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2006年7月23日 (日)

アクサーコフ『家族の記録』(1)

 W.H.ハドソンの『はるかな国 とおい昔』を読んでいたら、少年時代の愛読書にアクサーコフの『幼年時代の思い出』が出てきました。プーシキン、ゴーゴリと同時代の作家セルゲイ・アクサーコフ(1791~1859)は、その『釣魚雑筆』(岩波文庫)で私には忘れられない作家なのですが、その晩年に執筆した『家族の記録』(1856作・岩波文庫・黒田辰男訳)こそロシア文学の生んだ最上の宝の一つなのです。それは一つの家族の物語、ロシアの大地主であったセルゲイの祖父と両親の物語です。
 モスクワからそれほど離れていないウラル山脈の麓の景勝の地ウファの総督府にズービンという六等官がいました。夫人は12歳になる長女と小さな息子二人を残して病死したのですが、ズービンは、美しく利口なこの長女ソフィアをこよなく愛していました。ほどなくズービンはアレキサンドラ・ペトローヴナと再婚します。美人で魅力的なアレキサンドラは、父親から愛されているソフィアを憎み、継母の権力で目に余る虐待を少女に加えていました。汚い着物を着せて女中部屋に住まわせ、自分の二人の連れ子の部屋の掃除や汚物の世話までさせていたのです。新妻の色香に参っている父親のズービンはそれに気付いても黙っていることしかできませんでした。絶望的なまでに残酷な仕打ちと苦しみに耐えかねて、13歳になったソフィアはついに自殺を決意します。屋根裏の自分の部屋で、スモレンスクの聖母の像の前にひざまずいて最後の祈りをしていると、昨夜消したはずの聖母の前の蝋燭がパッと点きました。少女は驚きと怖れの声をあげますが、この奇蹟に全能の神の徴を見て、苦しみつつ、耐え、生き抜こうと心に誓います。その日から堪忍の鎧を着たソフィアは、どんな屈辱的な罰にも涙を見せず、いいつけはすべて果たし、頼るもののない毎日をじっと忍んでいました。
 やがて神の雷が落ちる日がやってきました。アレキサンドラ・ペトローヴナは、男児の出産の後10日ばかりで女盛りで死んでしまうのです。死の前夜、アレキサンドラは急いで良心の声に従おうとして、継娘を病床に呼びました。そして、證人を前にして、ソフィアにそれまでの非道な仕打ちを謝罪し、神の名において許しを請い、自分の子供たちの面倒を見てくれるようソフィアに頼みます。少女は継母を許し、子供の面倒を見ることを約束し、そしてその約束を守ったのです。
 継母の死はすべてを転倒させました。継母方の農奴に侮蔑されふみにじられていた襤褸着の少女は今や絶対的な権力者になっていたのです。彼女はすべての者を許し、妻の死後寝たきりになっていた父親も許しました。長い苦しみの日々をくぐって賢明になっていた17歳の少女は、突然に母に主婦に社会的な婦人にもなっていました。副総督になっていた父の仕事を代用し、多くの公用の人に会い、また弟妹たちにできる限りの教育を受けさせました。彼女は自分でもフランス語を習得し、多くの書物を読んで、一年半も経たずに立派な教養を身につけました。ウファの市で、聡明で教育のある人々はみなこの美貌と知性と思いやりの心にあふれた女性の魅力に打たれました。彼女は高慢で厚かましい人間にはつんとした態度をとり、おとなしい謙虚な人々にはいつもやさしかったのです。
 これがセルゲイ・アクサーコフの母親になる人でした。恋する権利のある男性はみな彼女との結婚を夢見る中で、ただ一人、自分にはその権利がないと思っていた気弱な男がいました。それがウファの高等法院で働くアレクセイ・ステパーノイチだったのです。(2に続きます)

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