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2006年10月 4日 (水)

川口松太郎『鶴八鶴次郎』

 昭和10年第一回直木賞は『鶴八鶴次郎』『風流深川唄』の川口松太郎に贈られました。『鶴八鶴次郎』は成瀬巳喜男の映画でも知られていますが、今に至るまで舞台に載せられること多い名作です。この物語は誰しも、一読、忘れ得ぬ感慨を抱くに違いありません。鶴八と鶴次郎は今売り出しの新内語り、鶴次郎は先代の鶴八の弟子であり、師匠亡き後、娘の二代目鶴八とコンビを組んでいました。三味線を弾く鶴八は十人並みの器量だが愛嬌のある24歳の娘、太夫の鶴次郎は色の黒い無口な、色男でないがその分芸人特有の嫌味もない29歳の男、しかしこの二人の語り物は八町飢饉といわれ八町四方の寄席、芝居が不入りになるほどの人気を得ていたのです。今日は折しも新富座名人会の大舞台、であるにもかかわらず楽屋では毎度の二人の大喧嘩、芸に厳しい鶴次郎は鶴八の三味線に文句を付け、強情な鶴八も負けずにやり返します。ところが、楽屋では喧嘩しても舞台に立つと一転芸人の顔になり、我を忘れ、一対のように二人の息がぴったり合ってきます。その日の演目は膝栗毛の「赤坂」、弥次郎兵衛の鶴次郎と三味線を弾きながら喜多八を演ずる鶴八の絶妙な駆け引きが満席の客を魅了します。寸分の狂いがあっても失敗する厄介なこの演目が実は二人の売り物の芸で、大舞台の初日はこの赤坂でなくてはならないのです。
 「『これは関の東に住む弥次郎兵衛』
  と鶴次郎が直ぐにかかるのを
  『喜多八と申すものにて候、扨(さて)もこのたび、都がたを一見せばと思い立って候』
  と鶴八が、間髪を入れぬ素早さで引き取る。と、すぐにつづいて、
  『ことさら、今日も早や日暮れて、道を急ぎ候ほどに、宿を取らばやと存じ候』
  『よッ』
  『東路をー』
  『よおーい』
  ツン、ツン、ツンツン、二の糸の弾き出しに、鵜の毛で突いたほどの隙もなく、ピタリピタリと息の合って行く面白さ」
 広い新富座の寄席一杯、語り手も聴手もうっとりとなって、咳一つするものもいません。赤坂並木に陶然として、舞台も客席も最後の一節が終わるまで渾然とそのへだたりを失います。
 しかし、汗びっしょりになって楽屋に戻ってくるなり、二人の喧嘩は始まります。「あそこの、ハアを、先代はウンと上から冠せたが」「えーだも、ハアこりゃこりゃ」「そのハアが弱い」「何云いやがんでえ、名人面するな」と、鶴八も女らしくない伝法な声で鶴次郎を罵ります。しかし、この二人、仲が悪いかというとそうでもなく、『風流深川唄』のおせつと長蔵のように自分の気持ちを率直に表せない深川ッ子の恥ずかしさがあります。またこれが浅草で生まれ育った川口松太郎の好みでもありましょう。
 二人の新内節の評判が高まっていくなか、先代鶴八の追善法会の帰りに、めずらしくしんみりと鶴八が鶴次郎に話しかけます。「あなたには隠していたけれど、私は近々に身を固めようと思っているの」「身を固めるとはお嫁にいく話かい」鶴次郎はびっくりして鶴八を見ました。「まあ、大体、、、」「今までそんな噂はちっとも聞かなかったじゃないか」「自分でもどうしようか迷っていたんで、誰にも相談しなかったんです」「相手は誰なんだ、芸人か、堅気か」鶴次郎はあわてて聞きただします。「松崎さんといって、下谷の、ほら、、、」「伊予善かい」鶴次郎の問いに黙って鶴八はうなずきました。「そりゃ出世だ」下谷の伊予善といえば会席料理の老舗で数寄屋町一帯を地所に持つ百万長者としても知られています。
 鶴八が気付いて後を振り向くと、鶴次郎は歩みをとめて、暗い道ばたの杉の樹の下に佇んでいます。「どうしたのよ」「、、、、」「ね、どうしたの次郎さん」「どうもしやしない」と云った鶴次郎の目に涙が光っています。「ねえ、次郎さん、何を泣いているの」後から肩を抱くと、鶴次郎はいきなりお豊(鶴八の本名)を振り返って、「お前に嫁に行かれちまって、一体あたしゃあ、誰の三味線であしたっから、、」と云いかけ耐えきれない涙が堰を切って流れます。「止しておくれよ、お豊ちゃん、お嫁に行くんならあたしんとこへ来ておくれ、外へはいかないでおくれ、、」「次郎さん、一体、、」と鶴八は鶴次郎の手をしっかり握り返します。「あんた、私を好いてくれるのかい」「わかんないかい、それが」「わからない、年中喧嘩ばかりして私をいじめて、、、なら、なぜ一ぺんでもそう云ってくれなかったの、、、私の方じゃ、次郎さんのお内儀(かみ)さんになれると思っていたから、、、でも喧嘩ばかりふっかけてくるし」「、、、」「そうだろう、次郎さん」「そうだ、ほんとうに、そうだ」「次郎さんさえ私を好いてくれるなら、誰が好んで嫁になんか行くものか」と、お豊も胸の内を吐き出します。
 鶴次郎は念願の自分の寄席を持ったら、晴れて鶴八と夫婦になろうと決めていました。だが、それには二万円の金が必要で、今の貯えは三千五百円しかありません。早く式をあげたい鶴八は、お母さんの残したものを全ておろして工面すると云って、鶴次郎の前に一万五千円の現金を差し出します。喜んだ鶴次郎、お成町にあった古い寄席を予算の半額で買い取って、宿願の自分の席を開くことができました。ところが、会場当日の招待状に伊予善の松崎宛のものがあったのに気付いた鶴次郎は、肝煎りの人に、実は鶴八が工面した一万五千円は伊予善から借りたものだと打ち明けられます。怒った鶴次郎は鶴八のもとに怒鳴り込んで、俺を騙したな、松崎と切れたといったのは嘘だったかと難詰します。お豊にしてみれば、松崎の名を出せば鶴次郎の心持ち悪かろうと黙っていたのですが、鶴次郎の怒りは収まらず、お豊も罵詈雑言を浴びせられて、手元の煙草箱を投げつけ怒鳴り返します。
 結局、これですべてが元の木網になり、婚約は解消、寄席もまた売りに出され、二人は顔さえ合わせなくなりました。「早く夫婦になりたさで借りてきたお金を、淫売だの、妾だのって、馬鹿にするのもいいかげんにしろ」と鶴八は腹の底から憤慨し、前後の分別もなくなって、ついに伊予善に片付くことを決意します。並びない天才といわれた二人もこうしてはなればなれの運命を拓くことになりました。

 鶴八と喧嘩別れした鶴次郎、三味線を弟子の鶴市に弾かせて高座に出ましたが、片割れ月の物足りなさ、とうていそれまでの人気を維持することができません。持ち前の美声に衰えはないものの、人気というものは捉えどころのないもので、実力ばかりで押し切れないこの世界、一度落ち目になると興行主たちも温かい言葉をかけず、一年もたたぬ間に落ち目から落ち目へ坂を転げる速さは尋常ではありません。一方、伊予善に嫁したお豊は、芸人の世界からきっぱり足を洗い、夫にも愛されて幸福な毎日を送っていました。新内語りを嫁にとる家だけに芸事に理解があり、一家親族悉く芸好きで、お豊も何かにつけて三味線を弾くこと多く、一族すべてから愛される全く順調な生活でした。
 「今になってこんなこと云えた義理じゃございませんが」と、元鶴次郎の舞台番の佐平が思いあまって、お豊の家を訪ねてきました。「二代目さんと別れたのが運のつきで、鶴次郎さんは今や落ちぶれて場末の席を廻っております。昔は一滴も飲まなかった酒を浴びるように飲んで、、、私ゃ、次郎さんをもう一度世に出したいんです」落ち目になった鶴次郎と聞くと、お豊の胸がなぜかつまって、何も言えません。「二代目さん、堅気の立派な奥様になっておられるあなたにこんなことを云うのは初めから無理だと承知していますが」と佐平は切り出しました。「どうで、ござんしょ、今度丸の内の有楽座でまた名人会がございます。その時だけもう一度昔の鶴八師匠に帰って頂くことはできねえでしょうか」「三年もたった今となっては、もう忘れられているでしょう」「とんでもねえ、鶴八鶴次郎が再び名人会で赤坂を語るとなりゃあ、有楽座の六日間はきっと満員しますぜ」と佐平の顔には必死の色が浮かんでいます。思えば惚れあった仲、その鶴次郎が自棄酒をあおっていると聞くと、昔の人気は取り戻せなくとも、せめてもう一度華やかな名人会の昔を見させてやりたいとお豊は思いました。夫に頼むと六日間だけならとの許しがあり、こうして再び名人会の看板の下に二人の名前が掲げられたのでした。
 鶴次郎は酒を断ち、開演までお豊の家へ通い、六日間の語り物を順々にさらって、お豊はお豊で、練習中は家のものを立ち入らせず、三年の昔を取り返そうと懸命でした。初日の客はまず七分の入りで、昔の馴染みの客も多く見られました。初日の出し物は新富座の時と同じく赤坂で、場末の高座ですさんだと思われた鶴次郎の声量も、むしろ一種の錆が加わり、陰影多い魅力がついて聴衆を魅了します。初日は大成功で、楽屋には昔のひいきが押し寄せ、とりわけ人気役者の守田勘弥が連続で来て感心して帰ったとの噂は直ちに内外に広まりました。二日目は蘭蝶、三日目が千両幟、四日目明がらす、五日目は酔月情話で、最後の六日目はもう一度赤坂でした。「お豊さん、ありがとう。あんたのお陰で生き返ったよ、ありがとう、ありがとう」と鶴次郎は頭を下げます。お豊も、長く忘れていた人気芸人の華やかさに浮き足たって顔をほてらせています。六日目、補助椅子を出すほどの盛況になった最後の舞台に出ようとする時に、有楽座の主任が守田勘弥からの言づてで、勘弥が帝劇で蘭蝶をやりたいので鶴八鶴次郎の二人に帝劇への出演を問い合わせてきた、と告げました。帝国劇場といえば一世一代の晴れ舞台、芸人冥利とはこのことでしょう。お豊は二つ返事で出演を承諾し、「芸人の血が帰ってきた。夫が何といおうと私はやる」と興奮して頬をふくらませます。「次郎さんの傍らに並んで三味線を弾いている気持ちは堅気の奥様ではわからない。今となってはもう堅気には戻れない気がする。帝劇でも寄席でもどこでも出ようよ、次郎さん。私は、本当に本当に松崎とは別れるよ」
 最後の赤坂も熱狂的な好評のうちに終わって、「おめでとうございます。おめでとうございます」という祝い言葉が八方から寄せられるのをよそに鶴次郎だけがなぜか冷めているようです。楽屋に帰ると、鶴次郎は三味線をとりあげて、「お豊さん、どうもあそこがおかしかった。初日も変だと思ったが、今日もやっぱりいけなかった」「どこが、どこがいけなかったの」「木遣だよ」「そこがどういけないの」「どうって、まるでだめだね」「まるで」むっとして、お豊は鶴次郎から三味線を引ったくりました。後は売り言葉に買い言葉、お互い雑言を投げあいます。「拙いとも、拙すぎる、はっきりいやあなってねえよ」と鶴次郎が云うと、お豊の両手はぶるぶる震えて「私が出たからこそ名人会の顔付けにものったんだ、それを何だ、何だい一体、、、」お豊は楽屋の梯子段を駆け下りていきました。
 「駄目だなこいつは」と主任が佐平につぶやきます。「鶴次郎の馬鹿にもあきれらあ」

 「馬鹿だよ、お前さんは全く馬鹿だ。これほどの馬鹿とは思わなかった」その夜遅く、上野の腰掛けの呑み屋で、佐平と鶴次郎が差しで飲み、二人はもう好い加減に酔っています。「つくづく呆れ返ったか」「呆れた。腹の底から呆れた」と、手酌の猪口をぐっとさすと、「あれほど乗り地になって来たお豊さんを、怒らせるのが馬鹿の証拠だ、何たって帝劇に出ねえという法はねえ、いくらお豊さんの芸が拙いからっといって、、、」「拙くはねえんだよ」と鶴次郎は佐平の言葉を押さえつけて、「拙いどころじゃねえ、鶴八は名人だ、これから先、女の芸人であれほどの奴は決して出やしねえ」「だって、さっきはお前、、、」「あれは覚悟の上で仕組んだ芝居だ、落ちぶれた三年の間に、俺はしみじみ芸人がいやになったんだ、長い盛りでなし、盛りを越した芸人の惨めさはまだ鶴八には判らねえ、今のままでいりゃあ生涯奥様と呼ばれて暮らせる鶴八だ、女にとってこれ以上の出世はねえ、芸や人気が何になる、盛りの短い目先の欲で可愛い女の生涯を踏みつけるこたあできねえ」「、、、、」「そう思ってくれねえか」「うん」かすかに佐平はうなづいて目を落としながら「判ったよ」とつぶやきます。「不景気な面ァするねえ、男一匹、流しをしたって喰うには困らねえ、飲みねえ、さ、ぐっと、姉さん、熱いの二つかためて持ってきてくんな」「飲もうよ、次郎さん」見合わせた二人の目には涙が湧いています。
 川口松太郎(1899~1985)のこの傑作はアメリカ映画『ボレル』(1934)のリメイクとしても知られていますが、ダンサーの世界を新内の世界に置き換えただけでなく、まだ新内語りが人気のあった大正の東京の風情をうまく描いています。松太郎の本質はペシミズムで、『鶴八鶴次郎』の「芸や人気が何になる」とか『風流深川唄』の「義理ほど辛いものはない」という言葉にその本質のいくらかは覗かれるでしょう。

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