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2006年4月 8日 (土)

R.L.スティーヴンソン『旅は驢馬をつれて』

 
 旅を愛し、というより旅そのものが人生だったロバート・ルイス・スティーヴンソン(1850~1894)の『旅は驢馬をつれて』(1879作・岩波文庫吉田健一訳)ほど旅への賛歌を書きしるしたものはありません。彼は一人旅、そして徒歩の旅を好みました。自ら考案したスリーピングバッグをロバにのせて、彼は南フランスのセヴェンヌ地方を十二日間かけてゆっくり旅をします。秋のすばらしい天候にも恵まれ、ほとんど未開といってよい山間の村々を、ある時は野宿しながら、ある時は粗末な宿屋の箱形の寝台で過ごし、とっつきにくい村人や、親切な修道士などに助けられて彼はこの幸運な旅を終えました。この旅行記には人生の秘密を解き明かすヒントなどどこにも見られません。それは、風変わりな男の気ままな旅にすぎません。しかし、一匹の灰色の小さなロバのおかげで、この本は忘れることのできない余韻を私たちに残します。
 出発地モナスティエの市場で、スティーヴンソンは、灰色の小さな牝のロバを見つけました。持ち主のアダンじいさんは、このロバの性質のおとなしいことを示すために次々に子どもをロバの背中にのせますが皆ふり落とされてしまいます。スティーヴンソンはそのロバを80フランで買って、モデスティヌmodestine と名付けますが、その時、アダンじいさんの目から涙が一滴ほほを落ちるのを見てびっくりします。
 モデスティヌは、荷物をいっぱい背中にのせると、ハアハア息をして、歩くより遅い速度で進みます。スティーヴンソンはその遅さに絶望的になってロバの横を歩いていくと、道ですれちがった人が茂みから枝を持ってきて、「ロバを甘やかしてはいけません、これで打ちなさい」と教えてくれました。その枝を鞭のかわりにしてロバを追うと、モデスティヌはやっと並の速度で歩き出しました。それでも、横道を見ると入ろうとしたり、立ち止まって草を食べたり、牛に見とれたりします。スティーヴンソンも鞭を使いすぎて腕が痛くて上がりません。疲れきって宿屋に到着すると、宿屋の主人が「突き棒」というロバ用の棒を作ってくれました。翌朝、先端から針の出たその棒でモデスティヌを追うと、ロバは昨日までとは打ってかわって従順に言うことをききます。モデスティヌのお尻から血がにじんでも同情することはできません。スティーヴンソンは何とかさぼろうとしているモデスティヌに愛情よりも苦々しさを感じざるを得ませんでした。
 それでも、共に野宿し、共に黒パンを食べ、共に険しい峠を越えるうちに、心のつながりのようなものが芽生えてきます。ロバはもともと人間に強い愛着を抱く動物です。モデスティヌは主人からパンをちぎって与えられることを喜びました。スティーヴンソンも食事の時にモデスティヌの好きな栗の葉をたくさん集めてやります。気が乗らなかったモデスティヌも、旅の終りには険しい丘のある15マイルの道程を六時間で踏破するようになりました。12日目、サン・ジャン・ド・ガアルの町で医者に見てもらうと、モデスティヌは疲労がたまっていてもう旅は無理だと宣告されます。アレイの町に早く着かねばならないスティーヴンソンは市場で35フランでモデスティエをついに手放しました。身軽になって駅馬車に乗り込み、岩の多い道を走っていると途端に別離の悲しみに襲われました。「私はモデスティヌを失ったのだった。私はそれまでモデスティヌを憎んでばかりいた。しかし、もういなくなると、ああ、それは私にとってなんという違いだろう」モデスティヌとの最後の食事のことが、サン・ピエールの丘の上で、月光を浴びながら、パンをちぎって食べさせるとうれしくて体を寄せてくるモデスティヌのことが思い出されました。「モデスティヌは忍耐強く、鼠のような上品な灰色の毛をして、何とも小さかった。その欠点はその種族に共通のものであって、その美点は彼女独特のものであった。さらば、そして、もし永遠にさらばであるならば、、、」
 アダンじいさんはモデスティヌを売った時に泣きました。駅馬車にゆられながら、スティーヴンソンの目からも涙があふれてきたのです。


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