« パール・バック『母よ嘆くなかれ』 | トップページ | エルンスト・ブロッホ『異化』 »

2006年12月14日 (木)

井上究一郎『忘れられたページ』

 来る2007年は、シャルル・ド・スポールベルク・ド・ロヴァンジュール子爵(1836~1907)の死後100年にあたります。私はこの名前を、井上究一郎の『忘れられたページ』(1971筑摩書房)ではじめて知りました。Spoelberch de Rovenjoul はベルギーの高名な貴族の家に生まれました。不品行で家庭をかえりみない父親にかわって、母はシャルルを溺愛し、シャルルは、サント・ブーヴのように、母なしでは生きられず、母の愛だけを唯一絶対のものとして育ちました。社交や狩猟などに興味を示さず、ゆえに貴族社会からつまはじきされ、誰からも理解されない神経質で虚弱な青年シャルルの趣味は、異教のロマン派の文人たち、バルザック、ゴーチェ、ネルヴァル、ジョルジョ・サンド、サント・ブーヴらにまつわるコレクションだったのです。彼はオペラ大通りに家を借り、厖大な資産にものを言わせて、名だたる古書籍商や蒐集家を相手取り、また友人や作家や学者と交わりを結び、徹底的な知的忍耐によってコレクションを充実させていきました。
 ロヴァンジュールは何を集めたのでしょうか。たとえばバルザック『人間喜劇』の殆どすべての肉筆原稿、作家たちの再校三校と回を重ねるごとにましてゆく校正刷り、未刊のまま終わった戯曲小説の腹案覚え書き、ばかりでなく、恋文の下書きや、レストラン、仕立て屋の請求書まで集めました。刊本では各版のすべて、小説や雑文の掲載されている雑誌・新聞のすべても蒐集しました。このような蒐集の重要性は計り知れません。作品の源泉、製作過程、隠された構造を解き明かすために、作家が闇に葬ってしまうつもりであった腹案のノート、草稿、書き消した文字や下書き、発表を予期しなかった書簡など、精密な実証的研究には不可欠のものであるでしょうし、それはまた実現しなかった巨大な可能性の揺籃でもあるのです。ロヴァンジュール子爵は晩年になって、その不朽の文学的コレクションをフランス学士院に寄贈し、学士院は彼の要望どおりそのコレクションを移送展示絶対禁止を守るシャンティイーの美術館に保管しました。そのコレクションに含まれる文書の宝庫に触れるためには、学士院会員二名の推薦状がなければならず、しかも展示は年三回の研究会のときのみ、という厳しさです。井上究一郎はこのコレクションを見るのが夢でした。「どんな機会にもめぐまれない無力な私だが、いつかフランスへ行くことができたら、ぜひそのコレクションを文字通り『眼のあたり』に見たいものだと考えた。不幸な状況を迎え、むなしい年月を送った。ところが、自力で『かの国』にたどりつくために要する代償がどんなに重いものであるか、頭が固くなり心が冷えてしまった年齢がどんなに腹立たしいものであるかを、いやというほど思い知らされてから、やっと昔の夢のロヴァンジュールに出会う機会が私に訪れた」
 井上究一郎は1957年、三代目館長ジャン・ポミエの特別の許可をもらい、参観という名目は許されないのでネルヴァル研究という理由をつけ、このロヴァンジュリアンたちの「至聖殿」を訪れます。彼はそこで、バルザックがハンスカ夫人のドレスの布で表装した『セラフィタ』の自筆原稿、「ロンサール以来、フランス詩がもった最大の叙情の発明者に」という献辞をつけてサント・ブーヴがユゴーに贈ったロンサール詩集のイン・フォリオ版などを手にしました。最後に彼に差し出されたのは、一枚の紙片、それは縊死したネルヴァルのポケットから発見されたパスポートの人相書で、46歳、身長168センチ、髪は栗色、、、とあり、下方にG・ラブリュニー・ド・ネルヴァルの署名がありました。

  すてきな夏がくると、
  私は行く、森へ、ひとりで、
  みどりの屍衣(しい)にうずもれて、
  丈(たけ)なす草に横たわる。
  その仰向きの頭の上の、
  そこを、それらが、すぎて行く、
  かわるがわるに、まるで詩か
  愛の思念のように!、、、
      ジェラール・ド・ネルヴァル『蝶』
 井上究一郎(1909~1999)はプルースト『失われた時をもとめて』の個人全訳で知られていますが、「フランス近代文学点描」と副題されたこの『忘れられたページ』には、彼のフランス文学への夢があふれるほど詰まっています。1957年、待望のフランス滞在の折、井上究一郎はパリ七区ユニヴェルシテ通り17番地のガリマール書店の建物に仮寓していました。同じフロアーにガストン・ガリマールの甥、ミッシェル・ガリマールも妻とアンナという養女三人で暮らしていました。ミッシェル・ガリマールは生涯の大部分を肺結核とのたたかいに費やし、死は彼の思想のすべてをしめていました。彼は長い間、死ぬことしか考えていなかったのです。それを救ったのは、同じ肺結核を病むアルベール・カミユとの友情と、ミッシェルが託されたプレヤード文庫への愛情でした。プレヤード文庫は1931年ジャーク・シッフランによってル・ダンテック原文校訂によるボードレール詩作全集によって始まり、その後ガリマール書店に移ってから、この小型で優美で完璧な叢書はミッシェル・ガリマールの刊行責任によって発刊されてきました。横11センチ、縦17,5センチ、厚さ2センチ、表紙はしなやかな革装、用紙はインディアンペーパー、この小型本に1500ページもの内容がつまり、何度ページを繰ってもその肌触りには飽きることがありません。「プレヤード文庫ほど、高雅で、個性的、一種のamitieを感じさせるものはない。この叢書ほど、発行する側、買い求める側の、ゆたかな文学的愛情の中で育ったものはない。プレヤード文庫は美しい紙のなかのパンテオンなのだ」
 ミッシェル・ガリマールは、またカミユの最大の親友でした。彼はこの人気作家を庇護し、たくみに創作の場や、休息の取れる安全な場を用意していました。二人とも同じく結核に青春を蝕まれていたのです。その1957年は、カミユのノーベル賞受賞の知らせでガリマール社は沸き立っていました。祝賀パーティ、届けられる山のような花束、テレビの撮影、ストックホルムへの一行の出発など、そのすべてを井上究一郎は目撃していました。そして、運命の1960年1月4日が訪れます。ミッシェルの運転するスポーツカーが激突、助手席に乗っていたカミユは即死、後の席のミッシェルの妻と養女は助かりましたがミッシェルは五日間苦しみぬいた後に死亡しました。その後、プレヤード文庫カミユ作品集が、その師ジャン・グルニエの序文とともに発刊されました。requiescat in pace み魂よ安かれ、と井上は結んでいます。

 ヴァレリーについて、マラルメについて、コクトー、ユゴー、ランボー、ルソー、スタンダール、そしてベルグソンの不幸な聾唖の娘について、等々ここに紹介したいものは数えきれません。しかし、最後はやはりプルーストについて書いておきましょう。
 プルーストは若いとき、デン・ハーグの美術館で、フェルメールの『デルフトの眺望』に出会いました。「私は世界でもっとも美しい絵画を見ました」と彼は友人への手紙で書いています。「われわれに背を向けているこの芸術家、後世にその顔を見られたがらない、そして後世が彼についてどう考えるかを知ろうともしない、この芸術家は」とプルーストは書いています。「私の思想に深く食い入るのです」1921年、ルーブル別館で開かれたオランダ絵画展に『デルフトの眺望』が出品されることを知ったプルーストは、20年前にオランダで見たこの大作の感動に、命をかけても再会したいと思いました。死を一年後にひかえていたプルーストは、ついに友人ヴォードワイエの腕にすがりながら、この「永遠の夏の午後」の前に立つのです。このときの実感は『失われた時をもとめて』の「囚われた女」の老小説家ベルゴットの死の場面に再現されました。ベルゴットは『デルフトの眺望』の中の「黄色い小さな壁」を見るために美術館を訪れ、そこで尿毒症の発作を起こして倒れます。「ぼくはこんなふうに書くべきだった。、、色の層をいくつもかさね、ぼくの文章をそれ自体の中でりっぱなものにすべきだった。この黄色い小さな壁のように」そうつぶやいて彼は息を引き取ります。
 その後の文章はこう続きます。「、、ただいえることは、この現世では、われわれが前世に負わされた義務の重荷をそのまま負って生まれてきたかのように一切が運ばれるということだ。この地上での生存の条件では、善をなせ、こまやかな心づかいをせよ、鄭重であれとさえいった義務を人に感じさせるような理由は何一つとしてなく、また神を信じない芸術家にとっては、永久に人に知られない一芸術家、わずかにフェルメールと推定されるにすぎない芸術家が、あのように技術をかたむけ洗練のかぎりをつくして描いたあの黄色い壁のように何度もおなじ一つの断片をくりかえして描く義務を感じる理由は何もない。たとえその断片が人の賞賛をえることになったところで、うじ虫に食われる自分の肉体にとってはどうでもいいことだ。現世でむくいられることのないこれらの義務はいずれもあるべつの世界に属しているもののように思われる。善意と細心と犠牲心の心の上に築かれる世界、この世とまったくちがった世界、われわれはその世界から出てこの世に生まれ、やがておそらくはその世界へ帰って、知られない掟の支配のもとにふたたび生きるのだろう。ただわれわれが、そこへ帰るまでに、この世でその掟に従うのは、われわれが心の中に、誰が書いたのかは知らずに、その掟の教訓をすでにもっているからなのだ、、、」
 

|

« パール・バック『母よ嘆くなかれ』 | トップページ | エルンスト・ブロッホ『異化』 »

コメント

友人に教えられて 拝見しております。大学のときプルーストを読み、ずっと心の片隅にありつつも50年ブランクのまま、時は過ぎてしまい、近年また読みはじめております。井上先生のガリマールの家を読み、この欄を見つけ、心高揚するままお便りを書きたくなりました。貴方様の書かれている書及び作家は殆ど存知ませんが、ひとときのつもりが数刻豊かに過ごさせて頂き、歓びに満たされております。アランの項も素晴らしかったです。

投稿: 菊池郁子 | 2010年3月25日 (木) 17時27分

菊池様、コメントありがとうございます。
楽しんで読んでいただき、ブログ作者として喜びこれにすぎるものはありません。
無様な文章で、恥ずかしくてたまらなくなるときがありますが、時おりいただくコメントやお便りに励まされて何とか続けております。
若いときに、プルーストの『愉しみと日々』をフランス語で読んで、その難しさに七転八倒したことがあります。
プルーストは今でもなお私にはもっとも難しい作家の一人です。
これからもよろしくお願いいたします。
それでは。

投稿: saiki | 2010年3月26日 (金) 21時14分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« パール・バック『母よ嘆くなかれ』 | トップページ | エルンスト・ブロッホ『異化』 »