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2006年5月 7日 (日)

クラウス・マン『転回点ーマン家の人々』

 クラウス・マン(1906~1949)の『転回点ーマン家の人々』(晶文社・小栗浩、渋谷寿一、青柳健二訳)は邦訳で六百頁を越す大部の自伝です。「天才の子供であるというのは容易ならぬことだ」と彼は書きます。シュニッツラーの娘が自殺したとき、シュニッツラー(多くの死を日常茶飯のように描いてきた作家であるが)は「ああ、わが子よ、、、おまえのしたことを本当に悪く思ったことはなかったのに。なんということだ、、」と絶句しました。長男が額にピストルの弾丸を撃ち込んで自殺したとき、ホーフマンスタールはその葬儀の朝に発作で倒れて死にました。クラウス・マンが43歳でカンヌで睡眠薬自殺をしたとき、父トーマス・マンは「なんとか(クラウスを)地上にひきとめてやりたかったのに、、」と嘆きました。
 「乳母車は失われた楽園である。、、、思い出があるところに幸福はない。われわれの郷愁はわれわれの意識とともに始まるのだ」クラウス・マンは「幼年時代の神話」の章でそのように書いています。子供は楽園の中に生まれるが、その幸福な無知の時代はわずかしか続かない、知識は常に不安とともにやってきて、私たちを初源の無知の揺籃への憧れで満たします。苦痛に裏打ちされた生、エーリク叔父はアルゼンチンで借金のため自殺に追い込まれ、女優だったカルラ叔母はクラウスの家で自ら酸を飲み、断末魔の苦しみに喘鳴して死んでいきました。ルーラ叔母は首をくくって自殺、そしてオルガ叔母はベルリンで窓から飛び降りて死にました。隠そうとしても子供の耳に入ってくる身内の人々の死は、この世を尋常ならぬものに、甘い楽園の陰にひそむベラドンナのような危険なものに思わせたのです。
 
 青年時代に遭遇した二人の親友の自殺がさらにクラウスを死の国に近づけます。一人は無名の芸術家で幼い頃からの遊び仲間リッキー・ハルガルテンです。きわめて裕福なユダヤ人実業家の息子、何不自由ない暮らし、この世の甘美さを享受する意志と能力を完全に備えていた青年、この世の万物に魅せられ、花、山、書物、絵画、音楽、動物、帆船、女、演劇、建築、すべてを愛した若者、しかし彼は死をも愛し、生を恐れていたのです。彼は死をまるで宿命的な義務であるかのように語りました。「そうならざるをえないなんて馬鹿げている、、こともあろうに小さな家にヴォルファラムといっしょにいる今の今になって、、」ヴォルフォラムとは彼の飼い犬の黒いテリー犬の名前です。クラウスとクラウスの姉エーリカはリッキーを死の誘惑からそらすためにもう一人の女友だちを加えて四人でペルシア旅行を計画しました。最初は乗り気でなかったリッキーも次第にその計画に魅せられ、自分で防水テント、地図、魔法瓶、サングラス、ペルシア語の文法書まで買い込みました。しかし、彼は同時にもう一つの旅、たった一人で赴く孤独な旅の準備もしていたのです。テヘランに向かう旅の出発の前夜、リッキーは美しい丘に建つ小さな別荘で、ピストルで自分の心臓の真ん中をぶち抜きました。
 もう一人の親友(クラウスの親友はこの二人だけでした)は詩人のルネ・クルヴェルです。フランスのブルジョア階級の出で大きな美しい瞳を持った青年でした。ルネはブルジョアの持つすべてを嫌い、なかんずくその典型である母親を憎悪していました。いや憎悪していると信じていたのです。カトリック、軍隊、アカデミー・フランセーズなど権威づくで彼の前に現れるものにルネは激しい敵意を覚えました。ルネはシュールレアリスムの領袖アンドレ・ブルトンに心酔しますが、共産主義にも深く共感しました。だから、ブルトンとソ連の文化代表イリヤ・エレンブルグが白昼公道で殴り合いの喧嘩を始めたとき、ルネの心は激しく揺れたのです。1935年(リッキーの死んだ三年後)反ファシズム作家会議の準備中にルネは「もう、なにもかもいやになった」と紙片に書き付けて、多量のファノドルムを飲みガス栓を開けて自殺したのです。「人はなにゆえに自殺するのか」とクラウスは自問します。「次の半時間、次の5分間を生きることをもはや望まぬからだ。もはや生きることができないからだ。突如、人は死せる地点に、死の地点にいる。これが限界だ、もう一歩も進まれぬ、、、」「私はルネから絶望への勇気を教わった」

 ヒトラーが政権をとって以来、マン家の亡命生活が始まりました。クラウスも放浪の果てに、アメリカで新天地を切り開こうとします。彼は亡命者の雑誌を計画し、賛同者を訪ね、資金を調達します。が、そんな仕事のさなかに、おそろしい憂愁の時間がやってきます。死の願い。無の氷のような慰めが。「10月25日、死の願いーそれだけだ。10月26日、死の願い(いつまで我慢できるか?)10月27日、死の願い。私は死を願う。人生はいやだ。私はもう生きたくない。もう生きていなくてよいのなら、どんなによいだろう」
 ところが、ここで何度も拒否されていたアメリカ軍入隊の許可が下りました。クラウスは狂喜し、新兵訓練に張り切って参加します。そしてイタリア・北アフリカ戦線に派遣され、危険な戦闘や面倒な戦後処理などに活躍します。1949年、南仏カンヌで自殺。
 自殺の理由に、期待していた世界平和の希望が崩れ、米ソの二極化に世界が動いていったことが言われますが、何とも肯定しがたい考えです。クラウスは親友のリッキーと同じく、享楽主義者で、同性愛の機会はなんとしても逃したりはしません。世界的大作家の息子で、たとえ金に困ってもスポンサーにこと欠くことはありませんでした。(父親のノーベル賞の賞金はクラウスの借金返済にもあてられました)。魅力的な容貌、愛想のよさ、誰にも好かれる性格、そして何よりも自分自身の欲望に忠実であることを信条としていた人間です。自ら命を絶つほどの理由はどこにあったのでしょうか。
 ヒントの一つはシュテファン・ツヴァイクの自殺です。1942年、ブラジルでのツヴァイク自殺の報はクラウスに強い衝撃を与えました。なぜなら、亡命中とはいえ、ツヴァイクは世界的名声をもつ作家であり、金もあり、多くの友人に恵まれ、若い夫人も付き添っていました。ツヴァイク自身、享楽主義者で楽天的で幸福に慣れきっていたはずなのです。遺書によれば戦争、野蛮の勝利、破壊的な原始本能の発現に失望したと言うような記述がありました。「そんなに簡単なことなのか? ああ、私たちに何がわかろう」とクラウスは自問します。クラウスはさっそく残されていた数年来のツヴァイクからの手紙を読み返してみます。旅行、観劇、批評、お礼などの何でもない文章に混じって、時折、おしころした倦怠、アイロニー、嘆息の言葉が見つかりました。「私はそれに少しも気づかなかった。私は彼を、何事も気にかけることのない食道楽の世俗的な文士だと思っていた。その彼が絶望していたのだ!」クラウスはニューヨークで最後に彼に逢ったときのことを思い出しました。道で偶然すれ違うとき、ツヴァイクの顔は目つきがすわって悲哀に満ちていました。クラウスに気づくと、びくっとして、一瞬後には自分を取り戻し、いつものように愛想良い顔に戻ったのです。おそらく絶望が癌のように長い時間をかけて彼を浸食し、リオのカーニバルを見ての失望は単なる引き金にすぎなかったのではないか、、。

 自殺に心ひかれている人間にはどこか明るさがあります。死の恐怖を感じない人間の独特の明るさ。半分死者の世界に足を踏み入れているので、地上の重力はあまり彼を束縛しません。暗い軽さというようなものがつきまといます。クラウスは戦争に行くことを、戦うことを望みました。死に赴くことが、生の恐怖から逃れるひとつの方法となるのです。死を宿命であると思いながら、何とかそこから抜け出すことに「いかがわしい楽しみ」すら感じるのです。
 人生に絶望するとはどういうことでしょうか。人の世の楽しみを無意味なものに思わせるものとは何でしょう。作家の川口松太郎はあるとき「二度と人間に生まれたくない」と語ったそうです。『新吾十番勝負』『愛染かつら』の作者のどこにそれほどの絶望がひそんでいたのでしょうか。むろん、性格そのもの、遺伝的特質もあります。マン家は多数の自殺者を出しているし、父トーマス・マン自身、その小説の中に生への歓びを見つけるのは困難でしょう。
  いつの日か愛撫なしに生きよう
  と、私は約束する、、  
これはトーマス・マンが日記の片隅に書きとめていたアウグスト・フォン・プラーテンの詩です。

 暗い話の最後にクラウスの最も楽しかった頃の思い出を話しましょう。父親のトーマス・マンは朝九時から十二時まで執筆し、夕方は昼寝します。その時間帯は決して邪魔してはいけないのですが、夜になると書斎に子供たちを集め「さて、みんな坐るところがあるね」と言って、本を読んでくれるのです。長女のエーリカ(後にW.H.オーデンと結婚)、長男クラウス、次男ゴーロ(後の歴史学者)、次女モニカ、三女エリーザベト、三男ミヒャエルの六人の子供は、いっぱいの書物をかきわけて自分たちの坐るところを確保しました。父親は、トルストイやゴーゴリの物語を読みながら、しばしば自ら笑い出して中断してしまいます。ある夜はマーク・トウェインやフェニモア・クーパー、ある夜はメーリケやグリルパルツァーやゲーテを、またある夜はスウィフト、デフォー、キップリングなど、セルマ・ラーゲルレーヴの北欧のおとぎ話すらも語られました。「何と楽しい夜だっただろう」。アドルノやエリオットやベンヤミンなどと同じように子供時代は幸福の元型を彼に与えたのです。
 

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