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2006年5月16日 (火)

E.R.クルティウス『読書日記』

 クルティウスは、『バルザック』執筆中に、彼に対する同時代人の評価を調べるために、ゲーテの日記を探していました。しかし、ゲーテの完全な日記を収めているヴァイマル版は入手が実に困難でした。あるとき、彼がソーセージを一本買ったところ、それはほご紙にくるまれており、それが何とヴァイマル版の一ボーゲンで、まさに探し求めていたテキストを含んでいたものだったのです。「精神がひじょうに緊張しているときには、そのための努力をしなくても、求めるものが与えられる。私はこれを何度も確認した」と彼は書いています。『読書日記』(1972みすず書房・生松敬三訳)はドイツ最大のロマニスト、エルンスト・ローベルト・クルティウス(1886~1956) の晩年の小著です。全編、知的刺激に満ちていて、それはまさにサント=ブーヴの「文学という宗教」に捧げられた聖務日課表そのものなのです。

 たとえば、ヴェルナー・イエーガーの大著『パイディア』は、ギリシア人がパイディア(教え、教育、文化)と名付けたもの、つまりギリシア的教養理想、ギリシア的人間形成のありようを現代によみがえらせるべきだという精神に貫かれているのですが、クルティウスはそこにヒューマニズムと結託した現代の教育学の貧困を見て取ります。教育学はすべてを目的の観点から捉え、生徒の利益になるものとして、古典古代や国家意識を模範として押し付けます。そこにはギリシア人の「決定的体験」が抜け落ちているのです。「教育学 pedagogie は過去2000年と同じく将来もほんのわずかしか人間を変えることはできないだろう」なぜなら、「唯一の真の教育とは子供による両親の教育であるのだから」

 クルティウスは、18世紀の世界市民、秘儀に心を奪われていたディレッタント、カール・ハインリヒ・フォン・グライヒェンの『回想録』に記されている「知られざる哲学者」ルイ・クロード・ド・サン=マルタン(1743~1803)について書いています。サン=マルタンの著『誤謬と真理について』はマティアス・クラウディスによって独訳され、宇宙的なもののみが意味を持つというゲルマン的伝統に強い刺激を与えました。特にフランツ・フォン・バーダー(1765~1841)にとって、サン=マルタンは彼の生涯の決定的権威となりました。バーダーはサン=マルタンの全著作の注釈を書いています。バーダーは数奇な生涯(その大半は貧困と借金と投機に費やされた)を送り、電光のような135の著作を残しました(彼の思想は自然哲学と秘儀の融合で、ノヴァーリスを思い起こさせます)「この困窮し逼迫した生活から、その沈思熟考の不安の熱から、何条かの光線が洩れて輝き出る。一度この光に捕えられた人は、もう二度とそれを忘れることはないであろう」とクルティウスは書いています。

 サン=マルタンはバルザックに強い影響を与えましたが、同じくフランス革命の純理的反対者、教皇権の擁護者ジョゼフ・ド・メーストル(1753~1821)の思想もバルザックは取り入れています。メーストルが信じていたのは、あらゆる民族、あらゆる時代に共通な人間の根源的宗教であって、その精髄がキリスト教の啓示に保持されていると考えられたのです。クルティウスの記述はここから一気にルネ・ゲノン(1886~1950)に至ります。ゲノンはフランスの秘教的伝統主義者で、インド・アラブ・中国の奥義に通じ、最後はカイロでイスラムの聖者として死んだ思想家ですが、ルネサンス以来の西洋の知のパラダイムを逆転させました。「ルネサンスは何かの始まりではなく、むしろすべてのものの終りであった」とゲノンは言っています。真なるものは、昔の人々はそれを容易に理解できたが、現代ではたとえばカトリックの典礼の中に象徴として表されているにすぎない、とも書いています。ここで『読書日記』中の圧巻ともいうべき場面が描かれます。「その死の間近に、アンドレ・ジッドとルネ・ゲノンとが会ったようである。アンリ・ボスコはN.R.Fのジッド追悼号に、その会見について若干のことを書き記している。『もしゲノンの言うとおりだとすれば』と、ジッドは言った。『わたしの全著作などはかないものだ、、、わたしはゲノンの書いたものに何ひとつ異論を唱えることはできない。それには反論の余地がないのだ、、』しかし、さらにこうも言っている。『もう芝居は終わってしまった、わたしはあまりに年をとりすぎてしまっている、、それにわたしはこの人生を、多彩な人生を、情熱的に愛している』」

 クルティウスが最も愛したフランスの作家はバルザックで、最も親しくした作家はアンドレ・ジッドです。ジッドが死に瀕していたヴァレリーを最後に見舞った時、(彼は死の床にあってもヴォルテールの『諸国民の風俗と精神に関する試論』を読んでいたのですが)、ヴァレリーは旧友のジッドに何か重大なことを打ち明けようと半時間ほど喋りました。しかし、ジッドには一言も理解できませんでした。ヴァレリーの話し方は健康な時でさえ不明瞭であったのに、病気のためにさらに意味不明になっていたのです。ジッドがこの若い頃からの友人の別れの言葉をもはや理解できなかったことを告白したときの口調は悲劇的なものでした。「このことは彼に重荷としてのしかかっていたのであり、その重荷からのがれたいと思っていたのだ」とクルティウスは書いています。

 『読書日記』には他にも、ジャン・パウルについて、ヘルマン・グリムとブレンターノ一族について、アレキサンドリアの文化的価値とその裏の背景ともいうべきビザンチンについて、等々、この小さな書物から信じられないほどの豊かな知識があふれてきます。最後に、クルティウスの精神的バックボーンともいえるゲーテについて紹介しましょう。クルティウスがこの書物の中で書き留めているゲーテの著作は『スイスからの手紙』(別名『ヴェルテルの手紙』)です。ヴェルテルは一人の芸術愛好家と知り合い、彼の蒐集品を見せてもらいます。最後に彼は秘密めかした身振りでヴェルテルに一つの箱を示します。それを開けると、膝に黄金の雨を受けている等身大のダナエの像が見えました。ヴェルテルはそれまで、人間の形姿をこれほどしっかりと見たことはありませんでした。彼は自然の究極の姿である人間の裸体を見て精神的覚醒に達するのです。その後ヴェルテルは友人フェルナンドを誘い、湖で泳ぐのですが、友人の均整のとれた見事な裸体に賛嘆します。「被いのない人間こそが真の人間なのだ、、純粋なものにとってはすべてが純粋である、、」とゲーテは書いています。クルティウスの興味は偉大な文学者の覚醒の瞬間に注がれます。彼は別のところで、バルザックが深夜、パリの街を半分横切って妹のところに会いに急ぎ、「自分は、今、天才になろうとしている」と息せき切って話す場面を深い感動をもって描いていました。

  

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コメント

こんにちは、トムです。この本は昔、神田神保町の小宮山書店ガレッジセールで3冊500円で買った1冊です。(後の2冊は忘れました)期待していなかったのですが内容に圧倒されたのを覚えています。現在では絶滅危惧種となった真の教養人だったのでしょう。いるとしてもマスコミ等には出てこないでしょうから。このような人に匹敵する日本人は幕末から明治にかけての漢学者ぐらいなのかもしれませんね。残念なことです。

投稿: トム | 2015年5月12日 (火) 16時06分

トムさん、久しぶりです。
なぜか、iPadからコメント送信できず、家内の大きなパソコンを引っ張り出してもらって送信するので時間がかかってしまいました。
『読書日記』は確か「みすず」に連載されたものですが、あの当時日本では、フランツ・フォン・バーダーやルネ・ゲノンはもちろん、サン・マルタンやジョセフ・ド・メーストルについて言及するものなどほとんどいなかったと思います。しかも、それが一本の知的統一のもとで語られることなど稀有のことでした。私はマリオ・プラーツの『肉体と死と悪魔』のような書名や人名がたくさん出てきて、そこに著者の愛執が感じられる本が好きなのですが、『読書日記』もまさにそのような書物です。
「真の教養人」などは、私のような永遠の半可通には無縁の言葉ですね。でも1ミリでも近づきたいものですが、、、。
それでは。

投稿: saiki | 2015年5月17日 (日) 21時33分

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