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2006年11月17日 (金)

エドガー・ウィント『芸術と狂気』

 「ルネッサンス期の偉大な芸術保護者たちは、みな共通して不愉快な性質を持っていた」と、ウィントは書いています。「彼らは自分は保護者なのだということをはっきりと意識し、平気でそれを口にして語った。例えばメディチ家の礼拝堂の計画案・修正案をいくつも作った時、どれほど多くの口論が繰り返されたか、当時の資料を読まないかぎり想像することもできないだろう」廟墓についてのミケランジェロのデザインは、その注文主であるジュリアーノ・ディ・メディチ枢機卿によって何度も修正されました。果てしない口論の後に、やっと意見がまとまって、ミケランジェロが石を刻みかけた時、枢機卿は教皇に選ばれてクレメンス七世になりました。彼はこの機会に、またまたそれまでの計画をひっくり返して新しい案を持ち出しました。そしてそこから、今日のあの崇高な彫像が生まれでてきたのです。
 人嫌いで偏屈なことで知られるミケランジェロは、この横暴な保護者に対してはさだめし嫌な思いを味わったことだろうと誰しも考えるのですが、事実は全く違って、彼は自分の弟子に、深い敬意をこめて、クレメンス七世は芸術創造の過程について人並み優れた理解力を持っていると語っているのです。また、イザベル・デステはペルジーノの一つの作品について54通もの厳しい注文の手紙を書いています。マンテーニャの芸術も、もし彼女の執拗な注文がなかったら、あれほど豊かな開花を見せることはなかったかも知れません。イザベラの弟アルフォンソ・デステは、ティツィアーノを丁重にもてなしながらも激しい脅迫をも行って、有名な『バッカレーナ』の名作を生み出させました。
 ルネッサンス期の芸術保護者たちは細かい注文をし続けるほど暇だったのでしょうか。ところが、彼らの伝記を調べると、現代の実業家よりはるかに少ない余暇しか彼らは持っていなかったことがわかるのです。「彼らは毎日、現在のわれわれが想像することもできないくらいの身の危険と緊急の仕事に追いまくられていた。そのような恐るべき厄介な生活の最中で、なおかつ彼らが芸術家たちと論争し、相手を自分の意志に従わせようと努力する時間を見出し得たのは、芸術が彼らにとって毎日の食糧のように必要不可欠のものであって、それなしには生きて行くことのできないものだったからである。そして、思うにまさにこの点にこそ問題の根本が存する」とエドガー・ウィントは『芸術と狂気』(岩波書店・高階秀爾訳)で書いています。

 もし、現代の人間にとっても、彼らのように芸術が不可欠のものであるとしたら、やはり過剰な注文をし、芸術家を急き立て、財産と時間の多くをそれに捧げるでしょう。しかし、現実は芸術愛好家といえども、できあがって私たちの前を通り過ぎていく完成した作品を選ぶことしかできません。これは、むろん、芸術の大衆化と複製技術の進歩によるものですが、根本的には社会が芸術を飼いならしてしまっていることにあるのです。
 『国家』や『法律』で理想社会の様々な規則を並べたてたプラトンは、人々に狂気を起こさせる芸術家をその共和国から追放しました。「彼らが、われわれにその神聖な芸術を見せることがあれば」とプラトンは言っています。彼らに敬意を表し、その頭に香油を塗り、飾り立てて、町から出ていくように促すだろう、と。プラトンを怖れさせた芸術の魔力は今ではその影すらも見えません。マンテーニャの『死せるキリストを嘆く天使たち』は、その前に人々を跪かせるために描かれました。しかし、マネの『死せるキリストを嘆く天使たち』は同じ題材、同じ構図を用いながら、それは展覧会のために、そこで高い評価を得るために描かれたのです。享受する方も変わりました。私たちは展覧会の洪水、画集の氾濫に飽満させられています。「神聖なる恐怖はもはやわれわれの世界にはない」ロンドンでピカソの回顧展を見た人が、翌日はパリでプーサンの回顧展を見ることができます。「そして、何より驚くべきことは、そのどちらにも興奮を覚えることができるのである。、、、とすればこの両方の展覧会に訪れた人々は、それらに対して強い免疫性を持っていたことはあきらかである。芸術は、その刺を失ったればこそ、これほどまでに広く
受け入れられるようになったのである」

 ウィントは、現代人がこれほど安易に芸術を受け入れるようになった一つの原因を、彼がその専門でもある美術史学にもとめています。19世紀末から20世紀初頭にかけての最大の美術史家ハインリッヒ・ヴェルフリンは、おそらく言語の音韻法則からヒントを得て、人間の視覚形式もまた時代によって変化すると考えました。ゴシックのとがった尖塔のモチーフは、爪先のとがった靴にも同様に表れるし、いやむしろ靴の先端にこそそれはより純粋な形で表れるのです。この考えは新鮮で幅広いものの見方をもたらし、とらわれない態度で、見慣れぬもの、嫌悪をおこさせるものさえ喜んで考察の対象にする態度を生み出しました。ローマ末期やバロックなど頽廃期の芸術として軽蔑されたものも、それ固有の特質のために評価されるようになったのです。しかし、実はヴェルフリンの考察の根底には、また、人間感情への崇高な無関心がありました。彼は、芸術家の想像力に触れず、様式のみを、その上澄みだけを取り出します。そのために、彼ら(ヴェルフリン、ベレンソン、リーグルなど)に影響されて、人は芸術作品を前にして、人を感動もさせ不安にもさせ得る想像力の魔力から逃れながら、作品から作品へと逍遥することができたのです。
 しかし、「芸術とは心安らかならざる仕事である」とウィントは書いています。一つの芸術作品が私たちの心を捉えます。私たちは、その作品の中に引きずり込まれながら、なおその感動を現実の中にも探ります、すると作品は私たちを突き放し、私たちを不安定なある境界に置き去りにするのです。また、私たちは、普通は小さな紙の上にいたずら書きをします。それもまた芸術の端くれなのですが、もしその紙を次第に大きくしていって、想像力がそれほどまで拡大された場でなお自己を保ち続けることができるかどうかを考えると不安にもなるでしょう。「われわれは、芸術的想像力がわれわれの上に働きかけるや否や、自分たちが安全な岸を離れて広々とした海に泳ぎ出たことを知るのである、、、芸術とは、まさにこの不安定さと曖昧さの領域に住んでいるものであり、しかもその曖昧さが保たれるかぎり、芸術以外の何ものでもない」
 ここで、ウィントは結論を出します。多くの芸術作品が流れ去るように私たちの前を通り過ぎる現代、「彼らは芸術家を町から追放したりせず、自分たちに都合のよいように受け入れる。この心地よげな入れ物、この親しげな底なし沼の中では、創造の狂気のエネルギーは、いつのまにか吸い取られてなくなってしまうであろう」なぜなら、「偉大な芸術作品は堅固であると同時に脆い」ものだからです。

 エドガー・ウィント(1900~1971)はロシア系ユダヤ人の父とルーマニア系の母の間にドイツで生まれ、非常に裕福で知的な環境の下で育ちました。ベルリン大学に学び、八歳年上のパノフスキー、「神は細部に宿る」のアビ・ヴァールブルグに強い影響を受けました。30年代にドイツを出てアメリカで教鞭をとった後、オックスフォードの教授になりました。48歳で結婚し、その結婚生活は幸福であったということです。65歳で白血病にかかり71歳で亡くなりました。(『ルネサンスの異教秘儀』の訳者、田中英道の解説による)『芸術と狂気』は1960年BBCで放送された連続講演で、一般の人々のためにわかりやすく書かれています。

 最後に『芸術と狂気』の第三章「目ききへの批判」が捧げられているジョヴァンニ・モレルリ(1816~91)について書かねばなりません。モレルリはイタリアの解放と統一のために闘い、イタリア元老院議員になってから、変名を使い、ドイツ語で奇妙で革命的な書物を著しました。その本の中で、レフモレルリという名の青年が反教権主義者のイタリアの老人とドレスデンで出会い、美術品鑑定の基本原理を教わります。彼はそれによって、ドレスデン美術館の所蔵絵画のうち46点が偽物であることを証明するのですが、他の美術館の絵画に適用しても結果は似たようなものになりました。ジョルジォーネ、ティツィアーノなど多くの絵画が贋作と判定されたのです。モレルリの方法は次のようなものです。それまで、作者の判定の決めては全体の印象、構図、比例、色彩、表情、身振りなど美学的に重要な個々の特徴に拠っていました。ところが、これら芸術的に意味深い特徴はまさに贋作者によってもっとも真似されやすいところだったのです。モレルリはこれに反して、ただ一つの可能な判定方法は、およそ本質的とは思われない小さな特色、まったく無関係に見えるため模作者も修復者も贋作者も注意を払わないような二義的な特徴、例えば爪の形とか、耳たぶの形に準拠しなければならない、と断定しました。これらの部分は、作者自身も、贋作者も、最も気を緩める部分であるがゆえに自らの筆のままに任せてしまい、結果、誤りなく作者を指示するものになるというのです。「個性的な努力の最も少ない部分にこそ個性は見出される」のです。
 モレルリの方法は、彼自身が浸っていたロマン派の気分を強く表しています。中心よりも周辺を、完成よりも断片を、大作よりも素描を、という傾向は現代の芸術にも多かれ少なかれ影響しているとウィントは書いています。どんなことをしても真作をあぶりだすという風潮は、現在のレオナルド『最後の晩餐』の化学溶媒を使った「洗浄」にもみられるでしょう。ウィントはそのようなことを危惧していながらモレルリの業績には最大の賛辞を送っています。それは、「文法的に整えられた文章よりも、霊感に満ちた口ごもりに熱心に耳を傾ける」そのロマン主義への共鳴にほかなりません。 

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