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2006年1月 6日 (金)

ジェーン・オースティン『説きふせられて』

 27歳になったアンは友人のラッセル夫人を除けば、誰も心の通じ合える人はいませんでした。従男爵の父親も、独身の姉も、結婚して近くに住む妹も、虚栄心にあふれ、わがままで、善意の心に欠けていたのです。アンは13歳の時に死んだ母親の面影を受け継ぎ、美しく聡明で分別に冨み、全身優しさの塊でした。ただ一つだけ欠点があって、思慮深いがゆえに思い切って決断できないことがままあったのです。19歳のとき、23歳の海軍士官と恋に落ちましたが、ラッセル夫人から、家柄と不確かな収入を理由に説きふせられ、泣く泣く結婚を断念しました。その士官ウェントワースは裏切られた思いで彼女のもとを去り、遠い南方に船出していきました。そして、八年の歳月が過ぎ、ほろ苦い後悔を抱いて生きているアンの前に、今は大佐となり、十分裕福になったかつての恋人が姿を現します。アンは彼のことが今でも忘れられません。しかし、ウェントワースは昔の彼女を許し、今でもなお昔日の愛情をアンに注いでくれるでしょうか、、、。
 ジェーン・オースティン(1775~1818)の死後出版された彼女の最後の小説『説きふせられて』(1942岩波文庫・富田彬訳)は一分の弛みもなく最後まで読者を引っ張ります。大勢の人がいるパーティの中で誰にもその仲を知られていない恋人同士が、わざと互いによそよそしく振る舞っているときのそのワクワクした気分、そんな気持ちがオースティンの小説の醍醐味なのです。読者はヒロインと一体化します。物語の中のもっとも素晴らしい女性がもっとも完璧な男性と結ばれるのです。その歓びをともに味わうためには一頁一頁ゆっくりと、ひとつの文字も見落とさずに読んでいかねばなりません。登場人物のすべての性格、その土地のしきたりと身分の相違など、緻密に残さず把握していなければなりません。しかし、それはあまりに楽しい責務です。「私はオースティンに狂っています、、、何度でも何度でも読み返します。口を開け、理性を閉じて」とE.M.フォースターは書いています。
 ジェーン・オースティンは英国南部の牧師の家に生まれました。若くして小説を書き始めましたが、好評を得るようになったのは40歳近くなってからです。独身のまま42歳で死んだ後は、その評価は年を経るごとに高まりました。彼女の小説のほとんどは平凡な田舎の町の平凡な日常の描写に終始しているにもかかわらず、何がこれほど読者をひきつけるのでしょうか。私は、それはヒロインに対する作者の愛情だろうと思います。オースティンは、きっと、『高慢と偏見』のエリザベス・ベネットや、『説きふせられて』のアン・エリオットが好きで好きでたまらないので、どうしても読者に紹介したかったのでしょう。そして、物語を考えて夢見た少女の時のように、読者にもまた話の筋道を胸をときめかせて辿ってもらいたかったのです。これは限りなく重要なことだと思われます。なぜなら、上司小剣の『鱧の皮』や岡本かの子の『老妓抄』など舌を巻くほど上手な小説には何か本質的に欠けたものがあって、感心はしても心の動かされることなく、恐らくそれは作者自身の感動の深浅によるのではないかと思われるからです。私たちは人生が何であるかを知りたいのでなく、それを肺の底まで吸い込み、心ゆくまで味わいたいのです。
 

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