« ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』 | トップページ | トーマス・マン『リヒァルト・ヴァーグナーの苦悩と偉大』 »

2007年3月 6日 (火)

ホルクハイマー/アドルノ『啓蒙の弁証法』

 『啓蒙の弁証法』(2007岩波文庫・徳永恂訳)は、ドイツでの反ユダヤ主義とアメリカでの大衆娯楽と高度産業社会での経験を踏まえ、1941年~44年にかけてカリフォルニアで執筆され1947年にアムステルダムで刊行されました。著者の二人は「フランクフルト学派」として知られる「社会研究所」の最も主要なメンバーであるマックス・ホルクハイマーとテオドール・W・アドルノです。共著ではあるが、その関心の度合いによって各章をそれぞれ分担して書き、後に討議を通じて加筆訂正し、共通の合意のもとに仕上げられたといわれています。ここでは、あまりに内容豊かなこの哲学書を便宜的に二つに分け、まずホルクハイマーと彼が第一稿を書いたと思われる「啓蒙の概念」「ジュリエットあるいは啓蒙と道徳」「反ユダヤ主義の諸要素ー啓蒙の限界」の章について紹介しましょう。

 歴史家であり、外交官でもあったハーバート・ノーマンは、かつて次のようなことを書いたことがあります。われわれは過去の時代が簡素であり、現代はより複雑な社会になったと考えやすいが、実はその逆で、シンプルさというものは文明が進展してはじめて得られるものなのだ、と。昔は(ばくぜんと前近代まで)さまざまな価値感が、ほぼ同じような力で人間の行動を規制し、推進していたと考えられます。儒教的な、また仏教的な、そしてアニミズムもあり、その時代特有の微妙な雰囲気もあります。人間そのものも、身分制という縦糸の中に、経験、教養、伎倆、容貌などが渾然とその価値を作っていたでしょう。
 ところで、「金がすべてだ」「金儲けをして何が悪い」という論理は啓蒙主義が浸透してはじめてまかり通る思想です。啓蒙の思想は、非合理的な思想の足かせ(宗教や道徳など)から人間の思考を自由にし、人間にとってもっとも大切な自己保存の力を目いっぱい引き出すことを許しました。人間は自己の利益のために精一杯のことをしてもよいし、またすべきである、というのが啓蒙の思想です。また、啓蒙は科学を信奉し、合理的思考を貫こうとします。「金がすべて」という発想がたぶん錯誤であろうとは思うものの、それに反論するためには愛や信頼などの計量不能な観念を持ち出してこなければなりません。啓蒙は、すべてを計量化し、体系化し、規格外のものを嫌います。「人を殺してはいけない」ということを理性は決して証明できない、と天下に唱導したことで、マルキ・ド・サドとニーチェは今も進歩主義者から迫害されている、とホルクハイマーは書いています。彼によれば、サドとニーチェこそ啓蒙の冷徹な貫徹者なのです。

 サドの図式的な物語で二人姉妹のうちジュスティーヌは道徳法則の殉教者なのですが、ジュリエットは悪徳の申し子でした。彼女は体系と一貫性を愛します。彼女のセックス・チームはいかなる瞬間も無駄にせず、いかなる体孔もほうっておかれず、どんな機能も働かないことはない、ということで現代スポーツの規則立てられた団体競技を予告しています。ジュリエットは、また、科学の信奉者でした。彼女にとっては神への信仰、十戒の遵守、悪に対する善の優位、罪に対する救済などその合理性を証明できないものを崇拝することは虫酸の走る思いがするのです。彼女は幻想なしに犯罪を犯します。この世には支配する者と屈従する者があります。「ひとつ伺いたいのですが」とジュリエットの友人は云います。「どう見てもそうではないのに、人間が権利の上でも事実の上からも平等に生まれついているのだ、と請け合うほどの愚か者がどこにいるでしょうか?」ここに啓蒙の政治哲学の要諦が隠されています。啓蒙主義は民主主義に固執するのですが、それは人間をまやかしの権利や義務で束縛せず、裸のまま計量可能な集団として認知できるからなのです。そうしてこそ、人間本来の肉体的、知的、美的能力での差別が可能というものです。強者として生まれた者が弱者を支配することに何の誤りがあるでしょうか。「自己保存を旨として成長をとげた悟性が生の法則を認めることがあるとすれば、それは強者の法則である」とホルクハイマーは云います。「それは理性の形式主義のために、人間に対して必要な模範は提示できないにしても、なおかつ嘘つきのイデオロギーに対して事実としての優位を誇示している。ニーチェの教説によれば、罪があるのはむしろ弱者であり、彼らは自然の法則を回避しようとしているのである」
 ニーチェの女性蔑視もその観点から納得できるでしょう。ジュリエットの友人も恋愛における女性崇拝を笑います。「われわれの欲求のために造られたにすぎないものに信従をちかう騎士道精神、、、われわれ男性にたいして女性が劣っていることには明々白々の根拠があるのだから、女性に対する畏敬の念などは偏見にすぎません」

 また、啓蒙は暴力を肯定します。いかに合法的体裁を装っていようと社会的階層秩序が最後に頼るのは暴力で、それは征服された原住民、アーリア人に対するユダヤ人、男性に対する女性に向けられます。彼らは無防備であるがゆえに弱いのです。特に女性は、キリスト教倫理では抑圧の対象にされた性を女性への畏敬で埋め合わせようとしたために、その代償として男性の中に怨恨に似た感情を生み出させました。「キリスト教の世紀においては、空しい努力を絶えず記憶のうちに蘇らせる対象、つまり女性というものに対する禁断の憎悪が、つねに隣人愛のかげから、顔をのぞかせていたのである」サドの小説の中で法院長ブラモンは女性についてこう語っています。「たわけた生きものたちよ。彼女たちが私の腕の中でもがくさまを見るのは何ともいい気持ちだ」ホルクハイマーは、これについて、男性は女性を個人として扱うことを避け、常に女性という類として扱い、そうすることで自然を痛めつけている、という鋭い指摘をしています。これはまた、同時にユダヤ人の排斥の理由を説明することになります。「女性やユダヤ人を見れば、数千年来彼らが支配者の地位についたことがないのがわかる。彼らは片付けられる筈だったのにまだ生きており、不安と弱さに満ち、多年の圧迫を通じて、より自然に近い存在になっている。しかし、自然から厳しく遠ざかることによって強さを手に入れた強者から見れば彼らはいらだちの対象となるのだ」

 啓蒙(enlightenment) とは文字通り、闇に光を入れてやること、人々の蒙をひらいてやることです。啓蒙の登場のためには経済的および学問的下地が必要でした。現世的権威を持たない商人階級(ブルジョワといわれる人たち)が発言力を増し、さらにベーコンやデカルトらの科学的思考が一般に知識人の共通の教養となることが必要です。啓蒙はヒュームらイギリス経験論を通してカントに受け継がれました。「自分自身の悟性を使用する勇気をもて!」これが啓蒙の標語です。別のいい方では、「理性(正しく判断する能力)の指導によって悟性(感性によって与えられたものを概念化する能力、一般の知力)を使用する勇気をもて!」となります。カントが志向したものは、もちろん自由な思考によって宗教などが吹聴するぺてんに惑わされるな、ということでしょう。近代の啓蒙の哲学者たちは、人間を宇宙に飛び交うアトムのようなものだと考え、理性的な社会さえ作れば人は幸福になれると考えました。カントにあっては、人間の中にある自由・永遠・正義などの理念が理性の中にあるばかりでなく理性そのものを構成していることが、人間がいつかは無限の彼方において真理に到達するだろうという楽観の根拠になっていました。
 しかし、啓蒙の行くつく先は、ナチスの全体主義であり、ソ連の社会主義であり、金と計算が支配しエゴイズムな企業家が跋扈する産業社会、官僚主義が大手をふるう役人社会でした。ここで、『啓蒙の弁証法』の序文に記された有名な問い「なぜ人類は真に人間的な状態に踏み入っていく代わりに、一種の新しい野蛮状態へ落ち込んで行くのか」という問いが生まれてくるのです。これこそホルクハイマーが「非力な自分たちの手にあまる」として苦慮し呻吟した課題でした。結論はきわめて哲学的で、当惑させるものです。啓蒙はそのラディカルな自己貫徹のうちに自ら崩壊の種を宿していたというのです。啓蒙は、情け容赦のない自然破壊、女性や弱きものへの暴力、感情を押し殺した理性への憧憬によって、最後にはその恐るべき自分自身の真理の前にたじろぎます。これが啓蒙された筈の人々を襲うさまざまな矛盾した感情の源泉になるのです。(ヒトラー時代の人々の屈折した生活感情はクラカウワーの『カリガリからヒトラーへ』に細かく分析されています)
 ホルクハイマーはカントの予定調和的楽観主義を斥け、その啓蒙の傷跡に、その猛威に、そのルサンチマンに雄々しく踏みとどまることを選択したようにも見えます。「そこにあると指させる楽園など楽園ではない、、、(ニーチェやサドの示すユートピアは)もはや自らに歪みを持たないが故に、何ものも歪める必要のないユートピアである。彼らの非情な教説は、仮借なく支配と理性との同一性を告知することによって、かえって市民層の道徳の教説者よりも情け深いものを持っている。彼らは自ら拒否することによって、あらゆる気休め的保証から日毎に裏切られている、ゆるがぬ人間への信頼を救ったのである」

 マックス・ホルクハイマー(1895~1973)はシュトゥットガルトの裕福な織物工場主の家に生まれました。いわゆる三代目のユダヤ人で、一代目は冨を、二代目は地位を、そしてすることのなくなった三代目はユダヤ人本来の仕事、つまり世界の秘密を解く人類の智慧を探し求めることになったのです。父親は、彼が実家の仕事を継がないことを怒りはしなかったのですが、彼が八歳年上の父親の秘書と結婚したことで一時この親子は不和となりました。ホルクハイマーが哲学の道に進んだきっかけはショーペンハウアーの読書だといわれています。彼はこの哲学者の中に自分の境遇と似たものを見出したに違いありません。二人ともヨーロッパ中を又に掛けた商人の息子で、父親はともに子供を早くから外国と外国語に慣れさせ、国際感覚を身につけさせようとしました。「父親譲りの商人の感覚、外国や外国語に慣れている才能から由来する偏見のなさ。また教養からくる節度、こういったものがショーペンハウアーにあっては哲学になっていた」とホルクハイマーは書いています。(「ショーペンハウアー論」『権威主義的国家』紀伊国屋書店・清水多吉訳、所収)これはまさにホルクハイマー自身のことで、彼が個性と才能のひしめく「社会研究所」の所長に選ばれて、その職責を全うしたことは故なしとしません。副研究所長の経済学者フリードリッヒ・ポロックは、またホルクハイマーの大の親友であり、研究所の経理・雑務など一手に引き受けて彼を支えました。この二人は大学を引退した後、チューリッヒの湖畔に隣り合わせの家を買ってそこで余生を過ごしています。
 ホルクハイマーはフランクフルト学派のメンバーの中で最もペシミストであった、と云ってよいでしょう。いかなる楽観も彼には無縁でした。百歩譲って、未来が明るいものであるにしても、すでに起こった苦難は決して償われはしない、と彼は語ります。ユルゲン・ハバーマスはその感動的な小論(「ホルクハイマー生誕百年によせて」徳永恂・細見和之訳、弘文堂『フランクフルト学派再考』所収)で、次のようなことを書いています。『啓蒙の弁証法』の中で、ホルクハイマーとアドルノを最も峻別しているものは、啓蒙のアポリアについてである。もし啓蒙が止まることなき自己破壊の過程という姿で把握されるとしたら、そのことを批判する主体(ホルクハイマーやアドルノ、つまり啓蒙の落とし子たち)はそう判断する資格をどこから引き出してくるのか。ラディカルな理性批判はラディカルであるがゆえに自分の批判の尺度を無傷のまま放置できない。ホルクハイマーはこのアポリアに動揺し、たじろいでいる。「もしも人間が完全に欺かれるべきでないならば、啓蒙は自分自らを省察しなければならない」この問いは、興味深くもホルクハイマーの担当した章にだけ現れている。全く反対にアドルノは哲学の力だけに頼ることなく、現代芸術の美的な経験から独自の源泉を得ており、それが彼を絶望に陥らせず、いつの日か否定的な全体像が稲妻に打たれたかのごとく炸裂するだろう、というアナーキーな楽観に彼を導いた、と。
 晩年のホルクハイマーは信仰の道に心ならずも近づいたようです。彼は虚偽と真、道徳と不道徳は信仰によって区別され得るだろうと考えた、とハバーマスは書いています。「、、、このことを認めながら、しかもなお真剣に神なき生を送ることができるだろうか。これが哲学の問いである」(ホルクハイマー晩年の『覚書』)

(アドルノとその文化批判についてはまたいつか後に書くつもりです)
 

|

« ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』 | トップページ | トーマス・マン『リヒァルト・ヴァーグナーの苦悩と偉大』 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』 | トップページ | トーマス・マン『リヒァルト・ヴァーグナーの苦悩と偉大』 »