« ゲーテ『タッソー』 | トップページ | ジョルジュ・ロシャク『ルイ・ド・ブロイ』 »

2007年1月 6日 (土)

ジェイムズ・サーバー『マクベス殺人事件の謎』

 『マクベス殺人事件の謎』(角川文庫・鈴木武樹訳)に収められたアメリカのユーモア作家ジェイムズ・サーバーの作品の中から、自動車と動物について書かれたものを紹介しましょう。 
「私は自動車とこれまで一度もウマがあったことがない」とサーバーは書いています。まだ若かったとき、父方の叔母がオハイオ州コロンバスのサーバーの家に遊びに来ました。彼女は自分は自動車の運転ができるという幻想を抱いていたのですが、サーバーはその叔母の自動車に乗せられてドライブに出かけているうちにゾッとしてきました。叔母は、赤や青の信号は市がつけたクリスマスの電飾だと思っていたのです。何とか無事に家に帰ってからも、このことがトラウマになり、長く自動車に乗れませんでした。自分で車を持つようになってからも、ガソリンエンジンの仕組みが全く理解しがたく、修理工の人からはいつも呆れたような馬鹿にしたような顔をされるのでした。ある時、計器盤の中のエンジンゲージが危険を示す赤の域まで上がっていることに驚いて、近くの修理店に車を停めると、さらに一つのゲージが1560を示すところまで上りきっているのに気付いて血が引いてきます。震える手で修理工にそれを指し示すと、修理工は呆れた顔で言いました、「そりゃあラジオのダイヤルですよ、 WQXR に合わせてあるんでしょう」。
 次は、サーバーの話の中でもよく知られたものです。彼がスコットランドの人里離れたさびしい土地をドライブしていたときのこと、ガソリンが切れて、突然咳をしたように車が止まってしまいました。どの村からも数キロ離れたところで途方に暮れていると、左手のこんもりとした林から男がひとり突然あらわれました。「どうしたのか」と聞くので「ガソリンが切れた」と云うと「たまたま」と男は答えました、「ひと缶持っているよ」。そう云って林の中から五ガロン入りの缶を持ってきたので、サーバーは金を払ってそのガソリンを入れてもらいました。後にニューヨークのパーティの折、この信じられない実話について話をしていると、ある婦人が「だけど、その男の人が林から現れた時、そんなどの村から数キロも離れたさびしいところで五ガロンのガソリンを提げて、あなたは尋ねなかったの、どうしてそんなものを持ってそんな場所にいるのかって」「奥さん」と彼は答えました、「そんなことをしたら、その男が消えてしまうんじゃないかと思ったんですよ」。

 動物についての話を取り去ったら、サーバーの作品はその魅力をほとんど失うでしょう。動物好きな人間がそうであるように、彼は人間よりも動物を愛し、物言わぬ彼らと共にいるときに本当に心の安らぎを感じるのです。「動物園での死」では、まずサンフランシスコのフライシュハッカー動物園で起きた雄の北極グマのビッグ・ビルが雌のミンを殺した悲惨な事件を取り上げています。なぜビッグ・ビルは唐突にミンを殺害したのか。動物園の関係者たちはいまだに首をひねっているが、サーバーは、その理由は飼育係が北極グマの雌は雄から見てみな同じに見えるだろうという誤った認識にもとづいているからだと云っています。「この結論は、雌グマというのは動物園の係員にはみな同じに見えるという前提からきたもので、ほとんど致命的ともいえる不幸な結論である。雄の北極グマにとっては、雌の北極グマというのは、 G メンにとっての親指の指紋と同じぐらい異なっているのだ。雄の北極グマは、一日中求愛の遊泳をしてだいたい五十頭の雌に出会うとようやく一頭が好きになるぐらいのものなのである。中にはクマの跋扈(ばっこ)する海沿いに120キロも泳いで、やっとかまいたくなるほどかわいい雌に出会うといったクマもいる」。そのことを知らない動物園の係員は、ある日、せまい檻の中に、ビッグ・ビルにはどうしてもがまんできない雌グマを入れてしまったのです、、、。
 クマの話の他にも、モリガモの話、タビネズミの話などがあるのですが、サーバーといえば犬、希代の犬好きが語る犬の話とはどんなものでしょうか。「記念」という短編を見てみましょう。題名どおり、死んだ犬の思い出を記念して書いたものですが、予想に反して、犬が飼い主に示す感動的な愛着や、飼い主が犬に示す温かな愛情などは描かれず、名前さえも明かされない一匹の雌のむく犬の思い出の断片にすぎません。「彼女は13年前に大きな木の枠組みの中に入れられて、イリノイ州からはるばるとやってきたのであったーおどおどした黒いむく犬で、そのころはまだ一歳にもなっていなかった」という文章でそれは始まります。「彼女はいつでも《人間》の生活様式を理解しようとして辛抱強く努力した」。しかし、子犬を産むときだけは、清潔な布を敷いた箱を慇懃(いんぎん)に拒否して、暗い隅の暖かな泥の上を選んだのです。そのむく犬には今思い出せるこれといった欠点はなかったのですが、「しいて言えば、庭に生えていたアスパラガスの柔らかな芽と黒い熟したキイチゴの実にはどうにもならないほど目がなかった」。しかし、ときおり神秘的な感覚から、人間の気持ちに参画するように、主人が頼りない気持ちになれば体を震え、毅然としていれば頭をもたげました。「むく犬というものは、あんなにらくらくとあと足で歩けるのだから、もしいつか言葉と理性というあのふたつのささやかな芸当を習い覚える日が来るとしたら、その時は人間より巧みに仕事をしてのけたとしてもわたしはぜんぜん驚きなどしないだろう」。そして、13年ともに暮らしたあと、そのむく犬は静かな威厳にみちた最期を迎えました。「そして《み手》が自分の上におりてきたのを知ると、厳粛な、なんの懸念もない諦めの心境でそれを受け入れたのだった。これは(と、彼女の黒い利発そうな目はわたしに語りかけようとしているみたいに見えた)、ただ、あるひとつの周期が完全に閉じるだけのことよ、これは《始まり》の中から芽生えてくる花なのよ。これはー友よ、あなたにとってつらすぎないような表現を使うならーキイチゴの実を食べたり、子犬を育てたり、車に乗って雨の中を行ったりするのと同じくらい自然なことなのよ」
 これは、自分の愛するものは他の人たちにとってはどうでもいいものだ、という事実を骨の髄までわかった人間の書く文章です。
 
 (『マクベス殺人事件の謎』につけられた武田勝彦編の年譜によれば、ジェイムズ・サーバー(1894~1961)はオハイオ州コロンバスの典型的なミッドウエストの家庭に生まれたということです。7歳のとき、兄たちとインディアンごっこの最中、誤って左目を弓矢で射られて失明しました。オハイオ州立大学時代から演劇活動を始め、大学中退後は政府の暗号解読係を経て、新聞社に就職し、コラムや絵をかくようになりました。30歳で、フリーランスのライターになり、新聞に寄稿のかたわら長編小説の執筆を始めました。しかし、小説は認められず、33歳のとき、創刊されて間もない雑誌「ニューヨーカー」のスタッフとして採用され、そこでユーモア作家 E.B. ホワイトと出会うのですが、サーバーは彼から、作家は蛇口ではなく頭をひねるものだと教えられた、と後に書いています。)

|

« ゲーテ『タッソー』 | トップページ | ジョルジュ・ロシャク『ルイ・ド・ブロイ』 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ゲーテ『タッソー』 | トップページ | ジョルジュ・ロシャク『ルイ・ド・ブロイ』 »