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2006年10月30日 (月)

アナトール・フランス『昔がたり』

 パリ、セーヌ河の河岸に古本屋の露店が並ぶようになったのは十七世紀の初めころからだそうです。幾たびかの排除と追放の歴史を経て400年もの間、パリの貧しく趣味良き人々の楽しみと慰めになってきました。ある時、自身も本好きであり、何冊かの書物の著者でもあるナポレオン三世が副官を伴ってポン・ヌフ近くの河岸を散策していました。冬の寒い曇った日で、一人の老人の店主が冷たい手を暖めるために鍋に本を燃やして暖をとっていました。古本屋が燃やす本とはどんな本だろうと興味をもったナポレオン三世は副官に行って訊いてこいと命じました。「『勝利と征服』であります、閣下」
 この話はアナトール・フランス(1844~1924)の『昔がたり Pierre Nogiere』(岩波文庫・杉捷夫訳)に紹介されています。マラケ河岸とヴォルテール河岸で育ったアナトール・フランスは、幼児のときから子守りに手を引かれてセーヌ河の岸を散歩していました。対岸に宝石のように彫刻を施されたルーブル宮があり、ノートル・ダムの数々の塔、怪人面に飾られたポン・ヌフなど、プラタナスとマロニエの樹と、本が並び、女性が通るこの河岸は「世界で最も美しいところ」だとフランスは書いています。「お互いに次の事実は認めることにしよう。セーヌ河こそ最も光輝ある河なのだから、疑いもなく、その河岸に並べられた本の箱はセーヌ河を飾るに相応しい冠だったのである」
 アナトール・フランスは(父親も河岸に大革命関連の古本を並べていた露天商だった)幼児から、貧しく幸福で静かに落ち着いているこれら古本屋の店主たちを見てきました。その中には、売れなくて鉉が錆びている眼鏡を並べた眼鏡屋、鎧や鉄の武具を扱う骨董商などもいたのですが、幼いフランスは彼らにも温かい心のうちを感じ取ります。枯葉が舞い落ち、本や絵葉書の間にはさまります。北風が屋根の帆布をゆらし本の頁をぱたぱたとはためかせます。客の来る日も来ない日も石像のように手摺にもたれてじっとしている店主もいます。アナトール・フランスはずっと後になってアカデミー会員になり裕福になってからもこの河岸をたびたび訪れ、貧しい老人から何冊も本を買うと別の老人に与えてしまうのでした。「私は喜びをもって思い起こすであろう」とフランスは語っています。「やわらかな美しい空、、あの胸の底まで感動がしみ渡ってくるやわらかい灰色の空のもとで、彼らの箱の前をぶらぶら歩いた長い時間のことを。私は二スウ均一の箱の埃と一緒に、数知れぬ恐ろしいあるいは愛すべき亡霊たちをひっくりかえすのである。このささやかな露店の箱の中に魔術を使って過去の姿が思い起こされるのである、、、」
 『エピクロスの園』(岩波文庫・大塚幸男訳)の印象深い箇所を最後に記しておきましょう。フランスは17歳のある日、パリのラルカド街の貸し出し図書館で、『サン・マール』の作者、ロマン派の詩人、後に彼が評伝を書くことになるアルフレッド・ド・ヴィニを見かけました。ド・ヴィニはカメオで首にとめた黒繻子の厚いネクタイをして、顔は穏やかでやさしく、絹のような柔らかな髪は、丸い頬の上に巻き毛をなして垂れていました。彼は真っ直ぐな姿勢で、小股に歩き、低い声で話しているのです。彼が立ち去った後で、フランスは彼が返却していた本のページを、感激に胸をとどろかしながら恭々しくめくってみると、(その本は『ラ・ヌーの回想録』でした)、その本の中に置き忘れられている栞を見つけました。その幅の狭い紙の栞の上に、大きく長く伸ばした筆跡でただ一つの言葉が書き付けられていました。Bellerophon と。ベレロフォンはギリシア神話の英雄で、天馬ペガソスの助力で女怪キマイラを倒した男、またこの言葉はワーテルローで敗れたナポレオンがセント・ヘレナに流される時乗せられた船の名でもあります。ヴィニはこの名を書きながら、現身(うつせみ)の栄華のむなしさを知ったナポレオンのことを思っていたのか、それとも(とフランスは推測します)こう一人つぶやいていたのだろうか、「天馬ペガソスに乗った憂愁の騎士は、ギリシア人が何といおうと、あの恐ろしくも魅力ある女性を殺したのではない。額に汗し、咽喉をからからにし、足を血まみれにしながら、われわれが狂気のごとく追いかけるあの女性ーキマイラを殺したのではない、と」
 キマイラとは人間の空想や妄想、つまり人生そのもののことなのです。

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