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2006年2月 4日 (土)

N.フライ『エミリ・ディキンソン』

 ノースロップ・フライ(1912~1990)の『同一性の寓話』(1983法政大学出版局・駒沢大学N.フライ研究会訳)には、ブレイク、バイロン、イェイツ、ディキンソン、ウォーレン・スティーブンスなどの詩人についての評論が収められています。その中で最も分量の多い「エミリ・ディキンソン」を紹介しましょう。
 エミリ・ディキンソン(1830~1888)はマサチューセッツ州アマーストの名家に生まれ、ワシントンやボストンを数度訪れた以外は故郷を離れることはありませんでした。生前に発表した詩はわずか七篇で、それも匿名で雑誌に発表されたのです。年上の牧師や父親の友人に強い恋愛感情を抱いたことはありましたが、それ以外は隠遁に等しい生活を送りました。死後、エミリの部屋に入った妹は1800編に及ぶ詩の原稿を見つけて驚きました。それらの詩は校訂されて発表される毎に新たな読者を獲得していきました。それらは生命の火であり、存在の証し、この世にあってこの世ならぬものへの招待状なのです。

Remembrance has a Rear and a Front ---
'Tis something like a House ---
It has a Garret also
For Refuse and the Mouse

Besides the deepest Cellar
That ever Mason laid ---
Look to it by it's Fathoms
Ourselves be not pursued ---

 
   思い出には裏と表がある
   それは何か家屋に似ている
   がらくたやねずみのために
   それには屋根裏部屋もある

   それに石工がいつもしっかりと造る
   すごく深い地下貯蔵庫もある
   私たち自身が追い込まれないように
   数ファゾム離れたところからそれを見なさい

 最後の二行は彼女が地獄ぎりぎりのところまで我々を案内したことを示している、とフライは書いています。
 エミリ・ディキンソンは敬虔な宗教詩人と言われていますが、アマーストの福音主義的雰囲気や彼女の家族の厚い信仰心に敬意を表しつつも、キリスト教の霊的な説教や慈善活動には常に反抗的な態度をとりつづけました。聖書の中のエリシャとクマの話(預言者エリシャが子供たちにハゲ頭をからかわれると、森の中から出て来た2匹のクマが42人の子供たちに怪我を負わせた)について「神の愛をなにもクマにたとえて教えなくてもよさそうなものだと私は思います」とエミリは書いています。聖書は彼女にとって無意味なことと残忍さに満ちていました。「神は刈り込まれた仔羊には風を手加減なさる」という有名な箴言の言葉に ついて、エミリはこう歌いました。

How ruthless are the gentle ---
How cruel are the kind ---
God broke his contract to his Lamb
To qualify the Wind ---

   優しいものがなんと無情なことか
   親切なものがなんと残忍なことか
   神は風を手加減なさるという
   仔羊との契約を破られたのだ

 神を二流のパブリックスクールの校長にたとえたバーナード・ショー の言葉に彼女はきっと賛意を表するだろうと、フライは書いています。フライによれば、エミリ・ディキンソンの信仰は、畏敬(Awe)という言葉で表され、それは三位一体の第三の格、聖霊に捧げられているということです。聖霊は風、息吹、鳥などのイメージで彼女の詩に現れ、自然の象徴であり、希望のさきがけ(鳩のように)でもあるのです。聖霊はまた気まぐれでもあります。

The Clock strikes one that Just struck two ---
Some schism in the Sum ---
A Vagabond from Genesis
Has wrecked the Pendulum ---

   時計は二時を打ったばかりなのに一時を打った
   計算に何か割れ目がある
   創世記からの放浪者が
   振り子をこわしたのだ

 この聖霊と一体化すること、それがエミリ・ディキンソンの指向したことに他なりません。この一体化は精神の二分化をもたらします。肉体は滅びなければならないが、魂は有限ではなく生き続けるかも知れません。しかし、彼女はプラトン的な魂の永続性を拒否しているようです。「魂は、魂それ自体を示す痛烈な一匹の犬を連れている」と彼女は書きました。ここにエミリ・ディキンソンの特質があります。彼女は、彼女の生きた世界ーアマーストの彼女の家とそこの庭、そして彼女の生きた時代ー南北戦争がアメリカに苦汁に満ちた経験を強いた時代に、すべての救いと成就を実現させます。聖書が示す楽園、それは到達可能であり、詩人はすでにそこに到達しています。天国は地上にあり、人生を経験するということは永遠を体験することと同じです。といって、彼女が神秘主義者というわけではなく、天国の幻想はラム酒の幻想とともに始まり、死とともにすべてが終わるのです。次は私の大好きな詩ですー

Inebriate of Air ー am I ---
And Debauchee of Dew ---
Reeling ー thro endless summer days ---
From inns of Molten Blue ---

   大気に酔いしれたこのわたし
   露にぬれた放蕩者
   とめどなく長い夏の日々
   青天井の酒場を千鳥足で歩く

 「私たちひとりびとりは生身の体で天国を授受している」と書いたエミリは、その晩年のほとんどをアマーストの彼女の家の二階の彼女の部屋で過ごしました。この詩人を病的な精神傾向があると言う人々には彼女は「他人を気狂い視することが、人間の精神を健全に保つのに欠くことのできないものなのです」という言葉を残しています。彼女は二階の彼女の部屋の中で、自分の詩を一つずつ清書していきました。Save just a little place for me --- (私のために小さな場所を取っておいてください)と詩に書いたその部屋はその時代のアメリカで最も豊かな精神に満ちた王国だったのです。

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