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2006年3月10日 (金)

ベッケル『緑の瞳・月影』

 グスターボ・アドルフォ・ベッケル(1836~1870)は幼くして父母に死なれ、孤児として育ちました。成長して単身マドリードに出、さまざまな仕事を経験した後、あまり幸福でない結婚をして、34歳で肺炎で死にました。彼の名声が高まったのは死後においてです。国民詩人として百ペソ紙幣にも肖像が印刷されているのですが、宮沢賢治同様、過大に褒められ華やかすぎる衣装を纏うと本来の奥底から光る最も繊細な部分がかすんでしまうのではないでしょうか。
 彼はカスティーリアの古跡を訪れることを愛し、中世の騎士と美しい娘との伝説に耳を傾けました。月を見ることが好きで、死者の持つ気高さ、強さ、透明さにひかれました。ベッケルの物語の背景をなす森、湖、山はすべて亡霊のように息づいています。そこで夢見がちな若者が死者の国に半身を浸した少女と恋に落ちるのです。彼の物語は、スコットの『湖の麗人』やフーケの『ウンディーヌ』とはなんと違っていることでしょう。ベッケルには物語を語るという気負いは少しもありません。炉辺でおもむろに足を組みながら、マテ茶の茶碗を置いて、「ある夏の午後、トレードの庭園で、、」と私たちに語りかけます。冗長さを憎み、簡潔さを求める作風はまさに天才のものでしょう。『緑の瞳・月影』(1979岩波文庫・高橋正雄訳)に訳された14篇の中からベッケルにしては珍しくも現世的な物語「はたご屋『ねこ』」を紹介しましょう。
 アンダルシーア、セヴィリアの郊外、サン・ヘロニモの修道院への途中に、いかにもアンダルシーアのはたごという感じの小さな古いはたごがありました。店先の空き地にベンチを置き、亭主は椅子に座って煙草をくゆらせ、若者は音楽に興じています。片方では青年たちがギターを弾いている若者を中心に恋心の唄を歌うと、片方ではタンバリンを鳴らしながら少女たちがそれをからかう唄を歌います。どうやらギターを弾く若者と少女たちのうちで一番すらっとした黒髪の娘が恋人らしいと「私」は気づきました。はじめてそのはたごを訪れた「私」は店の片隅で、手持ちぶさたに、そのすらりとした黒髪の少女をスケッチし始めました。それは、南スペイン、アンダルシーア地方のもっとも美しい日の午後、もっともアンダルシーアでは毎日が美しいのですが、そうした暖かく風のない日の午後だったのです。やがて、日も暮れかかり、若者たちが姿を消していくと、「私」もスケッチした絵を鞄に入れて飲み代を払い立ち上がりました。すると、さきほどギターを弾いていた若者が近づいてきて、スケッチした絵を自分に譲ってくれないだろうか、と言い出しました。「そのかわり、僕は貧しい者ですが、僕にできることならなんでも言ってください」そう言われて「私」は黙って鞄から絵を取り出して若者に与えました。若者は喜びで顔を輝かして、「私」をどうしても町の門まで送っていくと言ってききません。道々、彼は自分のことを話しました。彼の父親ははたご屋の主人で、黒髪の娘は捨て子だったが、一緒に育てられ、そして今はお互い愛し合って、間もなく結婚してはたごも継ぐつもりであると。彼の瞳は生き生きとした幸福感でいっぱいでした。その幸福感は伝染するらしく、若者と別れた後も私はなぜかたのしい気持ちがずっと続いていたのです。
 それから永い間「私」はセヴィリアを訪れませんでしたが、ギターとタンバリンと娘たちの歌声とその町の片隅に秘められた幸福感の思い出は消えませんでした。機会があって、十年ぶりにセヴィリアを訪れた時、「私」は真っ先に友人に、あの郊外の小さな町とそのはたごについて尋ねました。おそらくは幸福な二人は結婚し、老いた父親は孫と日向で遊びながら余生を過ごしているのではないかと。「えっ、知らなかったの」と友人は私の顔を見て言いました。「あそこは、今、墓場になっているよ」
 そう聞いて半信半疑で「私」はサン・ヘロニモ修道院に近いその町に行ってみました。近づくにつれて、風景は同じながら異様な冷々とした感じがおそってきます。死者の通る道は草花さえもその色を失うように思えました。喪装した車が通り、黒い服を着た僧侶、消えた蝋燭を持つ墓場帰りの老人たちとすれ違います。目当ての場所に着くと、はたご屋はまだありました。しかし、店内は寂しく荒れていて、一人のやつれた老人が店番をしていました。よく見るとはたごの主人です。「私」がその変わりように驚いてただしてみると、次のような話をしてくれました。「近くに墓場ができて、突然辺りがさびしくなりました。が、それよりも、もっと悪いことが重なったのです。孤児院からもらって育てたアンパーロ(それが娘の名で、私の家の宝のような子でした)の父親がたいへんな金持ちだったことがわかって、彼らは裁判に持ち込んで強引に娘を連れていってしまったのです。結婚を約束していた息子は絶望し、また田舎育ちで明るい太陽のようなアンパーロも金持ちの家で水の枯れた花のようにしおれて死んでしまいました。その葬列がこのサン・ラサロの道を通ったとき、息子は走りよって棺の中の娘を見ると、気を失って倒れました。それ以来、気がふれて、奥の部屋から一歩も外に出ず、ほとんど何も食べず、娘の絵姿を見ながら、ときたま歌を歌うのです、、、」気がつくと、たえず低い歌声が店の中を漂ってきているのでした。
  葬いの車にのって この道を
  いとし あの子は 行きました
  片手を外に 出していた
  それであの子と 知れました
 美しいアンダルシーアの思い出と、この素朴で悲しい歌声だけは今も「私」の耳底に響いています。
 

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