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2006年2月26日 (日)

デ・サンクティス『イタリア文学史 中世』

 1869年、52歳のフランチェスコ・デ・サンクティス(1817~1883)はナポリのモラーノ書店より高校教科書用の簡略なイタリア文学史の執筆を依頼されました。彼はこれを非常に喜び、直ちに着手するのですが、あふれる想いを抑えることができず、約束の枚数をはるかに超えて、ついに分厚い2巻本となって出版されました。これが渾身の名著『イタリア文学史』(1970現代思潮社・池田廉、米山喜晟、藤沢道郎訳)です。無味乾燥な記述は皆無、偉大な詩人たちから得た感動をその温もりのままに読者に伝えようとします。
 「今日でも悪者たちは言語道断の物盗りに出かけるときに、聖母マリアに祈願をかけたりするが、詩人も同じように罪深い愛のために聖母に祈る」とデ・サンクティスは「トスカナの人たち」の章に書いています。ヤコポーネ・ダ・トーディ(1230頃~1306)は「あたかも聖者が貧乏人の衣服を喜んでまとうように」庶民の話し方を好んで真似ました。ボローニャ大学で法律を修めた彼は、しかし、神学やスコラ哲学には目もくれず、純粋さ、素朴さ、誠実さ、真剣味を持ってイタリアの人々の生活の一面を映し出しました。彼のアイドルは聖母マリアで、親しげに熱っぽく彼女に話しかけます。
  やさしいマリアよ おまえの息子でありわが主でましますイエスを
  ああ、おまえがどれだけの憧れで見つめたか話してほしい
 ヤコポーネの詩は民衆に親しまれた聖者伝や祭礼の日の劇と同じテーマを歌います。キリストの受難と死、地獄の残酷な色彩、天国の歓喜を。「私の時代にも故郷のモルラでは、聖母マリアの祝祭の日に天使が現れて告知を行った」とデ・サンクティスは書いています。まことにイタリアの大衆的な宗教心は、時代を通じて、その文学を鼓吹しているのです。「彼岸がその舞台となり、現世が彼岸の準備期でしかないと考えるこうした宗教的物語の中に、人間は人間の地上的情熱を、その復讐心や憎悪や意見や愛の気持ちを盛り込んだ」
 そして、偉大なダンテは、このような素朴で庶民的概念から『神曲』とよばれる観想と幻視、霊魂の聖史劇ともいうべきものを産みだしたのです。民衆は『神曲』の言葉を文字通り解釈して、説教や聖史劇から受けたと同じ感激を味わいました。「この人は、たった今、地獄から戻ってきたかのようだ」というボッカチオの言葉は、『神曲』の読者の多くに共通した感慨だったのです。生は彼岸から見られると新しい様相を帯び、彼岸の世界は地上の生から見ると、現世の情念と興味を纏います。地獄は何と豊かな個性に満ちていることでしょう。浄罪界は何と甘味な憂愁に浸されていることでしょう。天国は思い出との和解、質的な差異の消失です。ここに至って、ダンテの苦しみが、ボニファチオに侮辱され、フィレンツェから追放され、憎しみと愛、復讐とやさしさ、憤怒と感嘆の入り交じった生が肯定されるのです。そして、またそれはデ・サンクティスの波乱ある生涯とも重なってくるのです。ある修道士がダンテに「あなたの望むものは何か」と尋ねるとダンテは「平和だ」と答えました。「これこそ同時代の人がことごとく求めていたものであった」とデ・サンクティスは書いています。イタリア国家統一の前夜に生まれたデ・サンクティスは一生を革命と民族統一のために捧げました。「私の人生には二枚の頁がある、それは政治と文学だ」死の直前に彼はそう書いています。
 『イタリア文学史・中世』は最後にペトラルカの美しい章を置いています。『神曲』は芸術的に表現された中世でした。ダンテにとって、世界はすべての頁が書き尽くされている書物そのものです。誰が疑うでしょうか、現世が仮の世、あるいは虚偽の生で、来世こそ真実の世界であることを。しかし、ペトラルカには、ダンテを詩人にしたような自己の世界への信念が欠如していました。そうした世界は彼の頭脳の中で解体し、腐敗し、柔軟な官能的な空想力に席を譲ります。Chiare , fresche e dolci onde 清澄で、さわやかなやさしい流れよ、と詩人は水浴びする恋人ラウラについて歌います。現実は芸術の対象となり、詩人は自らの作り出した想像の中で生きます。ベアトリーチェは光の中にいるが、ラウラの乳房は夢見た朝の余韻のように生き生きと私たちの感覚を呼び覚ますのです。

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2006年2月18日 (土)

アラルコン『割符帳』

 19世紀スペインを代表する作家の一人、ペドロ・アントニオ・デ・アラルコン(1833~1891)の長編『醜聞』Escandaro (1875) は魂を揺り動かす小説です。これを読むと、東洋に布教に来て従容として死に就いた宣教師たちの心持ちが少しはわかるような気がします。宗教小説であるとともに感動的な3人の青年の友情の物語でもあるこの小説は、しかし、その劇的な構成の故にここで中途半端な要約はできません。そのかわりとして『三角帽子』(1939岩波文庫・会田由訳)所収の軽妙な短編『割符帳』を紹介しましょう。
 カディス湾をめぐる広い半円形の上にある田舎町ロータは良質のトマトと南瓜で有名です。耕作地はほとんど砂地ながら、農夫の忍耐強い努力によって施肥され、どこにも負けない菜園を形作っていました。その農夫たちの一人、ブスカベアタ爺さんは今年もオレンジ色に色づいた大きな南瓜を前に複雑な気持ちでした。というのも、手塩にかけて育てた40個の南瓜をついに明日出荷することに決意したからです。爺さんは南瓜の一つ一つに名前をつけて雨の日も風の日も大事に面倒を見てきました。それは最愛の娘を縁付けようとする父親の気持ち、いやそれ以上だったでしょう。爺さんはカディスの市場に出す前の晩、ため息をつきながら殆どまんじりともしませんでした。
 ですから、翌朝、畑に行って、夜の間に40個の南瓜がすっかり盗まれているのを発見したときの爺さんの驚きと怒りと落胆は想像に余るものがあったのです。呪いの言葉を吐いた後、ブスカベアタ爺さんは冷静に熟考しました。盗まれた南瓜は必ずカディスの市場に出されるに違いない、盗人は夜12時の荷船に南瓜をのせてずらかったのだ、それなら朝九時の快速船に乗ってカディスの市場にいとしい娘っ子たちをとりもどしに行こう。計画は直ちに実行に移され、爺さんは朝10時にカディスの市場に到着しました。ほどなく爺さんは巡査を引き連れて、とある青物店の前に立って、「旦那、この南瓜はおらのでごぜえます。こん畜生をひっとらえて下され」と言って小売り商人を指差しました。「これは、おらのもんだ、おらがロータのフラーノ父つあんから買ったんだ」と小売商は反論しました。騒ぎが大きくなって、人が集まり始め、公設市場の食料監査官も顔を見せました。監査官はブスカベアタ爺さんに「しかし、こいつらが真実きみの南瓜であると誰が証明するのかね」とただしました。爺さんは「だって旦那、もし旦那が娘御を持っていなさったら、その顔を忘れることはできっこねえでしょう。ほら、これがマヌエラ、これがカチゴルデータ、こいつがコロラディリャよ、、」「しかし、きみ」と監査官は言いました。「法律というものは確かな証拠がなければいかんのだよ」
 ちょうど、そのとき、「フラーノ父つあん、ちょうどよいところに来なさった」と小売商が野次馬の中から目ざとく見つけて声をかけました。フラーノ父つあんは青くなって逃げようとしましたが、監査官に止められると、今度は開き直ってブスカベアタ爺さんに、「こいつらはおれの畑でおれが作ったもんだ、もしお前の訴えが証明できんものだったら、また出来るはずもないが、名誉毀損で牢屋にぶちこんでやらあ」とたんかをきりました。ブスカベアタ爺さんは、それを聞くと、地面にどっかと腰を落として、今まで手に握っていた布の包みをほどきはじめました。監査官はじめ皆が爺さんのその包みに注目しました。「まあ、見てるがいいだ」と爺さんは包みをほどきおわると、その中から、まだ緑色をしたたくさんの南瓜の蔕(へた)をとりだしました。「これはバルリゴーナの、ほらぴったりだ」と爺さんはその蔕を一つ一つ南瓜のもがれた白い穴に差し込んでいきます。それらは割符帳のようにぴったり穴にあっていたのです。監査官も野次馬もおもしろがって40個の南瓜の穴にジグソーパズルをうめるように爺さんの手伝いをしていきました。フラーノ父つあんは逮捕され、ブスカベアタ爺さんは代金をもらって意気揚々と帰りの船に乗りました。船中で爺さんは「マヌエラだけは残しておくんだった」とつぶやいていたということです。

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2006年2月13日 (月)

ラファイエット夫人『クレーヴの奥方』

 ルナールはその有名な『日記』の中で「私はたくさんの人に知られ、少数の人に読まれたい」と書き付けています。『クレーヴの奥方』(1956新潮文庫・青柳瑞穂訳)を書いたラファイエット夫人(1634~1693)もきっと同じような気持ちだったでしょう。感受性に優れ、内省的で、心やさしい人間のみがこの小説を十全に味わうことができるのです。物語の背景は16世紀のフランス、アンリ二世の時代、策謀と色恋が飛び交うルーヴル宮を中心に、貴族の男女の華やかな日常が展開していきます。歴史的背景も簡潔に興味深く叙述されていますが、何よりこの物語は四人の人間の激しい情感の記録なのです。
 シャルトル夫人は宮廷に初めて出仕する娘に厳しい訓戒を与えます。宮廷に潜む様々な誘惑について教え、貞操堅固こそ女性の最高の美徳であると強調します。シャルトル嬢は宮廷に現れるやいなや、その息をのむほどの美貌で周囲を圧倒します。多くの求婚者の中で、その愛情の真摯さ、位の高さで、クレーヴ公が夫に選ばれますが、シャルトル嬢は彼に尊敬以上の気持ちを持つことができません。やがて、クレーヴ夫人となった彼女は舞踏会の時に、長くパリを離れていたヌムール公と顔を合わせます。ヌムール公は、容貌、機智、勇気に秀でて、宮廷中の女性の賛嘆の的でした。二人は会った途端に恋に落ちますが、クレーヴ夫人はその思いを必死に押し隠そうとします。自分が本当に愛されているか確かめたいヌムール公と、道ならぬ思いに身を引き裂かれそうになるクレーヴ夫人、そんな彼女を見て、母親の直感で娘の危機を悟ったシャルトル夫人は、重い病床に横たわりながら最後の訓戒を娘に与え、「堕落したあなたを見ずに死ねるのは幸福です」と言いながら息を引き取ります。クレーヴ夫人は、それでもヌムール公への密かな思いを断ち切ることができず、ついに誠実な夫のクレーヴ公に懊悩の心を打ち明けてしまいます。妻を深く愛しているクレーヴ公は、あまりの心痛に耐えられず、亡くなります。夫の死に責任を感じるクレーヴ夫人、寡婦となり自由の身となった彼女にヌムール公は激しく迫ります。相愛の二人は果たして結ばれるのでしょうか、、、。
 フランス心理小説の最初の精華といわれるこの小説は、恋人たちの不安な気持ちの推移を丁寧に追っていて読者を全く退屈させません。全編のうちで自然描写はわずか一カ所のみ、別荘で隠棲するクレーヴ夫人との面会を終えた後、ヌムール公は小川の流れる柳の木陰を一人でいつまでも歩き続けます。辺りに人影の見えなくなったところで、ヌムール公は誰はばかることなく抑えていた激情に身をゆだねます。胸がせまり、思わず涙が頬を流れます。それは悲しみの涙であり、また甘い恋の涙でもあります。「彼は百倍幸福であり、百倍不幸であった」と作者は書いています。一方、クレーヴ夫人は熱い思いを秘めながらもきわめて理知的です。ヌムール公の恋情がその不安ゆえに高まっているに違いないと思い、自らを彼の前に投げ出すことに躊躇します。この物語は最後に暗い静寂が覆います。登場人物たちは背後にそっと隠れます。そのとき、読者は「死」がこの物語を常に覆っていたことに気づくのです。母親と夫の死という二つの死がクレーヴ夫人を黄泉の国の方へ近づけます。彼らは死によって夫人の思いの中に深く入り込んでいくのです。最後は、あの快活なヌムール公さえも修道院の冷たい壁の前に膝を屈します。激しく愛し合いながら手さえも握れないこの二人の物語は遠い時間を超えて私たちの胸を打ちます。この小説は、すべてを投げうっても惜しくない恋の思い出を一生持ち続けている、スタンダールのあの「幸福な少数者たち」a happy few に捧げられているのです。

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2006年2月 9日 (木)

モリエール『ドン・ジュアン』

 読み始めると止まらないモリエール(1622~1673)の作品の中でもこの『ドン・ジュアン』(1953岩波文庫・鈴木力衛訳)はテンポの良さ、場面展開の華やかさでひときわ面白いものとなっています。台詞の痛快さはいつものことで、小屋持ちの劇団を率いる作者の遊びではない厳しさがひしひしと伝わってきます。さて、ドン・ジュアンはいわゆる女たらしで、彼が披瀝するいっぱしの無神論的、合理主義的哲学も従者のスガナレルにすら嘲笑される有様です。要は、女性への征服欲にすぎないので、相手を自分と同様の人間とみなすことのできない自己中心的な欠陥的性格の持ち主にすぎません。モリエールの偉大さは、それを極限にまで戯画化することで普遍的性格喜劇まで高めたことにあります。その裾野は広く、小ドン・ジュアンの姿は私たちのまわりのどこにでも見いだされるでしょう。
 ドン・ジュアンの特徴は名家の出であるということです。これは幼い頃から召使いに囲まれて、自分を客観視できずに大人になった人間にありがちのことで、芸術的対象や学術的研究対象には鋭く没入できるものの、こと人間関係においては彼らは貧しい思考しかできなくなっています。バイロンやA.K.トルストイなどのドン・ジュアン擁護派には貴族が多いということも思い出されます。「一般に貴族と呼ばれるものは、他の人間よりは愛することが少ない」(マルクス・アウレリウス)、またサン・シモンの回想録には「ほかの女も自分と同じように指が五本あるのに驚いた」モットヴィル大公妃のことが書いてあります。以上の二つの引用はスタンダール『恋愛論』(岩波文庫・前川堅市訳)からのもので、彼のドン・ジュアン論は秀逸です。「旧家の名を持った男は、卵一つ焼くにも一都市を灰にしてもいいだろうと思う」「彼はあまりに自己愛に溺れきっているので、自分の引き起こす悪など忘れてしまって、この宇宙で楽しんだり苦しんだりできるのは自分だけだと思ってしまう」「女に没頭することを仕事にしている男はたいてい富豪の家から生まれている。いってみれば、うけた教育や少年期に周囲をまねた結果、みな利己主義者で無情な人物どもである」
 しかし、ドン・ジュアンが常に成功するのは、その持ち前の「勇気、策謀の才、溌剌さ、愉快な機智」にあるので、モリエールの『ドン・ジュアン』にも軽快に描かれています。彼は、複数の強盗に襲われた騎士を救い、貧しい聖者に金をやり、借金取りを巧みに追い払い、自分を諌める父親には偽善者ぶります。むろん、女性に対しては決して手を抜かず、優しい言葉を嵐のように浴びせ、どんなささいな機会も取り逃がしたりしません。彼が、劇の最後に、神の怒りに触れて雷に打たれて死ぬのもいささか重すぎる罰と思われるほどですが、たとえ非業の死を遂げなくとも「ドン・ジュアンの老後はまことに悲惨である」とスタンダールは書いています。年をとって器官が働かなくなれば残るは退屈ばかり、結局、ドン・ジュアンはスタンダール流にいえば不幸な男です。ドン・ジュアンは恋を楽しんでいるのでなく、恋を殺しているのです。「ドン・ジュアンの幸福は、確かに豊かな才智と活動力によって引き起こされた数々の結果にもとずく虚栄心にすぎない」しかし、ウェルテル風の情熱恋愛には百倍もの幸福があります。「三年間思い焦がれた恋人(メトレス)は、この言葉の最も強い意味で実際にメトレスであって、ふるえずには言葉もかけられない。しかも私はドン・ジュアンにいいたいが、ふるえる男は決して退屈しないものである。恋の快楽はつねに不安と正比例する」と、これはスタンダール流の幸福論です。
 

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2006年2月 4日 (土)

N.フライ『エミリ・ディキンソン』

 ノースロップ・フライ(1912~1990)の『同一性の寓話』(1983法政大学出版局・駒沢大学N.フライ研究会訳)には、ブレイク、バイロン、イェイツ、ディキンソン、ウォーレン・スティーブンスなどの詩人についての評論が収められています。その中で最も分量の多い「エミリ・ディキンソン」を紹介しましょう。
 エミリ・ディキンソン(1830~1888)はマサチューセッツ州アマーストの名家に生まれ、ワシントンやボストンを数度訪れた以外は故郷を離れることはありませんでした。生前に発表した詩はわずか七篇で、それも匿名で雑誌に発表されたのです。年上の牧師や父親の友人に強い恋愛感情を抱いたことはありましたが、それ以外は隠遁に等しい生活を送りました。死後、エミリの部屋に入った妹は1800編に及ぶ詩の原稿を見つけて驚きました。それらの詩は校訂されて発表される毎に新たな読者を獲得していきました。それらは生命の火であり、存在の証し、この世にあってこの世ならぬものへの招待状なのです。

Remembrance has a Rear and a Front ---
'Tis something like a House ---
It has a Garret also
For Refuse and the Mouse

Besides the deepest Cellar
That ever Mason laid ---
Look to it by it's Fathoms
Ourselves be not pursued ---

 
   思い出には裏と表がある
   それは何か家屋に似ている
   がらくたやねずみのために
   それには屋根裏部屋もある

   それに石工がいつもしっかりと造る
   すごく深い地下貯蔵庫もある
   私たち自身が追い込まれないように
   数ファゾム離れたところからそれを見なさい

 最後の二行は彼女が地獄ぎりぎりのところまで我々を案内したことを示している、とフライは書いています。
 エミリ・ディキンソンは敬虔な宗教詩人と言われていますが、アマーストの福音主義的雰囲気や彼女の家族の厚い信仰心に敬意を表しつつも、キリスト教の霊的な説教や慈善活動には常に反抗的な態度をとりつづけました。聖書の中のエリシャとクマの話(預言者エリシャが子供たちにハゲ頭をからかわれると、森の中から出て来た2匹のクマが42人の子供たちに怪我を負わせた)について「神の愛をなにもクマにたとえて教えなくてもよさそうなものだと私は思います」とエミリは書いています。聖書は彼女にとって無意味なことと残忍さに満ちていました。「神は刈り込まれた仔羊には風を手加減なさる」という有名な箴言の言葉に ついて、エミリはこう歌いました。

How ruthless are the gentle ---
How cruel are the kind ---
God broke his contract to his Lamb
To qualify the Wind ---

   優しいものがなんと無情なことか
   親切なものがなんと残忍なことか
   神は風を手加減なさるという
   仔羊との契約を破られたのだ

 神を二流のパブリックスクールの校長にたとえたバーナード・ショー の言葉に彼女はきっと賛意を表するだろうと、フライは書いています。フライによれば、エミリ・ディキンソンの信仰は、畏敬(Awe)という言葉で表され、それは三位一体の第三の格、聖霊に捧げられているということです。聖霊は風、息吹、鳥などのイメージで彼女の詩に現れ、自然の象徴であり、希望のさきがけ(鳩のように)でもあるのです。聖霊はまた気まぐれでもあります。

The Clock strikes one that Just struck two ---
Some schism in the Sum ---
A Vagabond from Genesis
Has wrecked the Pendulum ---

   時計は二時を打ったばかりなのに一時を打った
   計算に何か割れ目がある
   創世記からの放浪者が
   振り子をこわしたのだ

 この聖霊と一体化すること、それがエミリ・ディキンソンの指向したことに他なりません。この一体化は精神の二分化をもたらします。肉体は滅びなければならないが、魂は有限ではなく生き続けるかも知れません。しかし、彼女はプラトン的な魂の永続性を拒否しているようです。「魂は、魂それ自体を示す痛烈な一匹の犬を連れている」と彼女は書きました。ここにエミリ・ディキンソンの特質があります。彼女は、彼女の生きた世界ーアマーストの彼女の家とそこの庭、そして彼女の生きた時代ー南北戦争がアメリカに苦汁に満ちた経験を強いた時代に、すべての救いと成就を実現させます。聖書が示す楽園、それは到達可能であり、詩人はすでにそこに到達しています。天国は地上にあり、人生を経験するということは永遠を体験することと同じです。といって、彼女が神秘主義者というわけではなく、天国の幻想はラム酒の幻想とともに始まり、死とともにすべてが終わるのです。次は私の大好きな詩ですー

Inebriate of Air ー am I ---
And Debauchee of Dew ---
Reeling ー thro endless summer days ---
From inns of Molten Blue ---

   大気に酔いしれたこのわたし
   露にぬれた放蕩者
   とめどなく長い夏の日々
   青天井の酒場を千鳥足で歩く

 「私たちひとりびとりは生身の体で天国を授受している」と書いたエミリは、その晩年のほとんどをアマーストの彼女の家の二階の彼女の部屋で過ごしました。この詩人を病的な精神傾向があると言う人々には彼女は「他人を気狂い視することが、人間の精神を健全に保つのに欠くことのできないものなのです」という言葉を残しています。彼女は二階の彼女の部屋の中で、自分の詩を一つずつ清書していきました。Save just a little place for me --- (私のために小さな場所を取っておいてください)と詩に書いたその部屋はその時代のアメリカで最も豊かな精神に満ちた王国だったのです。

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