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2006年5月23日 (火)

ルナン『思い出』(1)

 フランスの思想家・宗教史家・言語学者エルネスト・ルナン(1823~1892)の『思い出』(1953岩波文庫・杉捷夫訳)の第一章は「麻ほぐし」Le Broyeur de Lin と題され、文学的香気に満ちたこの自伝の中でもひときわ印象深い章になっています。
 ブルターニュ半島北岸の港町トレギエがルナンの子供時代の思い出の舞台です。ルナンはこの町唯一の大きな病院(そこは養老院も兼ねていました)で、何度か狂った女性を目撃しました。45歳位の老嬢で、ルナンたち少年が病院の外を通りかかると血走った眼で野獣のようににらみつけて子供たちを震え上がらせるのです。ルナンの心に刻まれたこの女性の秘密は、遥か後に85歳になった母親の口からルナンに明かされたのでした。
 「ああ、それはね、麻ほぐしの娘さんだよ」と母親はルナンに話しました。ルナンの子供の頃、ケルメル館という貴族の屋敷がありました。父一人娘一人の寂しい家庭でしたが、父親のケルメルはその立派な人柄で地域の尊敬を集めていました。ケルメルは没落貴族の多くがそうであったように極度に窮迫していましたが、その家柄のゆえに野良に出ることなどできず、かろうじて家の中でできる麻ほぐしで糊口を凌いでいたのでした。麻を水につけて十分ふやかした後、一種の皮はぎをして織物になる繊維を残すのです。彼はそれで面目を保っていたのですが、皆はそれを知っていてケルメルを麻ほぐしと陰で呼んでいたのです。ところで、彼の年頃の一人娘はケルメルよりずっと哀れでした。貴族であるがゆえに一般住民とは縁を結べず、持参金を持たないため修道院にも入れません。ひとりぼっちで日がな一日家の中でじっとしていたのです。唯一の楽しみは教会のミサに列席することだったのですが、娘はそこで新しく赴任して来た若い助任司祭に心を奪われました。ミサを執り行うときのりりしく、また少年っぽい初々しさ、心と感覚がより高いところで統御されている人間のもつアウラのようなものを娘は鋭く感じ取ったのです。さらに司祭という階級は娘の階級と決してつりあわないことはなかったのです。娘はしだいにこの青年に惹き付けられ、やがて彼女の生活の全部を占めるまでになりました。しかし、ブルターニュの立派な坊さんが皆そうであるように、この助任司祭も決して娘に打ち解けた態度を示すことはありませんでした。せめて娘に対して避けたり、嫌ったりした態度をとってくれれば、自分の存在を意識してくれたことで少しは心も慰められたでしょう。しかし、彼は女性にしめす遠慮から中へは一歩も踏み込んできませんでした。週に一度、土曜日の告解の日の二人だけの半時間は娘にはそのまま天国の時間のように思えました。娘はそこで彼の言葉、彼の息づかいを感じたのですが、自分の気持ちをほんのかすかでも表すことなど気の弱い娘には出来なかったのです。
 やがて、娘の気持ちは追いつめられたものになっていきました。少しの間でも、彼の注意をひくことはできないのだろうか。彼の愛情を得られなくとも、少なくとも彼の身のまわりの世話ぐらいはできないだろうか、彼のためになること、彼の衣服を整えたり、食事をあつらえたり、つまり彼と起居を共にすること、、、それができたらほんとうに天国だろう! 娘は幾日も幾日もじっと椅子に腰かけて、このひとつのことを思いつめていました。空想の世界で彼の身のまわりの世話をやき、二人の家をきりもりし、彼の着物の裾に接吻していたのです。恋はこの娘の中で宗教になり、純粋な崇拝になり、魂を狂い立たせるものになりました。これから後の話はブルターニュの人間の性格を勘定に入れなければ決して理解できないだろう、とルナンは書いています。ブルターニュ人の特質は恋にもっともよく表れます。恋は彼らにとって情熱以上のもの、身内の奥深くの快楽です。それは恋する者の身をすり減らし衰弱させます。南国の人間の情火とは似ても似つきません。恋愛沙汰からの人死がこれほど少ない人種も珍しく、自殺が極端に少ないのも特徴です。多くの人間は名付けようのない衰弱の中で緩慢に死んでいくか狂っていくのです。
 「麻ほぐしの娘さんの毎日は白い布をかがり、それに刺繍することで過ぎていきました」とルナンの母親は語りました。娘はもはや空想と現実の区別がつかなくなっていたので、この白い布は娘の頭の中で二人の共同の生活の用にあてられるものだったのです。幻想はさらに進んで、娘は敷布類やナプキンに、助任司祭の頭文字で、時には二人の頭文字を合わせたものを刺繍していくようになりました。何週間も、何ヶ月も、娘は自分の夢に浸りきって、針をせっせと動かしながら、みちたりた楽しい時間を過ごしました。自分はあの人のために働いているのだ、何かの仕事に没頭しているのだという幻想はついに奇妙な行為に娘をかりたてることになりました。
 降誕祭の近づいたある日、夜のミサの後には助任司祭はいつも村の主だった人々に司祭館で食事を出す慣わしでしたが、その夜、麻ほぐしの娘はミサの間に司祭館に忍び入って、すばやくナプキンやテーブル掛けをひっぱがして自分の屋敷に隠したのです。ミサがすんで人々はこの盗難にすぐ気づきましたが、何より白い布だけが盗まれているのを不思議に思いました。助任司祭は、お客に食事を出さずに帰すことをしのびなく思いましたが、その時、麻ほぐしの娘がいつになく明るい顔で現れて、「司祭様、こういう時こそ私をお役にたててくださいませ! 15分も待ってくだされば家の白い布を運びますから」と言ったのです。司祭はその言葉に甘えることにしましたが、娘の奇怪な幻想に気づくはずもありません。翌朝、この盗難が調べられて、聖器がかりの男の女房に疑いがかけられました。彼女は必死に無実を主張したので、皆はそれでは誰が犯人だろうかと疑問に思いました。折から、助任司祭がふとテーブル掛けの縁に刺繍された頭文字を目にとめて嫌な気持ちになりつつある時、ケルメルが蒼い顔で入って来て、実は犯人は娘であると告白したのです。裁判が行われました。ケルメルは死神のような顔で法廷に立ち、手袋とサン・ルイ十字勲章を外して置き、「私の名誉は皆さんの手中にあります。全部、娘のやったことです。でも、娘は泥棒ではありません、、、病気なのです」と言いました。目からはどっと涙があふれでてきました。陪審員は無罪を宣告しました。ケルメルは悲痛のあまりまもなく亡くなりました。その後、村の人々は相談して哀れな娘を養老院に入れたのです。
 「すべては、けっきょくは大きな幻なのです」と母親はルナンに言いました。川の流れが大きな岩にあたって、しかたなく向きを変えるように、みたされない情熱が強い繊細な想像力のおかげで架空の世界を作り出すのです。自分を欺くほど容易なことはなく、こうして、人は大きな迷いの中に踏み込んでいくのです、、。

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