあり得ないと悟りました。彼は、英国の援助で建てられたマイヌースの神学校を優秀な成績で卒業すると、各地の教区で働いた後に、故郷のティニックにほど近いここギャラナードに教区司祭として赴任したのです。
 当時のアイルランドの教区司祭は、住民の宗教上の事柄全部に関わりを持っていました。そして宗教上の事柄でないものはほとんどないので、実際は住民の生活の細部に至るまで指導する義務を負うのです。さらに、修道士的生活に特に価値を見いだすアイルランドの民族性が、カトリックにもかかわらず、プロテスタントのように住民の内的生活まで支配力を及ぼすようになっていたのです。教区司祭に課せられた責任は大きく、その日常はきわめて多忙でした。ゴガティは自らが選びとったこの聖職に満足し、老いるまでこの天職を全うし、そして聖職者の墓に埋められ、天国の栄光に安らぐことを信じて疑いませんでした、あのノラ・グリンが教会の音楽教師として赴任するまでは、、、。

 ノラ・グリンは若く美しい女性で、ピアノ演奏にすぐれ、そして何より自信に満ち、明るく輝いていました。ゴガティ神父は自転車で散歩の折など、やはり自転車に乗って走ってくるノラ・グリンと会うことがあり、そんな時たいてい二人は話し込み、ゴガティは彼女の灰色のつぶらな目、独立心にあふれた話しぶりに引き込まれていくのでした。庭の花をいたわる彼女の仕草、子供たちに歌を教える活き活きした彼女の顔、ゴガティはノラ・グリンによってこの単調で多忙な生活に潤いを見いだしたのです。
 ところが、ある日、噂好きの隣人から、ノラが妊娠しているという話しを耳にします。ゴガティは気が動転して、住居を飛び出し、原っぱを駆け抜けて、ノラ・グリンが教える教会学校まで走りました。ちょうど子供たちを送り出していたノラはゴガティの形相に驚きますが、彼の尋問に悪びれずその通りだと答えました。ゴガティは、相手の男は誰だ、とさらに問いただします。男は湖頭の釣宿に泊まっている若い軍人でした。ゴガティは憤然として家に帰りますが、ノラがその日のうちに告解に来るものと待っていました。しかし、彼女は現れず、ゴガティは次の日曜礼拝の説教で純潔の必要を説き、公衆の面前で名指しでノラ・グリンを非難しました。ノラはその場で席を立って、そのままギャラナードから姿を消してしまいます。日が経つにつれて、ゴガティは自分がノラに行った仕打ちを後悔するようになり、もしかしてノラが絶望して湖に身を投げたのではないかと思って湖の周りを探索したりもしました。
 しかし、それからしばらくして、ロンドンに住むオグラディという70を過ぎた老神父から手紙が来て、ノラ・グリンがその神父の教会のオルガン奏者になっていると知らせてきました。ノラはロンドンで親切な婦人の下で子を産み、彼女の紹介でオグラディ神父の教会に勤め口を得たというのです。ゴガティはオグラディ神父に感謝の手紙を送ると同時にノラ・グリンにもお詫びの手紙を書き、もしよかったら実姉が院長をしているティニックの修道院の音楽教師にならないかと誘います。ノラの返事の手紙は冷淡なものでした。彼女は自分をギャラナードから追放したゴガティを非難し、もう自分のことは放念してほしいと書いてきたのです。ゴガティが彼女との仲を修復することを諦めようとしたその時、再びオグラディ神父から手紙が来て、ノラ・グリンがウォルター・プールなる著述家の秘書になるだろうと知らせてきたのです。ゴガティは、またまた頭に血が上って、オグラディ神父になぜ彼女を引き留めなかったのかと詰問します。ノラが再び過ちを犯すのではないかと心配したのでした。オグラディ神父からの手紙では、プール氏は若く優秀な作家で聖書学者でもあり、プロテスタントであることは気がかりだが、ノラ・グリンはもはや私たちの保護を離れているので口出しをすべきではないだろうと書いてきました。ゴガティはそれでもノラ・グリンに直接手紙を書いて、カトリックの教えを守るよう、私にはあなたの信仰を護る義務がある、などと告げ、『キリストのまねび』の本を同封しました。ノラ・グリンの返事は再びさらに冷たいものでした。もう、私のことは忘れてほしい、プール氏は立派な人間で今キリスト教の淵源を探る本を執筆中だ、自分は作家の秘書になることが夢だったので充実した毎日を送っている、送られた本は読む気になれない、と書いて来ました。
 ここから、再度ゴガティ神父の苦悩が始まります。彼はノラ・グリンがプール氏と愛人関係にあると妄想し、日々の仕事が手につかなくなり、住民たちの告解も受けず、あれほど丹精していた庭の手入れも忘れ、ぼう然と湖の周縁を徘徊します。苦悩はいつしか狂気に近くなり、食べることにも眠ることにも無関心になり、自分が洗礼を授けた子供たちの顔も識別がつかなくなりました。しかし、ゴガティは狂気の縁でかろうじて留まります。苦悩のいや果てで人は何かを悟るのです。ゴガティははじめて自分の内面を直視しました。そして、勇気をふりしぼってノラ・グリンに悲痛な告白を始めます。

 「私は仮面をかぶり仮装をしていました。、、あなたを愛している、これからも愛し続けると書く勇気がなかったのです。教会であなたを叱責して、結果的に教区から追い出すことになったのは教区内の道徳をどうしても守ろうとする信念からではありません。嫉妬心、そうです、官能的嫉妬心に使嗾(しそう)されたのです、、、」

 ノラ・グリンはゴガティの手紙を読んで、はじめて彼に心を開いた手紙を送ります。

 「私への冷たい仕打ちはあなたの嫉妬心から来ているのだと、私にはわかっていました。あなたが大事にし、愉しく付き合っていた女が、突然何の前触れもなくまったく違う光の下に、卑俗で不潔な光の下に出現したとは、男性として司祭として、衝撃を受けられたにちがいありません。私が妊娠したと分かると、あなたはご自分が祭り上げた台座から私を叩き落としました。あなたの偶像は地に落ち、あなたは感情に負けて、私を非難し私の仕事を奪いました。、、しかし、オグラディ神父があなたの手紙を見せてくださったときに私はあなたを許しました。女は、男が嫉妬にかられてやった悪事は赦すものです。つまり女というものは、男が少し嫉妬していないと本当は満足しないものなのです。、、視点を変えれば、愛は嫉妬なくしては完成しないものなのです。、、、私たちはいつも騙されなければいけないと思います。プール氏は自己欺瞞こそ人生の法則であると言っています。私たちはフィルムのように自己欺瞞に包まれて生きています。ときおりフィルムは雲が切れるように光を通します。すると目を覆います。光を好まないからです。真実を語ることは本当に難しいものです、、、」

 こうして物語は最初の場面、ゴガティ神父が沈痛な面持ちで湖岸を散策する場面に戻っていくのです。彼は今や自らの真実の前に逡巡しています。ノラ・グリンへの愛を諦めることは不可能でした。生身の女性への愛が神への愛を超えたとき、信仰が与える内的生に生きることはできません。しかし、司祭には貧しい住民への宗教的、現世的義務があります。いかにこの世界から逃れるべきか。ゴガティは、ついに決心して、月夜に湖岸に僧服を脱いで湖に泳ぎ出し、対岸に泳ぎ着くと、岩陰に隠しておいたフリースのコートとコールテンのズボンを着けて、異国の地へ向けて歩きはじめます。むろん、湖を渡ることは人生のイニシエーションを象徴しています。湖は命の揺籃、自然の象徴、本来の自分のあるべき姿です。「人は誰でも心の中に湖を持っている。最後にベルトを緩めるまで年々歳々いっそう心して、湖の単調なささやきに耳を傾けるのだ」物語はゴガティのこの呟きで終わっています。

 ゴガティの将来に何が待っているのか。ノラ・グリンが彼を愛し始めることはまず絶対にありそうもありません。実はこの物語の一抹の寂しさはその点にあるのです。真実の愛情も相手がそれに応えてくれればこそなのですが、決定的に違う世界に住む異性にそれを要求することは野球のチケットで美術館に入ろうとするようなものです。何という無駄な労力と情熱が望みのない意地だけの恋愛に注がれることでしょうか。人は、自分のすぐれたところを大切に抱きながら、その価値に気付き、心からの愛情を捧げる人を待つしかないのです。

 ジョージ・ムアはアイルランドの名門である大地主の家に生まれました。若くして従者付きでパリに遊び、多くの芸術家や女性たちと交遊を重ねました。その時代のことは『一青年の告白』(岩波文庫・崎山正毅訳)に面白く描かれています。その後英国ロンドンに居を構えますが、ウィリアム・バトラー・イエイツらのアイルランド文芸復興の波に刺激され、故郷のアイルランドに帰り、そこで『湖』を完成させましたが、後に再びロンドンで作家活動を続けました。彼の作風は自然主義から次第に心理主義に移り、晩年は何ものにも囚われない闊達な文学世界を開いたといわれています。長いフランス生活のために、まずフランス語で思考する癖がついたようで、その晩年ジェイムズ・ジョイスがムアの家を訪れて、『ユリシーズ』の仏語訳ができたらお送りします、と言うとムアは「私が英語も理解できることを忘れないでくれ」と答えたそうです(安達正『ジョージ・ムア評伝』鳳書房2001)。80歳で死んだムアは故郷のキャラ湖に浮かぶ小島に埋葬されました。「彼は芸術のために/家族と友人を見捨て/芸術に生涯をささげた」墓石にはそう記されています。

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